コミュニケーション

松岡修造ネタはデスブログネタと同じタイプのイジメ

「松岡修造がいるところは、気温が上がる」という冗談(としておく)はもうやめにしよう。これはネット上でやっているイジメでしかない。ことが大きくなる前に、ストップすべきだ。

かつてデスノートが流行っていた頃に、「デスブログ」という名でタレントの東原亜希が同じようにいじめられていた。こちらは明確な悪意を持ってネタにされていたので、誰の目にもイジメであると容易にわかったし、だんだん続ける人が減っていった。

一方松岡修造の件は悪意が必ずしも目に見えているわけではなく、むしろその松岡修造の熱っぽさが日本列島にいい意味で熱を連れてくるのだ、というちょっといい話に見せかけながらイジメが行われている点がもしかするとむしろ厄介で問題があると言えるのかもしれないと思う。松岡修造は確かにその暑苦しさで売っている面がある。インタビュー等を見ると当然ながらただの暑苦しい人ではなくて、相当知的であり冷静な人であることは明確だが、おそらくメディアの世界で生き抜いていくには多少のキャラクター付けも必要なのだろう。彼の方でもその熱っぽさをギャグ的に利用しているところは当然ありそうだ。

だからと言って、彼がやってくるところは暑くなる、というネタにし始めるとちょっと様子が変わってくる。

なぜなら暑すぎる場所では、人は病気になるし、場合によっては死んでしまうからだ。ネタにしている人は、松岡修造が誰かを本当に傷つけたわけではないし、誰かを死なせたわけではないということなど当たり前で、間に受けるほうが悪い。そう言うだろう。では当の本人はどうだろうか。もちろん自分のせいではないことは明白だ。しかしそれでもなお、自分がどこかに行くとそれが厄災につながると冗談であったとしても言われることは決していい気持ちがすることではない。最初のうちは冗談と受け取れたとしてもそれがもし今後もずっと続けられるのであるならば、それはだんだん冗談ではなくなってきてやがて自分がどこかに行くことを嫌がる人が出てくるのではと疑い始める可能性だってあるだろう。

松岡修造は、この件でバカにされているわけではない。わかりやすいイジメの構図を見せてもいない。だがわかりにくいというだけで、やはりこれはイジメの一種である。どうしてもやめられない人も出てくるかもしれないが、止められる人から順にストップしていって、受けないネタに徐々に変わって行き最終的には誰も口にしなくなることを祈っている。

飲み会を断るデメリットは?などと悩んでいる弱く繊細なあなたへ

飲み会を断ると人間関係が悪くなるかもしれない。つきあいの悪いやつだと思われるかもしれない。結果として組織の中での居場所がなくなるかもしれない。デメリットがいっぱいありそうだ。

飲み会が苦手なあなたは、飲み会を断ったときのデメリットをきっとこんな風に色々と考えていることだろう。

同時にこんな風にも考えたりしていないだろうか。

本当に飲み会を断っただけで、上に挙げたようなデメリットがあるのだろうか?そこまで飲み会に重きをおく人がたくさんいるのだろうか?実は飲み会なんて行かなくても全然問題なんてないのではないか?

残念だ。現実はそう甘くない。

飲み会を断れば、人間関係が悪くなるか?答えはイエスだ。飲み会を断ることで良くなる人間関係なんてない。つきあいの悪いやつだと思われないだろうか?こちらももちろんイエス。誘いを断ってるんだから、つきあいが悪い奴だと思われるに決まっている。組織の中での居場所がなくなるなんてことがあるだろうか?これも当然イエスだ。飲み会を大別な場だと考え、飲み会で楽しくコミュニケーションが取れる人をたくさん周りに集めたい人が世の中に山ほどいることは、どんなに寂れた田舎でも居酒屋がたくさんある様子を見れば一目瞭然。

飲み会はなんだかんだ言ったって、多くの人にとって本当に大切な関係づくりの場なのだ。それは否定しようがない。苦手だからと飲み会を断っておいて、それでいてデメリットを受け入れたくないだなんてそんな甘い考えはありえない。

では、飲み会が嫌いなあなたはやはり飲み会に行くべきなのだろうか。飲み会に行って、組織の中での立場を守れるように努力すべきなのだろうか。それがあなたの幸せに本当につながるだろうか。

さあ、私には分からない。あなたにとってそこがとても大切な居場所であれば、もしかしたら飲み会には行った方が良いのかもしれない。そうすればあなたの立場はより強固になり、幸せな日々がやってくるのかもしれない。ありうることだ。

一方で、どうだろう。わざわざこんな記事を探してきてまで読むあなたは、飲み会に行って気持ちの良い思いを少しでも味わうことができるのだろうか。

他愛も無い話に加われなかったことで、たったそれだけのことなのに弱く脆い心が傷つき、飲めるわけでも無いお酒を飲んで味も分からない食事を胃に収めて、それに安くないお金を支払ってまた集まりたいなどと心にもないことを言って別れ、そして帰り道に一人になって飲み会での出来事や話をしたくもないのに反芻しては舌打ちし、家に帰って風呂に入るとそこでもまた彼や彼女の顔が目の前に浮かんでは繰り返される苛立ちや嫉妬や恐怖。これらを受け入れてなお、そんなにも繊細なあなたが、飲み会で得られる大きいがしかしちっぽけでもあるメリットによって自分の幸せを勝ち取れるのだろうか。

さあ、私にはわからない。私にはわからないので、私のことをお伝えしておこう。私はデメリットを全て受け入れて、ほぼ全ての飲み会を断るようにした。

飲み会を断るデメリットは大きい。お陰で人間関係は狭まった。つきあいも悪いと思われていよう。組織の中での立場もよくなってはいないように思える。

だが私は自由な時間を得て、一人でいたければ一人でいて、家族といたければ家族といて、嫌な気持ちになることもなく目の前にある素晴らしい時を過ごす。いつものテーブルで、ゆったり食べ物を味わえる気分を保ちながら、食事をとってから風呂に入ってぐっすり眠る。

あくまで私の選択だ。お前は間違っている。そういう人は当然いよう。当たり前だ。飲み会は大切な場なのだ。そこで作り上げられるものはたくさんある。しかし飲み会の辛さがわからない人には、あなたや私の気持ちは分からない。だから私は私自身で道を決めなければならなかったのだ。

私は私の時間を選ぶ。どれだけくだらないと思われたとしても、これが私にとっての幸せの道筋なのである。

「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」は失礼か?「労う」の意味が変わってきている。

「お疲れ様でした」を目上の人に向けていうのは失礼だという意見が最近ではあるらしい。「ご苦労様でした」が失礼という声は耳にしたことがあったが、お疲れ様でしたも良くないという人がいることは知らなかったので単純に驚いた。

この手のマナーは商売のタネにされているケースもあるため、批判の的になることが多いのだが、私自身は「お疲れ様でした」がダメであるという流れについてはなるほどと思える変化であるような気がした。

「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」は、どちらも労いの言葉だ。「労う」の意味を改めて調べてみると、goo国語辞書では「苦労や骨折りに感謝し、いたわる。現代では、同等または下の人に対して用いる。」とある。つまり、かつては「労う」は単に相手の苦労に感謝していたわる意味しかなかったのかもしれないが、現代ではそれは違っていて、労いの対象になるのは目下の人だけということになる。

「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」これら2つの言葉を奪われて、我々は目上に何を言えばいいんだ!という怒りの声が聞かれたが、上記を考えるとそもそもその前提が違ってきているのだと思う。そもそも今の世の中では、労って良いのは目下の人だけで、目上に対して労うことそのものがアウトだと考える人が増えてきているのである。

もちろん、「そんなことまで気にして生きるのはめんどくさい。日本人は細かく気にしすぎだ。私はお疲れ様もご苦労様も使い続ける!」という人がいてもいい。

私もどっちかというとそっちの人間なので、少なくとも「お疲れ様でした」は使い続ける。しかしそれも相手によるかもしれない。少々上の人くらいなら、全然お疲れ様でしたで問題ないなんなら「おつかれした」くらいの感じで行く。

それがとんでもなく上の人で、しかも私自身が強い経緯を抱く相手であれば、またかなり違うかもしれない。本当にありがとうございましたという感謝の気持ちを伝える言葉を使うだろう。

日本人はとかく目上だの目下だのにうるさい、と言われるが、他の国の人と話してもやはり彼らもそういったことはある程度は気にするものだし平和に人が暮らしていくために必要な心配りの1つなのかもしれない。この間タモリと鶴瓶のラジオを聞いたが、30歳を過ぎてタレントになったタモリは芸人仲間の中でどうやって「後輩」扱いされることなくうまく潜り込むかにかなり苦心したという内容のことを彼は言っていた。タモリなので話半分で聞くべきにしても、それでもタモリのような人でも上だの下だのというようなことを意識するものなのだなあとふと思った。

挨拶できない大人の作り方

私は諦めるつもりありません。だってたった一言でちょっといい気分になってもらえるじゃないですか、挨拶って。ただ一言いうだけですよ。それも短い言葉です。別に満面の笑みで言わなくてもいいんです。少しくらいしかめっ面でもいい。まあできればニコッとして、それでおはようございますって言ってもらえれば一番いいですけど、でもいいんです。とりあえず一言言えばいいんです。おはようございまーす、とか、失礼しまーすとか。ハキハキしてなくてもいいし、一応聞こえればそれで十分。挨拶したってことが大切なんです。それだけで、相手はちょっと気分がいいんです。それができない人がいるんですよね。私はしてますよ。私はしてますけど、ほら、あちらからね。あちらからきちんとした挨拶が返ってこないというか、きちんとしてない挨拶も返ってこないというか。ただ目があって、その目が「どうも」といってるわけでもなさそうな目で。要するに無視されてるわけなんですけど。

どうしてでしょうね、結構な負担なんですかね、ちょっと口を開いておはようございますって言うのは。おはよう、だったらまだ少しはいいのかな。ございます、が負担なのですかね。濁音かしら。濁音が入ってるから、ちょっと言いたくないなとお思いになるのでしょうか。ありがとうございます、も考えてみたら濁音が入ってますね。ありがとう、なら言えるのかも。そうかも、濁音かも!あ、でも「失礼します」には、入ってないか。こんにちは、にもないですね。うーん。

いえ、私は続けますよ、挨拶は。とってもいいでしょう、挨拶。簡単だし、相手にもいい気持ちになってもらえるし、自分も気持ちがいいし。でもねえ、ほら。まあこうしてなんども続くとねえ。それはまあ多少は嫌な気持ちになったりするっていつか、腹がたつとまではいきませんけど。ねえ。いえ、私は続けるつもりですよ、挨拶。ええ、一応はですけど。

僕のサンタはスーツを着て、玄関からやってきた

幼稚園児だったか、あるいはもう小学生に上がっていたか。いずれにせよまだ幼かったある日の夕方、僕は父と2人で居間にいてテレビを見ていた。

不意に父は「誰か来た」と言って立ち上がった。彼は居間を出て、玄関へ向かったらしい。私はそのまま居間にいて、テレビを見ていた。すると玄関から父の声が聞こえてきた。

「ああ、どうもこんにちは」

大きな声で挨拶をしている。誰か知り合いが来たらしかった。父の声だけが聞こえてくる。

「そうですか!それはそれはありがとうございます。すみません、どうも。ええ、それでは。」

といったようなことを、居間からは姿の見えない来客とひとしきり話してから玄関を閉めるガラガラという音が聞こえてきた。

父のその話しぶりから会社の人が家に来たんだな、と幼い僕にも分かった。

父はすぐに居間に戻ってきた。

「サンタさんだった。ほら、プレゼント」

そう言って手に持った包みを僕に渡してきた。

僕はその包みをもらって、やったー!とも、サンタさんきてくれたの!とかそういうことは言わなかったり、思うこともなかった。

ただ、私は別の衝撃を受けていた。「サンタさんはスーツとトレンチコートを着てやってくるおじさんなんだ」と。うちにやってきたサンタを僕は自分の目で見たわけではなかった。しかし、玄関でサンタと話す父はいかにも会社の人と喋るような感じで話していたし、日曜の夕方でまだ真っ暗ではない時間に玄関に来る人はなんとなく普通の服を着た人なんだろうとその時僕は思ったのだ。だから、サンタはスーツを着て、冬なのでトレンチコートを着ていると僕はその時に理解し、そして何か不思議な衝撃を受けたのだった。一方で、そんな父の様子を見て、母は呆れたような顔をしていた。

そんな父だが、昨年は孫のためにサンタの服を買ってきて自らサンタの役を買って出た。だから息子はサンタというのは赤い服を着て白いひげとメガネをした背の高いおじいさんだと思っているはずだ。私のサンタとはやや格好が異なるが、その人もまた同じサンタなのである。

ドラマ「今日から俺は!!」第1話の感想。伊藤が良かった。

ドラマ「今日から俺は!!」を見ました。期待はしていませんでした。あんまり福田雄一の作品は趣味に合わない気がしていたもので。

しかしいざ見てみると、結構楽しかったのです。嬉しい誤算ですね。

三橋よかった

まず、三橋。

よかったですね。笑わせようとしすぎな気はしますけれども、ちゃんと面白かったです。

なんとなく、原作初期の三橋な感じのイメージです。モテたい、そこまで自信家であるわけでもない、そこそこ悪知恵が働く、という最初の頃の三橋っぽさがしっかりありました。

伊藤、超よかった

伊藤は写真で見ていたよりもずっとよかったです。

役者の顔が可愛すぎるものの、真面目だけれども決して賢いわけでもない雰囲気を感じました。

伊藤はむしろ原作の中盤から後半にかけての伊藤像という印象を受けました。

一番良かったような気がします。原作の伊藤って、見た目こそ違えどあんな感じなんだろうと思います。再現度もあるし、ドラマで見てもいい感じだし、1話目を見た限りでは伊藤がMVPだと思いました。

ふたりの喧嘩はイマイチ

三橋と伊藤の初喧嘩シーンはイマイチでした。一生懸命に戦ってみたら結果的に勝てた、ということはいいのですが、ふたりとも本当に喧嘩は強い人たちという設定は残しておいて欲しかったです。

なので、あの戦い方だと昨日まで普通の高校生だったのに、実は強かったという感じがあまりしませんでした。

おそらくこの先の開久戦等ではちゃんと戦えるようになっていて、その振りだったりするのでしょうが、にしてもちょっとやりすぎかと思いました。

谷川よかった

谷川はよかったです。

今井があまり大きくないので、谷川役がもっと小柄な人だともっとますますいい感じになったでしょうが、このへんは仕方ないです。

今井は原作ファン的にはもっと頑張れ

今井はもうちょっとという感じでした。

俳優が悪いわけではなく、脚本に(原作ファン的には)問題ありですね。脚本家に原作の今井はあまり愛されていないのではないかと思われます。

初回の今井だと、ただのアホすぎて原作ファンはついていきにくいです。原作を読んでない人にはあれでもいいのでしょうか。

三橋伊藤今井という三人が同じくらい立っていて初めて今日から俺は!!な気がしますので、あそこまでアホにしなくてもいいように感じました。

京子と理子も頑張れ

京子と理子も、もう少しな感じです。

京子は、原作ファン的には印象と違いすぎるかなあ、という感じ。理子も同じく。

素人的には配役が逆の方がイメージに合うんだけどなあ、と思いますがどうなのでしょうか。

バイプレイヤーの人々はまああんな感じで

ムロツヨシとか佐藤二朗とか、あの人たちはあれで完成しているので、あれでいいんだろうと思います。

原作ファンかつ福田作品ファン的にはたまらないでしょう。ただの原作ファンとしては、正直なところ職員室のシーンとかはあってもなくても大丈夫な感じでした。

智司と相良は期待

智司と相良には超期待しています。

特に相良。いいですねえ。あの俳優、ぴったりです。

ヤバイやつとしてしっかり描いてくれると楽しみだなあと思います。

ギャグはまあまあ

ギャグはどうですかね。まあまあですかね。

ドラマ三橋は、リズム感が私の好みなので、面白い演技そのものはいい感じだと思います。

やや顔芸はやりすぎだし、もっと少なくてもいいと思いますが、なんとなく進むにつれて減って来るのかなあと予想しています。

一応原作ファンです

原作は全部持っていて、どのパートも満遍なく繰り返し読んでるそこそこの原作ファンです。

私が原作が好きな理由は二つ。

一つは登場人物たちです。誰が好きということではなく、あの作品に出て来る人々が好きなのです。

主役級の人たちも、悪役の人たちもチョイ役の人たちも、どれも生きていて、そして身近に感じられて、マンガを読むことで彼らと接すると幸せな感じになるのです。

もう一つ好きなのは、ギャグのリズム感です。

ギャグのレベルそのものはものすごく高いわけではないと思いますが、そのリズム感がとても良いのです。

例えば、高崎の牛乳あたりの笑わせ方も、言葉で説明すればバカらしいものになってしまいますが、マンガで読んでいるとその素晴らしいリズム感のために吹き出してしまいます。

登場人物とリズム感のあるギャグ。これが私にとっては大切です。

反対に、ストーリーについてはそんなにまで思い入れがありません。もちろん、今井マンションとか、開久突入とか、修学旅行、軽井沢、高崎対北川、北根威など、個別の話やパートで好きなものはあります。

大切なのはそれぞれの物語で、あのキャラクターたちが動き回ってる様子を見たり、その楽しい発言ややり取りを見ることと、素晴らしいリズムで飛び込んで来るギャグがたまらなく好きなのです。

登場人物とリズム感は、ドラマ化で同じにすることは難しいのに

登場人物とリズム感が大事なので、そうなるとドラマ化で再現されることは難しいです。

まず見た目が違いますから、どうやっても俳優の印象に引っ張られます。すると、私が好きなあの人物たちとは、同じにはどうしてもなりません。

加えて、リズム感も変わります。ギャグ漫画のコマ割りを使ったギャグは、マンガならではの表現なので、映像にする際にどうしてもうまくいきません。

ですから、それを役者が演じるとなると、私が好きな三橋像と役者が演じる三橋像との間にギャップが生まれてしまうため、楽しめないだろうなあと想像していました。

ですが、なかなかいい感じですね。もうちょっと、というところは当然たくさんありますが、それでも次も見たいと思っています。

好きなマンガのドラマ化も悪くないなあと思いました。

懐かし系テレビ番組を、父はよく見ていた

まだ私が小学生だった頃、懐かしい昔の番組や懐かしの歌謡曲を流すテレビ番組を父はよく見ていた。

例えばゲバゲバのようなバラエティ番組だったり、あるいは狼少年ケンのようなアニメだったり、または高校三年生のような歌だったり。

横に座って私も時々見ていた。当然子どもには面白くない。

紹介される番組の大半は白黒だ。今でこそ白黒も味わい深く見られるが、当時の私には面白くもなんともない。色がないってほんとかよ!ただそう思っていた。

他の番組が見たいと主張しても、通らない。父は懐かしいと興奮して、盛り上がっている。やがて母もそこに入ってくる。そして同じく懐かしい盛り上がる。

つまらないので自室にこもるが、当時の子供部屋にはエアコンはなくて、夏場だといつまでもそこにはいられない。部屋にはテレビもなければ、当然スマホもPCもない。

結局しばらくすると、居間に戻るしかないわけだが、まだテレビは懐かしのナントカが続いている。

さて、翻って今の私の家の話だ。

まさに、あのときと同じように、私は見ているのだ。懐かしのナントカを!

あの頃こんなものが流行っていたとか、どの家にもこんなものがあったとか、そういうのを見て、しかも懐かしいー!とか言って興奮しているのだ。

そして小学生の息子はというと、たいへんつまらなそうにしているわけだ。

わかっているぞ、息子よ。これ、君には全く面白くないよな。知ってるんだ、私も。

これ懐かしいー!って、知らないよそんな話、だよな。

しかし断言しよう。

君もだ。君もきっとやるんだよ。私の父や、私がやったように、これ懐かしいといって昔のものをみて大騒ぎするのを。

大騒ぎしておいて、その自分を見てあー年取ったんだなあ、なんて思うこのよくわからない幸せと不幸せのごちゃ混ぜになった楽しみを。

リニューアル後の安倍礼司、雰囲気が27時間テレビっぽいイシュー

リニューアル後の安倍礼司。いろんな反応を受けながらも、新しいフォーマットで放送が続いています。

だんだん慣れてきたという声もあれば、反対にやっぱり馴染めなかったという声もあります。制作陣の狙い通りかどうかは私には分かりません。(ちなみに私はまだ馴染めません)

さて、ふと新しい安倍礼司を昼ご飯を食べながらラジコで聞いていたところ、ふと雰囲気がフジテレビの以前の27時間テレビに似ているぞ、ということに気づきました。

なんなのこの変なコーナー?っていうパートで始まる

かつての27時間テレビは、なんでこんなコーナー見なきゃいけないの?というパートで始まります。

例えば、各地方局の社員がカラオケで高得点を競うゲームをするので各局の参加者を順に紹介していったりとか。このコーナーどうして見なきゃいけないの?はやくお笑いの人たちだしてよ、とブツブツ言いつつも見るあれです。

それと同じ空気を、神保町で生きる人たちの物語を聞いていて感じたのでした。

作ってる本人は面白いでしょ?なんかいい感じでしょ?と思ってるらしいけど、受け取り側は「さっさと本編に入って!」と思っている。ここに共通点を感じたのでした。

最初のコーナーのせいで中身が薄く感じる

最初のコーナーがあるせいで、私には中身を薄く感じられます。なぜなら、安倍礼司メンバー待ちになってしまうからです。

といいつつ、実は最初の神保町街角スケッチ(いま適当に名付けました)は、だんだん面白くなってきてます。

例えば2018年7月15日分などは、とても安倍礼司っぽくて面白い内容でした。具体的には、ワールドカップの時期だからなんでもサッカーに例える先輩社員と、サッカーについて知らないからそれを理解しない後輩社員のやりとり、という感じです。

なつかしの安倍礼司な感じ、とでもいいましょうか。楽しめる内容でした。仮に先輩社員を安倍礼司が演じて、後輩社員をアンジュがやったりすると、ものすごく安倍礼司だったと思います。

ところが実際の演者は神保町の人々です。

私、神保町のファンだったわけじゃないんですよね。安倍礼司の世界のファンだったんです。だから、神保町の人が喋ってても盛り上がらないのです。

なので、神保町街角スケッチコーナーは、いくらそれが面白くても安倍礼司メンバー待ちになってしまうことは避けられないのです。

最初のコーナー、話は面白くなっていているので、個人的には安倍礼司の演者が別の人の役柄でやってくれてもいいと思います。それくらいの変更で、楽しめるかもなあという気がしてきています。

岩国でお土産を買うなら、この3つは外せない。

山口県岩国市。本州の西の端っこ山口県の、東の端っこに位置する岩国市。ときに広島県岩国市と揶揄されることもある岩国市。

何があるかといえば橋がある。橋しかないのではなくて、素敵な橋がある。そういう街です。

江戸時代から観光の名所だったのは宮島ですが、江戸の一部の人たちは「俺は足を伸ばして岩国まで行ってきたよ」と通ぶるのがかっこよかったとかどうだったとか。

そんな岩国市に行ったなら、ぜひ買っていただきたいお土産があります。

岩まん

岩まん。まんじゅうです。

ネーミングセンスが只者ではありません。インパクトがすごい。

実は私も一度しか食べたことがない、レアなお菓子です。

パイのような生地にあんこがたっぷり詰まったあげまん的なものです。結構脂っこかった印象です。そしてなにより美味しい。

ただし、相当レアで、なかなか買えないのだそうです。

それでもぜひ試してほしい。おいしいから。一度しか食べたことないけど。

ふるたのういろう

岩国市に行ったなら、きっと錦帯橋のそばまで行っているはず。そこで買うべきは、ふるたのういろうです。

錦帯橋の城側ではないほう、バス停の隣に小さな店舗を構えているのが古田秋栄堂です。小さな和菓子屋さん。

ここに売られているのが、ふるたのういろうです。

ういろうといえば、一般的には名古屋が有名ですが、実は山口県のういろうもおいしい。

同じういろうといっても、名古屋のものとはかなり違います。

山口のういろうは、とてもプルプルしていて、プルプルというよりはプリンプリンしているというか、とにかくプリプリです。

ふるたのういろうは美味しいのですが、包装はあんまりよくない。たしか6本が1パックになっていて、1本ずつ小包装されていないのです。だから一本食べたら頑張って6本処理しなければなりません。

その問題さえなければ最強のお土産ですが、それでも食べていただきたいのがこちらです。

はす餅

岩国はレンコンで有名です。とにかくレンコンがあるので、なんとかしてレンコンを使った名物を作りたい。

きっとそんな思いから作られたであろうお菓子がこれ、はす餅です。

はすが持ちの部分に練りこまれているあんこ入りの餅です。

はすの主張が強いかといえば、強くない。なので、はす餅はほぼただのあんこ餅です。

でも、おいしい。そして小さくてかわいい。あと小包装。(ふるたのういろう、ごめんなさい)

とりあえず困ったらはす餅というのはスマートな選択肢です。

番外編:岩国れんこんそうめん

食べたことはないが気になっているもの、という点でナンバーワンはこれ、岩国れんこんそうめん。

はす餅同様、とにかくレンコンがとれるので、これをなんとか使いたいのが岩国市民の共通の思いなのかもしれません。

昔から名前だけはきく岩国れんこんそうめんですが、実際に食べたことはありません。

多分そうめんにレンコンが練りこまれているものであろうことは想像できますし、なんとなく味も想像できなくもないですが、名前の響きがいいですね。

ぜひあわせておためしください。

ところでリニューアル前の安倍礼司は、そんなに面白かったのか

リニューアル後の安倍礼司が相変わらず空回り中な状態です。

求めてる安倍礼司はこれじゃない・・・という反応がツイッターではほとんどで、ほぼ諦め状態に入りつつあります。

しかし、私はふと思ったのです。もともとそんなにまで面白い番組だったっけ?と。

なんとなく5年ほど聞いていましたが、そこまで私は安倍礼司のファンだったかな、と。

それで振り返ってみました。一体なぜリニューアル前の安倍礼司は面白かったと思っているかを。

楽しんで聞いていたが、何がそんなに面白かったのか実はよくわからない

楽しんで聞いていたとは思うのです。毎週、安倍礼司を車に乗っているときに聞いたり、ラジコで聞いたり。

聞いた後で、あー楽しかった、と感じてはいたはずなのです。

だけど何がそんなに面白かったのかと改めて考えると、実はよくわかりません。

いまいちだなー、と思っていたところはすぐに思い出せます。

例えばイベント収録のようないつもと違う収録方法の時は、キャラクターを忘れて巣の状態になってしまう飯野が嫌でした。「キャラを忘れるな!飯野であることに徹しろ!」と思ったものです。

あとは、刈谷のつまらないギャグとか。おぼっちゃまくんを思い出させるようなしょうもないギャグ。何を気に入っていたのだか、毎回のように出てくるので、やめてほしいと思っていました。

それからアンジュの「さかえるのじゃー」という決め台詞。あれもあんまり好きではありませんでした。決め台詞を作ろう!と会議が行われて決められたようなセリフで、アンジュの人も「とりあえずこれ言っておけばオーケーですよね」という置き方で、そんなに面白くはありませんでした。

選曲も、時々「違うんだよなー」と思っていました。もう少し時代が下がった頃の曲を主にかけてほしいんだけど、と頻繁に感じていたものです。

なのになぜか聞いていた

このように、嫌いなところはすぐに思い出せます。なのに、なぜか私は聞き続けていました。

なぜなのでしょうか。

脚本がとてもよかった、ということでもありません。楽しく聞いていましたが、何か特別な回を覚えているかというとそうではない。

そういえば、安倍礼司が家を買おうか悩んで、結局買わなかった話、というのは覚えています。それ以外には、誰かとだれかが結婚したとか、だれかの誕生日がどうだったかとか、そういう記念日関連の回もうっすらとは記憶に残っています。

ですが、そのストーリーに魅了されていたかといえば、そうでもないです。

だれか特定のキャラクターが好きだったか、と考えてみると、まあそれなりにみんな好きでした。主人公の安倍礼司は、決して平均的でもないのではないかと思わせる言動でありながら、あくまでもアベレージだと言い張るその様子がよかったです。

登場しなくなった刈谷も、ギャグは寒かったですが、声が良かったですし、なんだかんだ言ってもとても仕事ができる男という設定もあるために、彼がいるといちおうはなしがしまるようなところもあって、よかったですね。

姫川皐月もよかったです。妄想劇場は、8割つまらないので不要かなーと個人的には思っていましたが、声が素敵なので好きでした。

アンジュは、さかえるのじゃーは不要であるものの、まあどっちでもいいかな。飯野あたりもまあべつにどっちでもいいです。部長とか、ゆうちゃんとか、えいたとか、まあこのあたりもどうでもいいです。

要するに、だれかが好きだから聞いていた、というわけでもないようです。

選曲が常に良かったわけでもないことはもう書きました。なので曲が良かったというのも1番の理由にはならない。

ストーリーでもない。登場人物でもない。曲でもない。じゃあなんなの?と考えると、全く説明になっていないのですが、空気感が良かった、という話になってしまいそうです。

空気感ってなんだ

空気感って説明になっていないような、ちょっとだけなっているような、微妙な説明です。

ネットの辞書によると、空気感とはその現場、その人物の持つ雰囲気、ということなのだそうです。

ま、そういうことになりますよね。

安倍礼司の空気感ってなんだったんでしょうか。

Twitterなどをみていてると、水戸黄門のような「何も起こらない、いつもと同じストーリーが良かった」というようなことが言われているようです。

たしかにそんな気もします。。毎週特に何か特別な出来事が起きるわけでもなく、ただ日常が、中途半端なリアリティーで流れていく感じ。これが安倍礼司の空気感でした。

案外「中途半端なリアリティー」のところが大事だったのかもしれません。

キャラクターと、その演者とが完全に一体化しているわけでもなく、かといって別人格でもないような。

つまり、演者はキャラクターを演じることが彼らにとっては仕事なわけですが、一般的なサラリーマンにとってはその中で演じられていることがその日常的な仕事なわけで、そこに何か重ね合わせたり、感じ取ったりして日々の仕事を客観的に見て楽しんでいるような感じ。・・・これが私自身にはしっくりくる説明です。が、他人にわかってもらえる説明になっていないことは自覚しています・・・。

何が面白かったのかわからないので、リニューアルに対する要望も出しようがない

なぜ私自身が安倍礼司を面白いと思って聞いていたのか、あまりいい説明ができません。

なんとなく、登場人物がやりとりしているのを聞いているのが面白くて、そこに演者とキャラクターとが微妙に混じったり離れたりする様子がスパイスになっていた。こんな感じなので、リニューアルに不満はありますが、かといってどうしてほしいという要望もありません。

強いていうなら、元に戻してもらえたら、もしかしたらまた聞き始めるかもしれない、程度です。ですが、一旦これだけ変わってしまったら、もう戻れないかもしれません。

何が人気なのかわからないコンテンツというのは、継続していくのが難しいですね。狙って作り上げられるものではありませんし。

そう考えると、リニューアルが失敗してしまっていることも納得がいきます。何が人気なのかわからないので、どこをいじっても大丈夫なのかがわからない。で、結局不評・・・という感じで。