洗足池で花見。夜桜もいいですが、早朝の花見もいいものです。

洗足池公園に花見に行った

東急池上線の洗足池。池の周りに桜が咲いて、春になると良い花見スポットになる。日曜日がちょうど晴れだったので、朝のうちに花見に行ってみた。

洗足池駅前のパン屋でパンを買う

洗足池駅を降りると、中原街道に向かって右手のところにトワイエというパン屋がある。朝7時から開いているので、朝の散歩の時にパンを買うのにちょうど良い。

8時前にパン屋へ。夕方に覗いてみるとほとんど商品はないが、朝だとたくさんのパンが並んでいる。クロワッサンやアンパン、サンドイッチなど定番商品を中心に揃えていて、小さなアンパンは90円、クロワッサンは190円、サンドイッチ(カスクート)は290円。割と良心的な価格。

今回は甘いクリームが入ったパン屋、桜アンパンなどを買いこんで、いざ洗足池公園へ。

朝8時なのに、すでにブルーシートが並んでいる

さて、洗足池公園は駅から中原街道を超えて目の前。たいへん近い。池に向かって右手に行くと降板、カフェと並んでいて、その隣に路線バスの駐車場のようなところがある。そこを左に折れると図書館が見えてきて、その先に子供が遊べる小さな公園がある。普段は単なる児童公園だが、ここが花見時期になると花見会場になる。ブルーシートが並べられて、近所の人と思われる皆さんが酒盛りを始める。

朝だったらさすがにまだ人はほとんどいないだろうと思っていたが、行ってみるとすでに結構な数のブルーシートが並べられていた。こんな感じ。

洗足池公園の花見

洗足池公園。すでにブルーシートで場所取り。写ってないけど反対側でもう始めている人もいた。

うーん、児童公園で朝っぱらからブルーシートかー、と思うところはある。とはいえ、年に一度だからまあ仕方がない。飲みたい人は飲みたいし、我慢は体に良くない。

でも普段は単なる児童公園なので違和感はある

これは単なる愚痴なのだが、この公園は普段は単なる児童公園だ。学校がない時間帯は、小学生がきゃっきゃ言って遊んでいる場所だ。ジャングルジムとかブランコとか、いわゆる普通の公園で、うちの子供もここで時々遊ぶ。ちょうどいい広さでいいらしい。

そこで桜の時期だけとはいえ、大人たちがブルーシート敷いて独占するのもどうなの?という思いもある。その思いは、絶対やるなというものではなくて、桜が綺麗だから飲みたい人たちの気持ちもわからないでもないけどさあ、ぐらいの感じ。

花見ぐらい文句言わせず年に一回やらせてよ、というブルーシート組の意見も尊重したいが、一方で子供をそこで遊ばせてるこっち的にも桜のあるところで楽しく遊ばせてやりたいなー、という気持ちもあり。整理がつきにくいところだ。

桜はいい感じだけど、まだ6分咲きくらいだった

さて、肝心の桜はというと、まだ6分咲きぐらいだった。桜は洗足池の東側に主に植えられている。北側にもちょっとあったかも。メインは東側だ。

池の北側にある小さな島には鳥居があるが、そのあたりにもほんの少しだけ桜はあった。

洗足池の桜、島の周り

池に浮かぶ島の周り

あと、桜には全く関係ないけど、洗足池には鯉が大量にいる。そしてどれもびっくりするほど大きい。一番大きいのは90センチか、もしくは1メートルぐらいはありそうなほど大きいのもいた。

どうやら餌をやりに来る人が多いらしく、上を人が通るとすぐに鯉は近寄ってきて、口をパクパクさせる。その姿がとても可愛い・・・とは言いづらく、すぐに10匹程度は集まってくるのでちょっと怖くもある。

洗足池の鯉

洗足池の鯉。餌をもらえると思って、人を見るとすぐに近づいてきて口をパクパクさせる。ちょっと怖い。

大好きなアーティストからサインをもらった時のこと

有名人に会えると嬉しい。ミーハーを自覚していなくても、なんだかんだ言って有名人を見かけたり、握手してもらえたりすると盛り上がる。

私はあるアーティストが好きで、京都に住んでいた頃に彼がライブに来くるというので三条河原町あたりのカフェで時間を潰していた。ライブは確か6時くらいからだったと思うが、ずいぶん興奮して早くつきすぎてしまい、コーヒーを飲んで時間を潰してもまだ3時ぐらいだったと思う。

あまり長居もできないので仕方なくカフェを出た。道に出てさて次はどこで時間を潰そうかと考えていたところで、道を見知った顔が横切った。お目当のアーティストだった。

私は思わず声をかけてしまった。何しろ長年聴き続けて、でもそれまではもっと田舎に住んでいたからなかなかライブには行くことができず、それが京都でたまたまライブをするというのでやっと生の音を聞けるのだ。それを楽しみに、何時間も前から街中で時間を潰していたところで、目の前にお目当ての相手がいたのだから興奮するのは無理はない。

私は反射的に、「すみません、◯◯さん!」と声をかけてしまった。

さん付けした名前での呼びかけだったので、思わず彼も反応してしまったのではないかと思う。ふと立ち止まって私の方を見た。当然向こうは私のことなど知らない。明らかに警戒しながら彼は私の方を見ていた。

私も一方で困っていた。声をかけたが、要件はない。初対面だ。しかも私はただのファン。特にいうべきこともない。

「今日、夜行きますんで、よろしくお願いします」

口をついて出たのはこんなことだった。我ながら一体何を言っているのだと思いつつも、他に言うべきことは見つからなかった。彼は、しかしそういったことになれているのだろうか。「ああ、どうも」とちょっとだけ笑顔を見せて立ち去った。

バカみたいな行動で、その時からもう恥ずかしい気持ちではあった。でも、やっぱり嬉しかったのをよく覚えている。憧れのアーティストに会った。そして話もできた!相当一方的だけど。京都に来てよかったー、と心から思った。やっぱりバカである。

さて、興奮したままライブ会場へ私は向かった。会場は小さなカフェだった。カフェアンデパンダン、だったか?地下にある店だ。ときどきライブをやっているらしかったが、たまにお昼ご飯を食べに言っていたにもかかわらずそれを私は知らなかった。

ライブはと言うと、まあ、それなりだった。私はその人をシンガーとしてそんなに好きなわけではない。それよりも、物語を感じさせるアルバムを作ってそれを世に送り出してくれるところに愛を感じていた。だけど、めちゃくちゃ好きだった。彼のアルバムをいろいろ聞き込み、彼の世界観を生んだであろう作家の本を読み、バックグラウンドを調べ、その上でまたアルバムを聴きこむ。結構どっぷりなファンだ。だからシンガーとしてはまあまあでも、アーティストとしては信奉していたといっても言い過ぎではない。

彼はおそらくファンサービスとして、代表曲なども歌ってくれたように覚えているけれども、悪くはないが、そんなにエキサイトはしなかった。でも、あのアーティストが目の前にいて、ギター持って歌っているぞ!!!ということだけでも十分満足した。

事件はこの後起きた。

彼は、その時期に新しいアルバムを発表していた。当時はなんとも思わなかったが、ライブはそのアルバムのプロモーションも兼ねていたのかもしれない。

ライブが終わると、出入り口でその人自身も立ちながら、アルバム販売が行われた。

私はそのアルバムを持っていなかったので、せっかくだから購入することにした。列に並ぶと、順に彼とファンとが握手をして何かを話したりしている。そろそろかと順番をおとなしく待つ私。少しずつ列が進み、いよいよ私の番に。

「とてもライブ良かったです」という私。「ありがとう」とアーティスト。「じゃあ、サインしておくね」とさらに彼。

手渡されたのは、サイン入りのCDだった。

この時、私をおそったのは、深い幸福感・・・ではなかった。それは、強烈な不快感だった。どういう不快感かといえば、「私の新品のCDに落書きされた!」という不快感だった。

意味がわからないのはわかっている。道端を歩いているそのアーティストを捕まえて、要件もないのに話しかけるほど好きな人なのに、その人の作品にその人がサインをしてくれたら、普通は嬉しがりそうなものだ。

ところが私の反応は反対で、なーんで私の新品のCDにらくがきしちゃうの?!だった。

これには私自身も驚いた。全く予想していなかったから。自分の好きな有名人に会えるのは嬉しい。話ができるのも嬉しい。握手もとても嬉しい。ところが持ち物へのサインはNOだったのだ。

今でもそのアーティストは好きだ。プレイリストを作って聞いたり、あるいはアルバムを通して聞いたりもする。なのに、そのサイン入りのアルバムだけは、実はもはやタイトルも思い出せないほどの距離が生まれてしまっている。

キッズケータイが使えないなら、Bsize Botを使えばいいじゃない?

Bsize Botを買った

この4月に息子が小学生になる。幼稚園児の間はバス通園だったが、小学校は徒歩で通学することになる。

集団登校ではなく、一人ずつ勝手に行くらしい。自分が子供の頃も一人で勝手に歩いて学校に行っていた。そのはずなのに、さて実際に子供を一人で歩いていかせるとなると「まじか、あぶなすぎるだろう!?」と思ってしまう。不思議というかなんというか、甘い。

でも、いつまでもついて行くわけにもいかない。一人で行かせるしか選択肢はない。でも心配だ。

じゃあ、心配だからなんかツールを持たせようと考えて探していたが、どうもちょうどいいものがない。

そもそもはキッズケータイを検討していたが、うちでは使えない。格安SIMだから。

どうしようとネット上をうろうろしていたところ、Bsize Botを見つけた。

Bsize Botサイトを見て、アプリをダウンロード、アプリから端末購入を決断するまで、結構即断だった。

なぜなら昨年ガイアの夜明けでこの端末とサービスのことを見ていたから。あとで調べて見たら、一人家電メーカーとかいってひとりでたちあげた会社で作られているらしい。そういえばガイアでもそんなことを言っていたような気もする。

番組の中では、おしゃれな感じのデスクライトがまず紹介されて、そのあとでBsize Botが紹介されていた。子供が連れ去られたり、どこかにってしまわないか見張りたいがいいサービスがないと悩んでいる親が、このサービスを使って見て、なんかいい感じ!と感動して終わる、みたいな構成だった。

その時はこんなサービスもあるのだねー、ふーん、程度にしか思っていなかったが、いざ導入を検討するととてもいいサービスだなーと改めて感じた。だから即断できた。

小学校一年生にはスマホを持たせる気にならない

なぜこのサービスがいいかというと、それは端末がスマホとか携帯ではないからだと思う。

Bsizeに決める前に、キッズケータイやなんかも考えた。だけど、キッズケータイは3大キャリアからしか出ておらず、去年IIJMIOに乗り換えてしまった私にはキッズケータイは選べない。

すると次の候補としては、格安SIMでも選べるスマホが出てくる。しかし、小1にスマホ持たせるかー?という気持ちが拭えない。こんなもの渡したら、一日中スマホから離れられなくなるのは目に見えている。もしかしたらそれも案外いいのかもしれないが、残念ながらこちらはデジタルネイティブではない。自分はスマホいじりまくってるくせに、子供にはよくないという思い込みがある。

じゃあどうすんの?と悩んでいたところにBsizeは飛び込んできた。

これはスマホじゃない。画面もないしスイッチもない。持って運ぶだけだ。だから子供にも変な影響はきっとない。

スマホじゃないから、学校に持っていっても問題ない。今時携帯端末の一つくらい持たせてやってもいいんじゃないの?という気もするが、やっぱりダメなもんはダメらしい。時代が変わっても新しい技術には学校は厳しい。というか親もスマホ持つなとか言ってしまうわけで、学校がというよりは大人はというべきか。

さてそうなるとそもそも選べる端末がないじゃないか!しかしそこに単なる四角いBsizeの登場だ。完璧。

子供には「お守り」といって渡している

ちなみにうちのこどもは機械の類が大好物だ。風呂の給湯器だけでも相当の時間を潰せるほど好きだし、スマホなんか渡したらもう集中しすぎて何も聞こえなくなるほどだ。

そんな子供にも、このサービスはぴったりだ。どうしたかというと、「とてもすごい機能を持ったお守りだ」といって渡したのだ。

うちの子は、機能の説明によわい。新しいことが好きだから、すごーいととても喜ぶ。だから、自分が持っているこの真っ白い端末は、それが電波を発していて自分の居場所を伝えることによって、お父さんやお母さんが自分の場所を知ってくれて結果として自分を守ってくれる、というその魔法のような機能を知って嬉しいのだ。

だから、ただの白い小さな箱で、しかも「お守り」というわけのわからない言葉で持って渡されても、おとなしくそれを自分のカバンに入れて持ち運んでくれている。

これがもしへんに液晶画面が付いていたりとか、もしくは電池の残量を示すゲージとかがあったりすると、ちょっと厄介なことになる。

ちょくちょく端末を手にとって見てしまうだろうし、気になって他のことが手につかなくなるだろう。

しかし問題ない。何しろただの白い小さな箱だ。光ったりしないし、動いたりしない。音も出ない。すばらしい。

ちょっとだけ不安なこと

ただし、ちょっとだけ不安なこともある。それはこのサービスではなくても、類似のサービスでも同じように気になるはずのことなので、Bsize Botの問題ではないかもしれないが。

気になるのは、情報のセキュリティ。私はデータセキュリティーに詳しくないから、本当にこの端末から発信されるgpsデータが、見守り登録した人にしか見られないという保証があるのか、と思ってしまうのだ。

アプリを見る限り、見守り申請というのを出してそれをオーナーが許可しない限りはデータは見られないはずだから、まあ大丈夫なのだろうとは思う。

でもその辺のデータがどんな風に管理されているかは、ユーザーは見ることができない。データ管理者がそのデータを見ることはない、とは思っている。でも誰かは見られるはず。だとすると、それはどの程度完璧に安全なの?という不安は残る。

あとは、子供に由来する不安だ。子供がこの端末をどこかにおいてきたり、あるいはこれを持っていることを悪意のある人に知られたりすると、悪用される可能性がある。

音は出ないし、マイク機能もない。ただ位置情報を発信しているだけ。もちろんこのシンプルさこそがBsize Botの魅力なので、ここにへんな機能を足してくれというつもりは毛頭ないが、それでもただこの端末を捨てさせたりすれば子供が怖い目に会わさせれ雨可能性があるという意味では多少不安が残る。(不安が残るというだけで、このサービスを否定するつもりはくりかえすがまったくない。月額500円程度で大きな安心が買えるので本当に素晴らしいと思っている)

まだ我が家では導入して時間が立っていないので、また発見があれば追記したいと思う。

追記(2018.3.25):通知がこない!サポートに問い合わせると即対応方法を教えてくれた

早速問題が発生した。私のスマホにだけ、通知がこないのだ。奥さんのスマホには来ている。私の方には来ていない。これは困る。

困った時はアプリのお問い合わせページをチェック。通知を受け取るためには以下の設定が必要。

  • アプリ上で地点登録する
  • アプリ上で通知をオンにする
  • スマホ上で通知をオンにする

自分のスマホを再確認したが、きちんとすべて設定している。でも、通知がこない。

こういう時は運営会社に問い合わせをするのが一番だが、小さい会社だというので反応が遅いのではないか、と思いながらもメールで問い合わせ。すると意外にも翌朝には返信があった。こういう素早い対応は印象が良い。

それによると、iPhoneを使っている場合は時々そういうことがあるらしい。一度ログオフして、アプリをアンインストールして再度インストールせよとのこと。

早速トライ。再インストールして、試してみると・・・お!ばっちり届く!これで子供の居場所がわかります。機能やサービスもいいし、問い合わせへの対応も的確で素早かったので、これでまたオススメポイントが増えた感じ。

追記(2018.5.7):サーバー不具合で通知こず

2ヶ月使ってきたが、今日初めてサーバーの不具合で通知がこなかった。

ちゃんと充電もしていて、きちんと子供も持って行ったのにおかしいと思っていたら、「サーバーが混み合っております」という表示が。

子供の居場所が分かっているのが当たり前になると、わからないことがとても不安になる。これでは困るなあ。

幸い即日復旧したが、この手の安心感を生むためのサービスでこういう不具合がもし多発するようになると、乗り換えを考えてしまう。

今後の様子を見守りたい。

マーケティングの定義と、私がこの言葉を使わない理由

マーケティングという言葉は、ほんとうに厄介な言葉だ。言葉の定義をはっきりさせないままたくさんの人に使われてしまっている。

会議で「それはマーケティングの仕事でしょう」とか誰かが言った時、結構な割合でその時のマーケティングは「広告コミュニケーション」だったり、「プロモーション」だったりする。もう少し広い意味で使われていたとしても、「マーケティングコミュニケーション」の範疇からは出ないレベルの内容までだ。その上位の概念として使われることは、残念ながら私の働く環境ではかなり少ない。

マーケティングの定義

じゃあ、マーケティングってなんなのよ、と問われれば私はこう考えている。

「顧客のニーズに応えるサービス・製品を提供し、顧客を満足させるとともに利益を得ること」

もっとスマートな言い方はあるかもしれないが、「顧客ニーズ」とか「製品」「サービス」だとかが出てきて、そっから「利益を得る」という話に落ち着くだろう。

これは主にコトラーの言っていることとざっくり同じになっている(はず)。定番の定義づけだと思う。

ときどきドラッカーの定義もセットで出てくることがあるが、あれは実用性が低い定義なのでイマイチだと思っている。「セールスを最終的にはなくすこと」的なアレだ。この定義はオシャレすぎる。じゃあ具体的にどうすんの?みたいなところに落ちていかない。定義として不完全。やっぱりドラッカー的な定義の方が扱いやすい。

最近見た中では、ネスレの人が言っている定義づけがわかりやすくてよかった。

「顧客の問題を発見して解決することで、新しい価値を生み出すこと」

なるほど、利益を生むとか言わないんだな。でも新しい価値を生み出すことが利益を生み出すわけで、言っていることは一緒だ。この定義が良いのは「顧客の問題」とはっきり言っていることと、さらにそれを「解決する」と明言していることだ。そしてその二つを組み合わせて使っていることも大事だ。

単に顧客の問題を発見するだけだと、それはマーケティングの一部でしかない。反対に、解決するだけでも不足している。発見して解決するところまでを合わせて行うことがマーケティングだ。その点でとても正しいし、わかりやすい定義だなと思った。

日常で使われるマーケティング

でも実際には、日常ではコトラー的な意味でマーケティングという用語が使われることは少ない。なぜならカバー範囲が広すぎるから。普段の仕事、特に現場に近い仕事をしているときは、こんなに上位の概念を持ち出して来なければならないケースは多くない。

ところが、マーケットという言葉が語源であろうマーケティングは、なんとなく使いやすそうな響きを持っている。

思わず使ってしまうのだ。私はマーケティング担当です、とか。そんでほとんどの場合繰り返しになるがそのマーケティングはプロモーションだったり広告だったりする。

確実に「今広告の話をしているな」とわかるような場面なら問題ない。もしくはそこでマーケティングの定義をはっきりさせる必要がない茶飲み話ならそれも良い。問題は業務の定義がはっきりしないと、相手と業務におけるバッティングが発生しそうな時だ。

たとえば、マーケティングリサーチを担当している人とやりとりしたい時、目の前にマーケティング担当ですと言っている人がいた場合、その人がリサーチまで見ているのかどうかわからない。マーケティング担当というのは、コトラー的な意味であれば上流から下流まである程度見る役割を果たしていてほしい。

じゃあさっきの「マーケティング担当です」と言っている人はそういうロールかというと、相当な頻度で違う。というか、数名でやっている会社を除けばマーケティング全般を担当している人がいるケースは稀だ。ほとんど「販促担当です」の意味で使われている。

だからマーケティングという言葉を使わない

マーケティングという言葉を使うと、こういう混乱が起きてしまう。「その人がどの意味でマーケティングを使っているかぐらい感じ取ってよ」という意見もあるんだろうか?

それはちょっと大変だ。結構めんどくさい。

それにマーケティング担当とか、マーケティングの話をするのなら、マーケティングってなんだっけと古典は読んでおいた方がいい。そんで古典を読んでおくと、この意味でマーケティングという用語を使うと変だし混乱が起きるな、と思うようになるはずだと思う。

というか、そもそも「マーケティング」は示す領域が広すぎるから使わない方がいいなと思うようになるはず。

だけどいちいちマーケティングの定義について、「その場合のマーケティングとおっしゃっているのは・・・」とか言い始めるとめんどくさいしおかしな奴になってしまうので、必要のない限りはやらないし、自分自身も曖昧な話をしてしまうことになるので、マーケティングという言葉は使わなくなりました。

あえて選んだ狭い家で、リアルに困ったこと

「あえて選んだ狭い家」という本が話題になった。家は広くあってこそ幸せになれる!という一般的な考えに反するタイトルで、そういう考え方もあるよなあと私も思った。

実際、私自身も狭い家に住んでいる。家族3人で57平米。2LDKなので、リビングと夫婦の寝室と子供部屋という構成だ。実に狭い。

もちろん狭いことはわかっていてそのマンションは購入した。広い方がいいところがあることもわかっている。それでも狭いことによるメリット(ほぼ全てコスト面のメリット)から、まさに“あえて選んだ“わけだ。

それでもやはり、住んでみると狭いことのデメリットはたくさんある。すみ始める前に事前に頭の中ではしっかりと「こんなことが起こるんだろうな」とシミュレーションできていても、シミュレーションどおりのことを実際体験すると「やっぱりめんどくさいー!」となる。

狭いマンションや一軒家を購入したり借りたりしようとしている人に、私が実際に感じたいくつかのことをお伝えしたい。

引っ越し後になかなか片付かない

引っ越し直後に発生するのがこの問題だ。なかなか引っ越し後の片付けが進まず、日常を取り戻すまでに時間がかかってしまうのだ。

なぜかというと、とりあえずダンボールをまとめておいておくような逃げスペースが存在しないから。

たとえば、私は2LDKに住んでいるが、それがたとえば3LDKで80平米くらいあれば、引っ越しはもっと簡単だったと思う。

一部屋をダンボールを一時的においておくへやにしておいて、リビングや寝室は生かして置き、そこで徐々に日常生活を立て直していけば良い。

しかし狭いとそうはいかない。各部屋におく予定のダンボールは、各部屋におかれることになる。逃げ場所に使うような部屋は何しろ存在しない。全部の部屋に頑張ってもらわなくては困る。

で、どうなるかというとどの部屋もダンボールが主役みたいな様子が出来上がる。人間が暮らすような隙間なんてない。

この時期が、私の家の場合は1ヶ月以上も続いた。かなりつらい。

一時的なものであったとしても、こういう辛い時期があることが、狭い家のとても大きなデメリットだと思う。

選べる家具の制限が思った以上に厳しい

新居に移れば、新しい家具だとかいろいろなものを置きたいものだ。だが、狭い家だと結構難しい。選べる家具は、大きさの面でとてつもなく限られてくるからだ。

こんなことは狭い家を選ぶと決めた時点でわかっていることなのだけれども、これがいざ目の前にすると案外辛いものだ。

たとえば食卓。「こんないい感じのダイニングテーブルが欲しいなー」と選んでいて、なかなかいいのが見つかったと思っても、大抵の場合それはでかい。置けない。入らない。

照明にしても同じだ。こんな感じのおしゃれな照明にしたいなーと思っても、それは部屋が狭いとつけてしまうと圧迫感が出るようなものだったりする。

何を導入しようにも、ほとんど常に大きさの問題が発生してしまう。狭い家だから当たり前だろと思うだろうが、わかっていてもいざ目の前にリアルな問題として見えてくると、思ってたより辛いなーと感じてしまうものなのだ。

他の人に言うとき、ちょっと恥ずかしい

「あえて選んだ狭い家」であったとしても、それはやはり「あえて」。あえて、と付け加えなければならないほどに、家は大きければ大きいほど良いという先入観や思い込みは強い。

私もマンション購入時にはずいぶん考えた。自分なりの理由があって、それは結構論理的で、納得して購入した。

それでも誰かに話す時に「でもまあ、狭いんだよねー」と口をついて出てしまうのだ。

経済的な面から考えると、絶対狭くても街中に近いとか何かしら別のメリットがある家を買った方が少なくとも私にとってはリーズナブルなんだけど、どっかで「負けてる感」が残っている。

人によっては、こんなことは感じないのかもしれない。というか、私自身も常日頃こんな風に思っているわけではない。

それでも時折、なんか言い訳しておきたいような気持ちになることがあるのだ。

だいたいこんなところだろうか。ぶっちゃけ、どれもそれほど大した問題ではない。引っ越し後の大変さなんて最初のうちだけだし、家具の大きさの問題も慣れてくればその条件に合わせたものが探せるようになる。「負けてる感」も、実際日常的に味わっているわけではないし、私自身納得して買った家だから実はそんなに強く負けてる感を持っているわけでもない。

なので、狭い家だけど買ってもいいのかなあとか、そんな風に悩んでいる人は、分析して見て自分には狭い家でOKっぽい、と思ったら自信を持ってえらんでみればいいとおもいます。

シャンプーのウルオスが超おすすめできる理由

5年以上ずっとシャンプーはウルオスを使っている

もうずっとシャンプーはウルオスを使っている。少なく見積もっても5年以上はウルオスを使い続けている。

私は男性で、長めの短髪な感じ。サイドバックな髪型にしている。そんなに長くはないが、そんなに短くもない。かなり短い女性くらいな感じといえばよいか。

ちなみに私の奥さんも時々私のウルオスを使っているらしい。いい感じだという。ちなみに奥さんもショートヘアー。

大塚製薬の人にオススメされた

かつて大塚製薬関連の仕事をしたことがある。その時に大塚製薬の女性社員の方となぜだったかシャンプーの話をした。するとその方が、実はウルオスを使っている、と言ったのだ。

私はウルオスは男性専用ブランドだと思っていたから驚いた。

その人が言うには、かつては何千円もするシャンプーを使っていたこともあったのだが、ふと機会があってウルオスを使ってみたそうだ。すると、その高級シャンプーよりも使い心地が良かったのだと言う。しかも前は手放せなかったコンディショナーが不要になったらしい。

大塚製薬の回し者みたいになるが、あの会社はコスメティクスとメディカルを組み合わせて「コスメディクス」という造語を作っている。美容だけでなく健康にも同時に取り組む姿勢を持っているということだ。ウルオスはまさにその精神で作られているらしい。

その方は決して自分が勤める会社の製品しか使わないという方ではないし、自社製品をゴリ押ししてくる方でもなかったから、私は素直に惹かれた。

使ってみたらとても良かった

かなり興味が出たのですぐに使ってみた。するとたしかによさそうだった。

汚れが落ちやすい

まず、汚れがよく落ちた。

当時私はワックスを毎日つけていた。それがなかなか落ちないので困っていた。

ウルオスだと、簡単に落ちた。それまで二度洗い必須だったのが、一度洗いで良くなった。

これは時間的にも手間的にも大きなメリットだった。

きしみにくい

汚れはよく落ちるが、きしむのはいやだ。だがウルオスはきしまない。

コンディショナーを使った後と同じとは言わない。そこまでツルツルにはならない。しかしそれでも、指通りが悪いと感じたことは一度もない。

かといって、シャンプーが残っているという感じもない。きしまないのだから、何らかのコーティングは残っているはずだ。だが、そのように感じさせない程度に素の髪の毛な感じ。

地肌まで調べたことはないが、匂いもないようなのでおそらくそんなに残ってはないのだろうと思う。コスメディクスというのだから、きっとそのはずだと私は信じて(しまって)いる。

悪いところもある

どんなものにもいいところがあれば、悪いところもある。当然だ。

ウルオスは私にとって最強だが、それでもやはりダメというか、もう一歩なところもある。

価格が高い

なにより、問題は価格。一本500ml入って2500円以上。高い。

機能性シャンプーではないので比較対象として適切ではないかもしれないが、例えばラックスは450グラムで600円くらい。お手頃だ。

ウルオスは洗浄力が高くてきしまないみたいな高い機能を持っているとはいえ、2500円はやはり高い。

ちなみに実はここで問題なのは絶対的な価格の問題ではない。奥さんのシャンプー価格との差こそが問題なのだ。

もしラックスを選べば、その差は2000円近くにもなる。使用量が違うから一回あたりで見れば価格差は少し縮まるだろう。しかしそれは微々たるものだ。圧倒的に高いことには変わりがない。

この大いなる問題をどのように解決すべきか。一つには、奥さんにもウルオスを使ってもらうことだろう。

冒頭に書いたように、ウルオスは女性でも使える製品だ。もし奥さんに受け入れてもらえれば、選択肢になりうるだろう。

デザインがきわめて男性向けっぽい

ところがウルオスのデザインは、残念ながらきわめて男性向けっぽい。パッケージの色も濃いめの青。描かれている人の姿も男性に見える。

その上ブランド名には「オス」と入ってしまっている。ガールらしさはゼロだ。

だが本来それも仕方ない。なぜならウルオスは男性向けブランドだ。男性向けな見た目で当たり前である。

だから、私のように男性が使うには問題ない。しかし、もしも女性が好んでウルオスを使うには、抵抗がある人もいるだろうと思う。

どっかのメーカーが男性が女性向けシャンプーを使うのに、嫁シャンとかいって広告でばかにしていたが、そういうことをすれば女性が男性ものを使うのにも影響がでる。

女性や奥さんにも使ってもらいたい男性にとっては、この男性らしいパッケージや名前は、デメリットになるだろう。

ウルオスいいよ!

なんやかんや言っても、ウルオスはいい製品だ。ぜひ試してみて欲しい。

かわいいキャラクターの共通点「丸い」「小さい」と、あと1つは?

かわいいキャラクターというのは、大抵共通する三つの特徴を持っている。

まず、丸い。

かわいいキャラクターは、大抵丸い。ドラえもん、ピカチュウ、キティちゃん、ミッキーマウス、おさるのジョージ、ビー玉びー助。どれも丸いか、丸いところをたくさん持っている。

四角いキャラクターでかわいいとされるものは少ない。スポンジボブとか、かわいくない。一反木綿もかわいくない。ベジータとかトゲトゲで、やはりかわいくない。パッコロリンのパックンは少しかわいいが、あれは特別。リンちゃんもかわいいけどあれも例外。かわいいキャラはたいていまるい。

あと、かわいいキャラクターは、小さい。大きくても子供サイズまで。

ドラえもんとか、実物見たら大きく見えるかもしれないけど、のび太と大体同じサイズだ。子供くらいのサイズだ。キティちゃんはリンゴ何個とか言ってなめているがつまりそれだけ小さい。ジェリーも小さい。だからかわいい。コロンは丸い上に小さいのだから、それはそれは当然かわいい。

大きいやつは残念ながらかわいくない。マシュマロマンも大きくなったら怖くなった。ぬりかべなんかは四角い上に大きいから、もちろんかわいくない。ダンボは一見大きいが、象としては小さい。だから例外。

かわいいキャラクターの特徴は、まず丸いこと。続いて小さいこと。これらは分かりやすい。

では最後の1つは何か。

それは、こっちより弱いこと。強いやつは心から気を許せない。丸っこくて小さいけど、見ているこっちを脅かす存在は、見ていてかわいくない。なんだかんだで最終的にこっちが本気出せば勝てる、というくらいの力関係でないとかわいいとは思えない。

例えば名探偵コナン。

丸っこいところもあるし、小さい。でもあれは中身は大人とか言って、とんでもない切れ者だ。勝てっこない。だから、かわいくない。

それからサウスパークの子どもたち。

丸っこくて小さいが、かわいくない。あれはとんでもない下ネタとか暴言とか言うし、しかも頑張っても言い負かすことはできそうにない。危険で乱暴でもある。最終的に頑張っても勝てそうにない。だからかわいくない。

でも強くても、なんとかこちらが勝てそうなところがあれば、そのキャラクターは可愛くなりうる。

アラレちゃんは、かわいい。丸くて小さくて、でもめちゃめちゃ強い。めちゃめちゃ強いが、彼女は賢くない。知恵を使えば最終的にはやっつけられる感じがする。完敗はしないし、むしろ隙も多い。だから、気を許せる。その結果、かわいく見える。

ピカチュウ。ピカチュウもかわいい。丸くて小さいが、強い。強いけど、あれはポケモンだ。捕まえられる。その気になれば、こちらがコントロール可能だ。だから、かわいいと思える。

コントロール可能か、というところが大切だ。見ている側の方が、そのキャラクターよりも結局は強者であり、上に立てることが保証されていることが、キャラクターのかわいさの秘訣なのだ。

「笑ってはいけない」黒塗り問題、日本の笑いが世界に飛び立つためにどうあるべきだったか

今さらとは思いながらも、2017年末の笑ってはいけない黒塗り問題について書く。


私は日本の笑いが好きだ。「日本のお笑いが国外で人気」というニュースを見ると嬉しくなる。ガキの使いコンテンツはその意味で期待の星の1つだ。例えば図書館シリーズなど、国外で人気のあるコンテンツがいろいろあるという。ファンには嬉しい話題だ。

だから「笑ってはいけない」シリーズも、もっと国外でも知られて欲しい。もっと高く評価される可能性を持ったコンテンツだと私は思っている。

しかしながら、2017年末の「笑ってはいけない」は、国外での評価を上げるのではなく、反対に黒塗り表現で批判されてしまった。心底残念だ。

最近ではあまり聞かなくなったが、日本のお笑いファンの夢のひとつは「日本の笑いが世界中を笑わせる様子をこの目で見ること」だった。「日本の笑いのレベルは実は高くない」とか、「ハイコンテクストすぎて他の国では通用しない」とか、そういう声もある。それでも私は、日本の笑いが世界で愛されるところが見たい。それだけのパワーがあると思っている。

さて、日本の笑いを世界に連れ出すにあたり、この重たい車を誰に引っ張ってもらえばいいのか。

結局のところ、それをリードできる可能性があるのは、松本人志、ダウンタウン、彼らと一緒に番組を作ったスタッフ(そしてテレビ局)なのだと思っている。

ごっつええ感じが終わってすでに20年経ったが、その今でもなおトップにあるのは松本だ。

松本人志にしてみれば、どうして日本の笑いが世界で評価されるために自分たちが頑張らなきゃならないの?と思うだろう。だが、彼は頻繁にお笑いはチーム競技の側面もある、みんなで盛り上げていくものだ。このように語っている。彼に日本の笑いの将来について関心がないならそれまでだが、もしなんとかしなければならないという考えなら、将来の笑いを背負う芸人とのチームワークとしてぜひ引っ張ってもらいたい。

また、少なくともテレビ局にとってみれば、彼らのコンテンツが世界で通用するようになることは将来的な業績へのメリットにつながる。海外市場の取り込みは、日本の状況を考えれば絶対に必要だ。

さて、その前提で考えてみる。

日本のお笑いに対する世界からの評価を高めるためには、笑ってはいけないはどうすべきだったのか。日本の笑いは日本に通用することを世界に示すためには、黒塗りネタをどのように取り扱うべきだったのか。

結論:黒塗りネタは、やるべきではなかった

結論からいえば、笑ってはいけないで黒塗りネタはやるべきではなかった。ネタ、タイミング、その他の環境を考えると、他のネタにするなり、あそこでネタを入れないなり、あるいは放送を取りやめるなりすべきだった。

人種に関連する見た目を取り上げるネタは現代ではNGだから

もし世界で戦っていくなら、人種にまつわる見た目を模した姿でコンテンツを作ることはやめなければならない。これはもう随分前からNGだ。

日本でANAがバカリズムを金髪付け鼻姿で登場させて2014年に国内外で炎上した。もう四年前も前の話だ。それがいまだに炎上広告事例として記憶されているし、炎上コンテンツとして話題にもなる。すぐに放送中止になったにもかかわらず、結果的に有名なコンテンツになってしまった。

ラッツ&スターがももクロと一緒に黒塗りにした写真をツイートして炎上したこともあるらしい。それが2015年。3年前。

こういう事例は、コミュニケーションの世界では当たり前のように共有されて、知見として蓄えられている。つまり、常識になってきている。日本においても、人種にまつわる見た目をコンテンツ内で取り扱うことは、もうダメだ。

海外でも同様だ。日本人が黒塗り、金髪にすることだけがNGなのではない。他の国でも、人種による見た目の違いを取り上げることは許されない。

黒塗り問題が起きてから、ブラックフェイスで人気を博したというミンストレルショーの情報も頻繁に耳にするようになった。これなどは1970年代にはアメリカでは廃れたものだ。日本とアメリカの黒人差別の根深さや大きさ、歴史が異なるとは言えど、本来は今更参考にするようなものではない。

別の例では、つり目ポーズをしてアジア人への差別だと批判するケースも頻発している。ヨーロッパ、アメリカ、あるいは他の地域でも同じだ。つり目ポーズで有名人がSNSに写真を上げると、バッシングを受ける。それが当たり前なのだ。

ただつり目ポーズ炎上が、浜田黒塗りケースと違うのは、テレビ等のコンテンツではないということだ。

テレビで問題になった例もブラジルで2017に起きていた。韓国出身のグループの前でつり目ポーズをし、日系の少年にむけてもっと目を開けた方がいいと言ったらしい。なかなかひどい。
http://www.bbc.com/news/blogs-trending-40672028
日本語の記事もあった。
http://k-newsdaily.com/archives/12554

その結果、韓国ネットユーザー対ブラジルネットユーザーの罵り合い合戦になったというのでたいへんだ。

テレビでつり目ポーズをして炎上した、というような事例は多くはない。つまり、表現としてつり目ポーズ使用するのはダメだという考えが、基本としてしっかり浸透しているのだろう。先のブラジルの例も、MCが突っ走っただけとも見ることができる。もしかしたら組織としてはつり目は避けるべきだという常識を持っていたのかもしれない。

人種の違いが由来である見た目を真似ることは、どの国でもどの人種が対象でも、今の世界ではダメなのだ。

多様な国や人種の人が見るから

笑ってはいけないは、多様な国籍や人種の人が見る番組だ。

そもそも日本だけを見ても多様な人種の人が暮らしている。日本に暮らしているのだから、日本のテレビを見る。その人たちの中に、黒塗りを見て、それを不愉快に感じる人がいるだろうことは簡単に想像できる。

また、テレビ番組は自ら世界に配信しなくても、勝手にネットで国外にも公開されてしまうのが現状だ。違法にアップロードする連中が悪いのは間違いないが、今はまだそれは止められない。テレビで放送されたコンテンツは、勝手に世界にコピーされて、公開されてしまう。そのことは今のところは受け入れるしかない。だから、日本以外の人もそのコンテンツを見るであろうことは、これもまた簡単に予測できる。

冒頭で書いたように、ガキの使いは日本以外でも人気のコンテンツだ。だからネットに流れれば、それを見る人はたくさんいる。日本のコンテンツを紹介したい人もいるから、新しいコンテンツはどんどん公開されていく。その上、炎上するコンテンツを探している人もいる。だから、笑ってはいけないは人気コンテンツで、それを海外で見たい人も海外に見せたい人もいる上に、そもそも炎上ネタを探している人もいるわけだ。そこに黒塗りを突っ込んでいけば、当然炎上するに決まっている。

もう一つ浜田の黒塗り問題が広がる理由になったのが、単なる黒塗りではなくエディーマーフィーの変装だったからだろう。これが仮に日本のタレントであるオスマンサンコンだったり、日本の芸人のアントニーの変装であれば、ここまで広くは取り上げられなかったのではないか。しかし今回は知らない人はいないようなハリウッドスターだった。
世界中の誰もが知っている人を取り上げると、その分だけ多くの人にキャッチーなネタになる。その点でも国内外で批判されることを予見することのヒントにはできたはずだ。

差別問題は国内外でいま話題にされやすいから

時期にも問題があった。差別的な表現は、世界中で話題になりやすいものになっている。2017年終わりというのは、その機運がかなり高まっていた時期だった。

このところの世界的な流れの一つに、虐げられていた人たちを守ろうとする動きがあった。たとえばLGBTであり、あるいは#MeTooも同じ潮流にあるブームだと言っていい。
そういった人たちが声を上げること、そしてそれを社会全体で後押ししていくこと。それが2017年を動かしている大きな風の一つだった。

弱い立場にある人や権利を十分に得られなかった人、あるいは虐げられた人にきちんと目を向けようという世の流れがどんどん大きくなりつつあったのが、2017年の末だったとすれば、黒塗りがその時期に適さないネタであることは明らかだ。

加えて、ソーシャルメディアの存在によって個人が声をあげやすくなっていることも重要だ。(こんなの2017年に始まったことでもないし、10年前からそんな雰囲気はあったので本当は取り上げるまでもないが)こういったメディア環境もあって、差別的要素を含むものは口の端に乗りやすいという流れが、日本だけでなく世界中で起きていたわけだ。

批判を受けやすい時期に、批判が起こりやすいメディア環境のなかで、ダウンタウンの浜田雅功は、エディーマーフィーの変装として黒塗りにして出てきた。これだけそろっていれば、どのような結果になるかは明らかだったはずだ。

繰り返し:黒塗りはやめるべきだった

もし日本の笑いを世界に進出させるのであれば、黒塗りはやめるべきだった。

人種の見た目の違いをコンテンツに取り込むのは時代にあっていないし、日本向けのコンテンツでも多様な人が目にするし、差別的な要素を含むものはとくに炎上しやすい時代の流れだった。

これだけの条件が揃っている中で差別的と受け取られてなんら不思議ではない黒塗りをコンテンツに突っ込めば、当然批判の対象になる。誰だってわかる話だ。

もし、黒塗りが構成上必要だったと言うのなら

私は黒塗りネタに必然性はなかったと思っている。作り手目線で考えても、リスクとリターンのバランスが悪い。だが、プロである製作陣はエディーマーフィーの黒塗りを取り入れた。

なぜ、黒塗りネタが採用されてしまったのか

アメリカンポリスというテーマにあうものを探していたから

アメリカンポリスというテーマを2017年の笑ってはいけないでは掲げていた。そもそもこのテーマ選びも世界を目指すなら間違っているように感じるけれども、それは置いておく。

アメリカンポリスというテーマで、大晦日にテレビを見ている人が誰でも思い出せるキャラクターであることが必要だったのだろう。
ビバリーヒルズコップのエディーマーフィーがそこで候補に上がることは一応理解できる。なぜか。

分かりやすく違いが出せるものだから

このネタでは、分かりやすく違いが出せることが大切だ。浜田の変装ネタは冒頭のつかみの一つ。多くの人にわかってもらえるネタでなければならない。

笑いを起こさせる基本的な方法には、分かりやすく見た目を変えるやり方がある。大きい、小さい、長い、短い、多い、少ない、そして色が違う。
テーマにあうもので、分かりやすく見た目を変えられるものとして、ここでは「色を変えるネタ」が選ばれたのだろう。

手間がかかるものだから

そしてこれだけすこしトリッキーなのが、浜田にとって手間がかかるものであることも大切な条件だ。それは、「なぜお前は手間のかかるそんな変装を受け入れてしまったのか」という他の出演者や視聴者からのツッコミを誘い出すためだ。ここにこの変装ネタの面白さの一つがある。したがって、簡単にできる変装よりも、たとえば色を塗るような手間のかかるものが望ましい。

さて、このように考えていけば、黒塗りのエディーマーフィーが選ばれたことにもそれなりの理由がありそうだと分かる。アメリカンポリスというテーマを設定した時に、たしかにエディーマーフィーは分かりやすいしそれなりに手間もかかる。そこで笑いが期待できる。

とはいえ先に述べた通り黒塗りは避けるべきだったのだから、そのまま実行すべきではないはずだ。では、あくまで仮に、今回どうしても黒塗りがコンテンツのクオリティー向上に必要だったとして、どうすれば国外からの批判を免れることができたのだろうか。

表現の自由をメッセージにすべきだった

もし黒塗りが番組クオリティを上げるのに最適で、どうしても黒塗りをする必要があったなら、表現の自由をメッセージにして、批判が来ることを見据えた上でコンテンツ化して放送すべきだったと私は思う。

話し合われる価値のある問題提起だから

日本における黒塗りの是非は、議論する価値はありそうなテーマだ。

世界に出て行くのであれば「世界のルルールに合わせるべきなので黒塗りは避けるべき」というのが、一つの結論だと思う。しかし、そこに差別意識が比較的薄い(と思っている人が多い日本のような)地域において、あくまで個人のマネをする変装の一部としての黒塗りが許されるかという側面を加えると、これは様々な意見がでてきそうなテーマになる。事実、少なくとも日本においては黒塗りを擁護する声が起きている。

今時黒塗りって日本バカなのか?と他の国から言われることを怖がらないなら、議論を生むためのコンテンツとして使えなくはない。

しかし事実傷ついたり不愉快になる人がいることは確実なので、よほどの覚悟と信念と明確なゴールを持ってトライするのでなければ、やるべきではないことは間違いない。

上手くやれば日本のコメディのレベルの高さを国外に示せるから

もし、今のような時代に、あえて黒塗りにして、笑いを生み出しながらも問題提起し、その根底には差別撤廃に対する強い信念を込めることができるならば、それは日本の笑いのレベルの高さをかなり高次元で表現できるコンテンツになる。

日本の笑いは風刺が少ない。風刺がない笑いを程度が低いとは私は全く思わない。しかしながら、風刺を含まない笑いを低次元だと判断する人は日本にもいるし、他の国ではもっとその傾向が強いと推測される。

だから、黒塗りという時代に反する表現を用いながらも笑いを成立させ、しかも社会に対するメッセージ性も十分にある高次元のコンテンツが作れるなら、(それは不可能に近いことなので)本当にできるならチャンスだ。

黒塗りにする理由が作れるから

表現の自由をメッセージにするなら、それは黒塗りを制作側が妥当なものとする理由になる。その主張が正しいかどうかは別として、少なくともそこに黒塗りすることの主張は存在させられる。黒塗りが無意識な非常識行動ではなくなる。

もちろん批判はされるだろう。非常識だと言われるだろう。それでも、ルールブックを作れとか甘ったれた文句を言うよりは、そこに明確な主張があるほうがよほどよい。

やっぱり、黒塗りはやめるべきだった

さて、このように考えた上で結論に戻る。やはり黒塗りはやるべきではなかった。これを世界に受け入れられるように仕立てて展開することなんて、無理だ。

なぜこんなことが起きてしまったのか

それにしても、なぜこんなことが起きたのだろうか。

20年後をイメージして制作していないから

それは製作陣が、20年後の日本の笑い産業をイメージしてコンテンツを作っていないことが理由だ。今のことしか見ていない。目の前の地域のことしか見ていない。

なぜ先を見据えてコンテンツを作らなければならないのか。

日本は成長市場ではないから

日本だけで食っていくのはたいへん。分かりきっているのに、舵を切りきれてない。

海外には成長市場があるから

海外には大きな成長市場がたくさんある。分かりきっているのに、舵を切りきれてない。

きちんと育てれば、日本の笑いはファンを得る可能性があることをしっかり認識していないから

きちんと日本の笑いコンテンツを育てて、ブランド化していこうという思いがない。きちんと育てれば人気を得られるかもしれない、反対にいえばきちんと育てなければ人気を得られないのに、それをやろうとしていない。

もし、日本の笑いに世界に出て行くつもりがあるのなら、という前提で書いてきた。でも、日本の笑いが日本の中にこもりきりで良いわけはない。笑いは文化でもあるが産業でもある。海外市場にでなければ、いずれは小さくしぼんでしまう。育てるためには、外に出なければならない。

松本は、笑いはチームワークだという。さんまを批判してまで、ラジオではそう語ったこともある。

いまや彼は王者ではあるがプレーヤーの一人でしかないとも言える。したがって彼は笑いと笑い産業を育てる義務は自分にはないと感じているかもしれない。しかしそれでも、もし笑いがチームワークだというなら、それは将来の笑いを作る他の芸人のためのチームワークも発揮してもらえると、ファンとしては嬉しい。少なくとも、邪魔はしてはならない。

できるなら、松本にリードしてもらいたいと思っていた。ハイコンテクストでも、その先にある彼の面白さは、日本の人以外にも楽しんでもらいたいものだった。

だから、本当ならどのチャネルを使っても良いので、黒塗りネタの背景と考えや面白さを論理的に説明してもらいたかった。しかし彼はルールブックが欲しい、というあまり建設的ではない言葉で外を批判しただけだった。残念でならない。

展示が面白い。クリナップ キッチンタウン 東京へ行った

なぜだかは知らないが新宿にはリフォーム関連のショールームが集まっている。

TOTOとYKK APに床材や建具のDAIKENが組んで展開している「TOTO DAIKEN YKK AP東京コラボレーションショールーム」や、リクシルショールーム東京をはじめ、ノーリツ、アイカ、トクラス、タカラスタンダードと、リフォームするために必要なものは新宿でたいてい全て見られる。しかもどれもが少なくとも東京における旗艦ショールームという位置付けのものだ。さすがは世界有数の乗降者数を誇る新宿駅。

難点があるとすれば、どのショールームも西新宿に固まっているのにそれぞれのショールームが少しずつ離れていて行き来がしにくいことくらいか。それでも新宿にいけばいろいろな設備が見られるのでとてもありがたい。

さて、クリナップ のショールームも同じく新宿にある。クリナップ ・キッチンタウン・東京と名付けられたこのショールーム、TOTOなどのショールームからだと歩いて10分か15分くらいの距離にある。こちらもクリナップ の旗艦ショールームのひとつに位置付けられているようだ。

先日ここへ行ってきた。一時間程度だろうか、今回は担当者の説明を受けずにとりあえず見学のみ。ぐるっとまわってそれぞれのラインナップを眺めた。

結論から言えば、クリナップ ・キッチンタウン・東京は見せ方は工夫があっておもしろいが、展示の量が物足りなく感じた。

ショールームの広さはそれほど小さくはないが大きくもない。小規模~中規模スーパーマーケットくらいの広さといえば伝わるか。まいばすけっと5つ分くらいとか。伝わる気がしない。とにかく大して広くない。汐留のパナソニックショールームなどは1階から3階まで全部パナのショールームみたいなことになっているが、クリナップ はそんなことはない。こじんまりしていると言えばこじんまりしている。

キッチンタウンというだけあって、クリナップ の強みであるシステムキッチンが主に展示されている。格安クラスから高級クラスまでそれぞれ3から5セットぐらいが並んでいたと思う。一番ボリュームが多かったのは確かクリンレディだったと思う。次がSSで最後にラクエラという感じだろうか。(そういえばSSという名前が来年から変わるんだそうだ。サ行で始まるなんらかの名前だったけど、忘れてしまった。)いまクリナップ といえばやはりクリンレディなのだろう。

面白かったのは、1980年代ごろに使われていたというステンレス製のキッチンの紹介。たぶんクリナップ の人も苦心して考えたのだろうが、メッセージが難しい。というのも「昔はこんな感じの使い勝手でしたが今はこんなに使いやすくなっていますよ」という先進性のアピールをしながらも、「クリナップ はステンレス使ってますから実は昔のキッチンが今でも使えるくらい丈夫なのですよ」という耐久性のアピールを同時にしなければならないから。だから、古いキッチンを見せられても、私は正直に言ってこれってまだまだ現役でいけるし、使い勝手は多少は難ありだけど全然オーケーなのでは・・・という感想を持ってしまった。

しかしその辺のことを除けば、単純に面白い展示だ。昔のキッチンもよく考えて作られているけれども、それこそクリナップ 一押しの流レールシンクとかはまだ当然当時はないわけだし、シンク下の収納も今のものの方が明らかに使いやすそうだ。そんなことを体感できるのがなかなかよかった。

もうひとつ面白かったのが、収納アドバイザーが紹介するクリナップ 製品での収納方法展示だ。これは、展示してあるクリンレディなどのシステムキッチンに、実際に調味料とか鍋とかをプロの人がオススメの入れ方で収納した状態で展示するというもの。ラベルをうまく貼ったりとかいろいろして参考になる。

中でも最も参考になったのが、オプションでつけられる収納ツールが「ついていなかった」ということ。これはクリナップ さん、勇気があっていい選択だったと思う。

クリンレディのオプションなのだと思うが、「うきうきポケット」という機能をクリナップ は押している。これはシンク下の収納を引き出すと、手前についた小さなポケット収納が上にぬっと伸びて出てくるというもの。よく使うものをここに入れておくと便利ですよ、ということらしいのだが、実はこのオプションの評判が微妙なのだ。つけたけど使いにくい、つけなければよかったという声が結構ある。私も実は悩んでいた。これをつけるべきかつけないべきか。

価格だけを考えれば大した差ではないが、一旦つけると外せないし、かといって後からもつけられない。どうしようと思っていたところへ、この収納展示だ。収納整理のプロが考えた収納方法は、うきうきポケット「なし」。メーカーが推しているオプションなしのプランが、旗艦ショールームで展示されているのだ。

繰り返すが、この展示はクリナップ の人の決断は称賛に当たると思う。普通であればうきうきポケットを付けて考えて欲しいと言いたくなるところだろうが、あえてそうしなかったのだろう。素晴らしいと思う。

こんな感じで見ていて楽しいショールームだが、残念ながら広さが足りない。もっといろいろな色やシリーズを見て、いろいろなバリエーションをこの目で確かめたいと思っても、全部で20には到底届かないくらいのセットしか置かれていないので、十分に見て回れない。

メーカーはカタログとかサイトを見てねというだろうが、もちろんそれは検討者であればしっかり確認する。それでも足りないからわざわざ旗艦ショールームにまで足を運ぶわけで、それが十分な広さではない場合は残念な感じがどうしてもしてしまう。

他のメーカーのショールームが新宿に集まっているので新宿にショールームを持つ考えは理解できるが、一方で広さをしっかりとったショールームも欲しくなる。郊外でもいいので、そういう場所が1つあるととてもいいのになあと思った。

広さやボリュームを除けばとても楽しいショールームなので、機会があればまたいって見たいとは思っている。

ゴヤールが不良品だったので交換してもらった

ゴヤールのカバンを使っている。一番ベーシックなやつ。しかも黒。めちゃめちゃ王道。

気に入って使っていて、軽いし使いやすいしであまりデリケートに扱うこともなく毎日のように持ち歩いた。雨の日も全然気にせず使っていたのだけれども、ある日ふと気付いた。模様がはがれてきている。それもしかも部分的にではなく、全面的にだ。

街中でもかぶりやすい品物だから他の人のも見てみた。そんな風になっている人はしかし一人もいない。どの人のゴヤールもほとんど新品同様で、模様がはがれたりしてるのは私のゴヤールだけだ。

後悔した。

はじめてのゴヤールだから知らなかった。この模様は案外落ちやすいプリントで、きっと雨の日に使ったりしてはいけなかったのだ。そう強く過去の自分を恨んだ。

だが、やってしまったものは仕方がない。

修正ペンでDIYで書き直すわけにもいかない。私のこのゴヤール以外には模様がはがれたバッグなんて誰も使ってないけど、これが現実。受け入れるしかない!

・・・と諦めてからしばらくしてのこと。

ふとデパートに行った時にゴヤールの店があることを思い出して、ふらっと立ち寄ってみた。できないとは思うけれども、模様をなんとか復活させてもらえないかと頼んでみるためだった。

「すみません、このバッグなのですが使い方が荒かったためか模様がはがれてしまいまして・・・」

私のゴヤールを見ただけで、顔色が変わる店員さん。

なんだ、そんなに使い方が荒かったのか、こんなことをする人はやっぱりいない!?と思ったが、店員は驚いたことに私に対して謝ってきた。

「申し訳ございません。本来このようなことにはならない製品です。本国に確認を取る必要がありますのでお預かりできませんか?おそらく新品との交換になるかと思われます。」

とのこと。

驚いた。びっくりした。そしてなにより安心した!

私が悪かったわけではなかった!実は品物に問題があったのだ。

だからといってゴヤールに恨みはない。むしろ素早く対応してもらい、感心したくらい。後日改めて店舗に行ってバッグを預かってもらって、その数日後には交換の正式な連絡、翌週には新品の受け取りまで進めてもらえた。

しかし不思議なもので、先代の柄落ちゴヤールにも結構愛着が湧いてしまっていて、実は手放すのが少し悔やまれた。しかし店舗の方も不良品をまた持ち主の元に戻すわけにもいかないだろうから、大人しく新品をありがたく受け取った。

売れているブランドの製品は、それなりの品質を保つべく作られているし、万が一そのレベルに達していない製品があった場合も、ブランドとしてきちんと対応してくれる構えがあることを学んだ。