コミュニケーション

リニューアル後の安倍礼司、雰囲気が27時間テレビっぽいイシュー

リニューアル後の安倍礼司。いろんな反応を受けながらも、新しいフォーマットで放送が続いています。

だんだん慣れてきたという声もあれば、反対にやっぱり馴染めなかったという声もあります。制作陣の狙い通りかどうかは私には分かりません。(ちなみに私はまだ馴染めません)

さて、ふと新しい安倍礼司を昼ご飯を食べながらラジコで聞いていたところ、ふと雰囲気がフジテレビの以前の27時間テレビに似ているぞ、ということに気づきました。

なんなのこの変なコーナー?っていうパートで始まる

かつての27時間テレビは、なんでこんなコーナー見なきゃいけないの?というパートで始まります。

例えば、各地方局の社員がカラオケで高得点を競うゲームをするので各局の参加者を順に紹介していったりとか。このコーナーどうして見なきゃいけないの?はやくお笑いの人たちだしてよ、とブツブツ言いつつも見るあれです。

それと同じ空気を、神保町で生きる人たちの物語を聞いていて感じたのでした。

作ってる本人は面白いでしょ?なんかいい感じでしょ?と思ってるらしいけど、受け取り側は「さっさと本編に入って!」と思っている。ここに共通点を感じたのでした。

最初のコーナーのせいで中身が薄く感じる

最初のコーナーがあるせいで、私には中身を薄く感じられます。なぜなら、安倍礼司メンバー待ちになってしまうからです。

といいつつ、実は最初の神保町街角スケッチ(いま適当に名付けました)は、だんだん面白くなってきてます。

例えば2018年7月15日分などは、とても安倍礼司っぽくて面白い内容でした。具体的には、ワールドカップの時期だからなんでもサッカーに例える先輩社員と、サッカーについて知らないからそれを理解しない後輩社員のやりとり、という感じです。

なつかしの安倍礼司な感じ、とでもいいましょうか。楽しめる内容でした。仮に先輩社員を安倍礼司が演じて、後輩社員をアンジュがやったりすると、ものすごく安倍礼司だったと思います。

ところが実際の演者は神保町の人々です。

私、神保町のファンだったわけじゃないんですよね。安倍礼司の世界のファンだったんです。だから、神保町の人が喋ってても盛り上がらないのです。

なので、神保町街角スケッチコーナーは、いくらそれが面白くても安倍礼司メンバー待ちになってしまうことは避けられないのです。

最初のコーナー、話は面白くなっていているので、個人的には安倍礼司の演者が別の人の役柄でやってくれてもいいと思います。それくらいの変更で、楽しめるかもなあという気がしてきています。

岩国でお土産を買うなら、この3つは外せない。

山口県岩国市。本州の西の端っこ山口県の、東の端っこに位置する岩国市。ときに広島県岩国市と揶揄されることもある岩国市。

何があるかといえば橋がある。橋しかないのではなくて、素敵な橋がある。そういう街です。

江戸時代から観光の名所だったのは宮島ですが、江戸の一部の人たちは「俺は足を伸ばして岩国まで行ってきたよ」と通ぶるのがかっこよかったとかどうだったとか。

そんな岩国市に行ったなら、ぜひ買っていただきたいお土産があります。

岩まん

岩まん。まんじゅうです。

ネーミングセンスが只者ではありません。インパクトがすごい。

実は私も一度しか食べたことがない、レアなお菓子です。

パイのような生地にあんこがたっぷり詰まったあげまん的なものです。結構脂っこかった印象です。そしてなにより美味しい。

ただし、相当レアで、なかなか買えないのだそうです。

それでもぜひ試してほしい。おいしいから。一度しか食べたことないけど。

ふるたのういろう

岩国市に行ったなら、きっと錦帯橋のそばまで行っているはず。そこで買うべきは、ふるたのういろうです。

錦帯橋の城側ではないほう、バス停の隣に小さな店舗を構えているのが古田秋栄堂です。小さな和菓子屋さん。

ここに売られているのが、ふるたのういろうです。

ういろうといえば、一般的には名古屋が有名ですが、実は山口県のういろうもおいしい。

同じういろうといっても、名古屋のものとはかなり違います。

山口のういろうは、とてもプルプルしていて、プルプルというよりはプリンプリンしているというか、とにかくプリプリです。

ふるたのういろうは美味しいのですが、包装はあんまりよくない。たしか6本が1パックになっていて、1本ずつ小包装されていないのです。だから一本食べたら頑張って6本処理しなければなりません。

その問題さえなければ最強のお土産ですが、それでも食べていただきたいのがこちらです。

はす餅

岩国はレンコンで有名です。とにかくレンコンがあるので、なんとかしてレンコンを使った名物を作りたい。

きっとそんな思いから作られたであろうお菓子がこれ、はす餅です。

はすが持ちの部分に練りこまれているあんこ入りの餅です。

はすの主張が強いかといえば、強くない。なので、はす餅はほぼただのあんこ餅です。

でも、おいしい。そして小さくてかわいい。あと小包装。(ふるたのういろう、ごめんなさい)

とりあえず困ったらはす餅というのはスマートな選択肢です。

番外編:岩国れんこんそうめん

食べたことはないが気になっているもの、という点でナンバーワンはこれ、岩国れんこんそうめん。

はす餅同様、とにかくレンコンがとれるので、これをなんとか使いたいのが岩国市民の共通の思いなのかもしれません。

昔から名前だけはきく岩国れんこんそうめんですが、実際に食べたことはありません。

多分そうめんにレンコンが練りこまれているものであろうことは想像できますし、なんとなく味も想像できなくもないですが、名前の響きがいいですね。

ぜひあわせておためしください。

ところでリニューアル前の安倍礼司は、そんなに面白かったのか

リニューアル後の安倍礼司が相変わらず空回り中な状態です。

求めてる安倍礼司はこれじゃない・・・という反応がツイッターではほとんどで、ほぼ諦め状態に入りつつあります。

しかし、私はふと思ったのです。もともとそんなにまで面白い番組だったっけ?と。

なんとなく5年ほど聞いていましたが、そこまで私は安倍礼司のファンだったかな、と。

それで振り返ってみました。一体なぜリニューアル前の安倍礼司は面白かったと思っているかを。

楽しんで聞いていたが、何がそんなに面白かったのか実はよくわからない

楽しんで聞いていたとは思うのです。毎週、安倍礼司を車に乗っているときに聞いたり、ラジコで聞いたり。

聞いた後で、あー楽しかった、と感じてはいたはずなのです。

だけど何がそんなに面白かったのかと改めて考えると、実はよくわかりません。

いまいちだなー、と思っていたところはすぐに思い出せます。

例えばイベント収録のようないつもと違う収録方法の時は、キャラクターを忘れて巣の状態になってしまう飯野が嫌でした。「キャラを忘れるな!飯野であることに徹しろ!」と思ったものです。

あとは、刈谷のつまらないギャグとか。おぼっちゃまくんを思い出させるようなしょうもないギャグ。何を気に入っていたのだか、毎回のように出てくるので、やめてほしいと思っていました。

それからアンジュの「さかえるのじゃー」という決め台詞。あれもあんまり好きではありませんでした。決め台詞を作ろう!と会議が行われて決められたようなセリフで、アンジュの人も「とりあえずこれ言っておけばオーケーですよね」という置き方で、そんなに面白くはありませんでした。

選曲も、時々「違うんだよなー」と思っていました。もう少し時代が下がった頃の曲を主にかけてほしいんだけど、と頻繁に感じていたものです。

なのになぜか聞いていた

このように、嫌いなところはすぐに思い出せます。なのに、なぜか私は聞き続けていました。

なぜなのでしょうか。

脚本がとてもよかった、ということでもありません。楽しく聞いていましたが、何か特別な回を覚えているかというとそうではない。

そういえば、安倍礼司が家を買おうか悩んで、結局買わなかった話、というのは覚えています。それ以外には、誰かとだれかが結婚したとか、だれかの誕生日がどうだったかとか、そういう記念日関連の回もうっすらとは記憶に残っています。

ですが、そのストーリーに魅了されていたかといえば、そうでもないです。

だれか特定のキャラクターが好きだったか、と考えてみると、まあそれなりにみんな好きでした。主人公の安倍礼司は、決して平均的でもないのではないかと思わせる言動でありながら、あくまでもアベレージだと言い張るその様子がよかったです。

登場しなくなった刈谷も、ギャグは寒かったですが、声が良かったですし、なんだかんだ言ってもとても仕事ができる男という設定もあるために、彼がいるといちおうはなしがしまるようなところもあって、よかったですね。

姫川皐月もよかったです。妄想劇場は、8割つまらないので不要かなーと個人的には思っていましたが、声が素敵なので好きでした。

アンジュは、さかえるのじゃーは不要であるものの、まあどっちでもいいかな。飯野あたりもまあべつにどっちでもいいです。部長とか、ゆうちゃんとか、えいたとか、まあこのあたりもどうでもいいです。

要するに、だれかが好きだから聞いていた、というわけでもないようです。

選曲が常に良かったわけでもないことはもう書きました。なので曲が良かったというのも1番の理由にはならない。

ストーリーでもない。登場人物でもない。曲でもない。じゃあなんなの?と考えると、全く説明になっていないのですが、空気感が良かった、という話になってしまいそうです。

空気感ってなんだ

空気感って説明になっていないような、ちょっとだけなっているような、微妙な説明です。

ネットの辞書によると、空気感とはその現場、その人物の持つ雰囲気、ということなのだそうです。

ま、そういうことになりますよね。

安倍礼司の空気感ってなんだったんでしょうか。

Twitterなどをみていてると、水戸黄門のような「何も起こらない、いつもと同じストーリーが良かった」というようなことが言われているようです。

たしかにそんな気もします。。毎週特に何か特別な出来事が起きるわけでもなく、ただ日常が、中途半端なリアリティーで流れていく感じ。これが安倍礼司の空気感でした。

案外「中途半端なリアリティー」のところが大事だったのかもしれません。

キャラクターと、その演者とが完全に一体化しているわけでもなく、かといって別人格でもないような。

つまり、演者はキャラクターを演じることが彼らにとっては仕事なわけですが、一般的なサラリーマンにとってはその中で演じられていることがその日常的な仕事なわけで、そこに何か重ね合わせたり、感じ取ったりして日々の仕事を客観的に見て楽しんでいるような感じ。・・・これが私自身にはしっくりくる説明です。が、他人にわかってもらえる説明になっていないことは自覚しています・・・。

何が面白かったのかわからないので、リニューアルに対する要望も出しようがない

なぜ私自身が安倍礼司を面白いと思って聞いていたのか、あまりいい説明ができません。

なんとなく、登場人物がやりとりしているのを聞いているのが面白くて、そこに演者とキャラクターとが微妙に混じったり離れたりする様子がスパイスになっていた。こんな感じなので、リニューアルに不満はありますが、かといってどうしてほしいという要望もありません。

強いていうなら、元に戻してもらえたら、もしかしたらまた聞き始めるかもしれない、程度です。ですが、一旦これだけ変わってしまったら、もう戻れないかもしれません。

何が人気なのかわからないコンテンツというのは、継続していくのが難しいですね。狙って作り上げられるものではありませんし。

そう考えると、リニューアルが失敗してしまっていることも納得がいきます。何が人気なのかわからないので、どこをいじっても大丈夫なのかがわからない。で、結局不評・・・という感じで。

リニューアルした安倍礼司が面白くない!その理由を考える

2018年5月にリニューアルした安倍礼司が面白くありません。

私はそれほど長年のファンというわけではありませんが、そんな私にとっても、新しくなった安倍礼司は実につまらなく感じます。

なぜ新しい安倍礼司は、こんなにもつまらないのか。その理由を考えてみます。

結論:既存リスナーを楽しませるつもりが、制作陣に全くないから

まず結論から始めます。

新しい安倍礼司が、少なくとも既存リスナーにとって楽しい番組ではなくなってしまったのは、制作陣に既存リスナーを楽しませようというつもりがまるっきりないからです。

昔から聞いてくれている人にちゃんと楽しんでもらおう、というリニューアルであればもっとポジティブな評価を得られたでしょうが、すでにファンになってくれたリスナーのことも楽しませよう、既存リスナーの視点に立ってコンテンツを考えてみよう、という番組づくりでは全くありません。

既存リスナーに楽しんでもらうためのコンテンツではないのですから、聞いていて楽しくないのは当然です。

では具体的にどのあたりが既存リスナー視点ではないのか、確認してみましょう。

1 既存リスナーが好きだった名物コーナーや名物キャラクターが出なくなった

安倍礼司には名物コーナーや名物キャラクターがたくさんいます。

まず一番目立つのは、刈谷勇です。

安倍礼司ファンの中にも、刈谷というキャラクターが好きな人もいれば嫌いな人もいると思いますが、印象に残るキャラクターであるという点については異論はないでしょう。

アクが強く、でも要所要所で大切な役割を果たすキャラクターであり、主人公安倍礼司についで重要なキャラクターの一人でした。

今回のリニューアルに伴って、というか、リニューアルと刈谷の退場のどちらが主でどちらが従かはわかりませんが、いずれにせよリニューアルのタイミングで刈谷はいなくなりました。

名物キャラクターである刈谷が出ないのは、既存リスナーが喜ぶことがないのはわかりきったはなしで、このあたりからもきぞんりすなーじゅうしのリニューアルではないことはわかります。

また、姫川皐月の登場機会がずっとなかったのも気になります。

このキャラクターが妄想を繰り広げるという妄想劇場なるコーナーも、名物コーナーの一つでした。

刈谷というキャラクター同様、好き嫌いはあるでしょうが、安倍礼司という番組を盛り上げる名物コーナーの一つだったことはまちがいありません。

それが少なくとも5月の間は一度もなし。

既存リスナーに馴染みのあるコーナーやキャラクターを残して楽しめるようにしてあげる、ということは制作陣のなかでは優先されていないようです。

2 馴染みの既存キャラも変わった

馴染みのキャラクターがやたら変わっていることも重要ポイントです。

たとえば安倍礼司の息子である安倍えいた。彼は小学生の子供という設定ですが、声は子役が演じていました。

それが大人の声優に変わっています。

また、変わったのは声だけでなくて、その口調も変わってしまいました。えいたは「でござる」という語尾で喋るという設定になっていて、聞いているこっちもどうしてこのつまらない語尾にこだわるのかと思っている面はありながらも、それを受け入れておりました。

なんかこだわりがあったはずのこの「ござる」という語尾は、しかしリニューアルを機にあっさり使われなくなり、えいたは普通に喋れる男の子にすっかり変わってしまったのです。

頑張ってあの語尾を受け入れたのに、急に戻ってしまったので、私はついていけていません。

また、その妹については、リニューアル前は一度も声として登場したことはありませんでしたが、リニューアル後は声がつくようになりました。まあ、でもそれは問題ないでしょう。今まで喋らなかったことの方が不自然でしたので。

ちがう問題点は、安倍礼司の妻の安倍優です。

子供のことが大好きな元気一杯の母親、という設定だったはずが、こどももおいていえをでていってしまい、そのまま何週間も戻ってこない、という無茶苦茶な人になってしまいました。

彼女も安倍礼司に何年もで続けている重要な役柄。既存リスナーにとってはとても馴染み深いキャラクターです。

それが急に性格が変わってしまって、考え方も行動もおかしくなってしまったとあっては、既存リスナーがついていけなくなるのは当然です。

これまでのファンが馴染み気に入っていたキャラクターが、容赦無く変更させられているのが今回のリニューアルということになれば、そういう古くからのファンやリスナーが楽しめなくなってしまうのはとても自然なことです。

3 馴染みの構成がなくなる

最後は馴染みの構成ではなくなってしまったことです。

たとえば、40台前後の人が懐かしく聞けるような90年代から00年代ぐらいの曲を流すのが安倍礼司の特徴的な構成の一つでしたが、それはバッサリなくなりました。

いきなりグリムスパンキーとかかけられても、いい曲だけどそれは求めてないなあ、と既存ファンは感じます。

また、これまでの1時間をたっぷり使った一話完結タイプの構成ではなくなってしまったのも、ポイントです。三話からなるオムニバス形式みたいになり、しかもそのうち一話は知らない人たちの会話です。ちょっとついていけません。

おまけにその三部構成は、その週で必ずケリがつくわけではなくて、少なくとも第3部は継続的に話が続いているような状態。しかも明るい話ではなく微妙に暗い話。

既存ファンが喜ぶ要素が見当たりません。

制作陣は今後どうするのか

このように具体的にみて行くと、結論としては既存リスナーは全く大切にされていないなあ、と思うわけです。

そうなると、問題はこの先どうなるか、でしょう。

色々な予想がされています。

一度リニューアルと打ち出したのだから、きっとこのまま突き進むだろう。あるいは、刈谷がいなくなったりしたのには、なんらかの裏側での問題があったのだろうから、そう簡単には戻すことはできないだろう。そんな「このまま進むだろう」という説。

あるいは、これだけ批判的な評価があるのだから、いずれは戻さざるを得ないだろう、という説。

どうなるのでしょうか。

制作陣は、既存リスナーのことを一度忘れて、新しい構成にチャレンジしたわけなので、そう簡単にやっぱり元に戻します、という選択はできないだろうと思います。

それなりに成功するだろうという読みがあってのリニューアルでしょうし。たった一ヶ月でも度に戻したりすれば、色々な人からもお叱りを受けるはず。

となると、なかなかこれまでのみんなが好きだった安倍礼司に戻るとは思えません。

とはいえ、色々な声がすでに制作側には届いているはずですし、いったいどのような動きがこれからあるのか、要注目です。

飲み会を断ることのデメリット〜基本飲み会は断るスタンス視点から

飲み会が苦手な人は、飲み会に誘われたり、どうしても断れないイベントが発生したりすると、とても辛い気持ちになります。

行きたくないー!と、さけんだりしてます。ほんとです。

そんなとき、「辛すぎるから、思い切って断ってしまおうかな」と思ってしまうこと、きっとあるはずです。そんなこと思わないという人、よかったですね。あなたはラッキーです。しかし飲み会嫌いな人は、どうしても行きたくないのです。

私は、タイトルの通り、少しでも嫌だなと思った飲み会は、基本的には断るようにしています。

断ることによって得られるメリットのほうが、私にとっては大切だからです。

しかし中には、全然気乗りしなくても、飲み会に誘われたら必ず参加することにしている人もいます。楽しいから必ず行く人ではなくて、楽しくなくてむしろ好きでは無いにもかかわらず、断らずに参加する人、です。

なぜ飲み会嫌いな人たちが、辛いにもかかわらず参加するかといえば、飲み会を断ることにデメリットがあるはずだと考えているからです。

飲み会を断ることによって、自分にとって悪いことが起こる。だから本当は嫌だけど、頑張って飲み会に行く。こういう発想です。

では、嫌いなのに断らずに頑張っていかなければならないほどのデメリットがあるのか、ということですが、まず「デメリットがあるか無いか」といえば、確かにあります。

飲み会を基本断る私がいうのだから、間違いありません。デメリットは、あります。

そのデメリットが、嫌いなのを押してでも参加したほうが良いほどのデメリットかと聞かれれば、それは人による、という話になりそうです。事実私はデメリットがあると知っていますが、それでも行きませんから。

そこで、私が感じる・考えるデメリットをお伝えすることによって、飲み会嫌いの人たちが今後も飲み会に参加し続けるのか、それともその程度のデメリットならやめてしまえ、と参加しなくなるのか、判断していただくための情報を提供できればと思いました。

デメリット1;関係性を築くチャンスが減る

最大のデメリットですね。関係性を築くチャンスが減少してしまうこと。これがまず取り上げなければならないデメリットだと思います。

飲み会は、飲みニケーションという言葉に象徴されるように、コミュニケーションの場です。美味しいお酒や美味しい食事は、主役ではなくあくまでコミュニケーションのサポーター。

すべては、人と人が一緒に楽しい時間を過ごすための、ツールにすぎません。

飲み会の主役はコミュニケーションです。

ですから、飲み会に行かないということは、コミュニケーションのチャンスを失うことにダイレクトにつながります。

飲み会というコミュニケーションの場を失うと、飲み会を重視する人とは特につながりにくくなります。

人と人とのつながり方にはいろいろな方法があるものですが、それぞれに理想形みたいなものがあるものです。

例えば私にとっては、アルコールが入っていない状態で、できるだけ少ない人数で話をすること。これがベストです。

ところが十人十色で、理想形は人によって異なります。

そして、飲み会こそがキングオブコミュニケーションだと認識している人が、少なくないのです。

私のような飲み会嫌いにも、その意味はわかります。

アルコールを入れて少しリラックスして、身を寄せ合いながらいいことも悪いことも胸襟を開いて語り合う。しかも飲み会は短くても2時間くらいは一緒に時間を過ごします。

そうすると、自然と人と人との距離が近くなる。

確かに理想形ですね。お酒とかコミュニケーションそのものが好きな人にとっては特にです。

飲み会を断ると、こういうアルコールもコミュニケーションも好きな人たちとつながる最高の機会を失います。

この人たちは、いろいろな人とたくさん飲み会に行ったりするので、そのコミュニティの中でつながりは広がり続け、関係も深まり、後からそこに加わろうにももう間に合わないということになりがちです。

この人たちとは飲み会に行かなければ深いつながりを築くことはできません。大きなデメリットとなると思います。

デメリット2:仕入れられるネタの量が減る

次のデメリットは、仕入れられるネタの量が減ることです。

お酒が入る場なので、思わず話してしまったというような話のネタが飲み会にはそこかしこに転がっています。

お酒が入らなければ、きっとこの人は話さなかっただろうなあという話が出てきてしまうものです。

そういうネタの収集が、飲み会を断ると難しくなります。

あの時あの人がこんなことを言っていたなー、みたいな情報は事実飲み会を断るようになってからかなり減ってしまいました。

とはいえ、このような場で話される情報というのは、たいして重要なものではないケースが多いです。(歴史は夜作られる的に重大な情報がこういう場でリークすることもありますが・・・。)

ですから、飲み会で得られた情報をたくさん持っていたからといって、それが直接仕事で役たつかといえばそういうわけでもないとは思います。

しかしながら情報は質だけでなく量がものを言うことも多いのも事実。

あの人ってこうらしいよ、という噂話でもゼロよりは一つでも多く持っているとそれを使える場面というのは必ずあります。

飲み会を断りまくっている私には、そういうネタはあまりありません。聞くことがメインです。

ネタを多く持っていることが重要である人にとっては、この点はとても大きなデメリットになると思います。

結論:私にとっては結構どうでもいいデメリット

さて、どうでしょうか。私に思いつくデメリットはこれぐらいしかありませんでした。あとは、知り合いの幅が広がらない、とかでしょうか。いずれ思いついた時に追加してみようかと思います。

いずれにせよ、私にとっては大したデメリットに感じません。

というか、飲み会を断ることによって、なんか時間を無駄にしてしまったなあと感じてしまうことに比べれば、これらのデメリットはなんてことないのです。私にとっては。

それよりも自分の好きなように使える時間を少しでも増やすことの方が私にとっては大切です。家族と過ごしたり、本を読んだり、映画を見たり、ドウデモイイテレビを見て時間を無駄に過ごしたり。こういう時間を過ごすことが、私の場合はストレス発散になり、次の日からまた頑張るためのエネルギーを生み出してくれているわけですから。

無理に飲み会を断る必要は、もちろんありません。上記のデメリットに比べれば、多少嫌いでも飲み会に行く方がよほどいい、という人はもちろんいるはずです。私ももしかしたら将来的にそのようになるかもしれませんし。

一方で、よく考えたらたいして困らないかも、という人はたまには飲み会を断って自分の時間をたっぷり使える日を作ってみても、いいかもしれません。

安部礼司のリニューアルが不評 その理由を考える

東京FMの人気番組「あ、安部礼司」のリニューアルが不評です。

私はリアルの知り合いには安部礼司のファンはいないため、ネットの評判を読む限りではと言う感じですが、リスナーの一人としてリニューアル後の放送を聞いてみても、「これはちょっとないなあ」と感じます。既存ファンには概ね不評、という評価で間違いないだろうと思います。

良くいえば、よくこれだけの大きな変革に踏み切れたものだと感心します。

安部礼司はなかなかに人気のあったコンテンツです。固定ファンが多くついていました。それを振り切って、ここに安住していてはダメだ、と言う心意気で、きっと制作者たちは変革を起こしたのでしょう。

変化させること自体は、すごいです。明らかに不調というわけでもないなかでの変革は、なかなかできるものではありません。

しかし変革はもろ刃の剣。今回の大幅な変革は、現時点での評価を見る限りでは、残念ながら多くの既存ファンの心をつかむことには失敗したように見えます。

そもそもリニューアルの狙いは何か

5月というタイミングでのリニューアル。不思議な感じはしますよね。

リニューアルのそもそもの狙いは何だったのでしょうか。

少なくとも、「既存ファンにますますこの番組を好きになってもらうこと」ではないはずです。これまでの路線を強化するためのリニューアルには見えません。

おそらく狙いは、「新しいファンを取りに行く」こと。それが、リニューアルで目指したことだと思います。

「新しいファンの獲得」は、番組を継続していく上で当然の課題です。古いファンも長年番組が続けば少しずつ離脱していって、いずれはいなくなります。新しいお客さんの獲得は重要課題です。

問題は、「既存ファンを切り捨てる覚悟まであったのか」という点です。

私の考えでは、制作チームの中には「古いファンを全て失ってでも新しい命を吹き込むのだ!」という強い心意気で今回のリニューアルを進めた人が、制作チームの中にいたはずだと思っています。だからこその大鉈です。

その一方で、その思いが全員の総意だったかといえば、そうではなかったのではないかと思っています。

今のタイミングでリニューアルって必要?とか、既存ファンを切り捨てるのはさすがに勿体無いのでは?と思っていた人が、チームに少なからずいたのではないかと。

でなければ、無理に安部礼司という形をとる必要はありません。

制作陣の一部は大幅に変更したい。でも一部は安部礼司の資産を大事にしたい。その結果「これまでの安部礼司で培ったファンをベースにしながらも、新しいファンも獲得していく」という路線に落ち着いたのではないかと思います。

そして、中途半端なリニューアルであるがゆえに失敗した、というのが現状でしょう。

ツイッターを見る限りでは、「これは安部礼司ではない」「これならリニューアルせずに終わらせてしまったほうが良い買ったのではないか」といった声が聞かれます。相当反発を受けている状態です。

なぜこの度のリニューアルは、このような評価を得ることになってしまったのでしょうか。

既存ファンが不満を抱いたのには3つ理由がありそうだと思っています。

聞きたい内容ではなくなってしまった

まずはこれです。聞きたい内容とは違うものになってしまったと言うことです。

リニューアルに伴う大きな変更点は次のポイントです。

  1. 重要キャラクターがいなくなった
  2. 既存キャラクターの位置付けが変わった
  3. 既存キャラクターが登場しないパートができた

どれも大きな変更点です。

ファンにとってはなかなか受け入れがたいものだと感じます。

その一方で、個人的には少なくとも1の「キャラクター退場」だけは、なるほどそういう手はあるなと感じさせられました。

今回のリニューアルが、新規リスナーの獲得を目的としたものだったとすれば、敷居を低くすることが必要です。「この番組、今から聞いても面白そうだなあ」と感じなければ新規リスナーは逃げていくからです。

しかし、安部礼司はラジオドラマです。それも10年以上も続いている番組です。その特性上、固定キャラクターが登場し続けることは避けられません。

事実、安部礼司では、一見さんお断りとまでは言いませんが、背景を知らないと楽しめない要素がかなり多くありました。

一話完結ではありながらも、いわゆる内輪ネタのようなものがかなり増えていたために、初めて聞いた人にとっては「なにこれつまんない」な内容が多かったはずです。

その最たる例が、リニューアルで追い出されてしまった刈谷というキャラクターだったと思います。

私は5年ほど前から安部礼司を聴き始めましたが、はじめからこの番組を受け入れられたかというと全くそんなことはなくて、むしろなんだこのつまらない番組はと怒りを感じたこともありました。その理由がまさに内輪ネタが多かったからです。しかもその内輪ネタが結構つまらない。

具体的には刈谷というキャラクターが問題でした。

過剰な演技と軽いギャグとで、きっとファンには人気なのだろうけれども、そうでない人にはちょっときつめ。そんな立ち位置だったのが、刈谷です。

このキャラクターがいることで、ストーリー的には助かる面もあれば、反対に何がテーマだかわからなくなるケースが多くありました。

キャラクターに思い入れがない新規リスナーにとってみれば、テーマがわかりにくいことは致命的です。好きでもないキャラクターがよくわからないギャグを言っているのでは、聴き続けることは難しいです。

そこで、刈谷の退場案が出てきます。彼がいなくなれば、新規リスナーにとっては参入ハードルが低くなります。理にかなっています。

だから、新規リスナー獲得のためという点から考えれば、刈谷退場は意味のある変更だったと思います。

2点目のキャラクターがちょっと変わってしまったというのも、大きな変更です。

今までだったらこの人はこんなことは言わない設定だったはずなのになあ、という場面が見られます。

ただ、彼らは刈谷と違って退場したわけではないので、少しずつ元に戻していけばよいのですから心配不要かもしれません。

3点目の既存キャラクターが出てこないパートができた、については、今後これをキープするかどうかによって結構印象が変わるかもしれません。

安部礼司は、知っているキャラクターたちが繰り広げる様子を楽しむドラマでしたから、突然知らない人が出てきても、既存ファンには厳しいです。

新規リスナーにとってみてはどうでしょうか。感覚的には微妙かなあと思います。

一つ一つの話を聞いてみると、そんなに面白くないわけではない。しかし、あくまであるあるネタの延長にあるレベルのものなので、感動するほど面白いわけでもないというのがこれまで聞いてみたところでの個人的な感想です。

このレベルの内容だと、新規リスナーにも大して受けないのではないかなあと感じます。

特に、この番組の放送時間帯が問題です。

日曜の黄昏時。番組の冒頭で必ず聞かれたセリフです。そう、安部礼司は日曜日の夕方の、やるせない憂鬱の中にありながら、また明日からのエネルギーをなんとか自分の中から絞り出すための時間帯に聞かれる番組な訳です。

この時間帯に聞きたい物語や、触れ合いたいキャラクターはどんな人だろうか。そう考えると、今回のリニューアルの内容や人物設定は、ファンの機体とのズレが大きいのではないかと思われます。

結果として、既存ファンが求めてきた安部礼司とはかなり違ってしまった。しかもそれがいかにも新しいリスナーに受けそうな内容ならともかく、微妙な位置付けの内容にしかなっていない。ということから、多くの人の心がついていけていないのが現状なのではないかと考えています。

リニューアルの意図がわからない

リニューアルが不評である別の理由としては、「リニューアルの意図がわからない」ということもあるように思います。

たとえば、2018年に番組が終了した「めちゃイケ」や「みなさんのおかげでした」などは、内容に行き詰まり感が見えていて、しかも視聴率も伸びないという状況でした。だから、視聴者側にもこれら二つの番組が終了するの理由はある程度簡単に飲み込めました。また、これら二つの番組はバラエティー番組で、どちらも新しいことにチャレンジして切り開いてきた番組です。だから、マンネリはその性質とマッチしていないのです。だからコンテンツの行き詰まり感は致命的です。

翻って安部礼司。こちらはどうでしょうか。

聴取率データは見つけられませんでしたが、東京エフエムの放送番組審議会の議事録なるpdfが出てきました。

https://www.tfm.co.jp/company/pdf/news_4b53a05970ebd14549bc3b1cd4847bdb591530a87821e.pdf

このなかに、以下のような一文があります。

「サンデー・ソングブック」「安部礼司」に匹敵するような名物番組を配置して

また、他の箇所を見るとこのような文面も見られます。

番組発の企画や番組から発信していくことが大切だと考える。それは「SCHOOL OF LOCK!」とか「安部礼司」とか、とても評価されていると思う。

これは2017年の資料です。最新ではありませんが、ここからそれほど大きくは状況は変わっていないと想定すると、番組そのものの不調がリニューアルの必要性の理由にはならないのではないかと思います。

また、毎年各地でイベントを催すのが安部礼司の特徴の一つですが、どのイベントも来場者という意味ではそれほど問題があったという話はありません

つまり、現状での人気という意味ではそれほど問題がなかったと考えられます。

もちろん、番組を今後も継続していくためにはリスナーの入れ替えは必要です。入れ替えという言い方がおかしければ、離れていった既存リスナーの分だけ新しいリスナーを獲得する必要がある、という言い方でも結構です。

現状維持のためには、新しいリスナーが必要ですから、今の状況だけを見ていてもダメです。将来的にも継続して番組運営できるかがキーであることはわかります。

・・・とはいえ。そのためのリニューアルを今、この形で、本当にやらなきゃダメだったの?

これが既存リスナーの声なのでしょう。

番組もツイッターアカウントを持っていますし、プロデュースをしている堀内氏や、新しく作家として加わったマンボウやしろ氏なども、情報発信チャネルをきちんともっていますが、どちらもわかりやすい背景説明はしていません。

そうすると、既存リスナーはよくわからないタイミングと理由でのリニューアルを経た不思議な状態の番組をただ我慢して聞いているしかありません。フラストレーションがたまります。

結果として、このリニューアルダメだなー、という反応が生まれてしまっているのだと思います。

既存リスナーは切り捨てられたと感じてしまった

リニューアルが不評である別の理由としては、もっと直球なものもあるとおもいます。

つまり「既存リスナーは、自分たちが晩ん組から切り捨てられてしまった。大事な存在ではないと言われてしまった」と感じていることです。

私の想像では、番組制作陣のうち既存リスナーの切り捨てに強い覚悟を持っていた人は一部しかいなくて、残りはそこまでの覚悟を持たずに今回のリニューアルに望んだのではないかと踏んでいます。

狙いはあくまで「新規リスナーの獲得」であり、「リスナーの入れ替え」までは想定していなかったのではないか、ということです。

しかしリスナーにとってはそうではなかった、というのが今起こっていることです。つまり、既存リスナーは「あなたたちはもうリスナーとしては不要です。卒業してください」と切り離されてしまった感覚を持っている、ということです。

それは当然です。

リニューアルのはっきりしたわかりやすい理由はわからない。そのうえ、自分たちが好きだったキャラクターを「海外赴任」という形で退場させたうえ、残ったキャラクターも微妙に知っているひとたちとはちがう性格になっている。

あ、つまりもう聞くなってことね。・・・とリスナーは思ってしまいます。

もちろん、それでも安部礼司を信じてついていく!という熱のあるファンもいらっしゃいます。ですが、問題なのはファンの中にはいろんな層のファンがいて、ライトファンはそこまでの義理は感じていない可能性が極めて高いということです。

事実、ツイッターを見る限りでは、もう聞くのをやめてしまったという人たちが現れています。

反対に「今日聴き始めたけど面白い!」というツイートはまだ見かけません。はじめてきいたひとがいきなりその番組についてツイートするというケースはまれでしょうが、まだそこまで関心を持つ新規リスナーの取り込みには、残念ながら成功していない、ということでしょう。

一体今後どうなるのか、注目です

番組を作るにあたり、リスナーの反応に耳を傾けることは重要でしょうから、既存リスナーの反応はすでに製作陣に十分届いていると思います。

それをうけて、彼らがこれからどのように舵を切るのか、あるいは切らないのか、それとも番組そのものが切られるのか。何が起こるのか、要注目です。

ちなみに今オススメのラジオ番組は野村訓市のTraveling Without Moving

さて、最後に安倍礼司とは関係ない話で、個人的にオススメのラジオ番組の紹介をしておきます。

今面白いのは野村訓市のTraveling Without Moving です。J-WAVEの番組なので全国どこでも聞けるわけではありませんが、聞ける方は是非聞いてみてください。

面白さについてはこちらで紹介します。

野村訓市のラジオ「antenna* Traveling Without Moving」マウント合戦が面白い

「飲み会を断る人の心理がわからない」というあなたへ

飲み会を断る人っていますよね!せっかく誘っているのに、なんだかんだと理由をつけてこない人。

私はまさにその「飲み会を断る人」です。

きっと飲み会を断らない人や、積極的に飲み会に人を誘う人にとっては、なぜそんなに飲み会を断るのかがわからないだろうなあ、と思うのです。

何がそんなに嫌なのか。せっかく誘われているのに、どうして来ないのか。意味がわからない・・・と思っている人はたくさんいるはずです。

そこで、飲み会を断る人の一人として、断る時に考えていることや、断る理由を紹介してみようと思います。

早く家に帰りたい

私が飲み会を断る時に感じているのは、これです。とにかく早く家に帰りたい。家で過ごす時間がとても大切なのです。

それは家族と過ごす時間が大切ということか、というと実はちょっと違います。

たしかに家族との時間は大切です。夫婦の時間、子供との時間、これらが人生の優先順位のそうとううえにいちしていることは間違いありません。

ですが、一人暮らしをしていたときから、私の場合はさっさと家に帰りたいなあと思っていました。だから家族との時間を大切にしたいということだけではないのです。

ポイントは「私が内向的な人間である」ということなのだろうと思っています。

内向的な人と外向的な人とでは、ストレスの発散方法が見事に異なっているそうです。

外向的な人は、休みの日や自由な時間に他人と会って一緒に時間を過ごすことが何よりもストレス発散になるのだと聞きました。

私はこれを知った時に本当にびっくりしました。世の中にそんな人がいたのかと!

一方、内向的な人はというと、自由な時間に他人とは合わず、自分の世界の中で時間をゆっくりと過ごすことがストレス発散につながると言われています。まさに私はこのタイプです。

この違いが、飲み会を断る人と断らない人の大きな分岐点になっているように思います。

つまり私のように飲み会を断りがちな人は、仕事が終わったり、何か用事があった後で、飲み会を通じて他の人と時間を共有したいという気持ちが全くないわけです。

むしろそのような時間の使い方をすると、疲弊してしまって翌日に悪影響が出たりするのです。

そのため、自由な時間はさっさと家に帰りたい。そして明日以降のために気持ちを落ち着けたり、ストレスから自分を解放したいという気持ちが強くなり、結果として飲み会を断ることになってしまうのです。

その人のことが好きではない

ところが、もっとろくでなしな理由の場合も実際はあります。身もふたもないとも言えます。

つまり「誘ってきた人のことが好きではない」というケースです。

この場合は、おそらくですが飲み会が好きない人も嫌いな人も関係ないようではないかと思います。飲み会が好きな人でも、この人とは時間を一緒に過ごしたくないという気持ちはあるでしょう。飲み会が嫌いならなおさらです。なぜ嫌いな人と嫌いな飲み会にいかねばならないのだと怒りさえ湧いてくるでしょう。

もし積極的に人を飲み会に誘う人で、誘ってもみんなあまりこないなあという場合は、残念ながら自分自身があまりすかれていない可能性を疑う必要があるかと思います。とても残念な話ですが。

でもまあ仕方がありません。飲み会が好きなら、誘いまくって一緒に行くしかないのですから、そういう人は引き続き積極的に行ってください!そして断られてもへこたれないようにがんばってください!

話に入れないのが辛い

さて、飲み会は好きではありませんが、稀にどうしても断れない飲み会も存在します。

どうしても断れない飲み会なので、どうしても行くしかありません。

そうして参加した飲み会が、いつも楽しければ良いのですが、大抵の場合あまり私の場合は楽しめません。

その理由の一つが、話に上手く入れないこと。

それなりに調子も合わせますし、周囲からみるとそこそこ楽しくやっているように見えているのかもしれないのですが、当人は結構辛いのです。

なぜなら話に上手く入れている感覚が持てないからです。

盛り上げ上手な感じの人がいて、わーっとその人を中心に盛り上がっているとき、やっぱりその話題の中心にいる人がその場の主役になるわけで、それ以外の人たちは脇役です。

脇役でも楽しくやれる場合もあるのですが、その主役になる人が数人いて、順番に主役が後退して行くと、どういうわけかプライドが低い私でもちょっと羨ましいような気持ちが出てきます。

すると話にもっと加わりたいし、たまには主役になったりすると気持ちがいいのかなあと思いますが、いざそのバトンが手元にやってくると、その期待に答えられなくて残念な結果になったり、あるいは上手く行っても結局なんだこれはみたいなことになりがちなのです。

私は内向的な人間ですが、それと同時に目立ちたがりな部分も持ち合わせています。タチが悪いです。

飲み会には行きたくない。しかしどうしてもいかなければならない場合は、それなりに中心にいたい。こういう気持ちがあるのだと思います。

だから、そもそも飲み会に行きたくないし、行ったとしても楽しめないからますます行きたくない。この悪循環になります。

これからも私は飲み会を断ります

少なくとも、私はいきたくないのみかいについては今後も積極的に断っていこうと思っています。

仕事上で必要な付き合いは別の場面で作ることにして、ストレスから解放されるためにはどうしても必要な自分の時間や内向的な人向けのストレス発散法で持って自分のバランスを保って行くつもりです。

キッズケータイは格安SIMでは使えないから、Bsize-bot

息子がそろそろ小学生になる。幼稚園と違って、一人で登校することになる。親としては信じられない気分だ。

さて、あの小さかった息子が一人でちゃんと学校に行けるのか。ちゃんと帰ってくるのか。どこかに行ってしまったり、誰かについて行ってしまったりしないか。不安は尽きない。

そこでキッズケータイを持たせようかと考えた。

キッズケータイについて調べてみて初めて知ったこと

キッズケータイというのがあることは知っていたが、それがなんだかは全く知らない。なんか子供向けのケータイなんだろなー、ぐらい。これではダメなので、まずは調べなければならない。

キッズケータイは、どうもスマホではないらしい。いわゆるガラケーっぽいやつだ。しかもかなり小さい。

もう10年以上も前に人気だった携帯電話の機種にpre-miniというのがあった。あんな感じの大きさで、だけどテンキーは付いていない。

たとえばドコモのだと、ちいさなえきしょうがめんがついていて、その下に円形のボタンが付いている。上下左右に1から4の番号が振られている。たぶん番号ごとに電話番号を登録できるのだろう。

だから本当にケータイで、スマホっぽさはない。文字入力もできない。できるのはほぼ電話の受発信だけっぽい。

なるほどこれなら親が安心して子供に持たせられそうだ。

月額費用もかなり安く抑えられている。もちろんこの価格設定は、子供が小学生から中学生になって高校生や大学生になる頃まで使い続けてもらって、将来的にしっかり儲けてやろうという考え方からの設定だろうから、長期的に考える必要はあるが、目の前でかかる費用が安く済むのはよいことだ。

それならキッズケータイで決まりだろう。安心して持たせられるし、機能もいい感じに制限されているし、価格も悪くない。

小学生の息子が生意気にもケータイかー。

なんて思っていた。

キッズケータイは3大キャリアにしかない

ところが、である。キッズケータイは3大キャリアにしか用意されていないのだ。いわゆる格安SIMでは、キッズケータイは使えない。売られていないのだ。

私は昨年IIJmioに切り替えたばかりだ。バッチリ格安SIMである。

サイトをくまなく見て見たが、キッズケータイについては書かれていない。つまりIIJではキッズケータイは使えない。なんだってー。

もう心はキッズケータイで決まっていた。そこでこの事実発覚なので、ちょっと困ってしまった。

他の候補を調べて見ると、格安SIMでも子供が使うことを視野に入れた格安スマホを用意しているところはあるらしい。

しかしなあ。小学一年生が格安とはいえスマホを持つべきなのか?デジタルネイティブな世代とは言っても、親の抵抗感がすごいぞ?と悩ましい。

悩んで、やっぱスマホはないでしょう、という結論に夫婦で至った。こういう親の自分の経験に基づいた判断が子供の将来や可能性を奪うのかもしれないが、不安なものは仕方がない。危険もあるからやむを得ない判断だ。

さーて、困った。と思っていた。

Bsize Botという救世主

そこに救世主が現れたのだ。その名をBsize Botという。

キッズケータイが使えないなら、Bsize Botを使えばいいじゃない?

キッズケータイでも、スマホでもない。ただの四角い小さな箱だが、これが私のニーズをバッチリ救ってくれた。

キャリアケータイじゃなくてもいい。スマホのような必要のない高機能ではない。初期費用も運用費用もお手頃。

でありながら、子供がどこにいるかはバッチリわかる。

現代のお守り、な感じ。すばらしい。

見つけて早々に我が家では購入した。習い事に行く様子がわかったり、家に帰ってきたことがわかったり、とても便利に使えている。

キッズケータイを使いたいけど、格安SIMだからだめ・・・と悩んでいる方。Bsize Botをおすすめします。

飲み会はイヤ!でも人間関係は大切にしたい!そんなわがままを両立させる方法

飲み会を断りたいですか?面倒ですか?あんまり楽しめませんか?

私も全く同じ。できることなら飲み会には出たくない。というか全然飲みに行っていない。好きじゃないものは仕方がない。楽しくないことは遠ざけて、本当に楽しめることに集中するように徹底的にやりたいと思っている。

仕事はきちんと進めたいし、人間関係は大切だと思っている

ところで、私は仕事は嫌いではない。仕事は第一には生活費を稼ぐため、という意識を持つようにしているけれども、だからといって手は抜かない。

というよりもむしろ、毎日何時間も仕事に費やしているので、価値のある仕事をして評価されたいし、仕事を通じてできれば社会に良い影響を与えたい。

だから、会社の飲み会はズバズバ断りまくりたいが、しかしその一方で仕事の成果は出したいし、評価も得たい。

この両立がとっても難しい。

仕事をうまく進める上で、大切なのは人間関係だ。結局これに尽きる。自分のスキルとか、姿勢とか、あるいは職場によっては長時間頑張るみたいなことがまだ評価につながる場面もあるが、すべては基本に「あの人はなんかいいよね」という個人に対する好意がないとダメだ。

好意的に受け入れられていないと、仕事で成果を出しにくいし、その成果の評価も得にくい。

つまり、社内・社外の人々と良好な関係を築いていなければダメ、ということだ。

飲み会は、人間関係を築くにはぴったりな場合が多い

さて、飲み会で人間関係を築く人は多い。残念ながらこれは事実らしい。

私みたいに飲みに行くのが好きでない人間にはなかなか受け入れられないが、実際そうらしい。

そもそも外交的な人たちは、他人とワイワイ話したり交わったりすることで、ストレスを発散するという。内向的な人はそれとは反対で、一人きりでいる時間をたっぷり持つことで、ストレスを発散するという。

内向的な人、なんと不利なことか。外交的な人はラッキーだなーと思う。しかしこれは変えられないものなので仕方がない。

そうすると、飲み会が嫌いだったり、あるいは内向的な人たちが人間関係を築こうとすると次の二択を迫られることになる。

  1. 無理してでも飲み会に行く
  2. 飲み会以外の方法で人間関係を築く

私は1は諦めた。だって、嫌なのだから。嫌いなことはできるだけ遠ざけるというポリシーを持ったからには、無理していっても仕方ない。

私自身も楽しめないし、それに加えて内向的な人は実は飲み会でそんなに良好な人間関係を築けない。楽しそうに見えないし、事実楽しくないから、お互いにハッピーな関係になりにくい。

したがって、選択肢は必然的に2の「飲み会以外の方法で人間関係を築く」だけが残る。

ではどうすればいいのか。考えられるのは次の4つぐらいかなーと思っている。実践できているものもあれば、めんどくさくて十分には行えていないものもある。でも多少意識して取り入れるだけでも、なんとか常人ぐらいのところまではいけそうだと感じている。

方法1:ランチを活用する

飲み会がダメなら、ランチを使うという手がある。

内向レベルにもよるが、夜の時間を2時間以上も飲み会に使うのは嫌だが、ランチの1時間ならそんなに苦にならない、という人はぜひランチの時間を活用すべきだ。

飲み会で二次会くらいまでやって、濃密な時間を年に2回過ごすのも良いが、例えば月に一度、合計年に12回ぐらいランチに行って話をすれば、結構それなりの人間関係を作ることはできる。負担で言えば、むしろ確実にランチの方が低い。いわばコスパがいい。

月に一度と言わず、もっと頻繁に行くことができれば、もっと効果的だ。

私は過去に、同じチームの人とほぼ毎日のようにランチに行っていた。それを3年ほど続けた。結果として、そのチームのメンバーとであれば、夜に飲みに行ってもそんなに負担を感じないくらいの関係性になれた。

別に飲み会に行くことを目的にする必要は全くないし、むしろ苦ではないけれどもその飲み会がないならないでそれも良いので弊害的な面もあるが、それを含めてもメリットの方が大きい。

いずれにせよ、ランチは時間が短い代わりに数が稼げるという素晴らしいメリットがある。

もう一つの大きなメリットは、酒が入らないことだ。酒が入るのは、良い面もあれば悪い面もある。特に飲みまくって記憶を失うタイプの人と、私のように下戸の人間が一緒に行くと、それが素敵な経験になることはまあ少ない。

相手は覚えていないのに、こちらはしっかり覚えているし、その覚えている光景も美しいものであるケースは相当レアだ。

ランチなら、こういうことはない。1時間から長くても1時間半、シラフの普通の状態でお互いに話をすることができる。そこにはアルコールによる面倒はない。

少ない負担で回数を重ねられる上に、アルコールが入ることによるリスクが少ない。ランチは飲み会嫌いの人にとっては、絶対活用すべきツールだ。

方法2:会議を活用する

続いては、仕事に直結させて会議を十分に活用する方法だ。

実はランチですら時々面倒になってしまう私は、この方法を特に活用するようにしている。

会議の開始前、会議中、会議終了後の3つのパートを意識して、私は活用している。

まず会議前。

私の場合、ちょっと早めに会議室に入るようにしている。できれば一番のりが良い。そうすると、二番目に来た人が一人きりできた場合、数分であっても二人きりの時間が作れる。

しかもこちらは一番最初に入っているので、その会議室は一瞬だけ「私の場」の空気になっている。これが大きい。

ここで、私は二番目に入ってきた人を、優しく温かく迎え入れる。それはもう極端なほどに。

これはあまり関係性が深くない人に対して行うととても効果的だ。相手も人間である。よほど社交的な強気な人でない限り、初対面の人がいる会議は多少は入りにくいものだ。

そこで優しく受け入れてくれたというファーストインプレッションを受けると、なかなか意外とこれが効果を発揮するのだ。ぜひ試していただきたい。

続いて会議中。

会議中は、きちんと話している人の意見に耳を傾けつつも、自分の意見は明確に述べる。これだけだ。

当たり前だが、この当たり前ができていない人はめちゃくちゃ多い。それをうまく使う。

自分の話を聞いてくれる人だ。しかも自分の意見を明確に言える人だ。そういう信頼できる印象を会議中に十分に作り上げる。

基本中の基本ではあるが、それをしっかりとやることが実は仕事における人間関係を作り上げる上では相当重要である。

飲み会を通じてでなければ築けない関係性も残念ながらあるが、反対に飲み会では築けない関係性を会議を通じて築けることもまた事実だ。

飲み会嫌いの人は、実はこのような正攻法の人間関係を築くこともまた重視しなければならない。

続いて会議後。ここではメールが活用できる。

例えば誰かから議事録が送られてきた場合。そしてそのメールに誰も返信していない場合。こういう時に率先して返信をする。

そしてその返信の中に、きちんと感謝の気持ちを込める。感謝の気持ちは嘘をついてはいけない。本当にこの部分はありがたいと思えることにだけ、嘘のないように触れるようにする。

だから、素早くまとめてくれたことだったり、そもそも議事録を作ってくれたことだったり、そういうことに触れることが多くなるが、それでよい。むしろそれくらいでいいと思っている。

ついでに私は、これは効果的かどうかはわかっていないけれども、そういう返信をする時に時々全返信ではなく個別返信をあえて使うようにしている。

一対一のコミュニケーションに持ち込むことが、私のような内向的なタイプには有利だからだ。ラジオは一対一のコミュニケーションを感じさせるから芸人たちが好んで使うというが、そんな感覚に近い。飲み会でどっぷりコミュニケーションしない代わりに、場面場面で一対一のコミュニケーションを取り入れられるように工夫する必要があると思っている。

だから、もしかしたら鬱陶しいと思われているかもしれないが、仕事に影響の出ない範囲で一対一のメールを多く送るように心がけている。

方法3:トイレを活用する

トイレも活用できる。

男性なら、手洗い場でもいいし、小さいほうなら横並びになっている時でもいい。

ちょっとしゃべる。定期的に、ちょっとだけでも喋る。

深いコミュニケーションではなくてもいいから、浅〜いないようで、回数を重ねる。

女性なら、化粧の時間を使えば良い。あまり面倒な愚痴に巻き込まれると面倒だが、もしそれが人間関係構築に役立ちそうなら、乗ってしまうのも手だ。

とにかく、意味のなさそうなコミュニケーションでも、回数をたくさん重ねることによって、私が苦手な飲み会的などっぷりしたコミュニケーションの代わりになるものを探さなければならない。

そのためにはトイレだって十分活用できる。

方法4:タバコを活用する

私はタバコは吸わないが、吸う人は当然活用すべきだ。

タバコ仲間は、なんだか不思議な連帯感がある。

喫煙者は特に最近はかなり疎外されていきているから、妙に仲間感を持っている。喫煙者でない人間からすると、あのおかしなレン大会がちょっと怖かったりもする。

飲み会は嫌いだが、タバコは好きだという人は、これまでももうコミュニケーションに活用しているだろうし、中には酒の代わりにタバコでコミュニケーションをとっている人もいるそうだから、引き続き活用していただくのがいいと思う。

たぶん他にも方法はある

とりあえず私が実践していたり、想像できるものを4つだけ挙げた。

でも絶対に他にもいろいろあるのだろうと思う。

飲み会のような場は嫌いでも、内向的で一人の時間をたっぷり摂らなければならなくても、主に仕事中の時間を使ってうまく人間関係を築くことができれば、飲み会を引くほど断り続けても、なんとか常人レベルに達する人間関係は築けるはずだ。

というか、飲み会なんてなくてもある程度の評価を得られるだけの人間関係は十分に作れるはずだと思っている。

だから飲み会を断っていいかと迷っているような人たちは、自分の嫌いなことを無理にしなくてもいいから、どんどん断りまくればいい。

断りまくって、あの人は飲み会には来ないというレッテルを貼られた上で、でもコミュニケーションはとれる人だという良い評判を作れば良いのだ。

そのための工夫を、私は今後もしようと思う。

大好きなアーティストからサインをもらった時のこと

有名人に会えると嬉しい。ミーハーを自覚していなくても、なんだかんだ言って有名人を見かけたり、握手してもらえたりすると盛り上がる。

私はあるアーティストが好きで、京都に住んでいた頃に彼がライブに来くるというので三条河原町あたりのカフェで時間を潰していた。ライブは確か6時くらいからだったと思うが、ずいぶん興奮して早くつきすぎてしまい、コーヒーを飲んで時間を潰してもまだ3時ぐらいだったと思う。

あまり長居もできないので仕方なくカフェを出た。道に出てさて次はどこで時間を潰そうかと考えていたところで、道を見知った顔が横切った。お目当のアーティストだった。

私は思わず声をかけてしまった。何しろ長年聴き続けて、でもそれまではもっと田舎に住んでいたからなかなかライブには行くことができず、それが京都でたまたまライブをするというのでやっと生の音を聞けるのだ。それを楽しみに、何時間も前から街中で時間を潰していたところで、目の前にお目当ての相手がいたのだから興奮するのは無理はない。

私は反射的に、「すみません、◯◯さん!」と声をかけてしまった。

さん付けした名前での呼びかけだったので、思わず彼も反応してしまったのではないかと思う。ふと立ち止まって私の方を見た。当然向こうは私のことなど知らない。明らかに警戒しながら彼は私の方を見ていた。

私も一方で困っていた。声をかけたが、要件はない。初対面だ。しかも私はただのファン。特にいうべきこともない。

「今日、夜行きますんで、よろしくお願いします」

口をついて出たのはこんなことだった。我ながら一体何を言っているのだと思いつつも、他に言うべきことは見つからなかった。彼は、しかしそういったことになれているのだろうか。「ああ、どうも」とちょっとだけ笑顔を見せて立ち去った。

バカみたいな行動で、その時からもう恥ずかしい気持ちではあった。でも、やっぱり嬉しかったのをよく覚えている。憧れのアーティストに会った。そして話もできた!相当一方的だけど。京都に来てよかったー、と心から思った。やっぱりバカである。

さて、興奮したままライブ会場へ私は向かった。会場は小さなカフェだった。カフェアンデパンダン、だったか?地下にある店だ。ときどきライブをやっているらしかったが、たまにお昼ご飯を食べに言っていたにもかかわらずそれを私は知らなかった。

ライブはと言うと、まあ、それなりだった。私はその人をシンガーとしてそんなに好きなわけではない。それよりも、物語を感じさせるアルバムを作ってそれを世に送り出してくれるところに愛を感じていた。だけど、めちゃくちゃ好きだった。彼のアルバムをいろいろ聞き込み、彼の世界観を生んだであろう作家の本を読み、バックグラウンドを調べ、その上でまたアルバムを聴きこむ。結構どっぷりなファンだ。だからシンガーとしてはまあまあでも、アーティストとしては信奉していたといっても言い過ぎではない。

彼はおそらくファンサービスとして、代表曲なども歌ってくれたように覚えているけれども、悪くはないが、そんなにエキサイトはしなかった。でも、あのアーティストが目の前にいて、ギター持って歌っているぞ!!!ということだけでも十分満足した。

事件はこの後起きた。

彼は、その時期に新しいアルバムを発表していた。当時はなんとも思わなかったが、ライブはそのアルバムのプロモーションも兼ねていたのかもしれない。

ライブが終わると、出入り口でその人自身も立ちながら、アルバム販売が行われた。

私はそのアルバムを持っていなかったので、せっかくだから購入することにした。列に並ぶと、順に彼とファンとが握手をして何かを話したりしている。そろそろかと順番をおとなしく待つ私。少しずつ列が進み、いよいよ私の番に。

「とてもライブ良かったです」という私。「ありがとう」とアーティスト。「じゃあ、サインしておくね」とさらに彼。

手渡されたのは、サイン入りのCDだった。

この時、私をおそったのは、深い幸福感・・・ではなかった。それは、強烈な不快感だった。どういう不快感かといえば、「私の新品のCDに落書きされた!」という不快感だった。

意味がわからないのはわかっている。道端を歩いているそのアーティストを捕まえて、要件もないのに話しかけるほど好きな人なのに、その人の作品にその人がサインをしてくれたら、普通は嬉しがりそうなものだ。

ところが私の反応は反対で、なーんで私の新品のCDにらくがきしちゃうの?!だった。

これには私自身も驚いた。全く予想していなかったから。自分の好きな有名人に会えるのは嬉しい。話ができるのも嬉しい。握手もとても嬉しい。ところが持ち物へのサインはNOだったのだ。

今でもそのアーティストは好きだ。プレイリストを作って聞いたり、あるいはアルバムを通して聞いたりもする。なのに、そのサイン入りのアルバムだけは、実はもはやタイトルも思い出せないほどの距離が生まれてしまっている。