2018年 8月 の投稿一覧

懐かし系テレビ番組を、父はよく見ていた

まだ私が小学生だった頃、懐かしい昔の番組や懐かしの歌謡曲を流すテレビ番組を父はよく見ていた。

例えばゲバゲバのようなバラエティ番組だったり、あるいは狼少年ケンのようなアニメだったり、または高校三年生のような歌だったり。

横に座って私も時々見ていた。当然子どもには面白くない。

紹介される番組の大半は白黒だ。今でこそ白黒も味わい深く見られるが、当時の私には面白くもなんともない。色がないってほんとかよ!ただそう思っていた。

他の番組が見たいと主張しても、通らない。父は懐かしいと興奮して、盛り上がっている。やがて母もそこに入ってくる。そして同じく懐かしい盛り上がる。

つまらないので自室にこもるが、当時の子供部屋にはエアコンはなくて、夏場だといつまでもそこにはいられない。部屋にはテレビもなければ、当然スマホもPCもない。

結局しばらくすると、居間に戻るしかないわけだが、まだテレビは懐かしのナントカが続いている。

さて、翻って今の私の家の話だ。

まさに、あのときと同じように、私は見ているのだ。懐かしのナントカを!

あの頃こんなものが流行っていたとか、どの家にもこんなものがあったとか、そういうのを見て、しかも懐かしいー!とか言って興奮しているのだ。

そして小学生の息子はというと、たいへんつまらなそうにしているわけだ。

わかっているぞ、息子よ。これ、君には全く面白くないよな。知ってるんだ、私も。

これ懐かしいー!って、知らないよそんな話、だよな。

しかし断言しよう。

君もだ。君もきっとやるんだよ。私の父や、私がやったように、これ懐かしいといって昔のものをみて大騒ぎするのを。

大騒ぎしておいて、その自分を見てあー年取ったんだなあ、なんて思うこのよくわからない幸せと不幸せのごちゃ混ぜになった楽しみを。

エスカ隊長と満月と笑う山

エスカ隊長のところには、今日もたくさんの依頼が届いていた。

今日の依頼はこんなものだった。

エスカ隊長へ

私は西の西のもっと西の村で暮らしています。実は、困っていることがあるのです。しばらく前から、満月の夜になると山が私の方を見てにやーっと笑うようになったのです。

決して気のせいではありません。村の住民全員が山が笑うところを同じように見ているのです。みんなこわがって、満月の夜は一歩も出歩けなくなってしまいました。

エスカ隊長、私たちを助けてください。

「満月になると笑う山か。面白い。行ってみるとしよう。双子ロボット、みんなをすぐに呼んでくれ!」

双子ロボットのエルとマルは急いで隊員たちを呼びに行った。

声の高い隊員はいつも通りすぐにやって来た。エスカ隊長が依頼内容を伝えると、

「満月になると笑う山ですって?そんなものあるはずがないではありませんか。きっと見間違えですよ。どうしても行かなきゃいけませんか?あんまり行きたくありませんねえ」

しばらくして、声の低い隊員もやって来た。顔ほどもある大きなおにぎりを右手と左手に1つずつもってかじりながら、

「もぐもぐ、笑う山ですか、もぐもぐ。なんだか怖いですねえ・・・、もぐもぐ。ところで山で食べる食事もおいしいですよね、もぐもぐ」

全員集まったところで、エスカ隊長と声の高い隊員と声の低い隊員、双子ロボットのエルとマルは自動運転車のオートメーテッドオートモモービル“AAMB”に乗り込んだ。

『みなさん、準備はよろしいですか。ではオートシートベルトを装着いたします。声の低い隊員さま、車内ではできるだけこぼさないようにお召し上がりください。それでは出発いたします』

AAMBがそう言うのを聞いて、窓からポケが急いで飛び出して来た。地面をターンと蹴って、エスカ隊長の胸ポケットに潜り込んだ。「よし、出発だ!」

依頼人の家に着くまでに4時間もかかったが、その間に立ち寄ったお店で声の低い隊員は買い物をして次のものを買って食べた。

・バナナ10本
・ヨーグルト10個
・りんご5個
・牛乳12本
・ハンバーガー6個

「ふうう・・・お腹いっぱいだ」

エスカ隊長たちは依頼人の家に着いた。依頼人は男の人だった。

「エスカ隊長、来てくれたのですね。向こうに見えるのが、こちらを見てにやあっと嫌な笑顔で笑う山です。いまは夕方ですから、普通の山ですが、満月になるとそれはもう気持ちの悪い顔をして笑うんです。・・・もちろん、本当です!お隣さんだって、そのお隣さんだって、私と同じものを見ているんです。今日の夜はちょうど満月です。少し待てば皆さんにも見てもらえるはずです。私はもう見たくありませんので、みなさんだけであの山をなんとかしてもらえませんか?」

依頼人はとても怖がっていて、依頼を伝えるとすぐに家の中に隠れてしまった。

エスカ隊長たちは、夜が来るのを待った。やがて太陽が沈み、辺りは暗く静かになってきた。そしてぬっと満月が浮かんできた。

そのときエスカ隊長たちは一斉に「あっ!」を声を上げた。依頼人が言っていた通り山に大きな顔が現れて、こちらを見てにやっと笑いかけているのが見えたからだった。

大きなまん丸の目が2つギラギラと輝き、その近くに三角形の鋭い鼻があって、目の横まで裂けたようにぐにゃりとまがった口が、なんとも不気味に笑っている。それも、動くでもなく口を動かすでもなく、じっとエスカ隊長たちの方を見て、ただニタニタと笑っているのだ。

「あいつの正体を突き止めるぞ!みんな急げ!」

急いで車に乗り込んで、笑う山に向けて猛スピードで走り出した。

しかし不思議なことに、山のふもとまで行くと、大きな顔は見えなくなってしまった。あるのは家が二軒に山小屋が一軒、そしてたるんだ電線があるだけだ。

「おかしいな。この辺りに見えたはずなのだが」

エスカ隊長隊長たちは、山から一度離れてみた。すると山には再び顔が現れて、ニタニタと笑っているではないか。

急いで山の方に戻ると、またしても顔は消えてしまう。

山に近づきては顔が消え、離れるとまた現れる。何度か繰り返しているうちに、声の高い隊員が気がついた。

「あの目、やけにまん丸すぎると思いませんか?それにあの鼻。不自然なくらい三角形で、おかしいですし。口もやたら横に長くって・・・」

カーシェアは車を持てない人たちの最終手段であり苦しい言い訳だが、どうか許してやってほしい

「だって車なんて週末しか乗らないでしょ?それなら車を持たずにカーシェアでいいじゃん」

私のように、車を持たない選択をした人が必ず発する言葉だ。

私は先日車を売った。5年乗った車だ。愛着はあった。しかし家を買うのに合わせて、車を売ったのだ。

そしてカーシェアを利用することにした。かつてカーシェアは利用していたから、それが完全に便利なサービスではないことは分かっていた。

そこでその時に心の頼りにしたのは、「カーシェアのほうが車を持つより経済的でスマートな選択であるはずだ」という希望である。そしてそれは希望であると同時に、まやかしでもある。もっとシンプルに、苦し紛れの言い訳とも言える。

そりゃたしかに、例えば東京の駐車場は高いから、車の所有コストは高いし、車検だって保険だって金がかかる。購入コストも所有コストも高い。

週末に乗るだけなら、カーシェアのほうが経済的だろう。間違いない。

しかし、それはコスパがいいことには直結しない。

コスパのコスの部分はまあいい。たしかにやすい。問題は、パの部分だ。

車のパにあたる部分は、乗らないときの安心感も含む。

カーシェアは自家用車ほど便利か?答えはもちろんノーだ。いつでも使えるわけではない車が、便利なはずがない。しかも大抵カーシェアは自宅の駐車場より離れたところにあるものだ。離れていていつも使えるわけではないクルマは、とっても不便だ。使っている私がいうのだから、間違いない。

カーシェアはステータスになるか。これももちろん答えはノーだ。

うちってカレコのカーシェア使ってんだよねーって、勝手にすればいいけれども、かっこよくはない。カレコをタイムズに変えても一緒だ。(個人的にはオリックスよりはカレコとタイムズはかっこいいと思っているが、こういうのを目糞鼻糞を笑うとか50歩100歩とか亀とスッポンという)

つまり、コスはよくてもパがダメなんだ。それがカーシェアというサービス。そしてそのことを、カーシェアユーザーは分かっているのだ。百も承知で使っているのだ。やっぱり車は持たなくても大丈夫だねー、とか、週一しか乗らないからこの方が頭良さげだよねー、とか、そんなことを言ってごまかしながらも毎月の利用料を払っているのだ。

でも、ちょっと待ってもらいたい。それではかわいそうではないか。車を所有できない私が。

車を持っていつでもどこかへ出かけたいのに、出かけられないのだ。哀れじゃないか。

だから、「カーシェアって経済的だし、シェアリングエコノミーとか言われてるし、なんか今っぽいっちゃあ今っぽいから、つまりこれってかっちょいいんだよねー」と、夢幻に溺れたっていいじゃないか。

そういうことで、私は今日もフィットに乗るのです。