車を売ってようやく自分が車にとらわれていたことに気がついた

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

私は車に乗るのが好きだと自分では信じていた。毎週末になると車に乗って何処かに出かけるのは、自分が車が好きだからなのだとそう思い込んでいた。しかし車を手放して1年以上が過ぎた今思う。私は車に乗らなければならないという考えに捉われていたのだと。

1年半ほど前、私は駅から3分ほどのマンションに引っ越した。以前は駅には歩いて10分以上かかるところだったので、ずいぶん近くなった。都心にもやや近づいたため、それに伴って駐車場の価格も少し上がることになってしまった。そこで泣く泣く大好きだった自家用車を得ることにしたのだった。

新しい住居は駅から近いし、同じくらいの距離にカーシェアもある。数も多いのでいつでも利用できそうだった。加えて車を買う前にもカーシェアは使っていたから、使い勝手が良いことは十分わかっている。おそらく問題ないだろうとは思いながらも、車の運転が大好きな自分が車を手放してしまって大丈夫なのだろうかとかなり不安を感じていたのは事実た。

果たして引っ越して車を売り、いつでも思い立った時に車に乗れる環境ではなくなると不便を感じるようになった。ああ今車を持っていたらすぐに何処かに出かけられるのに・・・。そう思うことが頻繁にあった。だから初めの数ヶ月は、毎週とは言わないまでも結構な頻度で車を借りて出かけていた。

だがせっかく駅が近いマンションに引っ越したのだ。電車ももっと利用してみたい。そこでカーシェアからしばらく遠ざかって、電車であちこち出かけることにした。しかしそれもまたいずれは飽きる。楽に行ける場所はある程度行ってしまったので、それからしばらくは家の周りにある店や図書館、あるいは公園などにかなり行くようになった。

それからやや時間が経過して、また車に乗りたいなという気持ちになった。久しぶりにカーシェアを予約して車に乗り込む。そして運転していると、変な気持ちになった。なんというか、あまり面白くないし、その上車に乗るのが少し強いのだ。

少し乗らないうちに、車に乗るのが怖くなってしまっていた。どれだけ自分が気をつけていても、事故が起こるときは起こる。反対車線から対向車がこちらに向かって突っ込んでこない保証はない。自分が突発性の病気になって、どこかの建物に突っ込まないとも限らない。事故は起こるときは起こるのだ。

そのようなことを考えて、私はふと気がついた。車に乗ることが、本当にそこまで好きだったのかと。もちろん嫌いではない。車を操作する感覚も楽しい。移動して何処かに気ままに向かうことも愉快だ。だが同時に、少し無理をして毎週乗っていたのではないかとも思ったのだ。

私は電車で通勤する。車に乗れるのは週末だけだ。それ以外はほぼ乗ることはない。週末に車に乗らなければ、なんのために駐車場代などの維持費を支払っているか意味がわからない。乗らなければただ大きな物体を持っているだけで、それに大した価値はない。だから乗れる時には必ず乗らなければならないし、乗れる機会をできるだけ作らねばならない。そう心のどこかで感じていたのだ。

私は車を売って、そのプレッシャーから解放されていることに気がついた。そしてほっとしたのだ。車に乗れないというデメリットももちろんある。その一方でしかし、必ずしも車に乗って出かけなくても良いというメリットもあることがわかったのである。

今の私は、車に乗りたければカーシェアで自由にあちこち行ける。同時に、車に乗らずに家の周りでのんびりしたり、電車に乗って出かけることもできる。車を持つことによって得られる自由を捨てて、車を持たないことによって得られる自由を楽しむことができるようになったのだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*