ジュネーブ大学の寮に暮らしていた。

キッチンは共同だった。私は若干潔癖症の嫌いがあるし、その上その頃はコミュニケーションがかなり苦手な方だったからあまりキッチンには入らなかった。

しかし何か食べなければならない。かと言って金に余裕はないし、ジュネーブは物価が高い。いつも外でご飯を食べるなんてことはできないので、スーパーマーケットによく行った。

手のかかる料理はできない。キッチンが使えないから。

それで、とりあえず湯を沸かせるようにティファールの湯沸かし器もどきみたいなのを1つ安く買って来た。これがあれば、それこそカップヌードルでしのぐこともできる。

ちなみに日清のカップヌードルがジュネーブでは売られていたのでずいぶん助けられたのをこれを書いていて思い出した。牛肉味と鶏肉味があったように思う。どちらも大して美味しくはなかった。日本の工場で作るものとはかなり味付けも違っていたらしく、美味しくなかったというよりどっちかといえばまずかった。

それでも、キッチンを使わずに何か温かいものを口にできるということで、私は重宝していた。

あとは小包装になったソーセージを時々買って来た。一本の大きさが12センチくらいの大きさだったと思う。それを、ティファールもどきのなかに突っ込んで、湯を沸かしてしばらく置いておくといい感じにボイルできる。それを、トルティーヤの皮みたいなものにはさんで、千切りキャベツをドバッと入れて、最後にチリソースをかけて食べる。これもよくメニューとして登場した。

あとは、電子レンジで米が炊けるというアイデアグッズのようなものを日本から持って行っていたので、ときどきそれで米を炊いた。

この電子レンジご飯がとにかくまずかったのを覚えている。まず、そもそも売られている米が美味しくない。ジャポニカ米みたいなのではなくて、ちょっとタイ米とかそういうタイプの米で、日本の炊き方には合ってない米だったし、その上電子レンジで炊けるその器具がそれほどうまく炊けるものではなかったので、いつもベチャベチャになるかカチカチになるか、あるいはその両方がいっぺんに炊き上がるかのどれかだった。

その大して美味しくもない米を、何かと一緒に食べていた。はずなのだが、何をおかずに食べていたか思い出せない。ふりかけをかけていたこともあったと思うが、それはどこで手に入れたのか。もしかしたら日本からそれも持って行ったか、スーパーに売られていたか。そういえば、近くにあるスーパーではなくて、市の中心部にあるデパートの地下にあるスーパーには日本食材コーナーがあったから、そこで買ったのかもしれない。

いずれにせよ、そのまずいご飯でも、とてもありがたかったので記憶に残っている。

スーパーといえば、寮の近くにミグロがあった。グーグルマップで見てみたら、まだそのミグロがあった。ここにはよく行った。

ミグロは私のイメージでは、比較的庶民派のスーパーで、買い物がしやすかったように思う。ティファールもどきでボイルしたソーセージも確かミグロで買ったものだったはずだ。緑とオレンジがミグロのカラーで、この色を見るだけでも当時のことが思い出されて泣けてくる。

ジュネーブに限らず、海外では大抵そうだが、スーパーのレジの態度は良くない。日本みたいに丁寧ではないし、優しさを感じない。

ミグロもそうだったが、それにしてもジュネーブのミグロは当時はレジが冷たかった印象が強い。行くたびに嫌な思いをしていたように思う。それでも一番近くて安いスーパーなので、ミグロの世話にならざるを得なかった。

もう1つのスーパーはコープだ。スイスではミグロとならぶスーパー二大巨頭のひとつ。ジュネーブではないスイスの都市でもこの2つが強かったはず。

コープは、当時の私の印象では、ミグロよりもちょっとだけおしゃれで高級な感じ。ポップさがミグロよりも上で、コープに行くと安心したものだ。が、問題は価格だ。ミグロより少し高かった。少し高いだけでも、当時金がなかった私には厳しかった。だからときどきしかコープには行かなかった。

そういえば、コープで買ったパンがめちゃくちゃおいしかった。ジュネーブのパンは、フランスのパンよりもレベルが低いと馬鹿にされることが多いと聞いたが、コープで買って食べた細長い焼きたてのフルートは、これまで食べたどんなパンよりも美味しかった。翌日食べるために買ったつもりが、帰り道に試しに一口だけ焼きたての間に食べようと思って口に入れたらあまりの香ばしさと旨味にびっくりして、家に帰り着く前に食べきってしまった。あれほど美味しいパンには今のところありついていない。

フランスに行く機会もそれから何度かあったが、あんなには美味しくなかった。もしかしたら美味しいパン屋だとあんなのが食べられるのだろうか。食べられるならまた食べたい。