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ジュネーブ留学記(3)酔いどれ隣人との別れ

(これまでの経緯はこちらから)

スイス・ジュネーヴ留学失敗記(1)酔いどれ隣人との出会い
スイス・ジュネーヴ留学失敗記(2)打開策がもろ刃の剣だった

ところでそうして2ヶ月ほどが経った頃、例のポーランド人とちょっとしたいざこざがありました。

それほど真面目に授業を取っていなかったと言っても、単位は欲しいのでテストを受けたりする必要はあります。ですから、テレビばかりを見ていたわけではなくて、自室では宿題に取り組んだり、レポートを書いてみたりといろいろ忙しくはしていました。

ところがそんなある日、突然隣の部屋から窓ガラスが揺れるほどの爆音が聞こえてきたのです。

それはポーランド人が酔っ払って、スピーカーからとんでもない音量で聴いている音楽でした。メタルです。それもデス系のメタルです。

一日や二日であればそういうこともあるかと我慢できます。しかしそれが何日か続きました。

相手は酔っ払いで紙巻きたばこを自分で作ったり、金魚をいじめたりする男です。揉め事になるとやっかいなことになる可能性が高いです。

私は衝突するのを避けて、直接文句を言うようなことはしないようにしていました。しかしその状態が数日続くので、耐えられなくなりました。

その時に私は初めて気がついたのですが、そのフロアには北側に5室、南側に5室の合計10室あったはずが、学生が暮らしているのは私とそのポーランド人と、あとは離れた方に一人か二人いるくらいで、空室がとてつもなく多かったのです。その酔っ払いが、人の迷惑になるようなことばかりするので、ほとんどの学生がフロアを移ってしまったようでした。

私はその時にはまだ十分に把握していませんでしたからのんきに暮らしていたのですが、あまりにも騒音が続くのでいよいよ我慢がしきれなくなり、その男の部屋に行って、うるさいからその音楽を止めてくれないかと頼みました。「ああそうか、君は勉強してるのか。それは悪かったね」と彼は素直に言ってくれました

私はありがとうと言って自室に帰りました。やった、揉めることなくやり過ごせた!ほっとしてレポートを書くために、パソコンに向かいます。しかし作業は思うように進みません。なぜなら音楽が先ほどまでの音量と全く同じ状態でなり続けているからです。

私は再度隣人の部屋を訪ねました。ノックすると、彼は出てきました。「音楽のことなんだけれども、小さくしてほしいんだけど」というと、「ああ、音楽ね、うんわかった」と彼は言います。

そして、変わらず鳴り響くのです。ラップが。

翌週、他の人たちと同じように、他のフロアに移ったのは言うまでもありません。

大学教授から学んだ年賀状をやめる方法

私には恩師がいます。学生時代に私を導いてくれた先生です。

どちらかと言わなくてもドライな性格だと自分でも思う私ですが、この先生にはきちんとしておきたいと思っていて、私としては珍しく自ら望んで年賀状を出しておりました。

恩師はもっとドライでした

ところが、私の恩師はもっとドライでした。

ある年、その恩師から年賀状が届きました。先生は年賀状でいろいろメッセージを書いてくれるタイプではありません。干支と簡単な定型文が印刷されている年賀状がポンと届くのが例年のことでした。

ところがその年は珍しく一言メッセージが添えられています。そこにはこう書かれていました。

「フェイスブックで繋がっていますので、来年からはそちらでお願いします」

先生はそのとき70歳近かったと思いますが、昔からデジタルはしっかり活用されていて、ソーシャルメディアも早々にアカウントを取ってお使いでした。

こまめに投稿もするのでさすがだなあとは思っていたものの、まさか年賀状をフェイスブックに切り替えると宣言されるとは思っていなかったので驚きました。

まあ、たくさんいる教え子の一人でしかないわけで、全員にずっと丁寧し接しているわけにもいかないことは分かります。いちいち年賀状を返していると、手間もコストもかかりますから。

このメッセージは使える

さて、私の恩師が送ってくれたこのメッセージですが、これは使えるかもしれないなあと思ったのです。

年賀状を断りたいとき、本当に難しいのが、やめることを伝えてからやめるか、それともこっそりフェードアウトしていくか、です。

やめますね、と言ってからやめるのが潔くはありますが、このときさてどうやって言ったものか本当に悩みます。年賀状をやめる理由として、しっくりくるものがないのです。

かといってしれっとフェードアウトするにも、なかなかの胆力を必要とします。

そこで我が師のメソッドです。

年賀状をやめることは高らかに宣言しますが、かわりにフェイスブックでは来年からはメッセージを送りますね、と代案を示すのです。

そうすると、年賀状はなくなってもあなたとのコミュニケーションは続けるんですよー。ただ、ハガキでやるコミュニケーションって今っぽくないし、お互い負担ですからやめるっててもありますよねー、といううまい流れが作れるのです。

この「フェイスブック」の部分は、実際なんでも構いません。ツイッターでもインスタでもラインでもなんでもいいです。とにかく、連絡はしますよと明確に伝えることが大切なのです。

ちなみに翌年以降の恩師は

さて、こうやってうまい事言って私に年賀状を送るのをスッパリやめた私の恩師が次の年からどうしたかについて触れておきますと、あれから3年、今の所私のフェイスブックのメッセージボックスには一度も先生からのメッセージは届いておりません。

そんなドライな恩師が大好きです。

アメリカも似たような感じらしい

よく考えてみると、年賀状と似たようなことをアメリカでもやってますね。クリスマスカードです。ちょろっと調べてみただけでも、クリスマスカードを送るべきか、とか、私がクリスマスカードを送らない理由、とか、そういった内容のブログが山ほど出てきます。

やっぱりファミリーアンドフレンド至上主義のアメリカであってさえも、クリスマスカードはやめたくてもやめづらいもののようです。

その中でクリスマスカードを送らないという人の記事を一つ紹介します。

今年私がクリスマスカードを送らない3つの理由(3 reasons why I am not sending you a Christmas card this year.

(話がずれますが、日本でもアメリカでもブログのタイトルって「なんとかの3つの理由」みたいな似たようなものが結構あるものなんですね・・・)

この記事の著者は11月に引っ越したばかりなのでクリスマスカードを送らないということにも触れていますが、それよりも大きな理由として次の3つを挙げています。

1:コスト

この方は毎年100ドルほどクリスマスカードにかけていたようです。カードを買ってきて、それを加工して、送ったりするとそれぐらいかかるのでしょうね。日本でも似たような金額になっている人も多いと思います。

ちなみにこの方は浮いた100ドルを自分が気に入っているチャリティーに寄付するということらしいので、この辺は日本人の感覚とは違いますね。さすがは金持ちもそうでない人もたっぷり寄付するお国柄の人です。

2:時間がもったいない

つづいて、時間がもったいない(時間は大切)という点も理由としてあげています。

今本当に大事なことに時間を使うべきで、自分たちの場合は年々大きくなっていって子供たちと今できることをしっかりとやっておくこと、ということのようです。日本の年賀状はほとんどがプリンターで作りますし人によってはネットプリントとかで完全外注のこともあると思います。それと比べてアメリカのクリスマスカードは手作りな部分が多いからか、時間を無駄にしている感覚があるのかもしれません。

個人的にはかなり共感できるポイントです。

3:そもそも今年私がしたことは、みんなFacebook知っている

これは今っぽいといいますか、実態に即した理由です。仲がいい友達とかは、そもそもFacebookでつながっているわけで、Facebookに投稿をしていればそれで日常的な様子は伝わっているのだから、クリスマスカードでわざわざ伝えなくてもいいんじゃないの?ということですね。

私の恩師と同じような考えといえば考えです。

確かに言われてみればその通りなのですよね。仲がいい人ならLineなりFacebookなりでつながっていることが多いわけで、年に一回紙のカードで近況報告されたからといってそこに違いがあるかと言われればないわけです。

とはいえ、まだまだ手に触れられる紙のほうが温かみが感じられるから好き、という意見の人も少なくはありません。(タンジブルなんていう言葉がはやったこともありましたね。)だからあまり真っ向から「紙の年賀状を出す人なんて時代遅れだ!」とかいうと怒られそうですし、実際私もまだ100パーセントは辞めていないわけなのですが、それでもここで書かれている3つの理由は、私たち日本の状況を考えてみても同じような理由で年賀状を辞めてもいいのかもなあ、と思えるものなのではないかと感じます。

子供としりとりをするとき、どのように終わらせるか?

子供としりとりをするのはなかなか楽しいものですね。

うちの子供も始めの頃は「いぬ」とか「からす」とか、簡単な言葉しか言えなかったのに、大人の言葉を真似して「民主主義」とか「うる星やつら」とか、意味がわかっていないであろう言葉を出し始めるのでいつやっても驚きがあって楽しめます。

うちの子供はまだ濁点がつく言葉が苦手らしくて、たとえば「ば」で始めなければならないときは「子供だから『は』でやらせてほしい」などと訴えてきます。

うちはそういうところには厳しいので、「ば」で頑張りなさいと言って、ヒントを出しながら濁音のまま答えさせるようにしています。

そうすると子供は飲み込みが早いので、だんだん苦手な音でも語彙を増やしていろいろな言葉を言えるようになってきます。面白いです。

苦手な音でなければ、私よりも子供の方が答えるまでの時間は短いくらいになってきました。反射的に次々と言葉を出してくるのを見ると頼もしいようでもあり、同時に負けていられるかとこっちも真剣に頑張ろうとするようになります。

難しいのはしりとりの終わり方ですね。
最初こそ楽しいのですが、あまり毎日しりとりばかりやっていると大人の方は飽きてしまいます。

そこで我が家は、あと何回で終わりだから、それに合わせて君が「ん」で終わる言葉を答えて終わってね!と言って終わらせるルールにしています。

ん、で終わるのはなかなか難しいですから、指定した通りの回数で終わることは稀ですが、それでも数回のうちに終わることができますし、それに「ん」で終わる言葉の語彙も増えるので、終わり方に困っている方にはオススメの方法です。

狭い家の弱点を補うために、絶対重視すべき条件とは?

こんにちは、ペパローです。

狭い家を選んで効率的にスペースを活用して快適に暮らすという選択肢が、少しずつ一般的なものになっていると思います。幸せに暮らすためには家は絶対に広くなければならないという固まった考え方ではなく、自分らしい家を作り上げていくその感覚を含めて、私自身も狭い家に住んでみてなかなか良いチョイスだったと感じています。

狭い家を選ぶことによって、住宅にかかるコストが安く済みます。その分、駅から近かったり都心に近かったりと有利な条件を得ることができ、結果として日常生活の中で自分のために使える時間が長くなるというメリットがあります。この「時間を得る」というメリットは本当に大きいのですが、その一方で、狭い家にはそれだけの弱点があることもやはり事実です。

まず、狭い家には「収納場所が少ない」とか、「リビングが狭くて家具が置けない」とか、わかりやす弱点がたくさんあります。これらの弱点は住んでみなくてもすぐにわかるものですので、住む前から事前に対策が可能です。ですが、狭い家の弱点の中には、しばらく住んでみなくてはわからないもので、しかも一度購入してしまってからでは取り返しのつかない隠れた弱点があるのです。その弱点は、ちょっと考えたところではそれほど大した問題ではないように思えるのですが、実際に長期間暮らしてみると、少しずつ少しずつ効いてきて、最後にはかなり大きなダメージを与えかねないようなものだと私は思っています。

隠れた弱点:視界が狭くなる

私が強く感じる狭い家の隠れた弱点というのは、「視界の狭さ」です。

面積が狭い分、部屋の壁から壁の距離が近いです。部屋の真ん中に立っていると、全ての壁がとても近くにある感覚になります。

そうすると、部屋の中にいる時に、視線を渡せる距離がかなり近くなってしまいます。当たり前のことだと思われるかもしれませんし、実際面積が狭ければ壁から壁の距離が短くなることは事実当たり前ではあるのですが、一瞬の内覧などでは実はこのことに気づきにくいのが実際です。

十分にこの弱点を認識しないままに物件を購入してしまうと、そのちょっとした圧迫感が、ま一二の暮らしの中で少しずつストレスを与えて、最終的には大きなダメージを住み手に与える可能性を持っています。

実際私の家もそうですが、部屋の端っこに座っていても、かなり近いところに反対側の壁がありますし、部屋の対角線に視線が渡るように座ってみても、それでもやはり狭いだけあってなかなか遠くを見ている感覚にはなりません。

部屋が狭いことは、ものや家具が置けないという物質的な問題もさることながら、空間が狭いために視線が遠くまで生きにくく圧迫感があるというちょっと別の問題も生み出すのです。

弱点克服方法:見晴らしの良さにこだわって物件を選ぶ

この「視界の狭さ」という弱点を、どのように解決すれば良いでしょうか?

部屋は狭いので、部屋の中だけで解決することは難しいです。例えば壁紙は白いものを選ぶとか、家具も圧迫感のない色のものを選ぶとか、あるいは家具を背の低いものを中心に選ぶとか、そのような方法も存在しますが、それだけではカバーできません。

そこで私がお勧めするのが、「見晴らしの良さにこだわって部屋を選ぶ」ということです。

マンションであれば、隣の家で視界が遮られない高さや角度の家を選ぶべき、ということになります。2階や3階ですと、一軒家でも窓や屋根が自宅の窓から見えてしまうので、その点ではNGです。隣が一軒家であれば4階以上であればかなり改善されます。また、窓のある側が少し広場になっていたり、その大きさにもよりますが道路沿いであったりすれば、騒音の心配が無さそうであるという条件付きですが、見晴らしはかなり確保されると思います。

借景の考え方で、視界だけでも部屋を広くする

考え方は、借景です。日本庭園が、自分の敷地以外の山などを視界の中で借りてきて、その広さを担保するという例の考え方です。これを自宅に取り入れることによって、実際の広さは変わりませんが、視線を遠くにやれることで圧迫感を少なくするという効果が得られると思われます。

狭い家は、弱点が多いです。その分、コスト面では大きなメリットも得られますし、広さの代わりに自由な時間やその他の便利さなどがいろいろ手に入れられる可能性もあります。様々な手法をうまく取り入れて、効率的な暮らしを目指したいものですね。