狭い家に暮らす

狭い家でもリモートワークで切り抜けるためのやつ

Covid-19のおかげで在宅勤務だの、学校休校だのがあり、おかげで狭い家に住むことを選んだうちは少々しんどかった。

駅近で都心に出やすいことを重視してマンションを選んだ。その時に広々した家を選択肢から排除した。これが響いている。

我が家は三人暮らしで60平米を切るくらい。2ldkなので、まあ狭い。

しかしコロナ前であれば結構余裕で暮らせていた。三人とも家にいる時間は限られていて、三人揃っている時は結構外出もするので自宅に缶詰になることは少なかった。

今は違う。私は在宅勤務、妻は主婦なので自宅にいる時間が長い。子供は臨時休校の間は家にずっといたが、いまは普通に通えているのでその点ではマシになった。

家庭内人口密度が以前より高くなった。これを上手く捌けるほどの広さがうちには足りない。また、駅が近いという立地のメリットが外出自粛のために十分に生かせない。

結果、このような状況だとリッチにステータスを振り分けた我が家は不利であることがわかった。

元の通りに環境が戻るかはわからないが、いずれまたかつてに近い状況には戻ると期待しているので我が家のメリットもその時には生きるだろうと思うけれども、予想を超える出来事というのは起こるものなのだなあと驚いている。

車を売ってようやく自分が車にとらわれていたことに気がついた

私は車に乗るのが好きだと自分では信じていた。毎週末になると車に乗って何処かに出かけるのは、自分が車が好きだからなのだとそう思い込んでいた。しかし車を手放して1年以上が過ぎた今思う。私は車に乗らなければならないという考えに捉われていたのだと。

1年半ほど前、私は駅から3分ほどのマンションに引っ越した。以前は駅には歩いて10分以上かかるところだったので、ずいぶん近くなった。都心にもやや近づいたため、それに伴って駐車場の価格も少し上がることになってしまった。そこで泣く泣く大好きだった自家用車を得ることにしたのだった。

新しい住居は駅から近いし、同じくらいの距離にカーシェアもある。数も多いのでいつでも利用できそうだった。加えて車を買う前にもカーシェアは使っていたから、使い勝手が良いことは十分わかっている。おそらく問題ないだろうとは思いながらも、車の運転が大好きな自分が車を手放してしまって大丈夫なのだろうかとかなり不安を感じていたのは事実た。

果たして引っ越して車を売り、いつでも思い立った時に車に乗れる環境ではなくなると不便を感じるようになった。ああ今車を持っていたらすぐに何処かに出かけられるのに・・・。そう思うことが頻繁にあった。だから初めの数ヶ月は、毎週とは言わないまでも結構な頻度で車を借りて出かけていた。

だがせっかく駅が近いマンションに引っ越したのだ。電車ももっと利用してみたい。そこでカーシェアからしばらく遠ざかって、電車であちこち出かけることにした。しかしそれもまたいずれは飽きる。楽に行ける場所はある程度行ってしまったので、それからしばらくは家の周りにある店や図書館、あるいは公園などにかなり行くようになった。

それからやや時間が経過して、また車に乗りたいなという気持ちになった。久しぶりにカーシェアを予約して車に乗り込む。そして運転していると、変な気持ちになった。なんというか、あまり面白くないし、その上車に乗るのが少し強いのだ。

少し乗らないうちに、車に乗るのが怖くなってしまっていた。どれだけ自分が気をつけていても、事故が起こるときは起こる。反対車線から対向車がこちらに向かって突っ込んでこない保証はない。自分が突発性の病気になって、どこかの建物に突っ込まないとも限らない。事故は起こるときは起こるのだ。

そのようなことを考えて、私はふと気がついた。車に乗ることが、本当にそこまで好きだったのかと。もちろん嫌いではない。車を操作する感覚も楽しい。移動して何処かに気ままに向かうことも愉快だ。だが同時に、少し無理をして毎週乗っていたのではないかとも思ったのだ。

私は電車で通勤する。車に乗れるのは週末だけだ。それ以外はほぼ乗ることはない。週末に車に乗らなければ、なんのために駐車場代などの維持費を支払っているか意味がわからない。乗らなければただ大きな物体を持っているだけで、それに大した価値はない。だから乗れる時には必ず乗らなければならないし、乗れる機会をできるだけ作らねばならない。そう心のどこかで感じていたのだ。

私は車を売って、そのプレッシャーから解放されていることに気がついた。そしてほっとしたのだ。車に乗れないというデメリットももちろんある。その一方でしかし、必ずしも車に乗って出かけなくても良いというメリットもあることがわかったのである。

今の私は、車に乗りたければカーシェアで自由にあちこち行ける。同時に、車に乗らずに家の周りでのんびりしたり、電車に乗って出かけることもできる。車を持つことによって得られる自由を捨てて、車を持たないことによって得られる自由を楽しむことができるようになったのだ。

Netflix タイニーハウス。狭い家に暮らす私ですら驚く。

Netflixのタイニーハウスという番組を気に入って見ている。直訳すれば小さな家だが、どうもアメリカでいうところのタイニーハウスはトレーラーのようにタイヤが付いていて移動できる機能を持った小さい家を言うらしい。ハリケーンだのサブプライムローンだのといろいろあった結果、でかい家を持つって価値観以外にもあっていいんじゃない?的なあたりからタイニーハウスの流行が始まったらしい。私調べなのでやや適当ですが、多分そんな感じ。

私自身も似たような考えで狭いマンションを買って住んでいるので、まあ分かる。分かるがしかし、これはアメリカの番組だ。小さいって言ってもトイレがうちのリビングぐらいあったりするんでしょと斜に構えて見たところ大違いで、むしろこんなとこ住めるか?と私が心配してしまうほどのものであった。

番組内容は単純で、タイヤ付きの小さな家、タイニーハウスを作ろうとしている人(中年夫婦だったり、若い夫婦だったり、一人暮らし女性だったりいろいろ)が、MCの男二人に手伝ってもらいながらその小さな家を完成させる様子を見せるというものだ。

何本か見ているが、2人のmcが何者なんだかよくわからない。少なくとも1人は建具を自分で作ったりしているので何か建築だか建設だかの背景を持つ人なんだろが、もう1人はプロジェクトマネージャー的というかスケジュールはどうだとか時々見にきて言ってくる人な感じ。よく分からないが、嫌な感じのするわけでもない二人組の男たちだ。

家の持ち主たちはというと、普通のアメリカ人たち。年齢や人種は様々だがまあ一般の人たちだ。いろんな理由があって小さい家を作ろうとしているんだけども、この番組のハイライトの1つが、分かっていたはずなのにいざ作ってみるとあまりに家が小さくてこれマジで住めるのかと家主自身が驚いて引いてるシーンだ。

当然である。大きめのキャンピングカーくらいのサイズの中に、リビング、キッチン、寝室、シャワーにトイレと全てを入れるわけだから広いわけがない。その上彼らの多くが今現在住んでいる家は、アメリカでいうところの標準サイズに収まる家だ。つまり日本の感覚でいうと大層広い。したがって、今の家と新しいタイニーハウスとの間の落差がものすごく大きいわけである。

番組中盤に思ってたより狭くて困惑する家主パートが挿入されるのだが、これがやたら面白い。腕組みして、「うーん、これ暮らせるかな、狭いな」なんて夫婦で顔を見合わせている。しかも家具などがまだ入っていない状態で彼らは大抵見るので、この狭いスペースに家具が入ったら一体どうなるんだろうと心から心配しているわけだ。

見ている私もここで腕組みして「いやー、これは無理でしょう!」とか言って盛り上がる。

ところが番組はうまくできていて、家具を入れたり細部を作り込んでいくとあら不思議、家主たちは「こんなに素敵になるとは思わなかった!サイコー!」と大喜びして終わる。

番組的にはここで終わるが、見ている方はそれで終われない。明らかに「いや、やっぱそれ狭いぞ!」と感じるからだ。夫婦が2人並んでで来たばかりのタイニーハウスのリビングで、ソファでくつろいでいたりするシーンを見せてくれるわけだが、たまにならいいけど毎日は結構きついんじゃない?と思わずにはいられない。いずれ多少は散らかるだろうし、そうした場合はどうするんだろう。こちらは想いを馳せることしかできない。

しかしタイニーハウスは続いていく。次々と小さな家を作りたい人が現れては、小さな家が作り出され、途中でその狭さに驚くも最終的にはサイコーと住人がその家に吸い込まれていく。これがタイニーハウスである。

家の近所にあると地味に良いものベスト3

家の近くにあるとよいものの定番はいろいろある。

まず駅。

駅が近いのはやっぱりいい。もう最高に便利に暮らせる。

それから店。スーパーだとか、コンビニだとか、日常生活に欠かせないものがすぐに買えるのは本当に便利。

さて、問題はここから。駅と店以外に近所にあると便利だ、というものはいろいろある。特に、目立たないけど地味に良いなあと思うものが、次にあげる3つだ。

1 図書館

図書館が近くにあるかどうか。家を探す時に考えるだろうか?

私は考えたことがなかった。

駅とか店とか、そういうものにばかり気がいって、図書館は完全にノーマーク。

ところが、図書館の近くに住んでみると、これがかなり便利であることに驚いた。

まず、本がたくさんある場所が近くにある、ということ。これがすごい。

なぜかというと、最近ではリアルな本屋が減ってしまっているから。近くで本を探そうとすると、実は意外と見つからない。実際私の家の近くにはちゃんとした本屋はなくて、あってもブックオフぐらいだ。

ところが近所に図書館があると、話が変わってくる。自由に立ち読みができて、しかも借りられる本がたくさんある。それがいつでもオープンしている。最高だ。

さらに、図書館には静かな机と椅子がある。

静かな場所でゆっくり何かに集中して取り組みたい時、その候補となる場所は一つでも多くあったほうがいい。

自宅に書斎があれば、それもよい。(うちにはないが。)近くのカフェもまた良い。

だが案外そのような場所はうるさかったりして、使えないこともある。

そんな時、別の候補として図書館が選べると、これがなかなか心強い。

なにしろ無料だ。そして静か。うるさい人がいれば、図書館の人が注意してくれる。

本があって、静かな空間も提供してくれる図書館。近所にあると実は便利なものの個人的な代表格だと感じている。

2 公園

続いては、公園だ。

あればあったほうがいい、ぐらいに考えていたが、近所にあると本当にいい。

特に都会に暮らしていると、どこも狭苦しくて、息が詰まりそうなことがある。

便利さと引き換えなのでしかたがない。仕方がないが、やっぱり時々辛くなる。

そんな時、家の近くに公演があるととても良い。

ふらりと家を出て、公園に行き、ベンチに座ってぼんやりする。

ただ座っているだけ。なんならコンビニでコーヒーでも買って持っていけばいい。ぼーっとして、空とか木とか、その辺を散歩している犬連れの人とか、そういうのを眺める。

ほんの少しそんな時間を持つだけで、驚くほど心は落ち着く。

遠出をして広々したところに行くのももちろんいい。日常から離れるのには最高だ。

だが、ほんのちょっとだけいつもの雰囲気とは違う空気を味わうには、近所の公園がぴったり。

公園が近所にあるかどうかは、家を探す時に実は優先事項にしておくととてもよいのだ。

3 水辺

公園に続いては、水辺だ。

公園とまとめてもいいかと思ったが、別物なのでこれはこれとして扱いたい。

水が近くにあるのは、本当に気持ちがいい。きっと人間のこれまでの歴史が、一人一人の心の中に蓄積されているのだろうと思う。

川や海、池とか湖とか。水が流れていたり、波として打ち寄せらればり、もしくはただそこにあるだけでも、不思議と心が安らぐ。

川の流れを眺めていると、心が落ち着く。波を眺めていると、やすらぐ。池や湖を眺めていると、嫌なことを忘れられたりする。

日頃の圧縮された生活から、水辺は人を引き離してくれる。

そして不思議なことに、自宅を離れている時でさえも、ふとその水辺のことや水辺で過ごす時間を思い浮かべたりするだけでも、心がほっと落ち着いたりするのだ。

以上が、私がお勧めする近所にあると地味に良いものベスト3。

振り返ってみると、日常からちょっと切り離された場所を自分が求めていることに気がついた。

利便性を求めて、できるだけ都心に近い場所に家をもったが、その反動なのかもしれない。

10年で5回引っ越しをしたらいろいろ勉強になった

今はマンションを購入して暮らしているが、賃貸に暮らしているときは結構頻繁に引越しを繰り返した。

長いと4年、短いと1年で引っ越したりもした。東京に来てから10年になるがその間に5回ほど引っ越ししている。

引っ越しの理由はいろいろで、家族構成が変わったりだとか、隣人とのトラブルで怖くなって逃げ出したりだとかいろいろだ。

引っ越しは手間もお金もかかるし、たいへんなことも多いのだが、住む場所が変わると刺激になっていいし、さらにそれに加えて自分の中に住処についての知見がたまっていくのがよかった。

特にマンションや家を買うときには以下のようなことを決めながら選んでいかなければならないが、私の場合は引越しを多くして来たおかげで自分の経験から何がどの程度重要かを考えながら家を選ぶことができた。

  • 方角
  • 駅からの距離
  • 都市部、郊外
  • マンション、一軒家
  • 低層階、高層階

方角

私の場合は狙ったわけでもないが、東西南北全ての方角の部屋に住んできた。たまたま引っ越した先がいろいろな方角だったのだが、結果的にはいい勉強になった。

結論から言えば、南向き(東南、西南含む)以外は私には辛かった。

北向き

とにかく寒い。そして暗い。タワーマンションなら北向きも悪くないというが、そうでなければコストが安いことを除きいいことはない。

洗濯物も乾かない。夜帰ってきたらこれでもかというくらいに部屋は冷え切っている。湿気もこもりやすく、結露がすごい。夏はそう言えば涼しかったかもしれないが、夏なのに暗かったことのほうが印象が強い。

北向きは安いが、安いものにはそれなりの理由があるという大きな学びは得られた。

西向き

北向きに比べればだいぶんましだが、それでも暗い。日が差し込んでくるには来るが、夕方の日差しは物悲しくて晴れやかな気分になることはない。好みにもよるかもしれないが、実際西日しか当たらないとさみしい気分がするものなのではないか?

あと、寒いし暑い。いいタイミングで日が当たらないから、冬場はしっかり寒いし、夏場は夏場でバッチリ暑い。洗濯物は西日だけでは乾きにくい。

東向き

北向きよりは圧倒的に良い。西向きと比べても、朝日が差し込むので気分が良い。

しかし洗濯物は相変わらず大して乾かない。午前中の日差しだけでは十分ではない。

夏の暑さは東向きの場合はかなり改善される。しかし問題は冬だ。東からの朝日だけでは暖かさは不十分。寒い。そして午後暗くなるのも早い。

南向き

結局南向きしかない。どんな季節でもある程度明るさが保たれているし、暖かさもあり、夏場はそれないに暑いが西日がガーッと差し込んで来るわけでもない。

東西南北全てを経験した結果、南向きが最高、少なくとも東南あたりでないもつらいことがわかった。北向きや西や東の価格の優秀さには惹かれるものはあるが、しかしその表面的な魅力に負けてはいけない。南に向いていることの大切さを身に染みて知った。ちなみに東に若干振った南向きのマンションを私は購入した。

駅からの距離

これもいろいろ試す結果になった。これまで住んだところだと、駅徒歩2分、3分、5分、7分、16分、となる。

もともと極端な駅近志向だったが、もしかしたら以外と遠くてもいいのではないかと少しずつ離れていって最終的には15分越えになってしまった。

最初の2分のマンションは最高だった。都心の地下鉄駅が最寄りで、立地だけが売りの激狭ワンルームだったが、それでも立派だけで全てをカバーできた。

次の3分のマンションは、少し都心から外れた東京23区の東側の地下鉄駅。それでもそれなりに便利なところだったが、地下を走る線路の真上に建っていることがいけなかった。電車が通るたびに微振動がしてごとごとと低い音が聞こえてきた。分譲賃貸だったので、それほど悪い建物ではなかったはずだが、それでも線路の真上はダメだった。駅からの距離は良かったものの、地下鉄の上に住むのは向いていないことを学んだ。

続いては駅から5分のところ。23区の西側の地下鉄駅。距離はそれほどないが、若干坂になっている。といっても全部で歩くのは5分だから全く問題ではない。静かなところだったので、なかなか暮らしやすかったし、距離も程よく線路から離れていてよいところだった。このあたりで、ちょっとくらい駅から離れても大丈夫かなあと思い始めた。

その次に住んだのが、駅から7分の距離のところ。こちらは多摩地区の私鉄沿線沿い。緑豊かなエリアで気持ちよかった。歩く距離7分も決して遠いというわけではなく、楽だった。が、それまでよりも都心から離れてしまったためにその分不便な印象が強くなってしまった。この辺りは人によって好みが分かれるところで、街中から離れたい人には問題にならないのだろうが、アウトドア好きでなかったり自然な囲まれていなければダメという人でなければ、都心に近いほうが暮らしやすいのだなあという気づきがあった。

そして最後が駅徒歩16分。23区の東側に戻ってきた。地下鉄駅で便利の良いエリアだったが何しろ駅が遠い。しかし案外いいところもあって、何かと言うとそれまでひどかった腰痛がすっかり治ってしまったことだ。歩くことが健康のために大切であることが、よーく分かった。そして同時に、とはいえ15分を超えると結構遠く感じることもしっかり分かってしまった。自宅に着く頃にはヘトヘトになってしまう。運動不足解消にはもってこいだ。その分、しんどいという覚悟を持って住む必要はある。

車があるなら、15分超えてもそれほど問題はないだろうと感じた。しかし車を持たないとなると、7分を超えるとちょっとしんどいように思う。自家用車でなければ、カーシェアやレンタカーをすぐに使えるような立地であるほうがよいと思う。

私の場合は、通勤時間を可能な限り短くしたいという思いが強くなったため、駅から3分のところにマンションを購入したわけだが、5分以内ならなんとかなるだろうなあという思いはある。

都市部か郊外か

はじめに東京で暮らしたのは、中央区だった。人形町から歩いて2分。水天宮までいけば半蔵門線で渋谷にも出られるし、勤め先も中央区内にあったので、めちゃくちゃ便利だった。しかもビジネス街にあたるため、土日は全然人がいない。しかし問題はスーパーがほぼないことだ。一人暮らしなら良いが、ファミリーだと少々厳しい。

次は23区の東側、西側と続く。都心に視界とは言わないが、まあそれほど遠くもなかった。どちらも副都心エリアには比較的すぐに出られるし、通勤も30分から40分程度で楽だった。買い物も便利だったので、それなりに都市部に近いメリットを享受できていたと思う。

次が多摩地区。ここが問題だった。この頃から車を持ち始めたのだが、車がなければかなり辛かっただろうなあと思う。駅まで7分で、それは別に良いのだが、都心に出ようと思うならかなり覚悟して出かける感じだった。結果として、ほとんど都心には近づかなかったように覚えている。かといって、車があっても幹線道路はとてつもなく渋滞するから、郊外にたくさん出られたというわけでもない。車で抜け出すにも少しでも朝出遅れると、あっという間に渋滞に飲み込まれる。どこかに行くために車に乗って、ただひたすら渋滞の中で車に乗ってノロノロ進むとも進まないとも言えないスピードで動いていた。

そのあとはまた23区の東側に戻ってきた。ほぼ千葉県という辺り。ここは日本橋や銀座などに出るならかなり便利なところだが、なにしろ駅から15分以上かかるところに家があったので、電車に乗ることはそれまで以上に減ってしまった。休日はほぼゼロだったように思う。で、車に乗って千葉の方とか茨城の方とか、休みになると出かけていった。それはそれで良かったが、問題は通勤だ。ドアツードアで一時間以上かかったし、なにより電車がとてつもなく混雑する。当たり前の時間にで車に乗ろうとするとはじき出されるので、まだ空いている時間に通勤するようになった。具体的には6時45分ごろの電車だ。しかしそれでも座れることはなかった。とにもかくにも通勤がつらい印象だ。

郊外が良いか、都市部が良いかと考えると、私はアウトドアも自然も好きではないので、郊外にメリットは感じなかった。一方で、都市部に多少近づいても通勤が辛ければ体にこたえる。結果として私は23区の西側、通勤時間30分程度のところに家を持ち、車を手放すことにしたわけだが、今のところ良い選択だったと思っている。

マンションか一軒家か

東京では一軒家に暮らしたことがないので、残念ながらこの点については経験できなかったが、しかし実家が一軒家なのでどんなものかは想像がつく。

一軒家とマンションを比較してみると、マンションの強みは寒くないとかセキュリティが高いとか、あとはゴミ捨てなどが便利とかそういうことになるだろうが、実はこれは物件による。

例えば最近まで住んでいたマンションは、二階でその下が駐車場になっていた上に角部屋だったので、とても我慢できないほど寒かった。しかも東向き。夜になると凄まじい冷えが襲ってくる。床暖房をつけ、エアコンを入れて、フリースだのダウンだろユニクロたちを総動員して寒さに耐えていた。同じマンションの二階でも、南向きで下に家があるところでは、むしろ反対に暑いくらいだったというから、日当たりと隣家、下階の有無はかなり大きく影響するようだ。

一軒家も魅力的だったが、東京では立地や価格の面から自然とマンションを選択することになってしまった。

低層階か、高層階か

こちらも残念ながらほとんど低層階の部屋だったので、高層階と比較することは難しかっ庵。唯一、学生時代に留学していた頃、寮の部屋が11階辺りで、部屋はおんぼろだし風呂もトイレもキッチンも全て共用で音漏れもひどくて最悪だったが、景色が最高だったことはよく記憶している。景色は毎日見るものなのでいずれは飽きるかもしれないが、それでも時々思い出したように遠くを眺めていると案外落ち着くものではあることは、その時の経験から学んだ。

ということで、今の家は4階で決して高層階ではないが、高台にあるため視界は抜けていて、ゴミゴミしているとはいえ空と街並みが見えるので、満足している。

賃貸であることを生かしていろいろ引っ越しすることをおすすめ

ということで、マンションを買うまでにいろいろと回り道をしたし、引っ越す度に後悔したり満足したりいろいろだったわけだが、経験はいずれは何らかの形で活かすことができるのだとも後になって見ると思う。あのとき北向きの部屋で凍えて自分に北向きは合わないことを知ったから、マンションを買うときにも価格を重視して北向きを選ばない選択ができた。また、15分以上も駅から離れたところに住み通勤時間が長いことが自分にとってどれだけ苦痛かを知れたから、比較的通勤に時間がかからないエリアを選択できた。今のマンションが最適解かどうかはわからないし、改善できるところはまだまだあるけれども、また引っ越したの?などと揶揄されながらもいろいろ試してきたことは、今となってはよかったなあと感じている。

フローリング張り替え、選択肢が多くて悩む人

フローリングの張り替えは、選択肢が多く、悩んで困ってしまう人がいる。私のことだ。

フローリングの張り替えを検討している。うちは築20年ちょっとのマンションで、寝室と子供部屋のフローリングは前のオーナーが張り替えを済ませていたが、リビングと廊下は新築当時のままだ。

20年も経っていると、見事に劣化が進む。

例えばリビングのど真ん中は、10センチ四方ぐらいの大きさで表面の部材が剥がれている。物件を購入した時からそこは剥がれていて、前オーナーが自分で買って来たと思われる補修テープを貼っていた。中途半端な大きさで貼られていたのと、いろいろあって工務店に補修テープは貼り直してもらったが、それでも元の部分と補修テープの色の差は隠しきれない。カッコいいとは決して言えない状態だ。

また、日当たりは悪くないので、結果として窓辺は日焼けを起こしている。色が浅くなったり、痛みが激しかったり。

物件を購入するときは、まあフローリングはそのままでもいいかなあと思っていたが、それ以外の部分のリフォームをやっと欲が出て、というか歯止めが効かなくなってフローリングもついでにやってしまおうか、となってくる。

えーい、やってしまえと進めてしまうのは簡単だが、問題は費用だ。幸いにもうちは狭い家なので、リビングも広くない。12畳を少し切るくらい。それに短い廊下があるだけだから、張り替えが必要な部分は13畳程度だろう。張り替えをやつてやれないことはなさそうではある。

しかし最近は床の張替えといっても選択肢がいろいろある。一口にフローリングといえど、張り替えるか重ね貼りをするかでも違う。無垢材にするのか集合材にするのかも大きい。フローリングではなくてフロアタイルという手もあるし、もっとコストを抑えてクッションフロアも選択肢としては存在する。選択肢が多いのはいいことでもあるが同時に面倒でもある。

さて、うちの場合は、まず張り替えが重ね貼りかで悩んでしまう。いずれ間取りを変更する可能性もあり、そうするとそれまでの間は重ね貼りでしのいでコストを下げるという考え方もある。しかし間取り変更をするにしても、それは子供が巣立ってからか。だとするとまだしばらく先であり、そうであれば張り替えてしまってもいいようにも思う。というふうに決めきれない。

素材はといえば、高くなるしそこまでのこだわりはないから無垢材は選ばないだろうし、とはいえそれなりの質感は求めたいのでクッションフロアも違うだろう。とすれば、選択肢は合成材のフローリングか、フロアタイルだ。

フローリングだと普通といえば普通なので、フロアタイルにしてみる手もあるかもしれない。しかしうちの床は直床だ。詳しくは知らないが、フロアタイルを選べばきっとコンクリートに直にフロアタイルを敷き詰めていくことになるのだろう。コンクリーの上にダイレクトにフロアタイルがあるというのは、想像しただけでも寒そうだ。夏はいい。冬はどうだろう。結構しんどいかもしれない。

フロアタイルは硬さの面での心配もある。コンクリーにダイレクトフロアタイルなら、転べばそれは痛いはず。寝っ転がることも流石にしんどいか。音の問題もありそうだ。何かを落としたりすれば、階下に見事に響き渡るようと予想。

フローリングであれば、まあ今と同じだけの暖かさは得られるだろうし、音の問題も遮音タイプを選んだりすれば解決可能だ。柔らかくこそないが、木なので寝っ転がってもそれほどまでには痛くない。

こう考えるとうちはフローリングにすべきなのだろうなあ。

そうすると次に出てくるのが色の問題だ。寝室と子供部屋はオークとかチェリーっぽい色。そこまで深い色ではないのだが、私は濃いめの床色が好きだ。だからリビングだけ深い色にするのも良いかもしれない。

来客時に見せる可能性があるのは子供部屋くらい。子供部屋とフローリングの色が違うのは、それほど大きな問題にならないように思う。

あとは最初の問題に戻って、張り替えが重ね貼りか、について考えなければならない。この辺は工務店の人に聞いてみて、メリットデメリットを踏まえて考えていくべきだろうか。

方針が決まったら、後日アップデートする予定。

プリンターを捨てるか迷ってるいる人へ。

プリンター

私のように狭い家に住んでいると、必要のないものはどんどん捨てていかなければなりません。

例えばソファー。ソファーのあるリビングは気持ちの良いものです。あれば居心地良いものではありますが、実際のところ狭いリビングにソファーを置いてしまうと途端に狭くなってしまいます。なのでソファーは捨てました。

あるいは紙の本やCD、ブルーレイのようなメディア。これらは不思議なもので、買い始めると仲間を呼ぶように無限に増えていきますね。1つ1つは小さくても、積もり積もって広いスペースが必要になりますので、電子書籍やオンラインサービスにできるだけ切り替えてメディア関係のものもかなり捨てました。

こうやってどんどんモノを手放していった私ですが、やがて目をつけたのがプリンターでした。

コピーとスキャン機能がついたプリンターを持っていたのですが、これは果たして必要なのかと思ったのです。使用頻度とか、代替手段とかを考えると、プリンターがなくても全然やっていけるんじゃないか、という思いはすぐに大きくなり、思い立って次の週にはプリンターを粗大ゴミとして出してしまいました。

結論:プリンターがなくても、(滅多に)困ることはないです

プリンターを捨ててからもう2年近く経ちますが、プリンターがあればなあ・・・と思うことはほとんどないです。(ほとんど、なので!ごくごく稀にはあります。どんなときにプリンターがあればと思ったかは、最後に書きます)

大丈夫だった理由1:コンビニでかなりいけます

まず大きいのがコンビニの存在です。私の家の近くにはセブンイレブンがありまして、セブンイレブンのコピー機は、ネットプリントに対応しています。このコンビニのネット対応プリンターがなかなか優秀です。どう優秀かというと、とりあえず使い方に困ることがないし、必要なことはたいていできるという点で優秀です。

PCはもちろん、スマホ用のアプリがあることもポイント高いです。画面はこんな感じです。

ネットプリントアプリ

ネットプリントのiPhoneアプリです。

機能としては、

  • フォト用紙にプリント
  • 普通紙/はがきにプリント
  • ウェブページをプリント
  • テキストをプリント
  • 他アプリからプリント

という具合に、プリントに関してはほとんどのことがアプリ上で行えます。ですから私の場合はそのようなことをする機会は少ないのですけれども、例えば外出先でスマホで写真を撮影しそれを自宅に帰ることなく近くのセブンイレブンにアプリからプリント予約して帰りに受け取るということも簡単にできます。同じようなことがパソコンからでも当然できますので、ノマドな働き方をしている人などには利用者が多くいると思います。

また、ネットプリントは普通のコピーよりも高い値段が設定されていますが、初期費用などはかかりません。ですから、少量の利用であるほど、運用コストを低く抑えることができるようになります。

大丈夫だった理由2:そもそもプリンターの使用頻度が低いです

私の場合は、そもそもプリンターの使用頻度が極めて低かったことも大きなポイントでした。プリンターを捨てた年は、年賀状を印刷するために使用しただけなので年に一度です。しかも一年ぶりに使用したのでプリンターの調子が悪くて、たしか馬の絵を使ったのですが黄緑の馬になってしまったのを覚えています。

コピーやスキャン機能はもしかしたらもう少し高い頻度で使ったかもしれませんが、それでも年に片手で十分数えられる程度です。

その程度であれば近所のコンビニに行くことは全く苦痛ではありません。というわけで、滅多にプリンターを使う機会がなかったことも、プリンターを捨てて問題が起きなかったことの大きなポイントでした。

大丈夫だった理由3:スペース面でのリターンが大きかったです

これは必要なときにはコンビニまで行くぞ!と自分を納得させる意味で大丈夫だった理由にしたのですが、たかがプリンターと思えど、プリンターを捨てることによって得られたスペースは、狭い家に暮らす私にはとても大きなリターンでした。

プリンターそのものは、プリント専用のモノクロのものを選んだりすればそれほどの大きさではありませんが、スキャンやコピー機能付きのものを買うと案外たっぷりスペースが必要になります。
加えて印刷用紙も必要になりますし、必要なときに使おうと思ったらある程度出し入れしやすい場所にしまっておかなければなりません。

毎日使用するなら思い切っていつも使える場所に置いておいてもいいのですが、例えば月に一度くらいの使用頻度なら、使いやすい場所に設置してしまうとその場所が月のほとんどの日数でデッドスペースになってしまいます。

というわけで、たかがプリンターですが、その分の場所を用意しておかなくても良いというメリットがあるおかげで、必要なときにコンビニに行くことが全く苦にならなかったということで、これも重要な点でした。

プリンター持ってれば!と思った例:大雨の日の翌日にコピーが必要だったとき

この2年くらいを考えてみると、プリンターがなくて困ったということは本当にほとんどないのですが、唯一あったのがどうしても次の日に必要な書類のコピーがあるときに、暴風雨に見舞われたときでした。

傘をさしても腰から下はずぶ濡れになる雨の中なので、近いといってもコンビニに行くのが辛かったです。書類を濡らすわけにもいかず、かといって次の日にずらすわけにもいかず、この日ばかりは「プリンターがウチにあったらなあー!」と思いました。

コンビニが近くて、利用頻度が低くて、プリンターが邪魔だなあと感じるなら、多分バイバイしてOKです

もしコンビニが近くにあって、しかもプリンターとかコピーとかスキャナーとかの使用頻度が低くて、さらにプリンターってなんか邪魔だなあと感じているなら、多分ですがプリンターを捨ててしまってもなんとかなります。

狭い家の4つのメリットと4つのデメリット

こんにちは、ペパローです。私は狭い家、よく言えばコンパクトな家に住んでいます。

最近ではコンパクトな家をあえて選ぶ人が増えつつあるそうです。本当か疑わしい説ですが、私自身もその1人なので案外本当かもしれません。

「あえて」と頭に着くくらいですから、コンパクトな家にはデメリットがあるはずです。実際狭い家・・・ではなくコンパクトな家で暮らしてみるとデメリットはあります。その一方で多少のメリットもなければ、選ぶ人は少ないと思います。実際メリットもあります。

いろいろな説がありますが、私にとってはこれしかないというメリットとデメリットについて書いてみました。特殊な内容ではなく、多くの人に共通するポイントばかりだと思うので、参考になればと思います。

コンパクトな家のメリット

購入価格が安く済む

何よりもまずあげなければならないのが、購入にかかる初期コストが安く済むことです。

例えば、最寄り駅が同じ、駅からの距離も同じ、築年数も設備ランクも学区も地盤も全て同じだった時、「広さに余裕がある家」と「コンパクトな家」とを比較すると、間違いなく購入価格はコンパクトな家の方が安くなります。

家に関しては、一般的に大きい方が良いとされています。もう価値観として古くさいのではないかと思えますが、未だに根強いものがあります。ですから、狭い家よりも広い家の方が一般的には人気があり、その結果価格も高くなります。

また、当然ではありますが小さな物件と比べると大きな物件の方が、建てるための資材も人件費も多く必要とします。結果として大きな家と比べると、コンパクトな家の価格のほうが安くなります。これは中古でも新築でも基本的には同じです。

メンテナンスコストが安い

続いての大きなメリットは「メンテナンスコストが安いこと」です。

マンションは、というか住宅はどれも修繕が必要です。室外だけではなく、室内も、たとえばフローリングや壁紙も古くなれば交換が必要ですし、建具も数十年に一度は交換しなければなりません。壁や床の面積が広ければ広いほど、手を加える際にかかる費用は上がります。建具もその数が多ければ多いほど、交換や修理にかかる費用は上がります。

また、メンテナンスに含まれるのは修繕だけではありません。メンテナンス、つまり意地ですから、ここには日々の掃除も含まれます。広い家よりもコンパクトな家の方が、掃除にかかる手間や時間、必要な道具や電気代も、広い家と比べると少なくて済みます。

したがって、コンパクトな家の方がメンテナンスコストはお金の面でも手間の面でも少なくなります。購入費用(初期費用)が安く済むことも重要ですが、長期的に見ればメンテナンスコスト(維持費用)が安く済むことはそれと同じくらい大きなインパクトがあります。

設備コストが安い

続いてのメリットは「設備コストが安い」ことです。

小さな家は広さで劣りますが、それが家に必要な設備のことを考えた際にはメリットにつながります。

ここで言っている設備が何かといえば、たとえばエアコンです。広いリビングとコンパクトなリビングでは、適切なエアコンのパワーは異なります。広いリビングの方が、よりパワーのあるエアコンが必要です。狭い部屋用のエアコンと比べると、広い部屋用のエアコンのほうが本体価格が高いですし、運転コストも高くなります。コンパクトなリビングであれば、エアコンにそれほどのパワーは必要ではありません。したがって初期費用も運用費用も安くなります。また、各部屋にエアコンをつけるとなると、部屋数だけエアコンを購入することになりますが、コンパクトな家は部屋数も少なくなりがちですから、ここでも初期費用にも違いが出てきます。

あるいは空気清浄機を考えた場合も同様です。花粉症の方や、幹線道路沿いにお住いで空気の汚れがきになる方には必需品ですね。

空気清浄機もエアコンと同じで、広い部屋よりコンパクトな部屋の方がパワーを必要としません。したがって、小さな空気清浄機で十分です。また、部屋ごとに空気清浄機を置くなら、部屋数が多ければ多いほど購入費用も運転費用もかかることになります。

これ以外にも、除湿機や照明といった設備に関しても全て同じで、部屋数が増えたり広さが広くなるほどかかる費用は上がります。小さな家であれば、この設備にかかる費用の面で安く済むことになります。

光熱費が安い

最後のメリットは「光熱費が安いこと」です。

コンパクトな部屋は、冷やすにしても温めるにしても、広い部屋に比べて効率的に行えます。電気代やガス代が、その分だけ安くつきます。

また、微々たるものかもしれませんが、掃除機をかける時間が短くなり、その分の電気代も抑えられます。

 

こうして考えると、コンパクトな家のメリットは「コスト」に関わるものばかりですね。

でも、単純ですがコストメリットがあるというのは相当のインパクトがあります。同じコストで広さを捨てるだけでその他の条件が良い物件を購入できるからです。

広さを捨てて駅近を取るとか、広さを諦める代わりに内装を良くするとか、いろいろな選択肢が出てきます。広さを大切にしすぎるばかりに快適さや便利さを捨ててしまいかけている人には、狭さ・・・ではなくコンパクトさが生みだすコストメリットの価値を見直してみることをオススメします。

 

・・・が!!!コンパクトな家、あるいは「狭い家」には、それだけのデメリットもあります。これをしっかり認識せずに狭い家を買うと大変な目にあうこと間違いなしですから、きちんと考えておくことが大切です。

コンパクトな家のデメリット

インテリアの制限

初めのデメリットは「インテリアに制限が発生すること」です。実際狭い家に暮らすと、自由にインテリアを選んだり、家具をおいたりすることは簡単ではなくなります。

なにしろ狭いので、大きな家具は置けません。代表的なものでいうと、ソファーです。我が家では真っ先に家から追い出された家具がソファでした。あいつはいい奴なのに。

ソファが邪魔

ソファがまるで家主のようになります。

また、テレビの大きさ、テーブルの大きさなど、あらゆる家具の大きさに制限が出ますし、ピアノなども場所を取りますので置き方に工夫が必要になります。

さらに、部屋が狭いということは、壁の面積が狭くなることも意味します。ですから、壁に絵を飾りたいとか、その他の装飾を施したいと思っても自由にはできないことが多々あります。プロジェクターで白い壁に映画を写そうとか思うと、大して大画面にならないなんてことも起こり得ますのご注意ください。

収納力の制限

続いてのデメリットは「収納力に制限が出ること」です。家が小さくなれば、それに合わせて必然的に収納力も低くなります。

家がそもそも広くありませんので、基本的にはあらゆるパーツがそれに伴って狭くなります。狭い家に広々したウォークインクローゼットがあるケースは少ないですし、靴を入れる収納もギリギリだったりします。

キッチンも狭かったりします。食器をたくさん持っていたりとか、調味料や保存がきく食材が多い家庭では、その類のものがキッチンでは収まらずリビングに侵入してしまうかもしれません。

服も同じです。普通のクローゼットで収まりきらなければ、タンスなどが必要になりますが、かといって部屋そのものも狭いので、タンスを置く場所もなく、どうにも服が収まらなくなってしまう可能性もあります。

人数の制限

次のデメリットは「人数に制限が出ること」です。

まずはその家に住む人数に制限が出ます。我が家は3人家族で2LDK、57平米の家ですが、4人で暮らすのは難しいと感じています。子どもが小さければまだしも、高校生や中学生の子どもが中高生ぐらいになると、息も詰まりますし容積も収まりませんし、破裂してしまう気がします。

それに加えて、来客に関しても大幅に制限されます。両親が泊まりに来たいと言ったとしても、ゲストルームがないマンションの場合は受け入れは難しいです。近くにホテルを取ってもらう必要があります。友達を呼んでホームパーティしたいという方も要注意です。かなり密着感のあるパーティになってしまいます。仲良くはなれるかもしれません。

間取りの制限

最後のデメリットは「間取りの制限」です。狭い家は間取りも自由には行かなくなります。たとえば、55平米3LDKとなると、一部屋一部屋がかなり狭くなってしまいますので、このような物件はあまり見かけません。60平米前後であれば2LDKが主でしょう。たまに1LDK+Sという物件もありますね。

ですから、狭いと思った間取りや必要な間取りが得られないこともあり得ますので要注意です。

 

どうでしょう。コストのことばかりだったメリットに比べると、デメリットはずいぶんと種類が豊富な感じがしますね。狭いととにかく制約がたくさん生まれます。

私はこれを知った上でコンパクトな家を選びました。それは広さを捨てて、時間を取り戻したかったからです。

人によって大切にしたいことは異なりますが、個人的には広さにこだわらずに他の要素を同じコストで得るという選択肢も悪くないと思っております。