ジュネーブ留学記(1)酔いどれ隣人との出会い

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今から14年前、学生だった頃にスイスのジュネーブに1年ほど住んでいました。

学校が留学制度を持っていて、そのプログラムでジュネーブ大学に行って学べる枠が一つ空いていたらしく、それを利用して留学することになったのです。私のいたゼミには同じ年齢の学生が5人いましたが、そのなかで私は優秀な学生というわけではなかったものの、なんとなくお声がかかってチャンスを与えられたような記憶があります。

私は正直に言って、留学の話をもらった時から憂鬱でした。フランス文学を学んでいて、その学生がフランス語圏に行って勉強できるチャンスを与えられるのは、今から考えてみればかなり運のいいことだったはずですが、当時の私は孤独に一人でジュネーブに行って1年も暮らすことがいやで、しかも文学をやっている学生にありがちな外国語は読めるけど話せない状態でしたし、加えて広いコミュニケーションも苦手ときています。だから自分自身としては、是非とも行きたいという気持ちでは全然ありませんでした。

ですが、権利が与えられているのにそれを断るのは許せなくて、いやでいやで仕方がないのに、先生にはありがとうございます、本当に光栄です、是非行かせてください、と二つ返事で回答したように記憶しています。ですから、いやだと思いながらも断るわけには行かないと、瞬時に考えてそのように答えたのだろうと思います。

それから1ヶ月か2ヶ月かよく覚えていませんが、少ししてからアパートを引き払ってジュネーブに行きました。実はスイスに行くのは2回目で、一度目は偶然にもレマン湖のほとりのローザンヌという街で短期の語学留学をしていました。ですから、スイスそのものは知らないわけではありませんでしたが、一年滞在するとなると緊張感が違います。来たからには負けられないという心で、ジュネーブ駅に降りたのをよく覚えています。

ジュネーブ駅に着き、学校の寮に行くためのバスの乗り場を探していると、少し離れたところで若者二人が私のことを見ているような気配を感じました。嫌だなあと思いながらも、それでも負けるわけには行かないという気持ちも持っていますから胸を張って歩いていたつもりです。しかし心の何処かに弱気な部分があるのを見透かされていたのかもしれません。赤い髪と青い髪で、全身革ずくめ、あちこちにピアスというパンキッシュないでたちの二人組の赤髪のほうから、フランス語だったか英語だったか忘れたのですが「よう、くそ日本人!何しに来た、さっさとかえれ!」といった内容の言葉を大声で浴びせられました。

思い返せばこのときからすでに、私のジュネーブでの暮らしは、うまく回っていなかったのだなあと感じます。

駅を出て寮に着くと、5階の部屋をあてがわれました。10畳くらいの広さのワンルームです。ドアを入ると向かいに大きな窓があって、気持ちの良い部屋でした。窓からは数十メートル先に一般のマンションが見えます。

窓の下は備え付けの横長の勉強机になっていて、デスクライトが置かれていました。机の他には、頭側が本棚になっているシングルベッドがひとつと洗面台、ごく小さな冷蔵庫があるだけでした。部屋にはキッチンやトイレ、シャワーなどはなくてそれらは共同になっていました。

振り返ってみて、自分でも精神的にずいぶん弱いと感じるのですが、ジュネーブ駅で先制攻撃を食らった状態で少々落ち込んだこともあり疲れや時差ボケもあって、寮に到着した時はもうクタクタでした。もしかしたら少し涙くらい出たかもしれません。だから来たくなかったんだ、くらいに弱気になっていたかもしれません。持ってきた荷物を開けたりもせず、ベットで少し横になっていました。するとコンコンとドアをノックする音が聞こえました。

出てみると、私鎧も少し年齢が上と思われる男性が立っています。どうやらそれまで空室だった部屋に私がやって来たのを知って挨拶に来てくれたようです。もう名前は忘れてしまいましたが、ポーランドからやって来た学生だということでした。簡単にお互いに自己紹介をしたところで、それじゃあと言ってドアを閉めようとすると、ちょっと待ってと彼は言います。見ると手にはタバコを持っていて、「実は紙巻きタバコを作りたいんだ。君はそれに使える紙を持ってないか」と私に尋ねました。私はタバコを吸いませんし、そもそも紙巻きタバコを自分で作れることを知りません。仮に私が紙巻きたばこを吸う人間で、自分で作れるとしても、大抵の場合スイスにやってきて初日にそんなものを持っているわけがありません。申し訳ないが持っていないと伝えると、そうかとやたらあっさりと呟いて自分の部屋に帰って行きました。

そのときはまだこの隣人のことは特になんとも思ってはいなかったのですが、大変厄介な男でした。なにしろ酒飲みで、初日を除いてあとはほとんどいつ会っても彼は片手に酒瓶を持ってラッパ飲みしながら歩いているような男です。酔っ払っていても機嫌は悪くならないようで陽気な感じではあるものの、とにかく常にベロベロで、何か話しかけてきますがお互いにフランス語が下手でしたし、その上に彼はろれつが回らない状態なので、何を言っているかはほとんどわかりません。それでも会うたびに彼は私に何かしら声をかけてきて、ときには君も一口飲まないかと誘ってきたり、酒瓶を持ってない方の手に抱えているオリーブが入った大きな瓶をこっちに差し出してきて食べろ食べろと迫ってきたりとか、それはそれで面白い面もありました。

そうして1ヶ月も経った頃から、しかし彼の様子が変わってきました。初めのうちは酔っていても機嫌が良かったのがだんだんイライラしている表情を見せるようになりました。彼はいつも子分のような小柄な男を引き連れていました。もしかしたら同じ国の出身者だというふうな話を聞いたような気もしますが、記憶が定かではありません。とにかくその小柄な男を頻繁に連れ歩いていました。初めのうちは、まるで弟分のような感じで、いつもそばについていて可愛がられているようでした。どういう経緯でそうなったかはわかりませんが、私自身もその子分と二人で何度か話をしたような記憶があります。決してお金をたくさん持っているような雰囲気ではなく、それに同じ大学に通っているのかどうかもわからないような感じでしたが、悪い男という雰囲気でもなく、ただ隣人の弟分なんだという程度の認識で話をしたりしていました。それが、いつ頃からかポーランド人の彼はその子分にかなりキツめの言葉を吐いたりとか、パシリのようなことをさせたりして、半ばいじめのような雰囲気が漂い始めました。

私は会えば彼らと多少は言葉を交わすものの、毎日一緒だったわけではありません。廊下ですれ違えば話すぐらいのものでした。その少ない機会にもそういう光景を見かけたのでいじめのような状態は日常化していたのだと思います。

学校では一方でどうだったかといえば、私はなかなか馴染むことができませんでした。授業としては、フランス語の授業と文学の授業の両方を取っていました。頑張ってついていこうともちろんしました。ですが私のフランス語力ではなかなかついていくことが簡単ではありませんでした。とは言っても、周りの学生たちも、フランス語そのものに関してはそれほど上手いわけではありません。会話力にしても、私より少し上手という程度です。文法や語彙力だけを切り取れば、私の方が優れていた場合もあったと思います。ところがそもそものコミュニケーション能力や、フランス語で話をしたり友達を作ったりすることへの心がけが異なっているためでしょうか。なかなかうまく話をすることができません。少し言葉を交わしてみて、あまり盛り上がることなく1分か2分が過ぎると、やがてどちらからともなく「じゃあまたね」と言って別れるような間柄の相手が増えるばかりでした。

もう一つ私にとって難しかったのが、ほとんどの学生が欧米圏の出身者で、彼らは皆流暢に英語を喋ることでした。当時、私は読むことはできても英語を話すことはぜんぜんできませんでした。学生たちは、フランス語で日常的に話すこともありましたが、込み入った話になってくると英語に切り替えて会話することが多々ありました。私もそれに頑張ってついていえば良かったのに、気後れしてしまって早々に諦めてしまいました。

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