2017年 9月 の投稿一覧

同じ「ルーフバルコニー」でも良し悪しがあるのをご存知ですか?

こんにちは、ペパローです。

ルーフバルコニーは、魅力的な付加価値ですよね。ルーフバルコニーがあると日々の暮らしが楽しくなりますし、人気がある設備なので物件を売却するときには高い値段で売れるかもしれません。

一方で、実は一口にルーフバルコニーと言っても、いいルーフバルコニーとイマイチなルーフバルコニーがあるのをご存知ですか?どのようなルーフバルコニーが特にいいのか、その違いや条件について考えます。

そのルーフバルコニーは、どの方角を向いているか?

1つ目の大きなポイントは、ルーフバルコニーの方角です。

マンションのルーフバルコニーの多くは、あえて作ったものではなく、構造上仕方なく出来上がったというものが多いのが実情です。
ルーフバルコニーが作られることになる理由として、最も多いのは「斜線制限」でしょう。お隣の建物の日当たりを維持するための日照権を守るために、マンションの上部を斜めに切り取らなければならないケースはよくあります。

斜線制限対策で斜めに切り取る場合、切り取られる方角はたいていの場合北側です。ですから、斜線制限を北側斜線制限と呼ぶこともあるようです。

さて、この切り取られた部分ですが、ほったらかしにしておいてももったいないです。そこで出てくるのがルーフバルコニーです。下の会の天井部分をバルコニーにすることで、北側にルーフバルコニーを作るのです。
ルーフバルコニーつきの物件を探してみると、たいていの場合は北向きであることがわかります。つまり、ルーフバルコニーを作るためにあえて作られたものではなくて、北側斜線制限に対応する上での副産物的に作られたものが多いということです。

たいていの場合北側に作られるルーフバルコニーですが、残念ながら北側に作られたものはイマイチなルーフバルコニーと位置付けざるを得ません。

南向きのルーフバルコニーは暑いという声もありますが、それは贅沢な悩みです。もっとリアルな悩みは、せっかく広いルーフバルコニーがあるのにたいして日が当たらない!というものでしょう。 ルーフバルコニーそのものが、私自身は高い価値を持つ設備だと考えていますので、北側のルーフバルコニーが全くダメとは思いませんが、他の方角を向いているものと比較すると、厳しい面があるのは間違いありません。 ルーフバルコニーは南向きであることが大切

そのルーフバルコニーは、どの部屋に面しているか?

続いて大切なのは、ルーフバルコニーが面している部屋の種類です。

もしルーフバルコニーつきの物件にお住まいでわそのルーフバルコニーがリビングにバッチリ面しているという方は、もう完璧に当たりですね。それは素晴らしいルーフバルコニーです。

もしそのルーフバルコニーが、滅多に使用しない納戸とくっついているのであれば、それは残念ながらイマイチなルーフバルコニーかもしれません。

ルーフバルコニーは、実際使い道がたくさんあるかというと、ほとんど実用的ではないというのが一般的に言われていることです。それでもルーフバルコニーがあると評価が高くなるのは、部屋からの眺めに大きく影響を与えるからです。

たとえばそのマンションのすぐ隣に別の建物が建っていたとしても、ルーフバルコニーがあればその空間が空きスペースとなって眺望を少しよくしてくれます。最も長い時間を過ごすことになるリビングにルーフバルコニーがつながっているということは、部屋からの眺望をレベルアップしてくれることになるのです。

反対にいえば、実用性はそれほどではないので、眺望レベルアップの恩恵を受けられなければルーフバルコニーの良さを完璧には味わいにくいということになってしまいます。

ルーフバルコニーはリビングとつながっていることが大切なのです。

そのルーフバルコニーの下にあるのはどんな部屋か?

ルーフバルコニーのある物件はどう使うか夢を見させてくれるものですが、先に書いた通りたいした使い道があるものではないのでそこまでバラ色な生活が待っているわけではありません。

実際はむしろ、日常的な悩みが付きまとう代物です。特に問題になるのが、階下への音漏れです。 ルーフバルコニーは、言ってしまえば下の階の天井です。天井の上を歩けば、その足音は当然ながら下のフロアに伝わります。頑張って防ごうとしても、バルコニー用のサンダルで歩けばパタパタと音がします。プールを出して子供を遊ばせれば、ドンドンバシャバシャ音がします。ペットを遊ばせても同じです。 ルーフバルコニーはたいていの場合その下に他のお宅があるわけですから、音の問題からは根本的に逃げることは不可能です。

ただし、下にある部屋の種類によっては、多少は問題が緩和される場合があります。たとえば下が主寝室に使われる部屋であれば、ルーフバルコニーを使うであろう日中は下の部屋は使用されていないでしょう。もちろん階下の住人がどのようにその家を使うかによりますが、ベッドルームになりそうな部屋がルーフバルコニーの下にあるのなら、そのルーバルは当たりです。

反対にリビングであれば、それは残念ながら満点ではありません。音に関しては常に注意して使用しなければならないでしょう。 とはいえそもそもそれほど使い道が豊富な設備ではないのですから、南向きでリビングに面しているようなルーフバルコニーなら気にする必要はないと思います。

ルーフバルコニーの下がベッドルームなら最高ということになります。

 

これらのすべての条件を満たすルーフバルコニーなんてそうそうありませんし、そもそもルーフバルコニーそのものがかなり稀少性のある設備です。

なので、ベストなのは南向きでリビングに面していて音の問題も心配いらないルーフバルコニーですが、もしルーフバルコニーつきの物件が見つかったらとりあえずはいろいろな条件は無視して前向きに検討することを強く強くおすすめいたします!

ジュネーブ留学記(2)テレビ導入してますます孤立

なんとかフランス語での生活がうまくいかない状況を切り抜けようと、私は考えました。

打開策として考えたのは、フランス語に触れる時間をできるだけ増やすためにテレビを購入することでした。

当時はネットはありましたが、アクセスできるコンテンツには限りがありました。フランス語に触れる機会を増やすには、その時はテレビを購入することが最も安上がりで、それでいて長時間活用できる最も良い選択肢に思われたのです。

確か2万円程度の小さなテレビを町の電気屋で買って、配送代をケチるために小さいとは言ってもそれなりの重さがあるブラウン管のテレビをなんとか自室に持ち帰りました。バスを乗り継いで買って帰ったので、きっと大変だっただろうと自分でも思いますが、その時は新しいおもちゃを買ったような気分でもあり、これで自分の辛い日常が少しは改善されるのではないかという期待もあり、あまり重たいとかしんどいとか思わずに紅葉した気分で帰ってきたような記憶が残っています。

テレビを購入したことそのものは、フランス語の上達には役立ちました。日本では見たことがなかったコンテンツを見られたという意味でも、有益でした。

当時はStar Academyというアイドルのオーディション番組がフランスでは流行っていました。シリーズ化されていて、当時その第3弾が放送されていました。

どのような番組か一言で言えば、視聴者投票型のオーディション番組です。

まず、アイドルや歌手を目指す10人ぐらいの若者たちに、一つの家で共同生活をさせます。毎日歌やダンスの訓練を先生のもとで頑張る彼らの様子を、部屋のあちこちに仕掛けられたカメラで撮影しておきます。その映像を日々編集して、週に何度か放送するのです。

番組を見た視聴者は、彼らの日常の様子を見て誰がどれくらい頑張っているかとか、あるいは単に誰が好きかを考えます。土曜日になると、週に一度だけ生放送の回があって、そこで視聴者が電話投票をします。そこで票を一番集められなかった人から、毎週一人ずつ抜けていくというルールの番組だったと思います。

日本ではその数年前にアサヤンが流行っていて、モーニング娘。がまだ絶頂の頃でした。そもそもこのStar Academyがアメリカ発のコンテンツだったはずですが、これを見て、どの国でも似たような番組がはやるのだなあとか感じました。

その一方で、初めは引いた目で見ていたのが、とにかくテレビを長時間見ているものですから何度もその番組を視聴することになり、結果的には結構真剣に誰が残るかとか考えながら毎週見ていたのを覚えています。

ちなみにこの番組が私の記憶に残っているのは番組そのものが面白かったからでもあるのですが、スポンサーが印象的だったことももう一つの理由です。番組のメインスポンサーはブイグテレコムという大手の通信会社でした。それが、当時iモードを導入していて、ブイグテレコムというサウンドロゴと一緒にiモードのロゴが画面に出てくるのです。

私は特にドコモのユーザーでもありませんでしたが、日本を離れて暮らしているとそんなロゴを見るだけでもなんだか安心しましたし、日本も負けてないんだ!という理由のわからない自信を持つことができたのを記憶しています。

ちなみにStar Academyで聴いた音楽の中で、今でも気に入っていて時々聞くのがL’Orangeという曲です。60年代くらいにフランスで流行った曲をその番組でリアレンジしてカバーしたものだったのですが、ストーリー性がある歌詞でメロディーもよくて気に入っていました。のちにオリジナルをiTunesでも買いました。

他にもフランス語が簡単なので、子供向そのけのアニメをよく見ていました。好きだったのはMarsupilamiというフランスのマンガが原作ののアニメです。

子供向けとはいえ、そこはやはりフランスで、Marsupilamiは日本ではあまり見られないような設定の作品でした。メインキャラクターは2人で、1人は人間の男の子です。日本の小学校中学年くらいの年齢でしょうか。彼の父親が珍しい生き物を調べる研究家で、一家でジャングルに住んで父親間研究に勤しみ、他の家族も一緒に暮らしているという設定です。

もう一人のメインキャラクターは、人ではなくMarsupillamiという生き物です。(カタカナにするとマルシュピラミとなりますが、発音はマハスュピラミに近いです。)この生き物は、大きさは人間の子供とほとんど同じで、四つ足で走りますが二本足で歩くこともある生き物です。色は黄色で所々が黒くまだら模様になっています。ヒョウとかチーターとかそういった生き物の模様に近いです。

変わっているのが、尻尾がとても長いことと、その尻尾を使ってどんな動物と闘っても買ってしまうほど強い、ということです。ジャングルの中では虎だとかワニだとか、そういった生き物が出てきて、ことあるごとにMarsupilamiを食べようとするのですが、彼にとってはそんな獰猛な動物たちも敵ではなくていとも簡単に蹴散らしてしまいます。

これだけなら、とても強い生き物が主人公の友達にいるというだけの話ですが、設定としておかしいのが、Marsupilamiは大人で、妻もいて子供が3匹もいるという点です。ですから彼は主人公の子供の家に居候しているわけではなくて、何かというと一人で遊びに来て子供の人間と一緒にソファーでお菓子を食べながらテレビを見たり、一緒にゲームをして遊んだりしながらも、夜になるとまた一人自宅(木の上に作られた巣)に帰って、妻や子供と一緒に眠るのです。

Marsu(短縮してこう呼ばれます)は、大人でありながら、人間の子供と遊び、それでいて生き物としては成人しているので妻帯者であり子供までいるという設定は日本ではなかなか見られないものだと変に感心したものでした。私はこのなんとも不思議な設定がとても好きで、スイスにいる間におもちゃ屋でいくつかMarsuの人形を買ったりもしました。日本に帰ってからもいろいろ調べてみましたが、残念ながらコンテンツとしては輸入されていないらしく、まだ見かけたことはありません。

こうしてフランス語のコンテンツを見るには役立ったテレビですが、フランス語を聞き取るという意味では役立つ面もあったものの、一方通行の情報経路なのでアウトプットにはあまり役立たず、フランス語をしゃべる力に関してはあまり役には立ちませんでした。

その結果、友達がたくさんできたりとか、あるいは授業でたくさん発言できるようになったりはするはずもなく、正直に言って家から出ても大して授業にも出なくなり、ただ図書館にこもってフランス語の本をなんとなく読み、スーパーに立ち寄ってウインナーとキャベツを買ってかじって食事としながら、テレビを見て終わるような毎日を繰り返していました。

ジュネーブ留学記(1)酔いどれ隣人との出会い

今から14年前、学生だった頃にスイスのジュネーブに1年ほど住んでいました。

学校が留学制度を持っていて、そのプログラムでジュネーブ大学に行って学べる枠が一つ空いていたらしく、それを利用して留学することになったのです。私のいたゼミには同じ年齢の学生が5人いましたが、そのなかで私は優秀な学生というわけではなかったものの、なんとなくお声がかかってチャンスを与えられたような記憶があります。

私は正直に言って、留学の話をもらった時から憂鬱でした。フランス文学を学んでいて、その学生がフランス語圏に行って勉強できるチャンスを与えられるのは、今から考えてみればかなり運のいいことだったはずですが、当時の私は孤独に一人でジュネーブに行って1年も暮らすことがいやで、しかも文学をやっている学生にありがちな外国語は読めるけど話せない状態でしたし、加えて広いコミュニケーションも苦手ときています。だから自分自身としては、是非とも行きたいという気持ちでは全然ありませんでした。

ですが、権利が与えられているのにそれを断るのは許せなくて、いやでいやで仕方がないのに、先生にはありがとうございます、本当に光栄です、是非行かせてください、と二つ返事で回答したように記憶しています。ですから、いやだと思いながらも断るわけには行かないと、瞬時に考えてそのように答えたのだろうと思います。

それから1ヶ月か2ヶ月かよく覚えていませんが、少ししてからアパートを引き払ってジュネーブに行きました。実はスイスに行くのは2回目で、一度目は偶然にもレマン湖のほとりのローザンヌという街で短期の語学留学をしていました。ですから、スイスそのものは知らないわけではありませんでしたが、一年滞在するとなると緊張感が違います。来たからには負けられないという心で、ジュネーブ駅に降りたのをよく覚えています。

ジュネーブ駅に着き、学校の寮に行くためのバスの乗り場を探していると、少し離れたところで若者二人が私のことを見ているような気配を感じました。嫌だなあと思いながらも、それでも負けるわけには行かないという気持ちも持っていますから胸を張って歩いていたつもりです。しかし心の何処かに弱気な部分があるのを見透かされていたのかもしれません。赤い髪と青い髪で、全身革ずくめ、あちこちにピアスというパンキッシュないでたちの二人組の赤髪のほうから、フランス語だったか英語だったか忘れたのですが「よう、くそ日本人!何しに来た、さっさとかえれ!」といった内容の言葉を大声で浴びせられました。

思い返せばこのときからすでに、私のジュネーブでの暮らしは、うまく回っていなかったのだなあと感じます。

駅を出て寮に着くと、5階の部屋をあてがわれました。10畳くらいの広さのワンルームです。ドアを入ると向かいに大きな窓があって、気持ちの良い部屋でした。窓からは数十メートル先に一般のマンションが見えます。

窓の下は備え付けの横長の勉強机になっていて、デスクライトが置かれていました。机の他には、頭側が本棚になっているシングルベッドがひとつと洗面台、ごく小さな冷蔵庫があるだけでした。部屋にはキッチンやトイレ、シャワーなどはなくてそれらは共同になっていました。

振り返ってみて、自分でも精神的にずいぶん弱いと感じるのですが、ジュネーブ駅で先制攻撃を食らった状態で少々落ち込んだこともあり疲れや時差ボケもあって、寮に到着した時はもうクタクタでした。もしかしたら少し涙くらい出たかもしれません。だから来たくなかったんだ、くらいに弱気になっていたかもしれません。持ってきた荷物を開けたりもせず、ベットで少し横になっていました。するとコンコンとドアをノックする音が聞こえました。

出てみると、私鎧も少し年齢が上と思われる男性が立っています。どうやらそれまで空室だった部屋に私がやって来たのを知って挨拶に来てくれたようです。もう名前は忘れてしまいましたが、ポーランドからやって来た学生だということでした。簡単にお互いに自己紹介をしたところで、それじゃあと言ってドアを閉めようとすると、ちょっと待ってと彼は言います。見ると手にはタバコを持っていて、「実は紙巻きタバコを作りたいんだ。君はそれに使える紙を持ってないか」と私に尋ねました。私はタバコを吸いませんし、そもそも紙巻きタバコを自分で作れることを知りません。仮に私が紙巻きたばこを吸う人間で、自分で作れるとしても、大抵の場合スイスにやってきて初日にそんなものを持っているわけがありません。申し訳ないが持っていないと伝えると、そうかとやたらあっさりと呟いて自分の部屋に帰って行きました。

そのときはまだこの隣人のことは特になんとも思ってはいなかったのですが、大変厄介な男でした。なにしろ酒飲みで、初日を除いてあとはほとんどいつ会っても彼は片手に酒瓶を持ってラッパ飲みしながら歩いているような男です。酔っ払っていても機嫌は悪くならないようで陽気な感じではあるものの、とにかく常にベロベロで、何か話しかけてきますがお互いにフランス語が下手でしたし、その上に彼はろれつが回らない状態なので、何を言っているかはほとんどわかりません。それでも会うたびに彼は私に何かしら声をかけてきて、ときには君も一口飲まないかと誘ってきたり、酒瓶を持ってない方の手に抱えているオリーブが入った大きな瓶をこっちに差し出してきて食べろ食べろと迫ってきたりとか、それはそれで面白い面もありました。

そうして1ヶ月も経った頃から、しかし彼の様子が変わってきました。初めのうちは酔っていても機嫌が良かったのがだんだんイライラしている表情を見せるようになりました。彼はいつも子分のような小柄な男を引き連れていました。もしかしたら同じ国の出身者だというふうな話を聞いたような気もしますが、記憶が定かではありません。とにかくその小柄な男を頻繁に連れ歩いていました。初めのうちは、まるで弟分のような感じで、いつもそばについていて可愛がられているようでした。どういう経緯でそうなったかはわかりませんが、私自身もその子分と二人で何度か話をしたような記憶があります。決してお金をたくさん持っているような雰囲気ではなく、それに同じ大学に通っているのかどうかもわからないような感じでしたが、悪い男という雰囲気でもなく、ただ隣人の弟分なんだという程度の認識で話をしたりしていました。それが、いつ頃からかポーランド人の彼はその子分にかなりキツめの言葉を吐いたりとか、パシリのようなことをさせたりして、半ばいじめのような雰囲気が漂い始めました。

私は会えば彼らと多少は言葉を交わすものの、毎日一緒だったわけではありません。廊下ですれ違えば話すぐらいのものでした。その少ない機会にもそういう光景を見かけたのでいじめのような状態は日常化していたのだと思います。

学校では一方でどうだったかといえば、私はなかなか馴染むことができませんでした。授業としては、フランス語の授業と文学の授業の両方を取っていました。頑張ってついていこうともちろんしました。ですが私のフランス語力ではなかなかついていくことが簡単ではありませんでした。とは言っても、周りの学生たちも、フランス語そのものに関してはそれほど上手いわけではありません。会話力にしても、私より少し上手という程度です。文法や語彙力だけを切り取れば、私の方が優れていた場合もあったと思います。ところがそもそものコミュニケーション能力や、フランス語で話をしたり友達を作ったりすることへの心がけが異なっているためでしょうか。なかなかうまく話をすることができません。少し言葉を交わしてみて、あまり盛り上がることなく1分か2分が過ぎると、やがてどちらからともなく「じゃあまたね」と言って別れるような間柄の相手が増えるばかりでした。

もう一つ私にとって難しかったのが、ほとんどの学生が欧米圏の出身者で、彼らは皆流暢に英語を喋ることでした。当時、私は読むことはできても英語を話すことはぜんぜんできませんでした。学生たちは、フランス語で日常的に話すこともありましたが、込み入った話になってくると英語に切り替えて会話することが多々ありました。私もそれに頑張ってついていえば良かったのに、気後れしてしまって早々に諦めてしまいました。

乙女の儚夢(ろまん)全曲レビュー

あがた森魚の名盤紹介、『乙女の儚夢 (ろまん)』です。

このアルバムを初めて聴いた時にどんな感想を持ったか覚えていますか?私の場合は「暗くてジメジメして、カッコいい気もするけど、とりあえず笑える!」という、なんとも不思議な感覚だったのを覚えています。

初めて聴いたのは大学生の頃でした。ちょうど70年代音楽のリバイバルブーム真っ最中で、パンタロン、長髪、四畳半に裸電球と条件コンプリートな音楽好きの友達が、タバコの灰だらけの部屋で聞かせてくれました。なんも言えない薄暗くて湿気た雰囲気に気持ち悪さと格好良さと笑いとが全部まとめてやってくる変な感じが、正直に言えばしばらくはそれほど馴染めず、むしろ同じ日に初めて聴いたレミゼラブルのほうを気に入って、乙女のロマン(変換めんどくさいのでこのまま)は長い間あんまり真剣に聴いていなかったように思います。

じゃあその後は乙女の儚夢 が一番好きなアルバムになったことがあるかというと、実はありません。いつも4番手とか5番手とかその辺りに位置しています。なので、そんなに頻繁には聞きません。

なのに、ここがこのアルバムの不思議なところなのですが、あまり頻繁に聞かなくても、これを聴いたらどんな感覚になるのか、とか、聞き終わった時に変わった気持ちになるんだよな、とか、そういったエモーショナルな感覚が、アルバムタイトルやジャケットを見たりするとすぐに湧き上がってくるんです。このアルバムが持っている強烈な雰囲気とパワーがゆえのことでしょう。

では一曲ずつ見ていきましょう。

乙女の儚夢


アルバムタイトル曲の「乙女の儚夢」 。なんなのでしょう、発売時期の1972年当時は比較的この手の暗〜いトーンの音楽は好まれたと思いますが、大正ロマンのテイストが流行っていたとは思えませんし、演歌の悲しさやさびしさとはまた少し毛色が違っています。この曲で始めようというあたりに、今の感覚からすればさてはあんまり売ろうとしてないな?という思いを持たせられますが、その辺りはちょっとわかりません。

春の調べ

続いて「春の調べ」です。このアルバムの中では一番お気に入りの曲の一つです。曲といっても手紙の朗読の背後に音楽が鳴っているという作品ですが、とてもいい雰囲気を持った一曲であることは間違いありません。

乙女の儚夢 はコンセプトアルバムに入るものだも思いますが、その観点から言えば二曲目に収録されているこの春の調べがコンセプト説明資料にあたるような位置付けなのではないかと思います。この曲があることによって、描かれている世界の背景がより浮かびやすくなります。

そう考えると、歌ものではないこの曲が、実はとっつきにくい乙女の儚夢 というアルバムをちょっとだけポップなものに中和してくれているのかもしれません。

薔薇瑠璃学園

続いて「薔薇瑠璃学園」です。春の調べを入れたのは、この曲にスムーズに導入するためという意図もありそうです。あるいは、春の調べが演劇で言えばセリフ部分で、薔薇瑠璃学園がミュージカルパートみたいな位置付けでしょうか?

世界観も、メロディーも、曲の構成も、あがたのパフォーマンスも、全てがバランスのとれた名曲だと思っています。

雨傘

そこから「雨傘」へと繋がります。薔薇瑠璃学園まで続けて聞けば、この雰囲気に耐性ができるというのか、聞き手のコンディションが整えられるというのか分かりませんが、雨傘というこの超陰鬱な曲でさえもなんとなく聞きこなすことができるようになります。

例えば天気のいい休日の朝にこの曲をいきなり聞かされたら耳は受け付けませんし、なんの嫌がらせだという話になりますが、反対にかなり憂鬱な気分の日であればもしかしたらギリギリ聞けるかもしれません。コンディションを選ぶ曲というのは時々あるものではありますが、その中でもかなりピンポイントでコンディションを整えてかからないと捌き切れない圧力を持った一曲であると言えるでしょう。

と言いつつ、改めて久しぶりに通して聴いて見ましたが、雨傘は長いですね・・・。7分程度の曲ですが、結構単調なのと、歌詞がくどいのでそれはそれは長く感じます。「今度会えませんか?もう会えませんよね・・・」と、何度も何度もくどすぎて後半からはちょっと笑ってしまいますね。

女の友情


続いては「女の友情」です。カバーですね。オリジナルはこのアルバムで聴くまで全く知りませんでしたが、少なくとも乙女の儚夢 というアルバムにはこれ以上ないほどぴったりです。もしかしたらその曲の世界観を元に、二曲目の春の調べとか薔薇瑠璃学園とかの曲が作られているのかもしれません。

 大道芸人


次の「大道芸人」は、個人的に大好きな曲の一つです。

イントロの見世物小屋の口上がまず最高です。陰鬱でありながら、見世物小屋ならではの無茶苦茶加減が素晴らしいです。今では作品に使うことができないような言葉がたくさん出てくるのも楽しいです。

曲も乙女の儚夢 の中ではかなりポップな部類に入るのではないでしょうか?雨傘とか面倒な曲を長々と聞かされての大道芸人なので、耳にも優しいですね。

とは言え、冷静に歌詞を聴いてみるとこれもまた無茶苦茶な内容ではあります。
あと、この曲に関しては演奏も勢いがあっていいです。はちみつぱいでしょうか。荒っぽいリズム感が見世物小屋の感じととてもマッチしていて素敵です。

曲馬団小屋 (挿入曲・美しき天然)

「曲馬団小屋 (挿入曲・美しき天然)」は、こちらもまた口上です。喋ってるのはろくな奴ではないなというのがありありと伝わってきます。陰鬱さでは大道芸人のイントロの方が上ですが、人としてのクズっぽさはこっちの方が断然上です。

電気ブラン

これに「電気ブラン」が続きます。酒が飲めたら電気ブランを飲んで見たいのですが、何せ下戸ですので未だにトライしたことがありません。

いい曲なんですが、アルバムの中では少し浮いているかなあという印象です。

勢いはすごいし、あがた森魚のボーカルの芝居っぷりもすごくいいんですが。

秋の調べ

「秋の調べ」は、春の調べのアンサーソングみたいな位置付けになるのでしょうか?

怪我をした少女が母親に当てて書いている手紙の朗読のような内容になっています。やけにグロテスクな内容であり、ちょっとギャグでは済まないようなタダならない雰囲気を漂わせています。

好きか嫌いかで言えば大好きで、ギャグでは済まないと言いながらも改めて聴いているとやっぱり笑ってしまうグロさがありますね。

続いてやってまいりました、「赤色エレジー」です。漫画の赤色エレジーも読みましたし、この曲自体も何度も聞きましたが、正直に言うとそこまでの魅力は分からないでおります。

6分を切る長さですから、雨傘よりも1分短くて聞きやすいはずなのに、どうも聴いていると次の曲にスキップしてしまいそうになります。

この曲が売れたのは、その時の社会の雰囲気とかそういう理由が大きいのかなあと思ってしまいます。演歌好きの層にも新しい音楽好きにも受けたという分析を読みましたが、そうなんでしょうか?ブームの後半はきっと流行りモノ好きが流れを後押ししたんだろうと思いますが、ブームのきっかけがなんだったのか、ちょっと想像できないでいます。

君はハートのクイーンだよ


「君はハートのクイーンだよ」は、このアルバムでもっともポップな曲でしょう。

日本少年2000系の「びわの実パレード」とか「あこがれそして港」とか、あの辺のあがた森魚なりの青春作品の原型のような感じです。この歌詞に旅とか船とか海とかいった要素を足していけば、2000系の感じに近づいていくような気がします。いい曲です。

冬のサナトリウム


「冬のサナトリウム」は、雨傘とはまた毛色が違いますが、陰鬱系統のやりすぎタイプの曲ですね。とはいえ、雨傘よりはギャグ要素がずっと弱いです。何度も同じことをいうしつこさやネチッこさがないことが、そのように感じさせる理由かもしれません。

あがた森魚の歌声は芝居入りまくってますし、曲調も単調ですが、短くスパッと言いたいことを言っているからか、雨傘などよりはずっとメッセージが強いです。

刷り込み効果は恐ろしいものなので、あまり気安く自殺をモチーフとして使うことには反対の立場なのですが、この曲に関しては完成度の高さや若者特有の繊細さや経験が少ないゆえの過ちを描くためには仕方がない面もあるかと思わされます。名曲ですね。

清怨夜曲


トリを飾るのは「清怨夜曲」です。タイトルがもうちょっと笑わせにかかってますが、まあいい曲ですね。
心なしか、少しだけ次のアルバムの噫無情に通ずる雰囲気を持った曲ですね。タンゴのような曲調が、噫無情の最後のダンスステップあたりを思わせるからかもしれません。

曲の終盤になると、急にクライマックス感を出してきて、かっこいいバンドサウンドになってきます。あがた森魚の喉を絞った悲しみボイスとあいまって、訳のわからない盛り上がりを見せて、盛り上がったまま乙女の儚夢 は終わります。アルバムの終わりとしては、どの辺が乙女で儚夢 なんだろうかという印象を持たざるを得ませんが、曲単品としてみれば凄まじいエネルギーも持ってきて、名曲であると思います。

 

久しぶりに全曲通して聞きましたが、やっぱり疲れるアルバムですね。真剣に向き合おうとすると、まだ若者だったあがた森魚の繊細さと図太さとかが入り混じった凄みがやって来てしまうので、結構しんどいです。私が雨傘とか秋の調べとか冬のサナトリウムとか、重たい空気の曲を聴くと笑ってしまうのは笑うことであがた森魚がこっちに送りつけてくる情念をそらして直接浴びてしまわないようにするための自衛行動なのではないかと思いました。

それと同じ理由で、大道芸人や君はハートのクイーンだよなどの、ポップな曲たちにより強く惹かれるのかもしれません。

あがた森魚 名曲16選!

あがた森魚 名曲16選

ベルウッドの名盤たちが、何度目かのリバイバルで売り出されるそうですね。それで懐かしくなって久しぶりにあがた森魚をiTunesで引っ張り出してきて聞いたみたらその名曲の多いこと!

ということで、ペパロー的名曲選です。

冬のサナトリウム / 乙女の儚夢

初期あがた森魚の名曲ですね。ストレートに悲しみに溢れる歌詞で、何度も聞いているとちょっとやりすぎですし、場合によっては面白く感じられてしまうほどですが、そこもまた魅力の一つです。

芝居掛かったあがた森魚のボーカルも素晴らしい一曲です。このころのあがた森魚は歌い手としてもあまりクセがなくて、聞きやすいのも特徴です。


最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄) / 噫無情(レ・ミゼラブル)

「噫無情(レ・ミゼラブル)」は、特にアルバムでまとめて聞くと魅力が増す作品の一つですが、その中でもこの「最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)」は一曲だけを切り出して聞いても、魅力が削がれない曲の一つですね。

曲名のとおり、ダンスの様子を表すようにあがた森魚の歌声と相手の女性の歌声とが、左右のチャンネルから交互に聞こえてくる演出が面白いです。

この曲もまた、歌詞がいいですね。「あなたなんだかおセンチね」とか、きっとこのアルバムの発売当時でも歌われなかったような珍しい歌詞のはずですが、曲調とピッタリマッチしています。

キネマ館に雨が降る / 噫無情(レ・ミゼラブル)

同じく「噫無情(レ・ミゼラブル)」の名曲です。噫無情というアルバムは、映画からラジオ、そしてテレビへという昭和のエンターテインメントのプラットフォームを時代とともに辿っていく構成を辿りますが、中でも序盤の「映画」の時代を象徴する一曲です。その意味では、実はこの一曲を聴けば、アルバム全体の流れのきっかけを聞く事になるので、アルバムの流れを感じる事ができるという便利な一曲でもあります。

映画館でフィルムが回転するようなSEで始まるこの曲は、そのような意味でもアルバムを代表する曲ですし、何度聞いても飽きさせない名曲だと思います。

薄荷糖の夏 / 日本少年

こちらは「日本少年」の曲です。いかにも少年の夏の夢、という感じの曲調と歌詞と歌声でいいですねー。「少年」「夏」「海」「旅」「世界中」といった、あがた森魚的世界に加えて和風にアレンジしたジュール・ヴェルヌの世界をそのまま曲にしたような作品です。

つめたく冷やして / 日本少年

同じく「日本少年」の名曲です。夏らしい曲調でありながら、こちらは旅というよりも夏の思い出といった要素をより際立たせたような作品です。「僕はスイカ、父さんビール」など、多くの人の少年時代に通ずる歌詞ですね。(私の父親はめちゃめちゃ下戸でしたけど)

ノオチラス艦長ネモ / 日本少年 & 採光無限 / 日本少年

この2曲だけは、セットで聞きたいです。曲名からして「ノオチラス艦長ネモ」ですから、海底二万マイルの世界をそのまま描き出したような、ネモの悲しみと怒りがそのまま音楽になったような、大好きな一曲です。ベースが海底に停泊している潜水艦ノーチラス号の様子を表しているようですし、その意味ではYes”The Fish”に通ずる部分もあるように感じます。ノオチラス艦長ネモを聞いたら、この時だけは続けて「採光無限」まで合わせて聞きたいところです。アルバムで聴いてもこの二曲は続けて収録されていますので、作り手の意図としてもまとめて一曲な感じなのではないかと思います。

あがた森魚好きにもヴェルヌ好きにも強烈に愛される2曲です。


ルージュのワルツ~SMILE  / 永遠の遠国

こちらは「永遠の遠国」の名曲です。これまでは歌モノがメインでしたが、この曲はインストといっていいか微妙ですが、歌モノではありません。私はあがた森魚の事を、音で綴る映像作家だと思っていますが、この曲はサウンドコラージュという手法をふんだんに用いている事もあって、音で作られた映像という趣が特に強い作品だと思います。

曲の間に取り入れられている電車の音や映画の宣伝もいいですし、冒頭の映画の一節も素晴らしいし、終盤に取り入れられている稲垣足穂が亡くなった時のニュースの音声などもとてもいい味を出しています。

個人的には1曲だけどうしても選べと言われれば、この曲を選びます。それくらいこの曲は名作だと思います。

私のキリギリス / 永遠の遠国

相当曲調が異なりますが、「私のキリギリス」もお気に入りです。「まったく、マッターホルンなんだから」など、名ゼリフだらけの曲ですね。あがた森魚好きにしか好かれない曲だと思いますが、それでも軽めの面白い曲としてお勧めしたい作品の一つです。

パタゴニア・パンタンゴ1999 / 日本少年2000

ちょっと時代が下がって、「日本少年2000系」から「パタゴニア・パンタンゴ1999」です。

「旅」とか「夏」とか「少年」とか、「日本少年」の「2000系」としての象徴のような曲です。冒頭からテンションの高い高音のボーカルが響き渡って気持ちがいいです。そのイントロパートが終われば穏やかな船の旅のような流れに変わり、この曲もまた一曲聞くだけで数分間の旅の気分を感じられるような素晴らしい作品です。

港のロキシー / 日本少年2000

アルバムでは「パタゴニア・パンタンゴ1999」の続きに収められていて、こちらも二曲つなげて聞くともっと気持ちがいいのですが、ノオチラス艦長ネモと違って単品で聞いても素敵な曲です。また若干テーマもパタゴニアと異なりますので、必ずしもつなげて聞かなくてもいいのではないかと思います。

日本少年2000系、1枚目の序盤のピークに当たるような曲ですね。

びわの実パレード / 日本少年2000

1枚目の後半のピークはこちらでしょうか。甘酸っぱいトーンの曲を作らせるとあがた森魚は実はピカイチですが、この曲はその良さがバッチリ出ている作品です。転調した後の女性ボーカルとの歌声の重なり方とか、素晴らしいです。

あこがれそして港 / 日本少年2000

日本少年2000系でも、「びわの実パレード」の甘酸っぱさは続きます。「あこがれそして港」はその象徴のような曲です。バックでかかっているウワンウワンという音が若干うるさいところではありますが、曲調は青春カラーそのもの、「キスの事も知らずにまだ街は十六のままだった」とか、まあこれだけ甘酸っぱい感じの歌詞が次々と書けるものだと感心してしまいます。

たそがれる海の城 / 日本少年2000

2枚目の中で好きな曲がこれ、「たそがれる海の城」です。

この曲は、サニーデイサービスの曽我部恵一との協奏ですね。あがた森魚は曲のメロディーはいいのに、率直に言ってあがた森魚本人のボーカルは味がありすぎてファンでもくどいなあと感じてしまう事がありますが、そこは曽我部恵一が入っていることでますます曲の魅力が伝わりやすくなっていますから、さすがだなーと感じる次第です。

キットキット‼︎遠く遠く‼︎ / 24時間の惑星

「キットキット!!遠く遠く!!」はトヨタのCMでも使われていた曲ですから、他のものに比べるとご存知の方が多いかもしれません。ドラえもんがドコデモドアからこちらを覗いているCMでした。

メロディーメーカーとしてのあがた森魚のセンスがギラギラと光り輝く名曲です。爽やかでありながらくどいようでもあり、若干キラキラし過ぎていてグロテスクでもあるような、なんとも言えない雰囲気の曲です。

岩の上で恋をして / ピロスマニア海へ行く

「岩の上で恋をして」は日本少年2000系に入っていても不思議ではない雰囲気の曲ですね。びわの実パレードとか、あこがれそして港とか、その辺りの甘酸っぱい系の曲として、こちらも素晴らしいと思います。アルバムそのものは個人的にはそんなに好みではないのですが、この曲ばかりをリピートして聞いてしまいます。

佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど / 佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど

名盤「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」からタイトル曲ですね。タイトルもパンチが効いていますし、歌詞もなかなかのものです。「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど、佐藤敬子先生の冒険物語なのです」というわけがわからない割にとても素敵な歌詞で始まるこの曲ですが、その後も「あの夏細野さんにわがまま言って、海底二万マイルのネモ船長を教えてくれた敬子先生に音楽劇を作った、1975年夏のことだった」とか、いい感じにクレイジーな歌詞が続きます。

ライブで聞いてもとてもいいそうですが、(私は残念ながら聞いた事がないのです)CDで聞いても十分その魅力が伝わる名曲です。


いかがでしょうか?

実はアルバム単位でいうと「永遠の遠国」と「噫無情(レ・ミゼラブル)」が好きなのですが、一曲ごとに見ていくと「日本少年」や「日本少年2000系」に偏って私自身が好きであるということがわかりました。

まとめて聞くと、あがた森魚のアルバムがいいことはわかっているのですが、それでも時間が足りない時もありますよね。そんな時は、個別に聞いて、その一曲ごとにあがた森魚と旅に出かけるのもなかなか良いものだなーと思いました。

カタンは幼稚園児でも遊べます!3種類のハンデをご紹介!

カタンの開拓者たち

小さな子どもとカタンで遊ぶとき、子どもに勝たせるために調整しながらプレイするのって難しいですよね?

子どもは勝ち負けに対して、大人とは比べ物にならないほどこだわります。ですから、時々は勝たせてやらないと彼らも楽しんで遊ぶことができません。かと言って大人がいつも手加減しながら遊ぶのも疲れます。

我が家でもほぼ毎晩のように5歳児と一緒にカタンで遊んでいますが、手加減したり接待カタンをしたりするのは疲れるので、ちょうど良いハンデを探すことにしました。

大人の腕前、子どもの腕前、子どもの性格などによってぴったりなハンデは違っているかもしれませんが、我が家ではどれも結構使えた例ですので、3種類ほどご紹介します。

その1:開始時に作る二つの開拓地のうちの一つを都市にできる権

子どもたちにとっては、資源のやりくりというのはかなり難しい技です。はじめのうちは、やたら発展カードを取ることにこだわってしまって常に特定の資源が手元にないとか、単純に特定の資源が出にくいことにイライラしてしまったりするなど、入手した資源を残して置いたり交易して欲しい資源に交換するといったやりくりが、なかなか上手くできません。

そこで、はじめに作る開拓地のうちの一つを、都市にする権利をハンデとして与えたところ、これがかなり上手くいきました。

とにかく序盤からたくさん資源が手に入りますので、子どもがちょっとくらい上手くない手を使っても、次のターンにはリカバリーできますし、どんどん枚数が増えていくので、盗賊対策としてできるだけ手元に置いておかないようにするために適切な交易方法を覚えたりするのにかなり役立ちました。

はじめのうちは開拓地を両方都市でスタートできる権でやってみたこともあったのですが、これはさすがに強すぎて大人も歯が立ちませんでした。子どもの年齢や大人の腕前にもよるかもしれませんが、初期から3ポイント持って子どもはスタートすることになりますので、大人が超上級者でなければ若干子どもが勝ちやすいバランスで、大人も必死でプレイ可能なちょうど良いハンデの一つだと思います。

その2:スタート時に開拓地を選ぶ際、最初に一気に二つ連続して置ける権

今我が家で一番に多く適用されているハンデがこれです。

サイコロで開拓地を選ぶ順序を決める際、子どもはその流れには参加せず、必ずはじめに二連続で開拓地を置くことができます。
子どもが二人いる場合は使えませんが、子ども一人を混ぜて遊ぶ場合はなかなかよいハンデになります。

このハンデの良いところは、開拓地2つなので手持ちポイントに大人との差がなくなって、より試合が白熱する点です。子どもも大人扱いされている感じとか、嬉しいのでしょうか。このルールを気に入って遊んでくれています。

はじめに紹介したハンデと比べて、若干ですが子どもの有利さが落ちます。ですから、子どもも真剣に頑張らないとなかなか勝てません。

ですが、勝つこともあれば負けることもあるという逃げられないこの世の定めを学ぶためにも、この程度のハンデがちょうど良い場面もあると言い聞かせて、というが自分もたまには勝ちたいからなのですが、このハンデが我が家では今の所流行っています。

その3:盗賊がきた時に奪われる資源を子どもが選択できる権

子どもは盗賊が自分のところにやってきて資源を奪われることを嫌います。それがようやく開拓地を新たに作ろうと思っていたところで、いた一つしかない木を奪われたりすると立ち直れないくらい落ち込んでしまったりするものです。というか、うちの子供は泣きます笑

そこで、盗賊が子どもの土地にやってきた時に、どの資源を盗賊に渡すかを決められる権利をハンデとして与えてみました。

これのよいところは、子どもが自分で選べるので比較的子ども自身の中で資源を奪われることに整理をつけやすいのことと、同時にそれによって大人にとっても子どもから資源を奪う選択をしやすくなることがあります。どうしても大人同士で資源の奪い合いになりがちですが、子どもが勝利に近づいている時などは大人だってそれを阻止したくなるものです。そのようなときに、このハンデを使うと結構いいバランスでプレイできるようになりました。

適度なハンデで子どもとも真剣プレイ!

子どもと一緒にカタンを楽しむためには、大人だってある程度の真剣さでプレイしたいものです。子どもにとってもきっとその方が楽しい!・・・はず。

勝ったり負けたりしながら、カタンで子どもと楽しい時間を過ごしましょう。

 

 

純正iPhoneケース 保護力重視ならレザー?シリコン?

こんにちは、ペパローです。

iPhoneを買った時に悩むのがどのケースを使うか、ですよね?昔はケース無しが正しい使い方だと主張する人も多かったものですが、iPhone6ぐらいからケースを使う人の方が圧倒的に多くなった印象です。

私も以前はiPhoneはケースを付けずに使う派でしたが、iPhone6の繊細さに負けてケースを使うようになりました。

初めて買ったiPhoneケースはiPhone6用のApple純正のレザーケースでした。質感は良かったものの、値段が結構します。それに数年使ってくると革がぶつぶつになってきて気持ち悪くなってしまうのが気になっていました。

昨年、SoftbankからIIJ mioに乗り換えるのに合わせてiPhone7に変えたのですが、そのタイミングでケースをレザーからシリコンに変更することにしました。格安SIMに変更のだから、ここで高いケースを使うのはおかしいというポリシーに不意に侵されて、シリコンケースに乗り換えることになったのを覚えています。

レザーと比べると、シリコンケースの方がやっぱり弱い

シリコンケースは安いです。価格が安い割りにものが良いとかいう声もありますが、使ってみた実感としてはレザーケースと比べるとシリコンケースはかなり弱々しい印象です。レザーケースを使っていた時と同じ使い方をして、レザーケースはぶつぶつになったり角が多少はげてしまったりはしましたが、数ヶ月でボロボロになることはありませんでした。ところがシリコンケースは使い始めて1ヶ月でシリコンが削れ始め、4ヶ月経過した今では写真の通り角が部分的になくなってしまっています。

Apple純正シリコンケース

角の部分が激しく壊れました

私の使い方

それほどハードな使い方をしているわけではないと思います。

持ち運ぶ際は、いつもズボンの前ポケットです。iPhoneの上側が足元を向くような向きでポケットに入れています。仕事中はデスクの上に出していますが、持ち運ぶときはいつもポケットで、しかもそれなりの回数(1020回程度)を毎日出し入れします。水に濡らすことはそれほどなく、時折小雨が降る中で音楽をかけたりするために出すことはありますが、それほどハードな使い方ではありません。

あとは、車に乗るときに、iPhoneの上下を挟み込むタイプのホルダーで固定していますが、土日しか車に乗らないので、それほど頻繁というわけではありません。

ですが、実は2回ほどアスファルトの上に激しく落としてしまったことはあります。昔話のおむすびのようにコロコロと転がっていきましたので、その際は結構な衝撃だったかもしれません。

壊れたシリコンケース

普通の使い方だと思いますが、それでもシリコンケースは痛みが激しいです。

最もダメなのは、iPhoneを保護するという一番大きな目的を果たせなくなってしまうという点です。写真を見ていただければ分かりますが、本体下側のスピーカーやケーブル端子がある側の角の部分が、内側の芯が欠けてしまっているのがわかるかと思います。

ソフトケースの場合は違いますが、しっかりした強さのあるハードタイプのケースの場合は、中に芯のようなケースが入っていることが多いです。その芯の外側にシリコンやレザーが貼ってある状態になっています。ですから外側のシリコンやレザーが剥がれたとしても、芯部分がしっかりしていれば、iPhone本体の保護そのものは可能だということになります。

ですが、私のケースのように芯部分が削れてしまうと、ここは守られないということになってしまいます。

レザーケースの場合、やはり素材そのものが丈夫ですから、少なくとも普通に使っている範囲ではレザーそのものがはがれたりとか、削れたりとかすることはあまり起きません。とはいえ、2年とか3年とか、ある一定の時間が経過すると劣化して中の芯の部分が見えてきます。しかし普通にポケットから出し入れしたりとか、あるいはバッグに入れて持ち歩いたりとか、そういった仕様の範囲内であれば、外側のレザー部分が見た目に分かるほど傷つくことはありませんでした。(味としてみることができる小さな傷はもちろんできますが、これはレザーの特性として受け入れられます。)

見栄えもあまり良くないシリコンケース

保護性能以外にもシリコンケースは問題があります。

先ほど書いたように、芯となるハードケースの周りにシリコンが貼り付けられているような状態になっている分けですが、シリコンが薄すぎるからかかなり頻繁にペリペリと剥がれてくるのです。

特に頻繁に他の部分と接触する角の部分の剥がれが目立ちます。

ただ、どうやら外側のシリコンと中の芯の部分の色は合わせてあるようなので、シリコンが剥がれてしまった部分がパンダのような見た目になることはないのでその点は安心です。それでも美しい状態ではありませんが。

丈夫なのが良いなら、レザーケースをおすすめ

保護性能は、シリコンケースもそれなりにありますが、保護する過程でケース本体が壊れてしまって、その保護性能もかなり下がってしまうように思います。もしも丈夫さや保護性能が一番重要なら、レザーケースをお勧めします。

「下戸な奴こそウイスキーを頼め」と、超下戸な父は言った

下戸の皆さんこんにちは、ペパローです。

飲めない人が飲まないと許してもらえない系の飲み会に参加すると、つらいですよねー。飲めないって言ってるのに「あれ、飲まないのぉ?」とか言ってくる、いわゆるアルハラはまだ絶滅せずにしぶとく残ってます。

飲み会は遠慮なくバシバシと断る私なので、最近でこそ飲み会にも誘われなくなって平和な日々を過ごしていますが、かつては飲まなければ話にならない飲み会に出るときにはつらい思いをしていました。

私よりもずっと下戸な父親の知恵

ところで私の父も下戸です。アルコールを消化できるかどうかは遺伝によるところが大きいのでしょうが、彼は私よりもずっと酒には弱くて、どのくらい弱いかと言うと奈良漬を一切れ食べただけで倒れてしまうくらいに弱いです。

そんな父が若い頃は、今とは比べものにならはないほど仕事での飲み会は大事だったそうです。飲みニケーション全盛で、昼は仕事、夜は酒と頑張って初めて男という感じだったのでしょう。

ところが彼は奈良漬が食べられないほどに酒が飲めない。あーあ、「酒が飲めたらなあ」と他の人に聞こえるほどの声で独り言を発したのを何度も聞きました。

でも、父は飲めないながらも頻繁に飲み会に参加し、そこで楽しく過ごして会社でもきちんと認められる存在になっていたようです。下戸は遺伝しなくてよかったんですが、その社交性は欲しかったというぼやきもありつつも、私は彼にどうやってうまくやり過ごしているのか聞いたことがあります。
すると父は、こう答えました。

「例えばビールを頼んだとする。すると、ビールはどんどんグラスを開けるのが当たり前の飲み物だし、若手もベテランもビールの状況を確認するのが習慣になっているから、飲んでなければすぐバレる。それになんとか頑張って一杯開けたとしたら、すぐに注ぎにくるやつが出てくる。弱いから結構ですと伝えても、まあまあもう一杯と勧めてくるやつは必ずいる。だからといってウーロン茶では許してもらえないことも頻繁にある。」

さらに彼は続けます。

「若いうちは飲まない代わりに食べまくるという手もあったが、体にもよくないし歳を重ねるとそんなに食べられなくなってくる。結局何かアルコールを頼まなければならない。だから俺はしばらく前からウイスキーを頼むことにしている。なぜならもう一杯どうですかと勧められないし、グラスが空いてなくてもみんな気にしないからだ。だからブランデーでもなんでもいいが、変に話が膨らんでも面倒だ。オーソドックスなもののほうがいい。そこでウイスキーだ。頼んだウイスキーを、口をつけるふりをして握っておくんだよ。ついでにチェイサーも頼んどけばさらにいい。

ウイスキーが空いてないのに、勧めてくるやつはそういない。勧めてくるならそんなやつはあんまり賢くないから放っておいても支障はない」

なるほどー、と私は唸ったのを覚えています。飲めないから弱い酒を頼もうとするのではなく、ゆっくり飲むタイプの酒を注文しておいてしかもそれを飲まない。なかなか策士だなと我が父ながら思ったものです。

最近では無理やり酒を飲まされることが少なくはなってきましたが、それでも飲まなけれならない雰囲気になることはあると思います。そんな時は、ウイスキーを頼んでそれを飲まずに持っておくという手もあると知っておくと、すこし安心かもしれませんね。

 

あえて「気が利かない断り方」で飲み会に誘われない人になる!

飲み会に誘われるのは嫌いですか?

では、どんどん飲み会を断りましょう。

気乗りのしない飲み会に行っても、役立つコミュニケーションはできません。嫌ならきっぱり飲み会に行くのをやめて、自分のために使える時間を増やしたほうが人生が楽になります!

すたすた帰る様子

誘われたくないなら、むしろ「気の利いてない断り方」を選ぶ

「飲み会に誘われてるけど、どうやって断ろう・・・」と悩んだ結果、とても気の利いた素敵な断り方を見つけてしまっていませんか?その一回はいいですが、感じのいい断り方をしていると、あの人は飲み会のことが嫌いなわけではないとあらぬ勘違いをされてしまって、そのあとも飲み会に誘われてしまいます。

飲み会に誘われたくないのなら、むしろ感じのいい気の利いた断り方をやめましょう。

気の利いてない断り方を続けることで、飲み会に誘われにくくなるようになってきます。

おすすめの断り方1:毎回同じ理由で断る

一つ目のおすすめの断り方は、「毎回同じ断り方をする」です。

理由はできるだけ単純なものがいいですね。例えば「ちょっと家族の調子が悪くて、今日早く帰らなければならないんです」とか。そんな理由で大丈夫なのと思うかもしれませんが大丈夫です。これぐらいシンプルな理由のほうがパワーがあります。

同じ理由が23回と続くにつれて、「前もそんな理由じゃなかったっけ?」と覚えてもらえて、飲み会に来る気がないという真の心を感じ取ってもらえます。でありながら、ここでシンプルな理由を使うことが効いてきます。何回も続くなら嘘っぽく感じますが、でも単純な理由なのでありえそうな気もしてくるのです。

そうなると、本当か嘘かはわからないけど毎回あの人は同じ理由で断ってくるからもう誘うのはやめよう・・・という気持ちに相手もなってきます。本当かもしれない感じを演出しつつ誘われなくなるためには、「単純な理由」を「繰り返し使う」ことが大事です。

おすすめの断り方2:理由を言わずに断る

続いてのおすすめの断り方は「理由を言わずに断る」です。これはかなり効果的です。続けて理由を言わずに断っていれば、どんな方でもこの人は飲みに行きたくないんだなと伝わります。

具体的にはどのように断るかというと、「あ、すみません、今日はちょっと・・・」と言えばいいです。ちょっとどうしたの?と聞かれたら、重ねて「ええ、本当今日はダメなんですよね・・・。すみません!」と続けます。これだけです!今日はダメであるというピンポイントなメッセージだけを伝えることで、もう誘っても意味ないなと思われたら勝利です。

注意すべきなのは「今日はちょっとダメなんですが、また次の機会にぜひっ!」とか適当かつ意味のない気遣いをしないことです。次の機会に行く気がないのでこれでは嘘になってしまいますし、そもそも次の機会に行くかもしれないのなら今回行ってしまった方がむしろ楽です。

誘われない人になるためには、中途半端な気遣いは不要であり、それよりも覚悟が必要である、というのがとても大切なポイントなのです!

おすめの断り方3:夜は飲みに行かないことをダイレクトに伝えて断る

案外これもおすすめです。「夜は飲みにいかない人である」ということを、直接的に伝えてしまう方法です。

例えば誘われた時、「すみません。私は夜は飲みに行かないことにしているんです。」と言います。超ダイレクトですが、にっこり笑っていえば、案外これで通せるものです。

なぜなら、こんなことをいう人は普通はいないからです。初めて聞いた理由を前に、誘った側も驚いて思わず受け入れてしまうのです。また、普通であれば言わないであろう「飲みに行かない人」であるという宣言をすることで、ちょっと普通じゃない人で少し違う世界や価値観の中で生きている人であるというイメージを作り上げることもできます。そうすると、明確に飲みに誘われにくくなってくるはずです。

ランチや会議の中でコミュニケーション

飲み会を断ることには大賛成ですが、私はコミュニケーションそのものについては否定しません。むしろ仕事を円滑に進めたり、関係を良好に保ったりするために、必要なコミュニケーションは積極的にとるべきだと思います。

ですから、飲み会を断っても、ランチの時間を使って定期的にコミュニケーションをとったり、もしくは会議を明るく楽しくしかも効果的・効率的に進めていくことで仕事そのものが良質なコミュニケーションの場になるように心がけることをおすすめします。

そうやって可能な限りフォローをしながらも、行きたくない飲み会は全て根こそぎ断りまくって、自分の時間を取り戻しましょう!

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覚悟を決めて飲み会を断るようにしたら、時間が手に入るようになった話

リビングにはソファは古い?ソファを捨てたら暮らしが変わる

こんにちは、ペパローです。

広い家に住んでいればこんな悩みはないかもしれませんが、私のように狭い家に住んでいる場合には扱いに困る家具があります。
そうです、ソファです。

リビングに十分な広さがあれば迷わずソファを置きますが、うちのは10畳ちょっと。ソファをおくとギュウギュウです。住んでいる私ではなく、ソファが家主のような感じになってしまいます。

ソファが邪魔

ソファがまるで家主のようです。

「リビングにはソファ」という観念を捨てました

私は狭い家で暮らしています。今どきはあえて狭い家に暮らす人も増えているとかいないとか。

狭い家で暮らすのであれば、いろいろと思い切って切り捨てることが大切です。家具に大きな顔をさせるための余裕などうちにはないのです!ソファのために、私が小さくなって暮らさなければならないなんておかしいと、反旗をひるがえすと心を決めました。

そのためにまず「リビングにはソファを置くものだ」という固定観念を捨てました。あんなでかい顔したやつがいるからいけないんだ。とりあえずソファをうちから追い出しました。

続いて、ソファなしでもくつろげる環境をどのようにすればよいか、を考えなければなりません。
ソファは体も態度もでかいですが、根はいいやつです。ソファがいてくれれば、映画をのんびり見たり、音楽をしっとりと聴いたり、いろいろできます。あーあ、あいつもいてくれたらなあと思っても、もう追い出した後ですからどうしようもありません。

ソファなしでどうくつろぐのか

ソファを置かないとすれば、どのようにしてくつろぐのでしょうか。

結論から言うと、私の家ではリビングは半分床座を取り入れています。

ダイニングテーブルは小さなものを置きます。うちは3人家族なので、4人で座るとちょっと小さいなという程度の大きさのダイニングテーブルを選びました。これでダイニングに使用するエリアが小さくなります。小さいダイニングセットは、態度も控えめで機能的で本当にいいやつです。

このテーブルを、リビングのできるだけ端の方におきます。うちの場合はキッチン側に寄せておくと便利なのでそうしています。

通路は必要ですから、ギリギリ必要なだけの通路が確保できるようにして、可能な限り端の方にテーブルを置きます。

そうすると、リビングのテーブルがない側にオープンスペースができるはずです。ここを「床でゴロンと寝転がって安らぐスペース」にするのです。つまり、床座です。
ダイニングエリアは椅子座として使用し、リビングエリアは床座で使用することにします。しかも床座とするリビングエリアには、小さなテーブル等を置きません。ただのオープンスペースにします。小さなコーヒーテーブルみたいなのがあると小洒落て見えますが、スペースはとります。スペースをとるやつは、どんなにいいやつでもウチには置いておけません。

そうすることによって、大人もゴロンと横になれますし、子供はそこでおもちゃを出して遊ぶことができます。やったね。

広い家でソファなし、とかやってみるのも楽しそうですね。広々しててゴロゴロしまくるのも気持ちよさそうです。

快適な暮らしのために、固定観念を捨てていきましょう。