「マーケティング」の定義、比べてみました

マーケティングという言葉の定義は、人によって違います。

本当は一つでなければならないのですが、残念ながらいろいろな意味で使われてしまっているのが実情です。

定義が定まらないならマーケティングという言葉を使わなければよいのですが、そうもいきません。ですので、みなさんがどういう意味で定義しているかを簡単にまとめてみました。

お客様に価値を提供して利益を得ることと定義しているケース

グーグルで「マーケティングとは」で検索すると上位に出てくるのがこのページです。

ここでの定義は相当わかりやすいので、とりあえず日本人でマーケティングに携わる仕事をするなら、この意味で捉えておくと間違い無いと思います。(とはいえ、この定義に従えば、マーケティングに携わらない仕事、というのは実際には存在しないわけですが・・・。)

マーケティングとは?10分でわかるマーケティング入門

このサイトでは、

マーケティングとは、「お客様に価値を提供してお金をいただくこと」

・・・と定義しつつも、マーケティングの基本用語として以下の4つをあげながらわかりやすく説明してくれています。

1) ベネフィット
2) 差別化と強み
3) セグメンテーションとターゲティング
4) 4Pもう少し詳しく説明してくれています。

世の中の人がこれと同じ意味合いでマーケティングという単語を使えるようになるとどれだけ良いだろうと頃の底から思います。色々読んで勉強してもよくわからないという人は、ぜひ上のページをご覧ください。かなりすっきり整理されると思います。

Wikipediaを見てみますと、やはりこちらも上記と同様の定義になっています。

マーケティング

マーケティングmarketing)とは、企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。

あ、でも顧客ニーズに応えることは書いてありますが、それによって利益を得ること、という定義は含まれていないのですね。

私自身は、顧客ニーズに答えてそれを利益につなげること、という後半までが入っていることが重要だと思っているのですが、「顧客に対して・・・」という考え方が加わっているという点で共通しています。

顧客がすっぽり抜け落ちている定義になっているケース

続いてはこちらです。

今さら聞けない「マーケティングとは何か?」基礎から解説

「ビジネスにおいてマーケティングは重要」という、若干首をかしげてしまうような一文で始まるこちらのサイト。読み進めてみても、やっぱり傾げた首が戻せません。

冒頭では、次のようにマーケティングについて語ってくれます。

マーケティングの定義を、市場調査や商品、サービスのプロモーションのことだとイメージされる人がいますが、それらはマーケティングの機能の一部を指すものに過ぎません。

ここまでは「そうだ!そうだ!いいぞ!」という感じです。そうなのです。すぐにプロモーションと勘違いしている人が山ほどいるのがマーケティングなのです。この誤解を解かなければ話にならないので、とてもいい導入です。

つづけて日本マーケティング協会による次の定義を引用しています。

企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である

これを「難しくて理解しにくいかもしれない」と心配してくれる上記サイト。たしかにわかりやすい定義では無いので、噛み砕いてくれると嬉しいかもしれない。そう期待していると、出てくるのが以下の言葉です。

もっとシンプルでわかりやすく表現すると、「売れる仕組み」「儲かり続ける仕組み」と言えます。

・・・いや、そう説明するから「プロモーション」と勘違いされるのでしょうが!

マーケティングを説明するときに「顧客」とか「お客様」といった言葉を省いてしまうと、「売る」が目立ちすぎてしまって、それが勘違いを生むのです。

「売れる仕組み」がマーケティングなのか?違います。上の例で言えば、「お客様に価値を提供して利益を得ること」です。あるいは、「お客様のニーズに応えることによって、利益を得ること」とも言えるかもしれません。

簡単に説明しようとするのはいいのですが、「顧客」とか「お客様」を省いてマーケティングを説明しようとするのは相当危険です。

ですので、こちらのサイトの「マーケティングとは売れる仕組みである」という考え方は、個人的には全く賛同できません。

ちなみに以下のページでも同様です。

マーケティングとは何か?その意味を知ろう

なんだかんだと色々語った上で、

マーケティングとは、「儲け続ける仕組みを作ること」。

としています。いやー、それでいいのかなーと思ってしまいますね。おそらく、儲け続ける、の「続ける」の部分があることで、顧客に価値提供できていないと儲け続けられないので顧客のことに敢えて触れていない、みたいなことを言われそうですが、それは違うのでは?と感じます・・・。

一部の活動に狭めた定義のケース

続いての例を見てみます。

マーケティングとは何か~前編~

途中までは、日本マーケティング協会の定義を掲載したりして、いい感じに来ているのですが、途中でおかしな方向になってしまいます。

ただ、そういわれてもピンとこない方もおられるはずなので、当塾ではマーケティングとはどういうもので、どう進めていくものなのかについて、

  • 市場調査
  • データの精査
  • 商品企画・販売方法の決定
  • 来店客の反応・満足度調査

という4段階に分け、以下でそれぞれの概要と進め方について解説をいたします。

これは一見すると企業でいうところの「マーケティング業務」に近づいてきているため、それっぽい感じがします。

ですが、実際にはそうではありません。例えば「セールス」。セールスは、こちらの定義では漏れてしまっています。ですがセールスも、れっきとしたマーケティングの一部であるはずです。

が、こちらではそれを省いた形でマーケティングを定義しています。

 

個人的には1番目のを推します

 

 

カロリーメイトを崩さずに袋を開ける小技

カロリーメイトの袋を開けるとき、カロリーメイト本体が袋に当たって必ず崩れるので困っていた。

真四角なまま袋から取り出してホクッとかじりたいのに、たいてい端っこが欠けてしまっていて、残念な気持ちになる。

なんとしても崩さずに完全な状態で食べたい。その強い想いのもと、2週間に渡る研究を経て、とうとう本体を崩すことなく袋を開ける方法を見つけたので、ここに紹介する。

ちなみに、以下のようなサイトはもちろん見た。

カロリーメイトの開け方革命。ついに私はたどり着いた。

何度か試したが、ほとんど成功しなかった。本当に毎回このやりかたでこの人は無事に開けられているのか、疑問だ。

今回私が編み出した小技を使うことで、上記の方法と比べてカロリーメイト崩壊率が10分の1程度に下がる(パペロト調べ)。3日の練習の末、私は現在では崩れてないカロリーメイトをほぼ確実に口に運べるようになった。ぜひ試していただきたい。

方法:開け口の重なっているところの片方だけを切り裂いて開ける

方法はいたって簡単だ。

オープンと印刷されている箇所を下に引き裂いて開けるのは同じ。

ただ一つ違うのは、重なっている二枚をつまむのではなくて、二枚を開きわけて一枚だけをつまんで下に引き裂くことだけだ。

まず、箱から取り出す。

そして袋の端の二枚重なっているところを・・・

矢印のように左右に軽く引っ張って、開き分ける。

そして開いたうちの片方だけをつまんで、ゆっくり引き裂く。

するとこの通り。

オープンと書いてあるところをただ引っ張ると、そろ引っ張った箇所が内側に巻き込まれて、カロリーメイト本体を傷つけてしまう。

それを防ぐために、切り裂く部分を狭くして、本体を傷つけてしまっていた部分を減らすことによって、崩壊リスクを下げるのだ。

ぜひこの小技、試してみていただきたい。

そして、全く崩れていないカロリーメイトをしっかりと味わっていただきたい。崩れていても崩れていなくても、その味が全く変わらないことに、きっと驚くはずだ。

ジュネーブ留学記(5)レストランで山盛りサラダの悲しい記憶

留学中は、大学から幸運なことに奨学金をもらえていた。たしか月に1400スイスフランぐらい。当時1スイスフランが90円程度だったので、12万円ちょっとの金額だ。

学生寮の家賃が8万円程度だったと記憶している。ほかに固定費はなかったから、差し引いて手元に残るのは4万円程度だ。

日本で一人暮らしをして学生時代に4万で暮らせと言われれば、私の暮らし方だとそんなに難しくはない。何しろ私はお金を使わない。

しかしそこはスイス。甘くなかった。大抵のものが日本より高い。

例えばマックでハンバーガーのセットを頼むとする。

当時はまだマックが価格競争から抜け出せていない時期だったから、日本では特に安くて、ハンバーガーのベーシックなセットで350円くらいだったように記憶している。

それがスイスではいくらだったかというと、1000円以上だ。マックなら大丈夫だろうと思ってふらっと入った私は、メニューを見るなりクルリと回って帰ったことをよく覚えている。

だから、スーパーで安いものを探して食べるのが日常になる。

しかしながら、寮のキッチンが共有で、潔癖症である上にコミュニケーションが取れない状況に陥っていた私にとっては、手の込んだ自炊を続けることは難しかった。

使えるのは、自室にあるティファールもどきの電気ポットと、キッチンに一瞬だけ入ることを覚悟すれば使える電子レンジ。これだけだ。

でも電子レンジを使うと短い時間でも他の寮生に会う。出来るだけ私は寮で人と会うことを避けたかった。

包丁などを使おうとすると、キッチンに長居することになるのでもっと難しい。同じ理由で火も使えない。相当私は精神的に弱っていたのだなあと改めて思う。

さて、いろいろ考えて、最終的に私が落ち着いたのは、トルティーヤだった。

トルティーヤの皮がなんだかいつも安かった。10枚入りで100円くらい。これなら買える。

そしてスーパーのミグロに行けばソーセージなども結構安く買えた。これに安ーいチリソースみたいなのを加える。トマト入ってるから、これで野菜をとったことにできる。気分の問題だ。

トルティーヤの皮に、電気ケトルで温めたソーセージをいれて、そこにチリソースをかける。

これを毎日とは言わないが、年がら年中食べていた。

案外うまいのだ。チリソースだから辛味があって食欲も湧く。ソーセージも美味しいし、トルティーヤの皮もいける。

時には千切りキャベツを挟んだりもしてみた。これだけでもヘルシー感が増して嬉しかった。

時には朝昼晩とすべてその適当トルティーヤになることもあったが、朝食はミューズリを食べることが多かったようにも思う。ミューズリについてはまた別に書く。

さて、そうして我が家の看板メニューに躍り出たトルティーヤは、簡単で安くて美味しい。それはよいのだが、何しろ年中食べているので、いずれはやっぱり飽きる。

かといって自炊もできない。

だから、月に一度だけ、外食をした。

ジュネーブ駅前にマノールというデパートがあった。高級デパートではなく、比較的親しみやすい感じのデパートだった。

その一階に、レストランが入っていた。そのレストランには、サラダバーがあり、そして素晴らしいことにサラダバーだけでも注文できるのだ。

皿一枚あたりで価格が決まっていて、そこに野菜だとかパスタだとか、運が良ければ肉なども入れることができる。

大きい皿は1500円くらい。中くらいだと1000円ちょっと。一番小さい皿はたしか700円くらいだった。

この一番小さい皿を私は選ぶ。そしてそのさらに野菜、パスタ、ハムや肉などを盛るのだ。そう、載せるのではない。文字通り、盛る。山盛りだ。

皿は平皿だから、盛りにくい。すぐにはみ出そうになるが、それをなんとか押さえ込んで、盛れるだけ盛る。

たくさん盛るためには安定感が必要だ。土台を作らなければうまく盛れない。

まず下側に重さのあるマカロニとかを敷き詰める。さらに満遍なく敷き詰めたら、マカロニとマカロニの隙間を埋めるように細切れになったハムのようなものを押し込む。

そしてもう一度マカロニを載せる。炭水化物が欲しいから多めのパスタは大切だ。そしてまたハム的なものを乗せてから、最後に野菜をこぼれないように載せる。これでもかというくらいに、載せる。

山盛りサラダの出来上がりだ。

レジで店員が私の山盛りサラダを見て、やるせ無い表情をしていたのを思い出す。

情けなかったが、しかしこのサラダが美味しかった。700円は当時の私には大金だが、トルティーヤを連日食べている私には最高だった。

思い出のサラダだが、グーグルで見る限りではこの店は無くなってしまっているらしい。寂しい。

岩国みやげといえば、岩まん!はす餅!ふるたのういろう!

山口県岩国市。本州の西の端っこ山口県の、東の端っこに位置する岩国市。ときに広島県岩国市と揶揄されることもある岩国市。

何があるかといえば橋がある。橋しかないのではなくて、素敵な橋がある。そういう街です。

江戸時代から観光の名所だったのは宮島ですが、江戸の一部の人たちは「俺は足を伸ばして岩国まで行ってきたよ」と通ぶるのがかっこよかったとかどうだったとか。

そんな岩国市に行ったなら、ぜひ試して見ていただきたいお土産があります。

岩まん

岩まん。まんじゅうです。

ネーミングセンスが只者ではありません。インパクトがすごい。

実は私も一度しか食べたことがない、レアなお菓子です。

パイのような生地にあんこがたっぷり詰まったあげまん的なものです。結構脂っこかった印象です。そしてなにより美味しい。

ただし、相当レアで、なかなか買えないのだそうです。

それでもぜひ試してほしい。おいしいから。一度しか食べたことないけど。

ふるたのういろう

岩国市に行ったなら、きっと錦帯橋のそばまで行っているはず。そこで買うべきは、ふるたのういろうです。

錦帯橋の城側ではないほう、バス停の隣に小さな店舗を構えているのが古田秋栄堂です。小さな和菓子屋さん。

ここに売られているのが、ふるたのういろうです。

ういろうといえば、一般的には名古屋が有名ですが、実は山口県のういろうもおいしい。

同じういろうといっても、名古屋のものとはかなり違います。

山口のういろうは、とてもプルプルしていて、プルプルというよりはプリンプリンしているというか、とにかくプリプリです。

ふるたのういろうは美味しいのですが、包装はあんまりよくない。たしか6本が1パックになっていて、1本ずつ小包装されていないのです。だから一本食べたら頑張って6本処理しなければなりません。

その問題さえなければ最強のお土産ですが、それでも食べていただきたいのがこちらです。

はす餅

岩国はレンコンで有名です。とにかくレンコンがあるので、なんとかしてレンコンを使った名物を作りたい。

きっとそんな思いから作られたであろうお菓子がこれ、はす餅です。

はすが持ちの部分に練りこまれているあんこ入りの餅です。

はすの主張が強いかといえば、強くない。なので、はす餅はほぼただのあんこ餅です。

でも、おいしい。そして小さくてかわいい。あと小包装。(ふるたのういろう、ごめんなさい)

とりあえず困ったらはす餅というのはスマートな選択肢です。

番外編;岩国れんこんそうめん

食べたことはないが気になっているもの、という点でナンバーワンはこれ、岩国れんこんそうめん。

はす餅同様、とにかくレンコンがとれるので、これをなんとか使いたいのが岩国市民の共通の思いなのかもしれません。

昔から名前だけはきく岩国れんこんそうめんですが、実際に食べたことはありません。

多分そうめんにレンコンが練りこまれているものであろうことは想像できますし、なんとなく味も想像できなくもないですが、名前の響きがいいですね。

ぜひあわせておためしください。

ところでリニューアル前の安倍礼司は、そんなに面白かったのか

リニューアル後の安倍礼司が相変わらず空回り中な状態です。

求めてる安倍礼司はこれじゃない・・・という反応がツイッターではほとんどで、ほぼ諦め状態に入りつつあります。

しかし、私はふと思ったのです。もともとそんなにまで面白い番組だったっけ?と。

なんとなく5年ほど聞いていましたが、そこまで私は安倍礼司のファンだったかな、と。

それで振り返ってみました。一体なぜリニューアル前の安倍礼司は面白かったと思っているかを。

楽しんで聞いていたが、何がそんなに面白かったのか実はよくわからない

楽しんで聞いていたとは思うのです。毎週、安倍礼司を車に乗っているときに聞いたり、ラジコで聞いたり。

聞いた後で、あー楽しかった、と感じてはいたはずなのです。

だけど何がそんなに面白かったのかと改めて考えると、実はよくわかりません。

いまいちだなー、と思っていたところはすぐに思い出せます。

例えばイベント収録のようないつもと違う収録方法の時は、キャラクターを忘れて巣の状態になってしまう飯野が嫌でした。「キャラを忘れるな!飯野であることに徹しろ!」と思ったものです。

あとは、刈谷のつまらないギャグとか。おぼっちゃまくんを思い出させるようなしょうもないギャグ。何を気に入っていたのだか、毎回のように出てくるので、やめてほしいと思っていました。

それからアンジュの「さかえるのじゃー」という決め台詞。あれもあんまり好きではありませんでした。決め台詞を作ろう!と会議が行われて決められたようなセリフで、アンジュの人も「とりあえずこれ言っておけばオーケーですよね」という置き方で、そんなに面白くはありませんでした。

選曲も、時々「違うんだよなー」と思っていました。もう少し時代が下がった頃の曲を主にかけてほしいんだけど、と頻繁に感じていたものです。

なのになぜか聞いていた

このように、嫌いなところはすぐに思い出せます。なのに、なぜか私は聞き続けていました。

なぜなのでしょうか。

脚本がとてもよかった、ということでもありません。楽しく聞いていましたが、何か特別な回を覚えているかというとそうではない。

そういえば、安倍礼司が家を買おうか悩んで、結局買わなかった話、というのは覚えています。それ以外には、誰かとだれかが結婚したとか、だれかの誕生日がどうだったかとか、そういう記念日関連の回もうっすらとは記憶に残っています。

ですが、そのストーリーに魅了されていたかといえば、そうでもないです。

だれか特定のキャラクターが好きだったか、と考えてみると、まあそれなりにみんな好きでした。主人公の安倍礼司は、決して平均的でもないのではないかと思わせる言動でありながら、あくまでもアベレージだと言い張るその様子がよかったです。

登場しなくなった刈谷も、ギャグは寒かったですが、声が良かったですし、なんだかんだ言ってもとても仕事ができる男という設定もあるために、彼がいるといちおうはなしがしまるようなところもあって、よかったですね。

姫川皐月もよかったです。妄想劇場は、8割つまらないので不要かなーと個人的には思っていましたが、声が素敵なので好きでした。

アンジュは、さかえるのじゃーは不要であるものの、まあどっちでもいいかな。飯野あたりもまあべつにどっちでもいいです。部長とか、ゆうちゃんとか、えいたとか、まあこのあたりもどうでもいいです。

要するに、だれかが好きだから聞いていた、というわけでもないようです。

選曲が常に良かったわけでもないことはもう書きました。なので曲が良かったというのも1番の理由にはならない。

ストーリーでもない。登場人物でもない。曲でもない。じゃあなんなの?と考えると、全く説明になっていないのですが、空気感が良かった、という話になってしまいそうです。

空気感ってなんだ

空気感って説明になっていないような、ちょっとだけなっているような、微妙な説明です。

ネットの辞書によると、空気感とはその現場、その人物の持つ雰囲気、ということなのだそうです。

ま、そういうことになりますよね。

安倍礼司の空気感ってなんだったんでしょうか。

Twitterなどをみていてると、水戸黄門のような「何も起こらない、いつもと同じストーリーが良かった」というようなことが言われているようです。

たしかにそんな気もします。。毎週特に何か特別な出来事が起きるわけでもなく、ただ日常が、中途半端なリアリティーで流れていく感じ。これが安倍礼司の空気感でした。

案外「中途半端なリアリティー」のところが大事だったのかもしれません。

キャラクターと、その演者とが完全に一体化しているわけでもなく、かといって別人格でもないような。

つまり、演者はキャラクターを演じることが彼らにとっては仕事なわけですが、一般的なサラリーマンにとってはその中で演じられていることがその日常的な仕事なわけで、そこに何か重ね合わせたり、感じ取ったりして日々の仕事を客観的に見て楽しんでいるような感じ。・・・これが私自身にはしっくりくる説明です。が、他人にわかってもらえる説明になっていないことは自覚しています・・・。

何が面白かったのかわからないので、リニューアルに対する要望も出しようがない

なぜ私自身が安倍礼司を面白いと思って聞いていたのか、あまりいい説明ができません。

なんとなく、登場人物がやりとりしているのを聞いているのが面白くて、そこに演者とキャラクターとが微妙に混じったり離れたりする様子がスパイスになっていた。こんな感じなので、リニューアルに不満はありますが、かといってどうしてほしいという要望もありません。

強いていうなら、元に戻してもらえたら、もしかしたらまた聞き始めるかもしれない、程度です。ですが、一旦これだけ変わってしまったら、もう戻れないかもしれません。

何が人気なのかわからないコンテンツというのは、継続していくのが難しいですね。狙って作り上げられるものではありませんし。

そう考えると、リニューアルが失敗してしまっていることも納得がいきます。何が人気なのかわからないので、どこをいじっても大丈夫なのかがわからない。で、結局不評・・・という感じで。

リニューアルした安倍礼司が面白くない!その理由を考える

2018年5月にリニューアルした安倍礼司が面白くありません。

私はそれほど長年のファンというわけではありませんが、そんな私にとっても、新しくなった安倍礼司は実につまらなく感じます。

なぜ新しい安倍礼司は、こんなにもつまらないのか。その理由を考えてみます。

結論:既存リスナーを楽しませるつもりが、制作陣に全くないから

まず結論から始めます。

新しい安倍礼司が、少なくとも既存リスナーにとって楽しい番組ではなくなってしまったのは、制作陣に既存リスナーを楽しませようというつもりがまるっきりないからです。

昔から聞いてくれている人にちゃんと楽しんでもらおう、というリニューアルであればもっとポジティブな評価を得られたでしょうが、すでにファンになってくれたリスナーのことも楽しませよう、既存リスナーの視点に立ってコンテンツを考えてみよう、という番組づくりでは全くありません。

既存リスナーに楽しんでもらうためのコンテンツではないのですから、聞いていて楽しくないのは当然です。

では具体的にどのあたりが既存リスナー視点ではないのか、確認してみましょう。

1 既存リスナーが好きだった名物コーナーや名物キャラクターが出なくなった

安倍礼司には名物コーナーや名物キャラクターがたくさんいます。

まず一番目立つのは、刈谷勇です。

安倍礼司ファンの中にも、刈谷というキャラクターが好きな人もいれば嫌いな人もいると思いますが、印象に残るキャラクターであるという点については異論はないでしょう。

アクが強く、でも要所要所で大切な役割を果たすキャラクターであり、主人公安倍礼司についで重要なキャラクターの一人でした。

今回のリニューアルに伴って、というか、リニューアルと刈谷の退場のどちらが主でどちらが従かはわかりませんが、いずれにせよリニューアルのタイミングで刈谷はいなくなりました。

名物キャラクターである刈谷が出ないのは、既存リスナーが喜ぶことがないのはわかりきったはなしで、このあたりからもきぞんりすなーじゅうしのリニューアルではないことはわかります。

また、姫川皐月の登場機会がずっとなかったのも気になります。

このキャラクターが妄想を繰り広げるという妄想劇場なるコーナーも、名物コーナーの一つでした。

刈谷というキャラクター同様、好き嫌いはあるでしょうが、安倍礼司という番組を盛り上げる名物コーナーの一つだったことはまちがいありません。

それが少なくとも5月の間は一度もなし。

既存リスナーに馴染みのあるコーナーやキャラクターを残して楽しめるようにしてあげる、ということは制作陣のなかでは優先されていないようです。

2 馴染みの既存キャラも変わった

馴染みのキャラクターがやたら変わっていることも重要ポイントです。

たとえば安倍礼司の息子である安倍えいた。彼は小学生の子供という設定ですが、声は子役が演じていました。

それが大人の声優に変わっています。

また、変わったのは声だけでなくて、その口調も変わってしまいました。えいたは「でござる」という語尾で喋るという設定になっていて、聞いているこっちもどうしてこのつまらない語尾にこだわるのかと思っている面はありながらも、それを受け入れておりました。

なんかこだわりがあったはずのこの「ござる」という語尾は、しかしリニューアルを機にあっさり使われなくなり、えいたは普通に喋れる男の子にすっかり変わってしまったのです。

頑張ってあの語尾を受け入れたのに、急に戻ってしまったので、私はついていけていません。

また、その妹については、リニューアル前は一度も声として登場したことはありませんでしたが、リニューアル後は声がつくようになりました。まあ、でもそれは問題ないでしょう。今まで喋らなかったことの方が不自然でしたので。

ちがう問題点は、安倍礼司の妻の安倍優です。

子供のことが大好きな元気一杯の母親、という設定だったはずが、こどももおいていえをでていってしまい、そのまま何週間も戻ってこない、という無茶苦茶な人になってしまいました。

彼女も安倍礼司に何年もで続けている重要な役柄。既存リスナーにとってはとても馴染み深いキャラクターです。

それが急に性格が変わってしまって、考え方も行動もおかしくなってしまったとあっては、既存リスナーがついていけなくなるのは当然です。

これまでのファンが馴染み気に入っていたキャラクターが、容赦無く変更させられているのが今回のリニューアルということになれば、そういう古くからのファンやリスナーが楽しめなくなってしまうのはとても自然なことです。

3 馴染みの構成がなくなる

最後は馴染みの構成ではなくなってしまったことです。

たとえば、40台前後の人が懐かしく聞けるような90年代から00年代ぐらいの曲を流すのが安倍礼司の特徴的な構成の一つでしたが、それはバッサリなくなりました。

いきなりグリムスパンキーとかかけられても、いい曲だけどそれは求めてないなあ、と既存ファンは感じます。

また、これまでの1時間をたっぷり使った一話完結タイプの構成ではなくなってしまったのも、ポイントです。三話からなるオムニバス形式みたいになり、しかもそのうち一話は知らない人たちの会話です。ちょっとついていけません。

おまけにその三部構成は、その週で必ずケリがつくわけではなくて、少なくとも第3部は継続的に話が続いているような状態。しかも明るい話ではなく微妙に暗い話。

既存ファンが喜ぶ要素が見当たりません。

制作陣は今後どうするのか

このように具体的にみて行くと、結論としては既存リスナーは全く大切にされていないなあ、と思うわけです。

そうなると、問題はこの先どうなるか、でしょう。

色々な予想がされています。

一度リニューアルと打ち出したのだから、きっとこのまま突き進むだろう。あるいは、刈谷がいなくなったりしたのには、なんらかの裏側での問題があったのだろうから、そう簡単には戻すことはできないだろう。そんな「このまま進むだろう」という説。

あるいは、これだけ批判的な評価があるのだから、いずれは戻さざるを得ないだろう、という説。

どうなるのでしょうか。

制作陣は、既存リスナーのことを一度忘れて、新しい構成にチャレンジしたわけなので、そう簡単にやっぱり元に戻します、という選択はできないだろうと思います。

それなりに成功するだろうという読みがあってのリニューアルでしょうし。たった一ヶ月でも度に戻したりすれば、色々な人からもお叱りを受けるはず。

となると、なかなかこれまでのみんなが好きだった安倍礼司に戻るとは思えません。

とはいえ、色々な声がすでに制作側には届いているはずですし、いったいどのような動きがこれからあるのか、要注目です。

ジュール・ヴェルヌ読むならとりあえずこの3冊!

フランスのSF作家、ジュール・ヴェルヌ。和訳されていないものを含めると、80作品くらいは残している多作の作家だ。ちなみに80作品というのはうろ覚えなので違ってたら後で訂正する。でも確かそんなもん。

名作も多いが、読んでてダレる微妙な作品がちょこちょこあるので、とりあえずヴェルヌ読んでみるならこれを是非、というのを3作品集めてみた。

長ったらしい博物情報みたいなのがちょくちょく挟み込まれるのがときに鬱陶しいが、教育小説としての歴史もあるので大目に見てやってほしい。

1. 80日間世界一周

初めてヴェルヌを読むなら、私的おすすめ第一位は圧倒的に80日間世界一周だ。

なにしろ、ストーリーがちゃんと面白くて、キャラクターも立っているので読み進めやすい。

とはいえもう100年以上も前に書かれた作品だから、様々な国の描写はかなり怪しいというか、嘘や誤りが多い。

多分ヨーロッパの記述以外はほとんど正しいところはないと言っても間違いではないと思う。たぶん。

それでも、当時はこのように言われていた、という情報として読むと、これもまた面白いはず。

何よりこの作品の魅力は、繰り返すけどストーリーとキャラクターだ。主人公であるフィリアス・フォッグがとにかく私は好きで、この人の描写を読んでいると思わず笑ってしまう。

晩年のヴェルヌ作品はどうもだんだんと暗いテーマになりがちだったが、まだこのころの作品は明るくて生き生きしていて読んでいて楽しい。

まずは、とりあえず楽しいこの「80日間」を読んでから、ヴェルヌの世界に入り込んで行ってもらいたい。

2. 海底二万マイル

次にオススメしたいのは、海底二万マイルだ。日本語タイトルはいろんなバージョンがあって、海底二万里とか言われたりもするが、まあどれでもいい。

2番目にオススメしておきながら言うのもなんだが、そんなに好きな作品というわけでもない。ちょっと思い入れがあるのと、とりあえず読んでおいていただかないとならないと思うので、これを2番目にせざるを得なかった。

ただ、ちゃんと面白いから安心してほしい。

有名なノーチラス号が出てくるこの作品。独特の雰囲気があって、やはりよい。パイレーツオブカリビアンの二作目のイカタコ船長は、きっとこの作品にインスパイアされたんだろうなと明らかにわかるくらい、あんな感じの話だ。

個人的に好きなのは、何ページにも渡って描かれるお魚情報だ。

小説を読んでいたつもりが、いつの間にか図鑑を読まされているというマジック。意味がわからないと思うが、ほんとにそんな感じだから仕方ない。

ここがまさに教育小説として書かれたことの一つの側面なんだけれども、とはいえヴェルヌは情報の収集家なので、確実に楽しみながらお魚インフォメーションの列挙をやっている。

その熱が伝わってくるから、興味なくても魚の紹介を読んでしまう。

この不思議な感覚を楽しめると、ますますこの作品を楽しんでもらえると思う。

ちなみに1番目を80日間世界一周にして、2番目を海底二万マイルにしたのは、こっちはちょっとだけ内容がくらいから。

まずは楽しい気持ちになる作品を読み、そのあとで少しだけくらいテイストの海底二万マイルを読んでいただくのが良いおもう。

3. 神秘の島

さて、最後はこれ。神秘の島だ。

80日間世界一周や海底二万マイルと比べると、かなり知名度が落ちる作品だが、私的にはヴェルヌの最高傑作だと思っている。

いわゆるロビンソンクルーソーもので、島に漂流する人たちの話だが、相当楽しい物語だ。

クルーソーものは、そもそもその設定が楽しいから、どうあっても読んでて楽しいのだが、こちらはちょっと他の趣向も凝らしてあるので!ヴェルヌ好きはかなり興奮する。

これもまた登場キャラクターが素晴らしい作品で、このメンバーなら一緒に島に漂流してみたいなあと思わせる。

また、舞台となる島そのものも魅力的だ。

岩波書店の大型版だと、表紙裏に大きな地図が付いてくる。これをみながら読むとなお楽しいのでオススメだ。

以上、ヴェルヌを読むならとりあえずこの3冊として紹介した。

他にも楽しい作品はあるが、でもこの3冊を繰り返し読むだけでも満足感はあるはず。是非試しに読んでみてほしい。

文学研究をしていたことを恥ずかしく思っていた私の話

文学研究が学生時代の私の専門だった。それもフランス文学だ。

大学を卒業し、やがて仕事をし始めると、学生時代に何をやっていたかという話題になる。私が」フランス文学をやっていた」というと、大抵の場合、笑いが起こる。「めずらしいね!」と言われるケースが多いが、一度は「鉄板ネタだね」と言われたことすらある。

なぜそこまで笑われたのか、本人には聞かなかったので確かではない。私のアジア人然とした風貌と、いまだに根強いフランスの洒落たイメージが合わなかったからかもしれない。でもたぶんそれ以上に、「役に立たないことに時間を費やしたのだね」という笑いだったのではないかと思う。

笑われると良い気分はしない。それでもその時は私も笑って話を合わせた。よく言われます、と。

フランス文学研究が「鉄板ネタ」と言えるほど面白いとは今でも思わない。しかし同時に、人が笑う気持ちがわからないわけでもない。フランス文学、という響きには独特の面白さが確かにある。

そんな風に笑われることが多いし、また自分自身も就職の場面や実生活で役に立つことを学ぼうとして文学研究を専門に選んだわけではないから、フランス文学をやっていたというときに、「あまり役に立たないのですけれどもね」と一言添えるクセがいつのまにかついていた。

また、仕事を始めてからは自分から積極的に自分の学生時代の専門について話すことはなくなっていた。フランス語が少しは喋れることも他の人に知っておいて貰えばいいのに、それすらも隠すようになった。どうしても専門について話さなければならないときは、少し自虐的に語る。それが自分にとって当たり前のことになった。

最近は、外国人と一緒に仕事をする機会が増えた。そうすると、昼食を一緒にとる場面などでは、学生時代の専門について話をすることが結構ある。共通の話題が少ないので、過去の話から話題を探ろうとする人が多いからかもしれない。

先日も「あなたは学生時代に何を専門にしていたの?」と尋ねられた。

またこの話か、と思いつつ、私はいつもどおりに「フランス文学研究をしていました。全く役に立ちませんけどね笑 間違って選んでしまったんでしょうねえ、若かったから笑」というような調子で答えた。

外国人と仕事をして、私はまだ文学研究をしていたという人にあったことがない。大抵マーケティングだとかコンピューターサイエンスだとか、そういう実益に繋がりそうなことをやっている人がほとんどだ。そういう人たちに、文学研究をしていたということを、私は恥ずかしく感じていた。時間と金をそんなことに費やしたのか、と思われるような、そんな気がしていたからだ。

フランス文学を研究していたと聞いて笑う外国人にはまだあったことがないが、それでもフランス文学?どうして?という表情を見せる人は多い。

だからその時も、いつもの調子で答えたのだ。

すると、同僚の一人が真剣な表情で「そんなことない」と私に強く反発した。文学研究は役に立たなくはない。あなたの仕事にちゃんと有益な経験になっていると思う。そう彼女は言ったのだ。

私はマーケティングに関わる仕事をしている。この領域では、消費者や顧客のこと、つまり人間のことがよく分かっていることが成功のカギになる。すべては人を知ることから始まる。「文学研究は、人を理解するときにとても役立つじゃないですか。あなたはその経験をしっかり生かしていますよ」と言われたのだ。

私は、その当然の指摘を受けて、とても恥ずかしくなった。

考えてみればたしかにその通りなのだ。文学研究とは、テクストを通じて人間のことを多面的多角的に考える行為。その経験が私の仕事を助けてくれないはずはない。その通りだった。

ところが私は、長年の他人からの反応を間に受けて、それに加えて決して高い志を持って文学研究を始めたわけではない後ろめたさから、自分が費やしたそれなりに長い年月と頑張りとを貶めるようなことを常日頃から口にしていたのだ。それも何年も。いろんな人に対して。

小説や詩が人の役に立つか、と問われれば即座に私は役に立つと答える。文学研究が人の役立つかと問われれば、実は私はまだ自信を持って役に立つとは答えられない。

しかし文学研究という経験は、私自身の糧にはなっているだろう、と今の私は強く感じている。

その学問は、その経験は、役に立つのか。

文学研究に携わり、そして学問を離れ仕事を始めた人のなかには、私とは違ってその経験や学問が自分をどのように助けてくれているかをしっかりと自覚できている人もいるだろう。すばらしいことだ。

反対に、私と同じように、場合によっては後悔しているような人もいるのではないかと思う。

たしかに私自身も、文学研究が社会にとって有益かと問われると、簡単には答えられない。少なくとも短期的なリターンは多くないだろう。

それでも、文学研究の経験があなた自身を助けるか否かと問われれば、案外役に立っているかもよ、と答えるだろう。

飲み会を断ることのデメリット(ちなみに私はほとんど断る)

飲み会が苦手な人は、飲み会に誘われたり、どうしても断れないイベントが発生したりすると、とても辛い気持ちになります。

行きたくないー!と、さけんだりしてます。ほんとです。

そんなとき、「辛すぎるから、思い切って断ってしまおうかな」と思ってしまうこと、きっとあるはずです。そんなこと思わないという人、よかったですね。あなたはラッキーです。しかし飲み会嫌いな人は、どうしても行きたくないのです。

私は、タイトルの通り、少しでも嫌だなと思った飲み会は、基本的には断るようにしています。

断ることによって得られるメリットのほうが、私にとっては大切だからです。

しかし中には、全然気乗りしなくても、飲み会に誘われたら必ず参加することにしている人もいます。楽しいから必ず行く人ではなくて、楽しくなくてむしろ好きでは無いにもかかわらず、断らずに参加する人、です。

なぜ飲み会嫌いな人たちが、辛いにもかかわらず参加するかといえば、飲み会を断ることにデメリットがあるはずだと考えているからです。

飲み会を断ることによって、自分にとって悪いことが起こる。だから本当は嫌だけど、頑張って飲み会に行く。こういう発想です。

では、嫌いなのに断らずに頑張っていかなければならないほどのデメリットがあるのか、ということですが、まず「デメリットがあるか無いか」といえば、確かにあります。

飲み会を基本断る私がいうのだから、間違いありません。デメリットは、あります。

そのデメリットが、嫌いなのを押してでも参加したほうが良いほどのデメリットかと聞かれれば、それは人による、という話になりそうです。事実私はデメリットがあると知っていますが、それでも行きませんから。

そこで、私が感じる・考えるデメリットをお伝えすることによって、飲み会嫌いの人たちが今後も飲み会に参加し続けるのか、それともその程度のデメリットならやめてしまえ、と参加しなくなるのか、判断していただくための情報を提供できればと思いました。

デメリット1;関係性を築くチャンスが減る

最大のデメリットですね。関係性を築くチャンスが減少してしまうこと。これがまず取り上げなければならないデメリットだと思います。

飲み会は、飲みニケーションという言葉に象徴されるように、コミュニケーションの場です。美味しいお酒や美味しい食事は、主役ではなくあくまでコミュニケーションのサポーター。

すべては、人と人が一緒に楽しい時間を過ごすための、ツールにすぎません。

飲み会の主役はコミュニケーションです。

ですから、飲み会に行かないということは、コミュニケーションのチャンスを失うことにダイレクトにつながります。

飲み会というコミュニケーションの場を失うと、飲み会を重視する人とは特につながりにくくなります。

人と人とのつながり方にはいろいろな方法があるものですが、それぞれに理想形みたいなものがあるものです。

例えば私にとっては、アルコールが入っていない状態で、できるだけ少ない人数で話をすること。これがベストです。

ところが十人十色で、理想形は人によって異なります。

そして、飲み会こそがキングオブコミュニケーションだと認識している人が、少なくないのです。

私のような飲み会嫌いにも、その意味はわかります。

アルコールを入れて少しリラックスして、身を寄せ合いながらいいことも悪いことも胸襟を開いて語り合う。しかも飲み会は短くても2時間くらいは一緒に時間を過ごします。

そうすると、自然と人と人との距離が近くなる。

確かに理想形ですね。お酒とかコミュニケーションそのものが好きな人にとっては特にです。

飲み会を断ると、こういうアルコールもコミュニケーションも好きな人たちとつながる最高の機会を失います。

この人たちは、いろいろな人とたくさん飲み会に行ったりするので、そのコミュニティの中でつながりは広がり続け、関係も深まり、後からそこに加わろうにももう間に合わないということになりがちです。

この人たちとは飲み会に行かなければ深いつながりを築くことはできません。大きなデメリットとなると思います。

デメリット2:仕入れられるネタの量が減る

次のデメリットは、仕入れられるネタの量が減ることです。

お酒が入る場なので、思わず話してしまったというような話のネタが飲み会にはそこかしこに転がっています。

お酒が入らなければ、きっとこの人は話さなかっただろうなあという話が出てきてしまうものです。

そういうネタの収集が、飲み会を断ると難しくなります。

あの時あの人がこんなことを言っていたなー、みたいな情報は事実飲み会を断るようになってからかなり減ってしまいました。

とはいえ、このような場で話される情報というのは、たいして重要なものではないケースが多いです。(歴史は夜作られる的に重大な情報がこういう場でリークすることもありますが・・・。)

ですから、飲み会で得られた情報をたくさん持っていたからといって、それが直接仕事で役たつかといえばそういうわけでもないとは思います。

しかしながら情報は質だけでなく量がものを言うことも多いのも事実。

あの人ってこうらしいよ、という噂話でもゼロよりは一つでも多く持っているとそれを使える場面というのは必ずあります。

飲み会を断りまくっている私には、そういうネタはあまりありません。聞くことがメインです。

ネタを多く持っていることが重要である人にとっては、この点はとても大きなデメリットになると思います。

結論:私にとっては結構どうでもいいデメリット

さて、どうでしょうか。私に思いつくデメリットはこれぐらいしかありませんでした。あとは、知り合いの幅が広がらない、とかでしょうか。いずれ思いついた時に追加してみようかと思います。

いずれにせよ、私にとっては大したデメリットに感じません。

というか、飲み会を断ることによって、なんか時間を無駄にしてしまったなあと感じてしまうことに比べれば、これらのデメリットはなんてことないのです。私にとっては。

それよりも自分の好きなように使える時間を少しでも増やすことの方が私にとっては大切です。家族と過ごしたり、本を読んだり、映画を見たり、ドウデモイイテレビを見て時間を無駄に過ごしたり。こういう時間を過ごすことが、私の場合はストレス発散になり、次の日からまた頑張るためのエネルギーを生み出してくれているわけですから。

無理に飲み会を断る必要は、もちろんありません。上記のデメリットに比べれば、多少嫌いでも飲み会に行く方がよほどいい、という人はもちろんいるはずです。私ももしかしたら将来的にそのようになるかもしれませんし。

一方で、よく考えたらたいして困らないかも、という人はたまには飲み会を断って自分の時間をたっぷり使える日を作ってみても、いいかもしれません。

安部礼司のリニューアルが不評 その理由を考える

東京FMの人気番組「あ、安部礼司」のリニューアルが不評です。

私はリアルの知り合いには安部礼司のファンはいないため、ネットの評判を読む限りではと言う感じですが、リスナーの一人としてリニューアル後の放送を聞いてみても、「これはちょっとないなあ」と感じます。既存ファンには概ね不評、という評価で間違いないだろうと思います。

良くいえば、よくこれだけの大きな変革に踏み切れたものだと感心します。

安部礼司はなかなかに人気のあったコンテンツです。固定ファンが多くついていました。それを振り切って、ここに安住していてはダメだ、と言う心意気で、きっと制作者たちは変革を起こしたのでしょう。

変化させること自体は、すごいです。明らかに不調というわけでもないなかでの変革は、なかなかできるものではありません。

しかし変革はもろ刃の剣。今回の大幅な変革は、現時点での評価を見る限りでは、残念ながら多くの既存ファンの心をつかむことには失敗したように見えます。

そもそもリニューアルの狙いは何か

5月というタイミングでのリニューアル。不思議な感じはしますよね。

リニューアルのそもそもの狙いは何だったのでしょうか。

少なくとも、「既存ファンにますますこの番組を好きになってもらうこと」ではないはずです。これまでの路線を強化するためのリニューアルには見えません。

おそらく狙いは、「新しいファンを取りに行く」こと。それが、リニューアルで目指したことだと思います。

「新しいファンの獲得」は、番組を継続していく上で当然の課題です。古いファンも長年番組が続けば少しずつ離脱していって、いずれはいなくなります。新しいお客さんの獲得は重要課題です。

問題は、「既存ファンを切り捨てる覚悟まであったのか」という点です。

私の考えでは、制作チームの中には「古いファンを全て失ってでも新しい命を吹き込むのだ!」という強い心意気で今回のリニューアルを進めた人が、制作チームの中にいたはずだと思っています。だからこその大鉈です。

その一方で、その思いが全員の総意だったかといえば、そうではなかったのではないかと思っています。

今のタイミングでリニューアルって必要?とか、既存ファンを切り捨てるのはさすがに勿体無いのでは?と思っていた人が、チームに少なからずいたのではないかと。

でなければ、無理に安部礼司という形をとる必要はありません。

制作陣の一部は大幅に変更したい。でも一部は安部礼司の資産を大事にしたい。その結果「これまでの安部礼司で培ったファンをベースにしながらも、新しいファンも獲得していく」という路線に落ち着いたのではないかと思います。

そして、中途半端なリニューアルであるがゆえに失敗した、というのが現状でしょう。

ツイッターを見る限りでは、「これは安部礼司ではない」「これならリニューアルせずに終わらせてしまったほうが良い買ったのではないか」といった声が聞かれます。相当反発を受けている状態です。

なぜこの度のリニューアルは、このような評価を得ることになってしまったのでしょうか。

既存ファンが不満を抱いたのには3つ理由がありそうだと思っています。

聞きたい内容ではなくなってしまった

まずはこれです。聞きたい内容とは違うものになってしまったと言うことです。

リニューアルに伴う大きな変更点は次のポイントです。

  1. 重要キャラクターがいなくなった
  2. 既存キャラクターの位置付けが変わった
  3. 既存キャラクターが登場しないパートができた

どれも大きな変更点です。

ファンにとってはなかなか受け入れがたいものだと感じます。

その一方で、個人的には少なくとも1の「キャラクター退場」だけは、なるほどそういう手はあるなと感じさせられました。

今回のリニューアルが、新規リスナーの獲得を目的としたものだったとすれば、敷居を低くすることが必要です。「この番組、今から聞いても面白そうだなあ」と感じなければ新規リスナーは逃げていくからです。

しかし、安部礼司はラジオドラマです。それも10年以上も続いている番組です。その特性上、固定キャラクターが登場し続けることは避けられません。

事実、安部礼司では、一見さんお断りとまでは言いませんが、背景を知らないと楽しめない要素がかなり多くありました。

一話完結ではありながらも、いわゆる内輪ネタのようなものがかなり増えていたために、初めて聞いた人にとっては「なにこれつまんない」な内容が多かったはずです。

その最たる例が、リニューアルで追い出されてしまった刈谷というキャラクターだったと思います。

私は5年ほど前から安部礼司を聴き始めましたが、はじめからこの番組を受け入れられたかというと全くそんなことはなくて、むしろなんだこのつまらない番組はと怒りを感じたこともありました。その理由がまさに内輪ネタが多かったからです。しかもその内輪ネタが結構つまらない。

具体的には刈谷というキャラクターが問題でした。

過剰な演技と軽いギャグとで、きっとファンには人気なのだろうけれども、そうでない人にはちょっときつめ。そんな立ち位置だったのが、刈谷です。

このキャラクターがいることで、ストーリー的には助かる面もあれば、反対に何がテーマだかわからなくなるケースが多くありました。

キャラクターに思い入れがない新規リスナーにとってみれば、テーマがわかりにくいことは致命的です。好きでもないキャラクターがよくわからないギャグを言っているのでは、聴き続けることは難しいです。

そこで、刈谷の退場案が出てきます。彼がいなくなれば、新規リスナーにとっては参入ハードルが低くなります。理にかなっています。

だから、新規リスナー獲得のためという点から考えれば、刈谷退場は意味のある変更だったと思います。

2点目のキャラクターがちょっと変わってしまったというのも、大きな変更です。

今までだったらこの人はこんなことは言わない設定だったはずなのになあ、という場面が見られます。

ただ、彼らは刈谷と違って退場したわけではないので、少しずつ元に戻していけばよいのですから心配不要かもしれません。

3点目の既存キャラクターが出てこないパートができた、については、今後これをキープするかどうかによって結構印象が変わるかもしれません。

安部礼司は、知っているキャラクターたちが繰り広げる様子を楽しむドラマでしたから、突然知らない人が出てきても、既存ファンには厳しいです。

新規リスナーにとってみてはどうでしょうか。感覚的には微妙かなあと思います。

一つ一つの話を聞いてみると、そんなに面白くないわけではない。しかし、あくまであるあるネタの延長にあるレベルのものなので、感動するほど面白いわけでもないというのがこれまで聞いてみたところでの個人的な感想です。

このレベルの内容だと、新規リスナーにも大して受けないのではないかなあと感じます。

特に、この番組の放送時間帯が問題です。

日曜の黄昏時。番組の冒頭で必ず聞かれたセリフです。そう、安部礼司は日曜日の夕方の、やるせない憂鬱の中にありながら、また明日からのエネルギーをなんとか自分の中から絞り出すための時間帯に聞かれる番組な訳です。

この時間帯に聞きたい物語や、触れ合いたいキャラクターはどんな人だろうか。そう考えると、今回のリニューアルの内容や人物設定は、ファンの機体とのズレが大きいのではないかと思われます。

結果として、既存ファンが求めてきた安部礼司とはかなり違ってしまった。しかもそれがいかにも新しいリスナーに受けそうな内容ならともかく、微妙な位置付けの内容にしかなっていない。ということから、多くの人の心がついていけていないのが現状なのではないかと考えています。

リニューアルの意図がわからない

リニューアルが不評である別の理由としては、「リニューアルの意図がわからない」ということもあるように思います。

たとえば、2018年に番組が終了した「めちゃイケ」や「みなさんのおかげでした」などは、内容に行き詰まり感が見えていて、しかも視聴率も伸びないという状況でした。だから、視聴者側にもこれら二つの番組が終了するの理由はある程度簡単に飲み込めました。また、これら二つの番組はバラエティー番組で、どちらも新しいことにチャレンジして切り開いてきた番組です。だから、マンネリはその性質とマッチしていないのです。だからコンテンツの行き詰まり感は致命的です。

翻って安部礼司。こちらはどうでしょうか。

聴取率データは見つけられませんでしたが、東京エフエムの放送番組審議会の議事録なるpdfが出てきました。

https://www.tfm.co.jp/company/pdf/news_4b53a05970ebd14549bc3b1cd4847bdb591530a87821e.pdf

このなかに、以下のような一文があります。

「サンデー・ソングブック」「安部礼司」に匹敵するような名物番組を配置して

また、他の箇所を見るとこのような文面も見られます。

番組発の企画や番組から発信していくことが大切だと考える。それは「SCHOOL OF LOCK!」とか「安部礼司」とか、とても評価されていると思う。

これは2017年の資料です。最新ではありませんが、ここからそれほど大きくは状況は変わっていないと想定すると、番組そのものの不調がリニューアルの必要性の理由にはならないのではないかと思います。

また、毎年各地でイベントを催すのが安部礼司の特徴の一つですが、どのイベントも来場者という意味ではそれほど問題があったという話はありません

つまり、現状での人気という意味ではそれほど問題がなかったと考えられます。

もちろん、番組を今後も継続していくためにはリスナーの入れ替えは必要です。入れ替えという言い方がおかしければ、離れていった既存リスナーの分だけ新しいリスナーを獲得する必要がある、という言い方でも結構です。

現状維持のためには、新しいリスナーが必要ですから、今の状況だけを見ていてもダメです。将来的にも継続して番組運営できるかがキーであることはわかります。

・・・とはいえ。そのためのリニューアルを今、この形で、本当にやらなきゃダメだったの?

これが既存リスナーの声なのでしょう。

番組もツイッターアカウントを持っていますし、プロデュースをしている堀内氏や、新しく作家として加わったマンボウやしろ氏なども、情報発信チャネルをきちんともっていますが、どちらもわかりやすい背景説明はしていません。

そうすると、既存リスナーはよくわからないタイミングと理由でのリニューアルを経た不思議な状態の番組をただ我慢して聞いているしかありません。フラストレーションがたまります。

結果として、このリニューアルダメだなー、という反応が生まれてしまっているのだと思います。

既存リスナーは切り捨てられたと感じてしまった

リニューアルが不評である別の理由としては、もっと直球なものもあるとおもいます。

つまり「既存リスナーは、自分たちが晩ん組から切り捨てられてしまった。大事な存在ではないと言われてしまった」と感じていることです。

私の想像では、番組制作陣のうち既存リスナーの切り捨てに強い覚悟を持っていた人は一部しかいなくて、残りはそこまでの覚悟を持たずに今回のリニューアルに望んだのではないかと踏んでいます。

狙いはあくまで「新規リスナーの獲得」であり、「リスナーの入れ替え」までは想定していなかったのではないか、ということです。

しかしリスナーにとってはそうではなかった、というのが今起こっていることです。つまり、既存リスナーは「あなたたちはもうリスナーとしては不要です。卒業してください」と切り離されてしまった感覚を持っている、ということです。

それは当然です。

リニューアルのはっきりしたわかりやすい理由はわからない。そのうえ、自分たちが好きだったキャラクターを「海外赴任」という形で退場させたうえ、残ったキャラクターも微妙に知っているひとたちとはちがう性格になっている。

あ、つまりもう聞くなってことね。・・・とリスナーは思ってしまいます。

もちろん、それでも安部礼司を信じてついていく!という熱のあるファンもいらっしゃいます。ですが、問題なのはファンの中にはいろんな層のファンがいて、ライトファンはそこまでの義理は感じていない可能性が極めて高いということです。

事実、ツイッターを見る限りでは、もう聞くのをやめてしまったという人たちが現れています。

反対に「今日聴き始めたけど面白い!」というツイートはまだ見かけません。はじめてきいたひとがいきなりその番組についてツイートするというケースはまれでしょうが、まだそこまで関心を持つ新規リスナーの取り込みには、残念ながら成功していない、ということでしょう。

一体今後どうなるのか、注目です

番組を作るにあたり、リスナーの反応に耳を傾けることは重要でしょうから、既存リスナーの反応はすでに製作陣に十分届いていると思います。

それをうけて、彼らがこれからどのように舵を切るのか、あるいは切らないのか、それとも番組そのものが切られるのか。何が起こるのか、要注目です。