文学研究が学生時代の私の専門だった。それもフランス文学だ。
大学を卒業し、やがて仕事をし始めると、学生時代に何をやっていたかという話題になる。私が」フランス文学をやっていた」というと、大抵の場合、笑いが起こる。「めずらしいね!」と言われるケースが多いが、一度は「鉄板ネタだね」と言われたことすらある。
なぜそこまで笑われたのか、本人には聞かなかったので確かではない。私のアジア人然とした風貌と、いまだに根強いフランスの洒落たイメージが合わなかったからかもしれない。でもたぶんそれ以上に、「役に立たないことに時間を費やしたのだね」という笑いだったのではないかと思う。
笑われると良い気分はしない。それでもその時は私も笑って話を合わせた。よく言われます、と。
フランス文学研究が「鉄板ネタ」と言えるほど面白いとは今でも思わない。しかし同時に、人が笑う気持ちがわからないわけでもない。フランス文学、という響きには独特の面白さが確かにある。
そんな風に笑われることが多いし、また自分自身も就職の場面や実生活で役に立つことを学ぼうとして文学研究を専門に選んだわけではないから、フランス文学をやっていたというときに、「あまり役に立たないのですけれどもね」と一言添えるクセがいつのまにかついていた。
また、仕事を始めてからは自分から積極的に自分の学生時代の専門について話すことはなくなっていた。フランス語が少しは喋れることも他の人に知っておいて貰えばいいのに、それすらも隠すようになった。どうしても専門について話さなければならないときは、少し自虐的に語る。それが自分にとって当たり前のことになった。
最近は、外国人と一緒に仕事をする機会が増えた。そうすると、昼食を一緒にとる場面などでは、学生時代の専門について話をすることが結構ある。共通の話題が少ないので、過去の話から話題を探ろうとする人が多いからかもしれない。
先日も「あなたは学生時代に何を専門にしていたの?」と尋ねられた。
またこの話か、と思いつつ、私はいつもどおりに「フランス文学研究をしていました。全く役に立ちませんけどね笑 間違って選んでしまったんでしょうねえ、若かったから笑」というような調子で答えた。
外国人と仕事をして、私はまだ文学研究をしていたという人にあったことがない。大抵マーケティングだとかコンピューターサイエンスだとか、そういう実益に繋がりそうなことをやっている人がほとんどだ。そういう人たちに、文学研究をしていたということを、私は恥ずかしく感じていた。時間と金をそんなことに費やしたのか、と思われるような、そんな気がしていたからだ。
フランス文学を研究していたと聞いて笑う外国人にはまだあったことがないが、それでもフランス文学?どうして?という表情を見せる人は多い。
だからその時も、いつもの調子で答えたのだ。
すると、同僚の一人が真剣な表情で「そんなことない」と私に強く反発した。文学研究は役に立たなくはない。あなたの仕事にちゃんと有益な経験になっていると思う。そう彼女は言ったのだ。
私はマーケティングに関わる仕事をしている。この領域では、消費者や顧客のこと、つまり人間のことがよく分かっていることが成功のカギになる。すべては人を知ることから始まる。「文学研究は、人を理解するときにとても役立つじゃないですか。あなたはその経験をしっかり生かしていますよ」と言われたのだ。
私は、その当然の指摘を受けて、とても恥ずかしくなった。
考えてみればたしかにその通りなのだ。文学研究とは、テクストを通じて人間のことを多面的多角的に考える行為。その経験が私の仕事を助けてくれないはずはない。その通りだった。
ところが私は、長年の他人からの反応を間に受けて、それに加えて決して高い志を持って文学研究を始めたわけではない後ろめたさから、自分が費やしたそれなりに長い年月と頑張りとを貶めるようなことを常日頃から口にしていたのだ。それも何年も。いろんな人に対して。
小説や詩が人の役に立つか、と問われれば即座に私は役に立つと答える。文学研究が人の役立つかと問われれば、実は私はまだ自信を持って役に立つとは答えられない。
しかし文学研究という経験は、私自身の糧にはなっているだろう、と今の私は強く感じている。
その学問は、その経験は、役に立つのか。
文学研究に携わり、そして学問を離れ仕事を始めた人のなかには、私とは違ってその経験や学問が自分をどのように助けてくれているかをしっかりと自覚できている人もいるだろう。すばらしいことだ。
反対に、私と同じように、場合によっては後悔しているような人もいるのではないかと思う。
たしかに私自身も、文学研究が社会にとって有益かと問われると、簡単には答えられない。少なくとも短期的なリターンは多くないだろう。
それでも、文学研究の経験があなた自身を助けるか否かと問われれば、案外役に立っているかもよ、と答えるだろう。