「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」は失礼か?「労う」の意味が変わってきている。

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「お疲れ様でした」を目上の人に向けていうのは失礼だという意見が最近ではあるらしい。「ご苦労様でした」が失礼という声は耳にしたことがあったが、お疲れ様でしたも良くないという人がいることは知らなかったので単純に驚いた。

この手のマナーは商売のタネにされているケースもあるため、批判の的になることが多いのだが、私自身は「お疲れ様でした」がダメであるという流れについてはなるほどと思える変化であるような気がした。

「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」は、どちらも労いの言葉だ。「労う」の意味を改めて調べてみると、goo国語辞書では「苦労や骨折りに感謝し、いたわる。現代では、同等または下の人に対して用いる。」とある。つまり、かつては「労う」は単に相手の苦労に感謝していたわる意味しかなかったのかもしれないが、現代ではそれは違っていて、労いの対象になるのは目下の人だけということになる。

「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」これら2つの言葉を奪われて、我々は目上に何を言えばいいんだ!という怒りの声が聞かれたが、上記を考えるとそもそもその前提が違ってきているのだと思う。そもそも今の世の中では、労って良いのは目下の人だけで、目上に対して労うことそのものがアウトだと考える人が増えてきているのである。

もちろん、「そんなことまで気にして生きるのはめんどくさい。日本人は細かく気にしすぎだ。私はお疲れ様もご苦労様も使い続ける!」という人がいてもいい。

私もどっちかというとそっちの人間なので、少なくとも「お疲れ様でした」は使い続ける。しかしそれも相手によるかもしれない。少々上の人くらいなら、全然お疲れ様でしたで問題ないなんなら「おつかれした」くらいの感じで行く。

それがとんでもなく上の人で、しかも私自身が強い経緯を抱く相手であれば、またかなり違うかもしれない。本当にありがとうございましたという感謝の気持ちを伝える言葉を使うだろう。

日本人はとかく目上だの目下だのにうるさい、と言われるが、他の国の人と話してもやはり彼らもそういったことはある程度は気にするものだし平和に人が暮らしていくために必要な心配りの1つなのかもしれない。この間タモリと鶴瓶のラジオを聞いたが、30歳を過ぎてタレントになったタモリは芸人仲間の中でどうやって「後輩」扱いされることなくうまく潜り込むかにかなり苦心したという内容のことを彼は言っていた。タモリなので話半分で聞くべきにしても、それでもタモリのような人でも上だの下だのというようなことを意識するものなのだなあとふと思った。

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