「カーズ」も「カーズ2」もそれほどは楽しめなかった私ですが、「カーズ クロスロード」はカーズの中では一番楽しめた映画でした。
カーズを三部作として見れば、クロスロードはまさにその完結編にあたる内容です。であると同時に、もしも続編があるとするなら、その序章でもあるという内容になっています。商業成績次第で次回作を作るかどうか決めたりするのでしょう。
さて、「クロスロード」は三部作完結編としての性質がありますので、1も2も見ずにこの作品から見ることはあまりおすすめしません。全く背景を知らずに見るよりも、キャラクターごとの背景などをしっかりとわかった上で見た方が確実に楽しめる作品です。その一方で、1も2も両方見なければならないかといえば、そんなこともありません。とりあえず1だけを見ておけば、十分楽しめると思います。2はスルーしてもそんなに問題ないように私個人は感じます。
さて、ここからはネタバレあります。ご注意ください。
ここからはネタバレありで書きます。改めてご注意ください。
副題について
カーズ クロスロードについて語るには、まずは副題の問題に触れておく必要があると思います。タイトル発表時に、ナンバリングタイトルではなくなったことが随分と話題になりました。
副題の問題は、どれだけの人がタイトルから意味を読み取ってその作品を読もうとするかという点を、どの程度重視するかによって、その問題の大きさが変わってくると思います。
少なくとも作品を見終わった私としては、過去の作品に登場してきた複数のキャラクターと、今作に登場するキャラクターとの人生が様々に交差し合い影響し合うという映画の内容を考えると、納得感のある副題です。
たとえば。
マックイーンは、おそらくすでに死んでしまっているかつての師であるドック・ハドソンと、自らが可能性を見出した若い才能を導き芽吹かせるという追体験をします。マックイーンとハドソンの人生が再び交差し、マックイーンは現役を退いて後進を育てる決心をします。
あるいは、ドック・ハドソンの師であるスモーキーの場合。スモーキーは、弟子であるハドソンの弟子、つまり孫弟子にあたるマックイーンを導くという点で、ハドソンと交差します。
クルーズ・ラミレスは、幼い頃に憧れたマックイーンと、さらに同じく女性レーサーであるルイーズ・ナッシュの過去と交わって、トレーナーからレーサーへと生まれ変わります。
それぞれの人生が他の登場人物の人生と交差し、そこが分かれ道となって変化する構造です。
もっと言うと、マックイーンが破れクルーズが勝つ唯一のレースとして描かれるクレイジー8も象徴的です。クレイジー8のコース形状の中心には十字路があり、この交差点がマックイーンやクルーズの人生を変えるきっかけの1つとなる、まさにクロスロードそのものだといえます。
クレイジー8のはともかくとして、キャラクター同士の交差点のことを考えれば、見終わった人にとってそれなりに納得感がある副題になっていると思います。
その一方で、この作品を見ようかと考えているところの人にとってはどうでしょう。
たとえば1も2も見たけど過去作品に出てきたキャラクターが好きだったので彼らが出ているかどうかによって考える人。
あるいはカーズのことを知らなくて、続編なのかどうかすらも知らない人。
このような人たちには、クロスロードという作品がどう位置付けられるのか、この副題からは知ることができません。
仮に1も2も見ずにクロスロードを見たとします。もちろんその点はある程度は考慮して作られた作品です。一定の楽しさと感動は得られるでしょう。しかし、その深さに違いがあります。特にクロスロードは、キャラクターたちの歴史の交差が肝になる作品です。
過去のキャラクターたちのつながりや思い、ズレ、すれ違い、そういったことがわかって初めて心に響いてくる場面がたくさんあるはずです。そう考えれば、過去作品を見た上でこの作品も楽しんでもらうのがベストです。
そう考えれば、私のような素人にはカーズ3 クロスロード、とか単純なやり方でも他に方法があったのではないかと思ってしまいますを
日本市場に合わせてプロが考えたものなのでしょうし、さまざまな背景があるとは思いますが、そもそもタイトルにケチがつくのはもったいない作品であるだけに残念です。
鬱陶しいキャラクターの登場機会が減ってよかった
うっとうしいキャラクターというのは、メーターのことです。私はあまりメーターというキャラクターが好きになれません。理由は、その描かれ方です。彼自身が好きではないというよりも、むしろ彼をあのような描き方にする作り手の感性が好きではないという方が正確かもしれません。
メーターは田舎者であり、決して聡明ではない位置付けのキャラクターです。出っ歯で、スキッパで、薄汚れています。しかし、彼は天真爛漫であり、悪意の人でもなく、その性質こそが人の美しさでもある、みたいなメッセージを背負わされています。私が気に入らないのは、このメッセージが強すぎるからです。
そのうえ、そんな風な汚れなき美しきアホという位置付けであるにもかかわらず、結局は常に鬱陶しい役回りを任されているその様子を見ていると、メーターにそのような役回りを任せる作り手たちが観客の心を意のままに操ろうとする意思を感じすぎて、不愉快でありメーターのことが可哀想になってくるのです。その結果、物語の邪魔をしているときさえあると思います。
その点、クロスロードではちょうどいい塩梅の出方でした。
面白くないけれども、まあ息抜きにはなるギャグをところどころで挟み込み、そしてマックイーンに時にヒントを与えるという、あまり悪意のない適切な役回りだったと思います。これはとても良かったです。
(続きは作成中)