2018年 5月 の投稿一覧

文学研究をしていたことを恥ずかしく思っていた私の話

文学研究が学生時代の私の専門だった。それもフランス文学だ。

大学を卒業し、やがて仕事をし始めると、学生時代に何をやっていたかという話題になる。私が」フランス文学をやっていた」というと、大抵の場合、笑いが起こる。「めずらしいね!」と言われるケースが多いが、一度は「鉄板ネタだね」と言われたことすらある。

なぜそこまで笑われたのか、本人には聞かなかったので確かではない。私のアジア人然とした風貌と、いまだに根強いフランスの洒落たイメージが合わなかったからかもしれない。でもたぶんそれ以上に、「役に立たないことに時間を費やしたのだね」という笑いだったのではないかと思う。

笑われると良い気分はしない。それでもその時は私も笑って話を合わせた。よく言われます、と。

フランス文学研究が「鉄板ネタ」と言えるほど面白いとは今でも思わない。しかし同時に、人が笑う気持ちがわからないわけでもない。フランス文学、という響きには独特の面白さが確かにある。

そんな風に笑われることが多いし、また自分自身も就職の場面や実生活で役に立つことを学ぼうとして文学研究を専門に選んだわけではないから、フランス文学をやっていたというときに、「あまり役に立たないのですけれどもね」と一言添えるクセがいつのまにかついていた。

また、仕事を始めてからは自分から積極的に自分の学生時代の専門について話すことはなくなっていた。フランス語が少しは喋れることも他の人に知っておいて貰えばいいのに、それすらも隠すようになった。どうしても専門について話さなければならないときは、少し自虐的に語る。それが自分にとって当たり前のことになった。

最近は、外国人と一緒に仕事をする機会が増えた。そうすると、昼食を一緒にとる場面などでは、学生時代の専門について話をすることが結構ある。共通の話題が少ないので、過去の話から話題を探ろうとする人が多いからかもしれない。

先日も「あなたは学生時代に何を専門にしていたの?」と尋ねられた。

またこの話か、と思いつつ、私はいつもどおりに「フランス文学研究をしていました。全く役に立ちませんけどね笑 間違って選んでしまったんでしょうねえ、若かったから笑」というような調子で答えた。

外国人と仕事をして、私はまだ文学研究をしていたという人にあったことがない。大抵マーケティングだとかコンピューターサイエンスだとか、そういう実益に繋がりそうなことをやっている人がほとんどだ。そういう人たちに、文学研究をしていたということを、私は恥ずかしく感じていた。時間と金をそんなことに費やしたのか、と思われるような、そんな気がしていたからだ。

フランス文学を研究していたと聞いて笑う外国人にはまだあったことがないが、それでもフランス文学?どうして?という表情を見せる人は多い。

だからその時も、いつもの調子で答えたのだ。

すると、同僚の一人が真剣な表情で「そんなことない」と私に強く反発した。文学研究は役に立たなくはない。あなたの仕事にちゃんと有益な経験になっていると思う。そう彼女は言ったのだ。

私はマーケティングに関わる仕事をしている。この領域では、消費者や顧客のこと、つまり人間のことがよく分かっていることが成功のカギになる。すべては人を知ることから始まる。「文学研究は、人を理解するときにとても役立つじゃないですか。あなたはその経験をしっかり生かしていますよ」と言われたのだ。

私は、その当然の指摘を受けて、とても恥ずかしくなった。

考えてみればたしかにその通りなのだ。文学研究とは、テクストを通じて人間のことを多面的多角的に考える行為。その経験が私の仕事を助けてくれないはずはない。その通りだった。

ところが私は、長年の他人からの反応を間に受けて、それに加えて決して高い志を持って文学研究を始めたわけではない後ろめたさから、自分が費やしたそれなりに長い年月と頑張りとを貶めるようなことを常日頃から口にしていたのだ。それも何年も。いろんな人に対して。

小説や詩が人の役に立つか、と問われれば即座に私は役に立つと答える。文学研究が人の役立つかと問われれば、実は私はまだ自信を持って役に立つとは答えられない。

しかし文学研究という経験は、私自身の糧にはなっているだろう、と今の私は強く感じている。

その学問は、その経験は、役に立つのか。

文学研究に携わり、そして学問を離れ仕事を始めた人のなかには、私とは違ってその経験や学問が自分をどのように助けてくれているかをしっかりと自覚できている人もいるだろう。すばらしいことだ。

反対に、私と同じように、場合によっては後悔しているような人もいるのではないかと思う。

たしかに私自身も、文学研究が社会にとって有益かと問われると、簡単には答えられない。少なくとも短期的なリターンは多くないだろう。

それでも、文学研究の経験があなた自身を助けるか否かと問われれば、案外役に立っているかもよ、と答えるだろう。

飲み会を断ることのデメリット(ちなみに私はほとんど断る)

飲み会が苦手な人は、飲み会に誘われたり、どうしても断れないイベントが発生したりすると、とても辛い気持ちになります。

行きたくないー!と、さけんだりしてます。ほんとです。

そんなとき、「辛すぎるから、思い切って断ってしまおうかな」と思ってしまうこと、きっとあるはずです。そんなこと思わないという人、よかったですね。あなたはラッキーです。しかし飲み会嫌いな人は、どうしても行きたくないのです。

私は、タイトルの通り、少しでも嫌だなと思った飲み会は、基本的には断るようにしています。

断ることによって得られるメリットのほうが、私にとっては大切だからです。

しかし中には、全然気乗りしなくても、飲み会に誘われたら必ず参加することにしている人もいます。楽しいから必ず行く人ではなくて、楽しくなくてむしろ好きでは無いにもかかわらず、断らずに参加する人、です。

なぜ飲み会嫌いな人たちが、辛いにもかかわらず参加するかといえば、飲み会を断ることにデメリットがあるはずだと考えているからです。

飲み会を断ることによって、自分にとって悪いことが起こる。だから本当は嫌だけど、頑張って飲み会に行く。こういう発想です。

では、嫌いなのに断らずに頑張っていかなければならないほどのデメリットがあるのか、ということですが、まず「デメリットがあるか無いか」といえば、確かにあります。

飲み会を基本断る私がいうのだから、間違いありません。デメリットは、あります。

そのデメリットが、嫌いなのを押してでも参加したほうが良いほどのデメリットかと聞かれれば、それは人による、という話になりそうです。事実私はデメリットがあると知っていますが、それでも行きませんから。

そこで、私が感じる・考えるデメリットをお伝えすることによって、飲み会嫌いの人たちが今後も飲み会に参加し続けるのか、それともその程度のデメリットならやめてしまえ、と参加しなくなるのか、判断していただくための情報を提供できればと思いました。

デメリット1;関係性を築くチャンスが減る

最大のデメリットですね。関係性を築くチャンスが減少してしまうこと。これがまず取り上げなければならないデメリットだと思います。

飲み会は、飲みニケーションという言葉に象徴されるように、コミュニケーションの場です。美味しいお酒や美味しい食事は、主役ではなくあくまでコミュニケーションのサポーター。

すべては、人と人が一緒に楽しい時間を過ごすための、ツールにすぎません。

飲み会の主役はコミュニケーションです。

ですから、飲み会に行かないということは、コミュニケーションのチャンスを失うことにダイレクトにつながります。

飲み会というコミュニケーションの場を失うと、飲み会を重視する人とは特につながりにくくなります。

人と人とのつながり方にはいろいろな方法があるものですが、それぞれに理想形みたいなものがあるものです。

例えば私にとっては、アルコールが入っていない状態で、できるだけ少ない人数で話をすること。これがベストです。

ところが十人十色で、理想形は人によって異なります。

そして、飲み会こそがキングオブコミュニケーションだと認識している人が、少なくないのです。

私のような飲み会嫌いにも、その意味はわかります。

アルコールを入れて少しリラックスして、身を寄せ合いながらいいことも悪いことも胸襟を開いて語り合う。しかも飲み会は短くても2時間くらいは一緒に時間を過ごします。

そうすると、自然と人と人との距離が近くなる。

確かに理想形ですね。お酒とかコミュニケーションそのものが好きな人にとっては特にです。

飲み会を断ると、こういうアルコールもコミュニケーションも好きな人たちとつながる最高の機会を失います。

この人たちは、いろいろな人とたくさん飲み会に行ったりするので、そのコミュニティの中でつながりは広がり続け、関係も深まり、後からそこに加わろうにももう間に合わないということになりがちです。

この人たちとは飲み会に行かなければ深いつながりを築くことはできません。大きなデメリットとなると思います。

デメリット2:仕入れられるネタの量が減る

次のデメリットは、仕入れられるネタの量が減ることです。

お酒が入る場なので、思わず話してしまったというような話のネタが飲み会にはそこかしこに転がっています。

お酒が入らなければ、きっとこの人は話さなかっただろうなあという話が出てきてしまうものです。

そういうネタの収集が、飲み会を断ると難しくなります。

あの時あの人がこんなことを言っていたなー、みたいな情報は事実飲み会を断るようになってからかなり減ってしまいました。

とはいえ、このような場で話される情報というのは、たいして重要なものではないケースが多いです。(歴史は夜作られる的に重大な情報がこういう場でリークすることもありますが・・・。)

ですから、飲み会で得られた情報をたくさん持っていたからといって、それが直接仕事で役たつかといえばそういうわけでもないとは思います。

しかしながら情報は質だけでなく量がものを言うことも多いのも事実。

あの人ってこうらしいよ、という噂話でもゼロよりは一つでも多く持っているとそれを使える場面というのは必ずあります。

飲み会を断りまくっている私には、そういうネタはあまりありません。聞くことがメインです。

ネタを多く持っていることが重要である人にとっては、この点はとても大きなデメリットになると思います。

結論:私にとっては結構どうでもいいデメリット

さて、どうでしょうか。私に思いつくデメリットはこれぐらいしかありませんでした。あとは、知り合いの幅が広がらない、とかでしょうか。いずれ思いついた時に追加してみようかと思います。

いずれにせよ、私にとっては大したデメリットに感じません。

というか、飲み会を断ることによって、なんか時間を無駄にしてしまったなあと感じてしまうことに比べれば、これらのデメリットはなんてことないのです。私にとっては。

それよりも自分の好きなように使える時間を少しでも増やすことの方が私にとっては大切です。家族と過ごしたり、本を読んだり、映画を見たり、ドウデモイイテレビを見て時間を無駄に過ごしたり。こういう時間を過ごすことが、私の場合はストレス発散になり、次の日からまた頑張るためのエネルギーを生み出してくれているわけですから。

無理に飲み会を断る必要は、もちろんありません。上記のデメリットに比べれば、多少嫌いでも飲み会に行く方がよほどいい、という人はもちろんいるはずです。私ももしかしたら将来的にそのようになるかもしれませんし。

一方で、よく考えたらたいして困らないかも、という人はたまには飲み会を断って自分の時間をたっぷり使える日を作ってみても、いいかもしれません。

安部礼司のリニューアルが不評 その理由を考える

東京FMの人気番組「あ、安部礼司」のリニューアルが不評です。

私はリアルの知り合いには安部礼司のファンはいないため、ネットの評判を読む限りではと言う感じですが、リスナーの一人としてリニューアル後の放送を聞いてみても、「これはちょっとないなあ」と感じます。既存ファンには概ね不評、という評価で間違いないだろうと思います。

良くいえば、よくこれだけの大きな変革に踏み切れたものだと感心します。

安部礼司はなかなかに人気のあったコンテンツです。固定ファンが多くついていました。それを振り切って、ここに安住していてはダメだ、と言う心意気で、きっと制作者たちは変革を起こしたのでしょう。

変化させること自体は、すごいです。明らかに不調というわけでもないなかでの変革は、なかなかできるものではありません。

しかし変革はもろ刃の剣。今回の大幅な変革は、現時点での評価を見る限りでは、残念ながら多くの既存ファンの心をつかむことには失敗したように見えます。

そもそもリニューアルの狙いは何か

5月というタイミングでのリニューアル。不思議な感じはしますよね。

リニューアルのそもそもの狙いは何だったのでしょうか。

少なくとも、「既存ファンにますますこの番組を好きになってもらうこと」ではないでしょう。これまでの路線を強化するためのリニューアルには見えません。

おそらくは、「新しいファンを取りに行く」こと。それが、リニューアルの狙いだと思います。

「新しいファンの獲得」は、番組を継続していく上で当然の課題です。古いファンも長年番組が続けば少しずつ離脱して言って、いずれはいなくなります。新しいお客さんの獲得は重要課題です。

問題は、「既存ファンを切り捨てる覚悟まであったのか」という点です。

私の考えでは、制作チームの中には「古いファンを全て失ってでも新しい命を吹き込むのだ!」という強い心意気で今回のリニューアルを進めた人がいたはずだと思っています。だからこその大鉈です。

その一方で、その思いが全員の総意だったかといえば、そうではなかったのではないかと思っています。

今のタイミングでリニューアルって必要?とか、既存ファンを切り捨てるのはさすがに勿体無いのでは?と思っていた人が、チームに少なからずいたのではないかと。

でなければ、無理に安部礼司という形をとる必要はありません。

制作陣の一部は大幅に変更したい。でも一部は安部礼司の資産を大事にしたい。その結果「これまでの安部礼司で培ったファンをベースにしながらも、新しいファンも獲得していく」という路線に落ち着いたのではないかと思います。

そして、中途半端なリニューアルであるがゆえに失敗した、というのが現状でしょう。

ツイッターを見る限りでは、「これは安部礼司ではない」「これならリニューアルせずに終わらせてしまったほうが良い買ったのではないか」といった声が聞かれます。相当反発を受けている状態です。

なぜこの度のリニューアルは、このような評価を得ることになってしまったのでしょうか。

既存ファンが不満を抱いたのには3つ理由がありそうだと思っています。

聴きたい内容ではなくなってしまった

まずはこれです。聞きたい内容とは違うものになってしまったと言うことです。

リニューアルに伴う大きな変更点は次のポイントです。

  1. 重要キャラクターがいなくなった
  2. 既存キャラクターの位置付けが変わった
  3. 既存キャラクターが登場しないパートができた

どれも大きな変更点です。

ファンにとってはなかなか受け入れがたいものだと感じます。

その一方で、個人的には少なくとも1の「キャラクター退場」だけは、なるほどそういう手はあるなと感じさせられました。

今回のリニューアルが、新規リスナーの獲得を目的としたものだったとすれば、敷居を低くすることが必要です。この番組、今から聞いても面白そうだなあ、と感じなければ新規リスナーは逃げていくからです。

とはいえ、安部礼司はラジオドラマです。それも10年以上も続いている番組です。その特性上、固定キャラクターが登場し続けることは避けられません。

事実、安部礼司では、一見さんお断りではありませんが、背景を知らないと楽しめない要素がかなり多くありました。

一話完結ではありながらも、いわゆる内輪ネタのようなものがかなり増えていたために、初めて聞いた人にとっては「なにこれつまんない」な内容が多かったはずです。

その最たる例が、リニューアルで追い出されてしまった刈谷というキャラクターだったと思います。

私は5年ほど前から安部礼司を聴き始めましたが、はじめからこの番組を受け入れられたかというと全くそんなことはなくて、むしろなんだこのつまらない番組はと怒りを感じたこともありました。その理由がまさに内輪ネタが多かったからです。しかもその内輪ネタが結構つまらない。

具体的には刈谷というキャラクターが問題でした。

過剰な演技と軽いギャグとで、きっとファンには人気なのだろうけれども、そうでない人にはちょっときつめ。そんな立ち位置だったのが、刈谷です。

このキャラクターがいることで、ストーリー的には助かる面もあれば、反対に何がテーマだかわからなくなるケースが多くありました。

キャラクターに思い入れがない新規リスナーにとってみれば、テーマがわかりにくいことは致命的です。好きでもないキャラクターがよくわからないギャグを言っているのでは、聴き続けることは難しいです。

そこで、刈谷の退場案が出てきます。彼がいなくなれば、新規リスナーにとっては参入ハードルが低くなります。理にかなっています。

だから、新規リスナー獲得のためという点から考えれば、刈谷退場は意味のある変更だったと思います。

2点目のキャラクターがちょっと変わってしまったというのも、大きな変更です。

今までだったらこの人はこんなことは言わない設定だったはずなのになあ、という場面が見られます。

ただ、彼らは刈谷と違って退場したわけではないので、少しずつ元に戻していけばよいのですから心配不要かもしれません。

3点目の既存キャラクターが出てこないパートができた、については、今後これをキープするかどうかによって結構印象が変わるかもしれません。

安部礼司は、知っているキャラクターたちが繰り広げる様子を楽しむドラマでしたから、突然知らない人が出てきても、既存ファンには厳しいです。

新規リスナーにとってみてはどうでしょうか。感覚的には微妙かなあと思います。

一つ一つの話を聞いてみると、そんなに面白くないわけではない。しかし、あくまであるあるネタの延長にあるレベルのものなので、感動するほど面白いわけでもないというのがこれまで聞いてみたところでの個人的な感想です。

このレベルの内容だと、新規リスナーにも大して受けないのではないかなあと感じます。

特に、この番組の放送時間帯が問題です。

日曜の黄昏時。番組の冒頭で必ず聞かれたセリフです。そう、安部礼司は日曜日の夕方の、やるせない憂鬱の中にありながら、また明日からのエネルギーをなんとか自分の中から絞り出すための時間帯に聞かれる番組な訳です。

この時間帯に聞きたい物語や、触れ合いたいキャラクターはどんな人だろうか。そう考えると、今回のリニューアルの内容や人物設定は、ファンの機体とのズレが大きいのではないかと思われます。

結果として、既存ファンが求めてきた安部礼司とはかなり違ってしまった。しかもそれがいかにも新しいリスナーに受けそうな内容ならともかく、微妙な位置付けの内容にしかなっていない。ということから、多くの人の心がついていけていないのが現状なのではないかと考えています。

リニューアルの意図がわからない

リニューアルが不評である別の理由としては、「リニューアルの意図がわからない」ということもあるように思います。

たとえば、2018年に番組が終了した「めちゃイケ」や「みなさんのおかげでした」などは、内容に行き詰まり感が見えていて、しかも視聴率も伸びないという状況でした。だから、視聴者側にもこれら二つの番組が終了するの理由はある程度簡単に飲み込めました。また、これら二つの番組はバラエティー番組で、どちらも新しいことにチャレンジして切り開いてきた番組です。だから、マンネリはその性質とマッチしていないのです。だからコンテンツの行き詰まり感は致命的です。

翻って安部礼司。こちらはどうでしょうか。

聴取率データは見つけられませんでしたが、東京エフエムの放送番組審議会の議事録なるpdfが出てきました。

https://www.tfm.co.jp/company/pdf/news_4b53a05970ebd14549bc3b1cd4847bdb591530a87821e.pdf

このなかに、以下のような一文があります。

「サンデー・ソングブック」「安部礼司」に匹敵するよな名物番組を配置して

また、他の箇所を見るとこのような文面も見られます。

番組発の企画や番組から発信していくことが大切だと考える。それは「SCHOOL OF LOCK!」とか「安部礼司」とか、とても評価されていると思う。

これは2017年の資料です。最新ではありませんが、ここからそれほど大きくは状況は変わっていないと想定すると、番組そのものの不調がリニューアルの必要性の理由にはならないのではないかと思います。

また、毎年各地でイベントを催すのが安部礼司の特徴の一つですが、どのイベントも来場者という意味ではそれほど問題があったという話はありません

つまり、現状での人気という意味ではそれほど問題がなかったと考えられます。

もちろん、番組を今後も継続していくためにはリスナーの入れ替えは必要です。入れ替えという言い方がおかしければ、離れていった既存リスナーの分だけ新しいリスナーを獲得する必要がある、という言い方でも結構です。

現状維持のためには、新しいリスナーが必要ですから、今の状況だけを見ていてもダメです。将来的にも継続して番組運営できるかがキーであることはわかります。

・・・とはいえ。そのためのリニューアルを今、この形で、本当にやらなきゃダメだったの?

これが既存リスナーの声なのでしょう。

番組もツイッターアカウントを持っていますし、プロデュースをしている堀内氏や、新しく作家として加わったマンボウやしろ氏なども、情報発信チャネルをきちんともっていますが、どちらもわかりやすい背景説明はしていません。

そうすると、既存リスナーはよくわからないタイミングと理由でのリニューアルを経た不思議な状態の番組をただ我慢して聞いているしかありません。フラストレーションがたまります。

結果として、このリニューアルダメだなー、という反応が生まれてしまっているのだと思います。

既存リスナーは切り捨てられたと感じてしまった

リニューアルが不評である別の理由としては、もっと直球なものもあるとおもいます。つまり「既存リスナーは、自分たちが晩ん組から切り捨てられてしまった。大事な存在ではないと言われてしまった」と感じていることです。

私の想像では、番組制作陣のうち既存リスナーの切り捨てに強い覚悟を持っていた人は一部しかいなくて、残りはそこまでの覚悟を持たずに今回のリニューアルに望んだのではないかと踏んでいます。

狙いはあくまで「新規リスナーの獲得」であり、「リスナーの入れ替え」までは想定していなかったのではないか、ということです。

しかしリスナーにとってはそうではなかった、というのが今起こっていることです。つまり、既存リスナーは「あなたたちはりすなーとしては不要です。卒業してください」と切り離されてしまった感覚を持っている、ということです。

それは当然です。

リニューアルのはっきりしたわかりやすい理由はわからない。そのうえ、自分たちが好きだったキャラクターを「海外赴任」という形で退場させたうえ、残ったキャラクターも微妙に知っているひとたちとはちがう性格になっている。

あ、つまりもう聞くなってことね。・・・とリスナーは思ってしまいます。

もちろん、それでも安部礼司を信じてついていく!という熱のあるファンもいらっしゃいます。ですが、問題なのはファンの中にはいろんな層のファンがいて、ライトファンはそこまでの義理は感じていない可能性が極めて高いということです。

事実、ツイッターを見る限りでは、もう聞くのをやめてしまったという人たちが現れています。

反対に「今日聴き始めたけど面白い!」というツイートはまだ見かけません。はじめてきいたひとがいきなりその番組についてツイートするというケースはまれでしょうが、まだそこまで関心を持つ新規リスナーの取り込みには、残念ながら成功していない、ということでしょう。

一体今後どうなるのか、注目です

番組を作るにあたり、リスナーの反応に耳を傾けることは重要でしょうから、既存リスナーの反応はすでに製作陣に十分届いていると思います。

それをうけて、彼らがこれからどのように舵を切るのか、あるいは切らないのか、それとも番組そのものが切られるのか。何が起こるのか、要注目です。

飲み会を断る人の心理

飲み会を断る人っていますよね!せっかく誘っているのに、なんだかんだと理由をつけてこない人。

私はまさにその「飲み会を断る人」です。

きっと飲み会を断らない人や、積極的に飲み会に人を誘う人にとっては、なぜそんなに飲み会を断るのかがわからないだろうなあ、と思うのです。

何がそんなに嫌なのか。なぜせっかく誘われているのにこないのか。意味がわからない。

という感じで飲み会を断る側の人のことを見ているのではないかなと。

そこで、飲み会を断る人の一人として、断る時に考えていることや、断る理由を紹介してみようと思います。

早く家に帰りたい

私が飲み会を断る時に感じているのは、これです。とにかく早く家に帰りたい。

家で過ごす時間がとても大切なのです。

それは家族と過ごす時間が大切ということか、というと実はちょっと違います。

たしかに家族との時間は大切です。夫婦の時間、子供との時間、これらが人生の優先順位のそうとううえにいちしていることは間違いありません。

ですが、一人暮らしをしていたときから、私の場合はさっさと家に帰りたいなあと思っていました。

だから家族との時間を大切にしたいということだけではないのです。

ポイントは、内向的な人間である、ということなのだろうと思っています。

内向的な人と外交的な人とでは、ストレスの発散方法が見事に異なっているそうです。

外交的な人は、休みの日や自由な時間に他人と会って一緒に時間を過ごすことが何よりもストレス発散になるのだと聞きました。

私はこれを知った時に本当にびっくりしました。世の中にそんな人がいたのかと!

一方内向的な人はというと、自由な時間に他人とは合わず、自分の世界の中で時間をゆっくりと過ごすことがストレス発散につながると言われています。まさに私のことだと感じます。

この違いが、飲み会を断る人と断らない人の大きな分岐点になっているように思います。

つまり私のように飲み会を断りがちな人は、仕事が終わったり、何か用事があった後で、飲み会を通じて他の人と時間を共有したいという気持ちが全くないわけです。

むしろそのような時間の使い方をすると、疲弊してしまって翌日に悪影響が出たりするのです。

そのため、自由な時間はさっさと家に帰りたい。そして明日以降のために気持ちを落ち着けたり、ストレスから自分を解放したいという気持ちが強くなり、結果として飲み会を断ることになってしまうのです。

その人のことが好きではない

ところが、もっとろくでなしな理由の場合も実際はあります。身もふたもないとも言えます。

つまり誘ってきた人のことが好きではない、というケースです。

この場合は、おそらくですが飲み会が好きない人も嫌いな人も関係ないようではないかと思います。飲み会が好きな人でも、この人とは時間を一緒に過ごしたくないという気持ちはあるでしょう。飲み会が嫌いならなおさらです。なぜ嫌いな人と嫌いな飲み会にいかねばならないのだと怒りさえ湧いてくるでしょう。

もし積極的に人を飲み会に誘う人で、誘ってもみんなあまりこないなあという場合は、残念ながら自分自身があまりすかれていない可能性を疑う必要があるかと思います。とても残念な話ですが。

でもまあ仕方がありません。飲み会が好きなら、誘いまくって一緒に行くしかないのですから、そういう人は引き続き積極的に行ってください!そして断られてもへこたれないようにがんばってください!

話に入れないのが辛い

さて、飲み会は好きではありませんが、稀にどうしても断れない飲み会も存在します。

どうしても断れない飲み会なので、どうしても行くしかありません。

そうして参加した飲み会が、いつも楽しければ良いのですが、大抵の場合あまり私の場合は楽しめません。

その理由の一つが、話に上手く入れないこと。

それなりに調子も合わせますし、周囲からみるとそこそこ楽しくやっているように見えているのかもしれないのですが、当人は結構辛いのです。

なぜなら話に上手く入れている感覚が持てないからです。

盛り上げ上手な感じの人がいて、わーっとその人を中心に盛り上がっているとき、やっぱりその話題の中心にいる人がその場の主役になるわけで、それ以外の人たちは脇役です。

脇役でも楽しくやれる場合もあるのですが、その主役になる人が数人いて、順番に主役が後退して行くと、どういうわけかプライドが低い私でもちょっと羨ましいような気持ちが出てきます。

すると話にもっと加わりたいし、たまには主役になったりすると気持ちがいいのかなあと思いますが、いざそのバトンが手元にやってくると、その期待に答えられなくて残念な結果になったり、あるいは上手く行っても結局なんだこれはみたいなことになりがちなのです。

私は内向的な人間ですが、それと同時に目立ちたがりな部分も持ち合わせています。タチが悪いです。

飲み会には行きたくない。しかしどうしてもいかなければならない場合は、それなりに中心にいたい。こういう気持ちがあるのだと思います。

だから、そもそも飲み会に行きたくないし、行ったとしても楽しめないからますます行きたくない。この悪循環になります。

これからも私は飲み会を断ります

少なくとも、私はいきたくないのみかいについては今後も積極的に断っていこうと思っています。

仕事上で必要な付き合いは別の場面で作ることにして、ストレスから解放されるためにはどうしても必要な自分の時間や内向的な人向けのストレス発散法で持って自分のバランスを保って行くつもりです。

Bsize bot、サーバー混雑で不具合。「安心」を売るサービスでこれは困る

Bsize botを使っている。2ヶ月ほど問題なく使えてきたが、ここにきて不具合が発生した。

私の使っている端末では、2018年5月7日と8日に続けてサーバー混雑のために通知がこない事象が発生。7日は朝に子供がbotを持って出かけたが、自宅を出たという通知がこず、そのまま午後になって、ようやくその頃になって家を出たという通知がきた。

その後、アプリ上でもサーバーが混み合っていますという表示が出るようになった。おそらく「サーバーが混み合っているから表示が正しくできません」というエクスキューズなのだろうと思うが、いまいち安心感は感じなかった。

夕方頃からは、サーバーの問題も解決されました的なメッセージが表示され、それからは問題なく使えた。

ところが翌8日になると、またも通知がこない。それから2時間ぐらい経った頃だったか、ようやく目的地に着いたという通知が来て、遅れて家を出たという通知も届いた。つまり順序が逆になりつつ大幅な遅れ通知、ということになる。

 

Bsize botのサービスについては、心の底から応援している。

キッズケータイぐらいしかGPSで子供の居場所を知らせるサービスがない中で、不必要な機能を省いた端末を売りつつも、月額500円程度で見守れるサービスは他にはない。

私のニーズにはぴったりだし、小さな子供を持つ親にとってはかなり魅力的でありなおかつ実用的な素晴らしいサービスだと思っている。

これからも継続してもらいたいし、そのためにも継続的に使用するつもりだ。その応援の意味も込めて、微力なれどもこんなブログを書いて応援している。

だからこそ思う。

「安心」を売っているサービスで、このような不具合は起こして欲しくない。

 

不具合が起きているときに、何度かBsizeのサイトを訪れてみた。公式なアナウンスがあるかもしれないと思ったからだ。

しかしトップページには何のニュース項目もない。不具合発生中、といったメッセージはどこにも見当たらない。

Bsizeは個別のメール問い合わせにはかなり早く対応するような体制を整えているようだ。問い合わせには素早い対応をしてくれる。実は今回も最初に問題が発生したときに問い合わせをしてみた。即返信があり、サーバー混雑の問題であり対応中であるが早々に解決できそうである旨を伝えられた。この対応は素晴らしかったと思う。

だが、いちいち問い合わせなければ情報が得られないのでは、安心はできない。せめてサイトを見に行ったら情報が発信されているとか、あるいはアプリ上でどのような問題が起きていて、それがいつ頃解消されるのか、また今後中長期的にはどのような対応を行う予定なのか、といった利用者を安心させる情報をぜひ出して欲しいところだ。

 

利用者は、Bsize botという小さな端末が欲しくて購入したわけではない。子供を安心して家から送り出せる、という体験が欲しくてサービスを利用している。

その肝である「安心」が損なわれ、そのことに対する十分なケアがなければ、利用者はきっと離れてしまうことになる。

 

私は継続的にこのサービスを使うつもりだ。同じようなニーズがある人には、このサービスを紹介することも続けたいと思う。

それは、Bsize botが素晴らしいサービスであり、続けて提供され続けることが社会に良い影響を与えると考えているから。

だからこそ、Bsizeにも頑張って欲しいと思っている。少人数で運営しているサービスなのだろうとわかってはいる。その中で、とても迅速な対応をしてくれてもいる。

だが、何か問題が発生した後で、その問題のありかとその問題に今後どのように対応する予定なのかについて、きちんと情報発信をしてくれなければ、利用者は安心できない。この点について、なんとか改善して行ってもらいたい。