ジュネーブ

ジュネーブ留学記(5)レストランで山盛りサラダの悲しい記憶

留学中は、大学から幸運なことに奨学金をもらえていた。たしか月に1400スイスフランぐらい。当時1スイスフランが90円程度だったので、12万円ちょっとの金額だ。

学生寮の家賃が8万円程度だったと記憶している。ほかに固定費はなかったから、差し引いて手元に残るのは4万円程度だ。

日本で一人暮らしをして学生時代に4万で暮らせと言われれば、私の暮らし方だとそんなに難しくはない。何しろ私はお金を使わない。

しかしそこはスイス。甘くなかった。大抵のものが日本より高い。

例えばマックでハンバーガーのセットを頼むとする。

当時はまだマックが価格競争から抜け出せていない時期だったから、日本では特に安くて、ハンバーガーのベーシックなセットで350円くらいだったように記憶している。

それがスイスではいくらだったかというと、1000円以上だ。マックなら大丈夫だろうと思ってふらっと入った私は、メニューを見るなりクルリと回って帰ったことをよく覚えている。

だから、スーパーで安いものを探して食べるのが日常になる。

しかしながら、寮のキッチンが共有で、潔癖症である上にコミュニケーションが取れない状況に陥っていた私にとっては、手の込んだ自炊を続けることは難しかった。

使えるのは、自室にあるティファールもどきの電気ポットと、キッチンに一瞬だけ入ることを覚悟すれば使える電子レンジ。これだけだ。

でも電子レンジを使うと短い時間でも他の寮生に会う。出来るだけ私は寮で人と会うことを避けたかった。

包丁などを使おうとすると、キッチンに長居することになるのでもっと難しい。同じ理由で火も使えない。相当私は精神的に弱っていたのだなあと改めて思う。

さて、いろいろ考えて、最終的に私が落ち着いたのは、トルティーヤだった。

トルティーヤの皮がなんだかいつも安かった。10枚入りで100円くらい。これなら買える。

そしてスーパーのミグロに行けばソーセージなども結構安く買えた。これに安ーいチリソースみたいなのを加える。トマト入ってるから、これで野菜をとったことにできる。気分の問題だ。

トルティーヤの皮に、電気ケトルで温めたソーセージをいれて、そこにチリソースをかける。

これを毎日とは言わないが、年がら年中食べていた。

案外うまいのだ。チリソースだから辛味があって食欲も湧く。ソーセージも美味しいし、トルティーヤの皮もいける。

時には千切りキャベツを挟んだりもしてみた。これだけでもヘルシー感が増して嬉しかった。

時には朝昼晩とすべてその適当トルティーヤになることもあったが、朝食はミューズリを食べることが多かったようにも思う。ミューズリについてはまた別に書く。

さて、そうして我が家の看板メニューに躍り出たトルティーヤは、簡単で安くて美味しい。それはよいのだが、何しろ年中食べているので、いずれはやっぱり飽きる。

かといって自炊もできない。

だから、月に一度だけ、外食をした。

ジュネーブ駅前にマノールというデパートがあった。高級デパートではなく、比較的親しみやすい感じのデパートだった。

その一階に、レストランが入っていた。そのレストランには、サラダバーがあり、そして素晴らしいことにサラダバーだけでも注文できるのだ。

皿一枚あたりで価格が決まっていて、そこに野菜だとかパスタだとか、運が良ければ肉なども入れることができる。

大きい皿は1500円くらい。中くらいだと1000円ちょっと。一番小さい皿はたしか700円くらいだった。

この一番小さい皿を私は選ぶ。そしてそのさらに野菜、パスタ、ハムや肉などを盛るのだ。そう、載せるのではない。文字通り、盛る。山盛りだ。

皿は平皿だから、盛りにくい。すぐにはみ出そうになるが、それをなんとか押さえ込んで、盛れるだけ盛る。

たくさん盛るためには安定感が必要だ。土台を作らなければうまく盛れない。

まず下側に重さのあるマカロニとかを敷き詰める。さらに満遍なく敷き詰めたら、マカロニとマカロニの隙間を埋めるように細切れになったハムのようなものを押し込む。

そしてもう一度マカロニを載せる。炭水化物が欲しいから多めのパスタは大切だ。そしてまたハム的なものを乗せてから、最後に野菜をこぼれないように載せる。これでもかというくらいに、載せる。

山盛りサラダの出来上がりだ。

レジで店員が私の山盛りサラダを見て、やるせ無い表情をしていたのを思い出す。

情けなかったが、しかしこのサラダが美味しかった。700円は当時の私には大金だが、トルティーヤを連日食べている私には最高だった。

思い出のサラダだが、グーグルで見る限りではこの店は無くなってしまっているらしい。寂しい。

ジュネーブ留学記(4)スーパーの話〜ミグロとコープ

ジュネーブ大学の寮に暮らしていた。

キッチンは共同だった。私は若干潔癖症の嫌いがあるし、その上その頃はコミュニケーションがかなり苦手な方だったからあまりキッチンには入らなかった。

しかし何か食べなければならない。かと言って金に余裕はないし、ジュネーブは物価が高い。いつも外でご飯を食べるなんてことはできないので、スーパーマーケットによく行った。

手のかかる料理はできない。キッチンが使えないから。

それで、とりあえず湯を沸かせるようにティファールの湯沸かし器もどきみたいなのを1つ安く買って来た。これがあれば、それこそカップヌードルでしのぐこともできる。

ちなみに日清のカップヌードルがジュネーブでは売られていたのでずいぶん助けられたのをこれを書いていて思い出した。牛肉味と鶏肉味があったように思う。どちらも大して美味しくはなかった。日本の工場で作るものとはかなり味付けも違っていたらしく、美味しくなかったというよりどっちかといえばまずかった。

それでも、キッチンを使わずに何か温かいものを口にできるということで、私は重宝していた。

あとは小包装になったソーセージを時々買って来た。一本の大きさが12センチくらいの大きさだったと思う。それを、ティファールもどきのなかに突っ込んで、湯を沸かしてしばらく置いておくといい感じにボイルできる。それを、トルティーヤの皮みたいなものにはさんで、千切りキャベツをドバッと入れて、最後にチリソースをかけて食べる。これもよくメニューとして登場した。

あとは、電子レンジで米が炊けるというアイデアグッズのようなものを日本から持って行っていたので、ときどきそれで米を炊いた。

この電子レンジご飯がとにかくまずかったのを覚えている。まず、そもそも売られている米が美味しくない。ジャポニカ米みたいなのではなくて、ちょっとタイ米とかそういうタイプの米で、日本の炊き方には合ってない米だったし、その上電子レンジで炊けるその器具がそれほどうまく炊けるものではなかったので、いつもベチャベチャになるかカチカチになるか、あるいはその両方がいっぺんに炊き上がるかのどれかだった。

その大して美味しくもない米を、何かと一緒に食べていた。はずなのだが、何をおかずに食べていたか思い出せない。ふりかけをかけていたこともあったと思うが、それはどこで手に入れたのか。もしかしたら日本からそれも持って行ったか、スーパーに売られていたか。そういえば、近くにあるスーパーではなくて、市の中心部にあるデパートの地下にあるスーパーには日本食材コーナーがあったから、そこで買ったのかもしれない。

いずれにせよ、そのまずいご飯でも、とてもありがたかったので記憶に残っている。

スーパーといえば、寮の近くにミグロがあった。グーグルマップで見てみたら、まだそのミグロがあった。ここにはよく行った。

ミグロは私のイメージでは、比較的庶民派のスーパーで、買い物がしやすかったように思う。ティファールもどきでボイルしたソーセージも確かミグロで買ったものだったはずだ。緑とオレンジがミグロのカラーで、この色を見るだけでも当時のことが思い出されて泣けてくる。

ジュネーブに限らず、海外では大抵そうだが、スーパーのレジの態度は良くない。日本みたいに丁寧ではないし、優しさを感じない。

ミグロもそうだったが、それにしてもジュネーブのミグロは当時はレジが冷たかった印象が強い。行くたびに嫌な思いをしていたように思う。それでも一番近くて安いスーパーなので、ミグロの世話にならざるを得なかった。

もう1つのスーパーはコープだ。スイスではミグロとならぶスーパー二大巨頭のひとつ。ジュネーブではないスイスの都市でもこの2つが強かったはず。

コープは、当時の私の印象では、ミグロよりもちょっとだけおしゃれで高級な感じ。ポップさがミグロよりも上で、コープに行くと安心したものだ。が、問題は価格だ。ミグロより少し高かった。少し高いだけでも、当時金がなかった私には厳しかった。だからときどきしかコープには行かなかった。

そういえば、コープで買ったパンがめちゃくちゃおいしかった。ジュネーブのパンは、フランスのパンよりもレベルが低いと馬鹿にされることが多いと聞いたが、コープで買って食べた細長い焼きたてのフルートは、これまで食べたどんなパンよりも美味しかった。翌日食べるために買ったつもりが、帰り道に試しに一口だけ焼きたての間に食べようと思って口に入れたらあまりの香ばしさと旨味にびっくりして、家に帰り着く前に食べきってしまった。あれほど美味しいパンには今のところありついていない。

フランスに行く機会もそれから何度かあったが、あんなには美味しくなかった。もしかしたら美味しいパン屋だとあんなのが食べられるのだろうか。食べられるならまた食べたい。