図書館の近くに住むことは生活の質向上に直結する

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図書館の近くに住んでいる。歩いて3分くらいだ。かなり近い。

これまで住んでいた家ではここまで図書館が近かったことはない。加えて他人が触った本を手に取ったり、それを借りてきて自宅に持ち込むこともあまり好きではなかった。結果として大学を卒業してからはほとんど図書館を使わずに暮らしてきた。

今住んでいる家を選んだのは、駅からとにかく近いということを最重要視してのことだが、たまたま引っ越してみたら近くに図書館があったのだ。

しばらくは全然使っていなかった。しかしうちは狭いので、新しく紙の本を買うことは基本的にはほぼしないルールを設けているため、新しい本を読むためには電子書籍を選ぶしか無くなってしまった。そうすると一つ問題になってしまったのが、子供の読書だ。タブレットなどを与えるてもあるにはあるが、そうすると読書どころではなくなってしまう。さてどうしたものかと考えた時に、近くに図書館があったことを思い出してふと寄ってみたのだ。

これが大正解。図書館の素晴らしさに今更ながらに気づいた私は、毎週一度は子供を連れて図書館に行って本を読み大量に本を借りて帰ってくる。

図書館の何が素晴らしいかというと「大量に借りてきても全く読まずに返したってなんの問題もない」ということだ。何を言っているのだ、とお思いかもしれないが、結構大事なポイントだ。

本を買ってきたのではこうはいかない。例えば10冊本を買ったとする。買うときは面白そうだと思って買うのだが、いざ家に帰ってみるとあまり読む気がしない。だが焦ることはない、購入したのだからいつか読めればそれで良い。そう思うだろう。ところが実際はそんなに単純な話ではない。なぜならその読まれなかった10冊はきっと初めて買ってきた10冊の本ではないからだ。それまでにも、買ってきたは良いが読まれなかった本がかなりあるはずだ。

この読まれなかった本は、どんどん増えていく。止まらない。習慣はなかなか変えられないのだ。本は買いたい。そして読みたい気持ちもある。だが読まない。色々な理由があって、色々な理由をつけて読まない。そしてただ本棚がただ埋まっていき、気持ちの奥底にも「読んでない本がたくさんあるな」と少しずつプレッシャーが積み重なっていくのだ。

つまり買ってきた本はそのままスペース的にも精神的にも負担となる。すべて読めればそれでも良い。あるいは読めなかったとしても問題ないほどのスペースや金銭的余裕、精神的余裕があれば良い。または「買ってきてもたまにタイトルを眺めるために置いておくだけでそれは自分の刺激になるから良いのだ」と真剣に心から思えるのであれば、それもまた良い。

私には、残念ながらそれは難しかった。そのため、家が狭いから無駄なスペースを省くために、という良い都合もつけられたので、新しい紙の本を買うことを禁じたのだ。

さて、ここで図書館である。家から3分の距離にある図書館。これは私にとっては「ちょっと遠いが馬鹿でかい本棚」にあたる。うちの近くの図書館はただの公立図書館だ。特別大きな図書館でもない。その図書館にある本の数、お分かりになるだろうか。11万冊だ。

恐ろしい数字だ、と私は思う。だが、その11万冊の中に私の欲しい本が必ず含まれているかはわからない。であればやはり購入するしかないではないか、とお思いの方もいるかもしれない。

そう、確かにその通りだ。一見その通りに見える。だが違うのだ。公立図書館は、同じ市や同じくの中では図書館同士で本をやり取りしてくれるのだ。だから、私が住んでいるところでは、200万冊の本が同じ地域ないの図書館には収めれていて、これをネットで依頼すれば簡単に近くの図書館にまで届けてくれるわけである。

10万冊を超える書籍が歩いて3分の場所にあり、さらに全部で200万冊の書籍がその場所に自宅からネットで届けてもらえて、それを受け取ることができ、2週間借りることができる。無料で。

この図書館の恐ろしさに今更ながらに気づいてから、私は使い倒すことに決めた。おかげで私も子供も読むかわからない本を含めて大量に借りてきては、時に読まずにほったらかし、時に夢中になって読みふけり、時には面白いからと貸出延長を連続で繰り返し、と本に囲まれた生活を遅れているのである。

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