離れて暮らす親と、子供の頃からの付き合いの友達と。

田舎を離れて東京に来てからもう15年近くになる。初めは何かすごいことをするんだ!といった思いを持っていたような気もするが、いつのまにかそういうのは忘れてしまって、満足のいく日々を送るにはどうすれば良いかと考えながら、大したことのない日々に喜んでみたり舌打ちしてみたりしている。

田舎には両親が暮らしている。ありがたいことに二人とも元気だ。病気もせず、金に困ることもなく、楽しそうにやっている。本当にありがたいことだ。両親が元気でいてくれるから、大したことのない日々を暮らせているとも言える。

離れて暮らしていると時々両親に会いたくなる。年に二回程度は里帰りをするのが例年なのだが、今年はコロナウイルスのことがあったり、妻の体調の問題があったりで二回は帰れそうにない。こういうときは特に久しぶりに顔が見たいなあと思うことが増える。

FaceTimeだったりLINEだったりを使えば頻繁に話もできるし顔も見られる。メッケージのやりとりも簡単だ。だかこれがなぜかなかなか億劫になるものだ。不思議だ。会いたいとか話がしたいと思っているのに、いざできるとなると少し面倒になってきて、朝が昼になり、昼が夕方になり、夜になると風呂に入ったりなんだりで忙しくなり、ああ今週もまた話さなかったなと後悔したりもする。そして翌日また話がしたくなり、でも億劫になってやめてしまう。

親との会話のチャンスはこうして失われていく。後でまた、他のことと同じように後悔するのだろう、きっと。それがわかっていても、他のことで同じように後悔してきたことが身に染みていたとしても、また繰り返すのだ。

そんなとき、地元の頃からの付き合いの友達と東京であったりすると、これはこれで面白いものだ。彼らは家族ではないが、子供の頃からの知り合いで、同じ地域で同じようにこども時代を過ごした仲間なので、話しているとタイムスリップしたような感覚だったり、なぜか家族と話しているような感覚にもなる。不思議だ。

だから年に数回彼らと会ったりするのが楽しみだったのだが、今年はコロナウイルスのことがあって、それもなかなか難しい。

いや、実際はこれも親と同じで、いざ会うとなると面倒になったり、会った後で何か不愉快な気持ちがやき怒ったりするのではあるが、さて全くないとなるとそれもまた問題なのである。

狭い家はコロナに弱いとか知らなかったよ

Covid-19のおかげで在宅勤務だの、学校休校だのがあり、おかげで狭い家に住むことを選んだうちは少々しんどい。

駅近で都心に出やすいことを重視してマンションを選んだ。その時に広々した家を選択肢から排除した。これが響いている。

我が家は三人暮らしで60平米を切るくらい。2ldkなので、まあ狭い。

しかしコロナ前であれば結構余裕で暮らせていた。三人とも家にいる時間は限られていて、三人揃っている時は結構外出もするので自宅に缶詰になることは少なかった。

今は違う。私は在宅勤務、連れ合いは仕事をしていないので自宅にいる。子供もフルで学校が始まるまでは家にいることが多い。

24時間人口密度が高く、これを上手く捌けるほどの広さがうちには足りない。また、駅が近いという立地のメリットが外出自粛のために十分に生かせない。

結果、このような状況だとリッチにステータスを振り分けた我が家は不利であることがわかった。

元の通りに環境が戻るかはわからないが、いずれまたかつてに近い状況には戻ると期待しているので我が家のメリットもその時には生きるだろうと思うけれども、予想を超える出来事というのは起こるものなのだなあと驚いている。

映画スクールオブロック感想 中年に寄り添う優しさと、崖から突き落とす残虐さと。

映画スクールオブロックを見た。期待していなかったが、泣かされてしまった。とは言え、私は疲れている時に映画を見るとたいてい泣くので、私が泣いたかどうかは面白さのバロメーターにはならない。例えば、「探偵はバーにいる」でも泣いた。あれのどこに泣けるところがあったか、全くわからない。しかし、疲れていると何処かに泣けるポイントを自分の心が探してきて、行っけー!とばかりに涙を放出しようとする。

スクールオブロックもそんな感じではあるが、結構しっかり感動してしまった。

以下ネタバレあります。

良かったのはデューイとネッドだ。デューイは、夢をあきらめてはいないが、それが叶わないことに薄々気づいているし、それを叶えるための努力も中途半端な男だ。ネッドは早々に夢を諦めて、もっと自分に向いていそうな仕事に切り替えてうまくやっている反面、夢をあきらめると言い切らずになんとなくやっているデューイを少し羨ましくも思っている。

二人とも夢との向き合い方はそれぞれ異なるが、共通しているのはどちらもその夢が叶えられていないことだ。

ここに自分を重ねた。私にも夢はあったし、今でも持っている。だが、デューイほど明らかに夢があることを外には出さない。かと言って、ネッドほど明確にあきらめてもいない。私はこの二人のどちらにも重なるし、どちらにも完全には重ならない中途半端な状態にある。

だから、デューイが自分の才能よりも優れた才能を持つザックを勇気付けるところに感動した。自分の才能に向き合ったからこそ、デューイは他者の才能にきちんと目を向けられるようになる。その変化がぐっとくる。ネッドが、自分の捨てた夢を変な形ながらも追いかけ続けるデューイの応援に駆けつけるのにも心を動かされた。自分があきらめたものを追い続ける友を応援するその姿がグッとくる。

スクールオブロックは、夢をあきらめた中年、夢をあきらめかけた中年たちの、癒しを求めるその心に寄り添う暖かな物語だ。

少なくともエンドロールまでは。

この映画は暖かい映画であるとともに、たいへん残酷な映画でもある。

エンドロールで、バンドメンバーが演奏を始めるが、唐突に少女の一人が歌に乗せて観客にメッセージを発し始める。「映画はそろそろ終わり」だと。それに応じて、デューイも「映画は終わりだから帰り支度を始めよう」と歌声を響かせる。これに、観客は戸惑う。そりゃたしかにエンドロールは始まっているが、学校の先生にはならなかったけど、子供向け音楽学校の先生としてデューイもネッドも楽しくやってるよ、という本編の締めくくりにあたる場面で、唐突に客観的な視点が持ち込まれるからだ。

ここで、私は我に返された。デューイは、デューイではない。彼は、俳優ジャック・ブラックだ。ネッドも、ネッドではない。調べれば、マイク・ホワイトという脚本家で、スクールオブロックは彼の脚本だというではないか。

当たり前の話だが、演者は演者であり、登場人物ではない。当たり前ではあるが、その直前までデューイに自分を重ね、共感していた私は戸惑うのだ。あのデューイはどこへ行った?と。私が自分を重ね、夢をあきらめるのは難しいよな。あきらめた方が幸せなのか、それともあきらめないのが幸せなのか、わからないよな、などと考えていた、あのデューイとネッドはどこへ消えた。

そこにいるのは、見た目こそ冴えない中年ではあるが、世界中で見られる映画の主演を張る男性だ。演技も上手い。歌もうまい。どう見ても、夢を叶えたであろう男である。

私とデューイと俳優。俳優は、デューイを離れ、私たちを置いてけぼりにする。デューイは急にあやふやな存在になり、俳優の後ろに隠れて逃げる。私はただ一人、テレビの前に座っていて、Netflixから次のおすすめ作品を選ぶように促される。

スクールオブロックは、優しい物語だ。私のように夢に向き合いきれず、それなりの幸せに満足しようとする人間の肩を引き寄せてくれる。そしてスクールオブロックさ残酷な物語だ。肩を引き寄せつつも、その横でニターっと口を横にして笑っている。

飲み会を全断りする人の気持ち

飲み会が好きな人は本当に好きだが、嫌いな人はとことん嫌いだ。

私は嫌いなので、しばらく前から全て参加しないことにしている。結果として最近では声をかけられることすらなくなった。

よかったよかった、なのだが同時に人とのコミュニケーションの全体量は減るので自分でもこれが正解なのか分からないなとは思う。

最近の年間飲み会参加状況はこちら。

8年くらい前まで:それなりにたくさん。週に数回。いくつか断っていたが、すべては断りきれてれてなかった。

4年前まで:年に10〜20回くらい。月一回くらいのペース。かなり断り始めた頃。あいつあんまり来ないなと少しずつ認識され始めた。

3年前:4回。飲み会には行かないぞと心にきて決めた頃。あいつ来ないやつだなと思われ始めた。

2年前:3回。あいつ来ないなと確信に変わり始めた。

去年:2回。この頃参加者候補にまるで上がらなくなったと思われる。

2019年: 1回(5月時点)。

(2020年6月追記: 今のところゼロ。今年はコロナウイルスの影響もあるが、なくてももしかしたらゼロだったかもしれない。)

今年に入って行った飲み会は、高校の時の同級生と飲みに行った一回だけ。昨年は、会社の忘年会と、今年もやった同級生との飲み会の合計二回だけ。その前の年は忘年会と昔の会社の仲間との飲み会3回ぐらい。

断っていると、えらいものでちゃんと誘われなくなってくる。こっちは誘われない状況を目指して断っているので、お互いにいい関係になってきているのだと思う。

で、なんでそんなにまで飲み会嫌うの?どんな気持ちなの?なんなの?やな奴なの?飲み会にだれかやられたの?とお思いだろうが、結構答えるのが難しい。

IKEAのPLATSA(プラッツァ)レビュー 隠れた名品

IKEAのPLATSAシリーズは、IKEA製品の中でも相当上位に入る素晴らしい製品だ。組み立て簡単、価格は手頃、なおかつ見た目もいい。三拍子揃う。

ところが、どうもイケアのプラッツァシリーズの良さが日本では理解されていないっぽい。海外の記事を見ると、他の国では高い評価を得ていそうなのに・・・。(特に上の記事などは、ここ最近で一番重要な製品群の一つ、とある。)

7 reasons why PLATSA is one of Ikea’s most important product ranges in recent years

What is Platsa and what does it want to achieve?

どちらもべた褒めだ。私も同じ意見で、プラッツァは素晴らしい製品だと思っている。なぜこの良さが伝わっていないのか。どうしたら伝わるのか。

引っ越しの多い人にも向いていることが伝わってない

プラッツァは、引っ越しや模様替えの多い人にも素晴らしい選択肢となる製品だ。なぜなら組み立てやすくバラしやすいから。

通常イケアの製品は買ったはいいが組み立てるのがめんどくさいこと請け合いだ。ドライバーは必須。下手すると金槌が必要な場合もある。一人ではとても組み立てられず、軽い気持ちでトライすると泣きを見る。

しかしプラッツァはかなり組み立てが楽だ。メインフレームはドライバーなどの工具を一切必要としない。固定にネジが使われていないからだ。板の側面に穴が開いていて、その穴に別の板の出っ張りを差し込んでグッと押すとハマる仕組みになっている。もちろん多少の力は必要だし、イケアなのである程度の重量もあるから大きなサイズのフレームを組み立てるなら力の強くない人は一人では難しいかもしれない。力自慢の人は一人で全然いける。

組み立て同様、バラすのも簡単だ。ネジがないので、はめ込んだ出っ張りを外すためにずらすように板を動かせばバラせる。やはり多少力は必要だが、決して難しいものではない。

組み立てやすくバラしやすいので、イケアの家具が苦手とする引っ越しにも対応できる。事前にバラしておけば次の家にも持って行きやすい。模様替えを繰り返す人にも向いている。バラして他の部屋に持っていけばいいから無理がない。

ただし、メインフレームに扉をつけたり引き出しをつけたりしようとすると、やはり多少めんどくさくはなる。扉も引き出しも、取り付けにはドライバーが必要だし、説明書がわかりにくくて苦戦したりもする。だが、一番の大物のフレームの組み立てが簡単なので、トータルの時間はかなり節約できるし、素早く組み立ては完了する。イケアの他のシリーズにはない良さであることは間違いないし、お勧めできる。

かなり安い

プラッツァ本体の価格はかなり安い。例えば幅60センチ、高さ120センチ、奥行き40センチのフレームだと5,000円だ。棚は一つ900円なので、中に2枚棚を入れるとして6,800円。扉も開き戸なら1枚1,600円だ。二枚つけて、引き出しを二つつけても全部で15,900円。相当安い。

ただし、これに引き戸をつけたりしようとすると、ちょっと値段は上がる。ここだけはどうにもならなそうだ。プラッツァは狭い部屋でとても役立つサイズ感なので、引き戸をつけるとさらにパワフルになる。それだけに引き戸が高いのはちょっと痛い。IKEA頑張れ。

見た目もいい

見た目も結構いい。「結構いい」とやや控えめなのはなぜかというと、とってもおしゃれに見えるという類のものではなく、単に白い箱型の形状をしているため、使い勝手が良い。

日本の住宅の多くは白い壁紙。だから白い箱型ののもは合わせやすい。