いろいろ

HIROSHIMAチェアのいいところ、ダメなところ。デザインはいいけど・・・

Hirishimaチェアを買って2年経つので、いいところとダメなところを書く。

いいところ

見た目は素晴らしい。フォルムがとてもきれいで、置いているとサマになる。かっこいい。僕はミーハーなので「さすがアップルに選ばれるだけのことはあるわあ」とか思っちゃう。

あとは、質感がいい。手触りが最高。磨き方がいいからなのかどうなのかわからないが、オイル仕上げでもとってもすべすべ。手すりのあたりや脚をずっとなでなでしていたくなる。

座り心地は基本的にダメなので後でいろいろ文句を書くとして、いいところとしては、背当ての形がよい。しっかり背中にフィットする。深く座り背筋を伸ばすと、ピタッとちょうどいいところにくる。反対に浅く行儀悪く座っても、上部の曲面がいい感じに支えてくれて痛くない。

手すりの長さもいい。しっかり腕を置けるので、座っていて疲れにくい。短すぎず、長すぎず、ちょうどよい。

ダメなところ

座り心地が悪い。椅子として致命的だが悪いものは悪い。

具体的にどこがダメかと言うと、座面の前の部分が切り立つ崖みたいになっていて、太ももの裏に突き刺さるところがダメ。本当にダメ。

先日テレビ東京の番組でこの椅子について特集されていた。実験では、背が比較的低い女性に座ってもらって座り心地を調べていたが、彼女らの足はまるっきる地面から浮いていたのでこの部分が刺さって痛かったはずだが、番組では素晴らしい座り心地の椅子であるとはっきり評価されていた。まじか。短い時間なら耐えられるけど、数時間座っているとあざができるぐらい痛い。僕は実際裏モモにあざができた。

他にもいくつかダメなところはある。例えば重たかったり、価格が座り心地と比してやや高かったり、など。しかし、先に書いた切り立つ座面のヤバさに比べるとそれらは全てかすむ。この椅子のダメなところは座面の鋭角に仕立てられた端っこが生み出すひどい座り心地に集約される。

で、結局おすすめなのか

個人的には全くお勧めしない。膝下が平均よりかなり長くて、裏腿が座面の端っこに当たらない人なら問題ないかもしれない。または、ハリ座ならまだ良いのかもしれない。僕は板座しか持っていないから、残念ながらわからない。

安い買い物ではないので、長時間試し座りをしてみてから購入することをお勧めしたい。かっこいいからといって、勢いで買わない方が良い。一時間くらいは座ってみて(勇気はいるけど)、全然裏腿が痛くならないのなら買えばいいと思う。でも、ちょっとでも不安を感じたら、僕は他の椅子を検討することを勧める。

iCleverがどんな会社か調べてみた

リモートワークで新しいキーボードが必要になり、アマゾンで評判だったiCleverという会社のIC-BK22というキーボードを買ったところ、全然ダメな商品で困ってしまった。

いったいどんな会社なのか気になって、調べてみた。

iCleverのオフィシャルサイトをみる。

説明によると、そもそもiCleverはブランド名であって、会社名ではないらしい。社名は、サウザンドショアズというようだ。本社は中国の深センにあると思われる。新しい企業がボコボコ出来ている街なので、なるほどだ。

日本法人もある。オフィスは、 BIZ SMART神田なるビルに入っているらしい。

 BIZ SMART神田を調べてみたところ、レンタルオフィスなのだそうだ。小さい企業が間借りしてオフィスとするようなところだと思われる。日本法人の規模は小さいだろうから、リスクを下げる意味でこういったところに入っているということか。企業の信頼性が上がる情報では残念ながらない。

サイトの企業紹介によると、「2010年にアメリカのイリノイ大学とワシントン大学出身の博士二人によって設立されたグローバル・ハイテク・ベンチャー」らしい。代表者の名前は「何定」氏とある。名前から中国人だろう。なんとなくAnkerあたりと同じような生い立ちの会社っぽい感じ。アメリカで学んだ中国人が立ち上げたデジタルガジェット企業ということか。

英語のサイトを見てみる。だいたい日本語サイトと似たようなことが書いてある。iCleverは2010年にイリノイ大学などで学んだ若い起業家たちが生んだブランドで、3つの大陸8カ国で知られている、的な内容だ。

日本語サイトと英語サイトの一番大きな違いは、英語の方には本社の住所が記載されていない点だろう。英語サイトではこういう情報を記載する必要がないからなのか、あるいは隠したいのか、よくわからない。

日本語サイト、英語サイトとも、いずれもそれほど強調して中国の会社のブランドであることは書きたいわけではないらしい。中華系のブランドに対する忌避感は昔よりも相当薄れてきていると思っているんだけど、まだまだ強調する情報ではないようだ。

パッと調べたところでは、日本語と英語のサイト以外は出てこない。色々な国で展開しているというのにおかしい。異なるブランド名で展開しているのか、社名が違うのか、理由はわからない。もう少し調べてみようと思う。

調べてみたところ、全然ダメな会社と断じることはできないけれど、特に信頼のおける会社という印象も持てなかった。

そもそも僕の場合は買ったプロダクトがとっても残念なものだったというところから始まっているから、余計にそう感じるのかもしれない。財務についてだとか、調べられたらまた調べてみようと思う。

リモートワークを快適にするために買ったり作ったりした

新型コロナを受けて僕の勤務先でもフルでリモートワークが始まった。もともと週一ペースでリモートで働いていたが、それがいよいよ本格的になった。それが今年の2月。もう数ヶ月で丸一年になる。

以前から在宅勤務をしていたと言っても、週一ペースと毎日とでは結構違う。ずっと同じ場所にいるし、ずっとPCとだけ向かい合うことになる。そうなると、環境を整えざるを得ない。なんだかんだで色々と変えることになった。

モニター

一番影響が大きかったのはモニター。半年以上も拡張モニターなしでSurface proのみで頑張ったが、最近になってデータ分析の仕事がメインになり、とうとうSurfaceだけでは無理になった。邪魔になるから本当は買いたくなかったのだけれど、仕方なくHPの21.5型のモニターを買った。

探し始めるまで知らなかったんだけど、最近の液晶モニターはかなり安い。僕が買ったモデルは、1万円を切っていた。個人的には嬉しいが、ほんとうにこんな値段でいいのか。

買ったのはこれ。

安いからといって、物が悪いわけでもない。たしかにスピーカーはついてない。これは買ってから気づいた。しっかり調べなかった僕が悪い。しかしそれを除くと不満はない。これが1万円くらいかあ、と改めて驚く。

モニターを買うとやはり作業効率は上がる。作業効率が上がったからといってそれが成果に直接結びつくわけでもないが、それでも作業効率は大切だ。「邪魔になるから」としばらく我慢していたことをやや後悔している。

折りたたみデスク

続いてデスク。

モニターを買うことに躊躇していた理由の一つが実はこれなんだけど、仕事場代わりにしている寝室にはデスクがない。デスクのかわりに、出窓を長らく机の代わりに使っていた。

出窓の高さがそれなりに使いやすくて、最高ではないにしろ、まあなんとかなっていた。とはいえ、出窓は出窓。やはり仕事をする環境として優れているとは言い難い。

そこで、折りたたんで壁にくっつけられるタイプのデスクを作ることにした。大掛かりではないDIYである。

使ったのはタッチポンという折りたたみ式の棚受け。僕が買った時は大体四千円くらいだったかな。

天板は近所の小さいホームセンターで手に入れた。白いメラミンのやつ。幅は60センチ、奥行きが40センチ。ノートパソコンを開くにはギリギリのサイズ。余裕はない。

もっと大きいデスクの方が便利なんだろうけど、壁への負担を考えると、重さが気になる。だからこのくらいの大きさに止めたい。

実はそもそもはメラミンの板ではなく無塗装のヒノキの集成材を使う気でいた。その方が軽いから。しかし集成材は塗装も必要だし、加工がややめんどくさい。扱いやすさとのバランスから、メラミンを選んだ。2000円くらい。安い。

タッチポンには20センチのと30センチのがあるが、机に使う板の奥行きが40センチなので、30センチのほうを選んだ。壁の中にある間柱を探してタッチポンを取り付けて、それに天板をつける。

結構いい感じに仕上がるものだ。割と快適に使える机が仕上がった。

キーボード

続いてキーボード。

iCleverなるメーカーのBluetoothキーボードを買ったが、これは大失敗だった。買い換えたいがちょうど良い品が見つかっていないので、我慢してまだ使っている。全くお勧めしない。

何がダメかというと、一度しか打っていないキーを間違って2回入力してしまうこと。気分良く打鍵していると一文につき1度は重複入力が起こる。時々でもうっとうしいがこれだけ頻繁だと使い物にならない。

メーカーに入って交換してもらったが、それでもダメだった。とってもダメな買い物だった。

マウス(トラックボール)

マウスも買い換えた。手首が痛いので、思い切ってトラックボールを買ってみた。トラックボールはこっちに書いた。一度も使ったことがなかったトラックボールに乗り換えた私の記録 ロジクールM575

結論から言うと、結構良い。トラックボールを使うのは初めてだったんだけど、思ったよりも違和感がない。普通に使える。届く前から親指でコロコロするイメージトレーニングを怠らなかった成果なのかもしれない。(本当にイメトレしました。)

デスクライト

あと、デスクライトも買った。アマゾンプライムデーで買ったような気がするが覚えてない。

ヒカキンもオススメしているんだそうだ。ヒカキンのファンでもないのに、名前を知っている人にオススメされると安心してしまうのは情けないが弱い人間の定めだ。

使い心地は悪くはないが、素晴らしくもない。ライトとしての性能は十分なんだけど、後ろについているUSBでiPhoneを充電しようとすると、ライトがちらつく。iPhoneではなくBluetoothスピーカーあたりを充電する分には問題がないので、こっちの使い方の問題なのかもしれない。

悪くはないが、強くお勧めもできない製品ではある。別に買っても後悔するようなものでもないけど。どっちでもいい。

Bluetoothスピーカー

オフィスで仕事をしていた時はたいていイヤホンで音楽聴きながら働いていた。今は周囲を機にする必要がないのでスピーカーで音楽を聞いている。

当初は昔買ったソニーのSRS-BTX500というスピーカーを使っていた。しかしこのスピーカーはリビングでも使用しているのでその度に移動するのがめんどくさい。そこで、Google Nest Hubを新調した時に余った(というか余らせるためにNest Hubを買った面もある)Google Home Miniをリビングに移動させ、それでしばらく音楽を聴いた。

別に困ってはなかったものの、やっぱりずっとHome miniで音楽を聞いていると心が荒んでくる。我慢できなくなったところで、アマゾンプライムデーでBOSEのSoundlink Revolve+がセールになった。

これのシルバーのほう。通常は4万近くするのが2.5万だった。即決できなかったが迷いに迷って買ってしまった。

これが大当たり。音もいいんだけど、予想に反して素晴らしかったのが上部に付けられたハンドルだ。これをもって今から寝室からキッチンからあちこち移動しながら音楽を聴くのが実に楽しい。

そのせいで、もともとリビングで使っていたソニーのスピーカーの出番がかなり減ってしまった。かわいそう。

なんにせよ、このスピーカーはかなりオススメ。発売されてから時間がかなり経過しているので、セールがあればセールの時に買うのが良いと思う。

大体こんな感じかなあ。リモートワークと関係のない買い物も結構あった。スピーカーとか、スピーカーとか、あとスピーカーとか。

でも長く続きそうなリモートワークを楽しくやるためには、こういう無駄な買い物も必要だと思う。必要だと思っている。必要だと、そう信じている。

ロジクールのM575でトラックボール初挑戦した話

トラックボールを使ったことがない人は多い。慣れれば使いやすいとはいうものの、試しに買ってみるにはそこそこ良い値段がするから、ちょっと躊躇ってしまう。私もそうだった。

それがふと思い立って、昨日発売になったばかりのロジクールM575というトラックボールの新製品を買ってしまった。そこで、これまで全くトラックボールを使ったことがなかった普通の人がトラックボールに乗り換えるとどう感じるのかを記録しておこうと思う。

買ったのはこれ。

ちなみにこれまでは、会社用のPC(Surface Pro)を使うときはロジクールの小さめのマウスを使用し、自宅ではMac Book Proのトラックパッドを使用してきた。特に変わったデバイスは使ってきていない。

手にしてすぐの印象は、意外と違和感がない・・・だった。慣れないとか色々言われているが、イメージしていた通りのものというか、コロコロボールを転がせばポインタが動くというだけで、うまくポインタを動かせないとか指が攣りそうになるとか、そういったことは全くなかった。ちょっと拍子抜けするくらい、普通に使えそう、という印象をもった。

特に工夫をしなくても、普通に使える。確かにマウスほどには自由ではないかもしれないが、Surfaceのトラックパッドよりは使いやすいかも、というぐらいまで問題なく使える。結構いい。

というのが最初の印象。

で、しばらく使い続けていると、そうはいっても多少工夫は必要かもしれないなあ、という風に変わってきた。

何より大事そうなのは、デバイスをどこに置くかだ。マウスを使うときは、手首用のクッションを使用するようにしているのだが、それと併用すると体からデバイスの位置が離れすぎて、肩が凝りそうになる。だから机の手前の部分に置くのが良いのかもしれない。

あとは置く角度も考えなければならないかもしれない。真っ直ぐに置くのか、あるいは手首を内股的に左に傾くように置くのが良いのか、はたまたガニ股的に外側に傾けるのがよいのか。今のところ、気持ち内股っぽくなるようにおいているが、これが正解かどうかはまだよくわからない。

デバイスを置く位置も大事だが、デバイスの上で手をどこに置くかもまだ工夫が必要そうだ。私は男性だが割と手が小さい方なので、ガシッとデバイス全体を掴むとちょっと持て余す。でもずらすとそれはそれでクリックやボールの操作が少しやりづらい。

そいういえば一つ面倒なのが、操作をしていると意図しない右クリックが起こりまくるという問題があることだ。これは機械の問題ではなくで、私の誤操作の問題なのだが、力の入れ具合を間違うと、したくもない右クリックが発生してしまう。これにはまだ困っている。

結論としては、思ったほどトラックボールは変わったポインティングデバイスではなく、マウスやトラックバッドしか使ってこなかった人でも普通に使えそうなものであるということ。数千円はするので捨てる覚悟で買うわけにもいかないが、そんなにビビらず試しに使ってみるのは悪くない品物だと思った。

広島で被爆した祖母のこと

あの日、祖母は広島にいた。

彼女は山口県の小さな島で生まれた。裕福な家だったと聞く。7人兄弟の下から2番目で、親からはもちろん、歳の離れた兄や姉からかなり可愛がられて育ったらしい。

そのせいかは知らないが、亡くなるまでわがままな性格だった。それでいて可愛いおばあさんとして近所でも割と好かれていた。私も祖母のことは好きだった。

祖母がまだ3歳か4歳の頃、彼女の母親が亡くなった。本人によると、葬式の日のことはうっすらとだけ記憶していたという。樽のような形の棺桶に座らされた母親の亡骸に、すぐ上の兄と一緒に笑顔で「ねえ、おかーあさんっ」と遊ぶように声をかけたのだという。「母の死をよく理解していない幼い私たちを見て、周りの大人はかわいそうに思って泣いていたらしい」と本人は言っていたが、祖母はどちらかと言うと自分を悲劇のヒロインに見立てたがるところがあったから、実際のところは分からない。

やがて彼女の父は再婚した。この辺りから、祖母の苦労が始まる。まず、しばらくして祖母は子供のない親戚夫婦に養子に出される。どういう経緯だったのかはよくわからない。

養子先は台湾だった。その時祖母は小学校高学年の年頃だったと聞く。私の母が聞いた話では、この養母と祖母は反りが合わなかったらしい。しばらくは台湾で暮らしたが、やがて山口に返されたのだという。祖母はずっと「追い返された」という印象を持っていたようだし、実際そうだったのではないかと何となく思う。

ただ、私が子供の頃、祖母は台湾の思い出を楽しそうに語ってくれた。彼女は私の母と叔母と一緒に一度は台湾旅行にも行って楽しんだようだ。悪い思い出にはなっていないようだが、聞いた話をつなぎ合わせるとそれなりに大変だったのではないかと思う。しかしこの辺のことも今となっては分からない。

台湾から山口に帰ってしばらくの後、戦争が始まった。学徒動員で祖母は広島に行くことになる。紡績工場か何かで働いていたそうだ。

原爆投下当日、たしか彼女は工場にいたという話だったと思う。私の記憶では、工場は爆心地からそれほど離れていなかったはずだが、祖母は大きな怪我をすることはなく命も助かった。その点では運が良かったのだろう。しかし、その工場から逃げるときには相当悲惨な光景を目にしたそうだ。死体の山、皮膚がただれた人、手足がない人、目玉の飛び出た人。原爆の本やテレビ番組などで見聞きするものをまさにそのままだ。やはり目に焼き付いていると言っていた。

命は助かったし怪我もしなかったが、被曝はしていた。髪は全て抜け落ちて、寝込むようになった。それから中年になるまで、時々寝込むようになったという。被曝が直接の原因かはわからない。

その後、戦争が終わり、彼女は山口の実家に帰った。

実家に帰ると、髪のないその姿のために、父親と継母からはひどい扱いを受けたのだそうだ。オバケと言われたり、気持ちが悪いからと帽子を常に被らさせられたり、そのほかにもかなりいろいろあったらしい。この話は、私は祖母から直接聞いたのではなく、母から最近になって初めて聞いた。

私が小学生の頃、夏休みの宿題のネタに困ったら、とりあえず祖母に戦争中の話を聞かせてくれとお願いしていた。作文にしても絵にしても、当時の私にとっては確実に「使える」ちょうどよい題材だった。その頃のことを思い出すと、感謝と反省が混ざり合った気持ちになる。

原爆投下当日のことは、当然辛い思い出だったはずだが、嫌がることなく祖母は私に話してくれた。しかし、実家に帰って「オバケ」と言われたというような話は一度も聞いたことがない。たぶんこの話は孫に聞かせられるほど、彼女の中でも消化できなかったのではないかと思う。もし祖母がまだ生きていたとしても、聞けることでもない。

後の祖母は、死ぬまでずっと病気がちだった。若い頃から寝込むことが多かった。夫を早くして亡くしたり、娘を先に亡くしたり、息子とうまく行かなかったりといろいろなことがあったが、それでも楽しい時期もあっただろうと思う。

祖母は数年前に亡くなった。私は離れて暮らしていたから、死ぬまでの数年は滅多に会えなかっし、私と祖母の間にもいろいろあれども大好きな祖母のままである。

祖母のことはよく思い出すが、一番強く思い出すのは8月6日だ。あの日を生きた一人の証人として、また単に大好きだった祖母として、今日もまた思い出したので、こうして残しておくことにした。

んのではないかと僕の母からは聞いたが、これも実際のところはわからない。