「だって車なんて週末しか乗らないでしょ?それなら車を持たずにカーシェアでいいじゃん」

私のように、車を持たない選択をした人が必ず発する言葉だ。

私は先日車を売った。5年乗った車だ。愛着はあった。しかし家を買うのに合わせて、車を売ったのだ。

そしてカーシェアを利用することにした。かつてカーシェアは利用していたから、それが完全に便利なサービスではないことは分かっていた。

そこでその時に心の頼りにしたのは、「カーシェアのほうが車を持つより経済的でスマートな選択であるはずだ」という希望である。そしてそれは希望であると同時に、まやかしでもある。もっとシンプルに、苦し紛れの言い訳とも言える。

そりゃたしかに、例えば東京の駐車場は高いから、車の所有コストは高いし、車検だって保険だって金がかかる。購入コストも所有コストも高い。

週末に乗るだけなら、カーシェアのほうが経済的だろう。間違いない。

しかし、それはコスパがいいことには直結しない。

コスパのコスの部分はまあいい。たしかにやすい。問題は、パの部分だ。

車のパにあたる部分は、乗らないときの安心感も含む。

カーシェアは自家用車ほど便利か?答えはもちろんノーだ。いつでも使えるわけではない車が、便利なはずがない。しかも大抵カーシェアは自宅の駐車場より離れたところにあるものだ。離れていていつも使えるわけではないクルマは、とっても不便だ。使っている私がいうのだから、間違いない。

カーシェアはステータスになるか。これももちろん答えはノーだ。

うちってカレコのカーシェア使ってんだよねーって、勝手にすればいいけれども、かっこよくはない。カレコをタイムズに変えても一緒だ。(個人的にはオリックスよりはカレコとタイムズはかっこいいと思っているが、こういうのを目糞鼻糞を笑うとか50歩100歩とか亀とスッポンという)

つまり、コスはよくてもパがダメなんだ。それがカーシェアというサービス。そしてそのことを、カーシェアユーザーは分かっているのだ。百も承知で使っているのだ。やっぱり車は持たなくても大丈夫だねー、とか、週一しか乗らないからこの方が頭良さげだよねー、とか、そんなことを言ってごまかしながらも毎月の利用料を払っているのだ。

でも、ちょっと待ってもらいたい。それではかわいそうではないか。車を所有できない私が。

車を持っていつでもどこかへ出かけたいのに、出かけられないのだ。哀れじゃないか。

だから、「カーシェアって経済的だし、シェアリングエコノミーとか言われてるし、なんか今っぽいっちゃあ今っぽいから、つまりこれってかっちょいいんだよねー」と、夢幻に溺れたっていいじゃないか。

そういうことで、私は今日もフィットに乗るのです。