プレゼンが上手くなる人、ならない人。その差はどこにあるか。

社内でプレゼンテーションをする人に、プレゼンの仕方についてアドバイスをする機会があった。アドバイスをした相手は二人。どちらも私より年上だ。二人は同じ場で、それぞれ異なるテーマで社内向けのプレゼンテーションをする。

二人ともプレゼンテーションの経験が多いわけではないらしく、そもそも作ってきた資料がかなりわかりにくいものだった。伝えたいメッセージはあるらしいのだが、おそらく本人の中で十分消化しきれていないのだろう。それが伝わってこない。

私の方が年齢が若いが、しかしプレゼンテーションを成功させ目的を達成することが大切なので、かなり大幅に資料への赤入れを行い、最終的には時間の都合もあるので構成の入れ替えをした。

プレゼンターの一人、Aさんとするが、Aさんは私の赤入れに素直に従った。特に反論するでもなく、はいわかりました、と私の修正を受け入れる。

もう一人のほう、 Bさんはと言うと、私の修正に1つ1つつっかかってくる。なかなか素直には聞き入れないが、私は私で自分の内容に自信を持って1つ1つ細かく意図を説明し、最後にはなんとか同意してもらえた。

こうして資料ができあがると、次はしゃべりの問題が出てくる。

数百人を前にしてプレゼンテーションをする機会が豊富にある人は少ない。AさんもBさんもそうで、かなり緊張しているようだった。私はプレゼンテーションを成功させるための一番の近道はとにかく練習することだと伝えた。

Aさんは、わかりました練習しておきますね、素直に受け入れた。

Bさんはというと、練習することには前向きだったが、どのようにやれば良いかわからないとのことだった。私は、プレゼンテーションの内容を見に染み込ませる必要があり、そのためには何度も実際に喋ってみたり、また恥ずかしくても録音や録画をしてみたりするのがよいと伝えた。さらに、たとえば今私の前でやってみてはどうですか、と投げかけてみた。Bさんは度胸があるのか、じゃあといってしゃべり始めた。

Bさんのプレゼンテーションのテーマは軽いものではなく、きちんと聞き手に理解してもらい、行動を促さなければならないような内容だったが、本人のパーソナリティがどちらかといえば軽い方のひとなので、その内容の重大性や緊急性が伝わらないしゃべり方になってしまっていた。

私は心を鬼にして、内容とトーンがあっていない、Bさんの性格とは合わないかもしれないがもっとシリアスな言葉遣いと声の調子で語っていただかないと、聞き手にはきっとメッセージが届かない、という主旨のことを伝えた。

Bさんはそれを聞いて、当然ながら不服そうであった。そして、では練習しておきますと一言言って、その日は終わり。

さて、土日を挟んで次の月曜日。プレゼンテーションの本番だ。

まずはAさんの番だ。Aさんは、プレゼンテーションの修正にも前向きであり、練習もしっかりすると言い放っていた。しかしプレゼンテーションはボロボロだ。ストーリーは道筋が通っているのに、言い間違えたり、項目を飛ばしてしまって後から戻ってきたり、そもそも緊張して落ち着きがなかったりして、練習をほとんどしていなかったことは明白だった。

続いてBさんだ。この人はもともと社内でも軽い雰囲気の持ち主として有名で、この人が壇上に立っただけで少し笑いが起こるくらい。しかも表情がかたい。すさまじく緊張している。これはBさんもダメかもしれない、そう覚悟したが、始まってみれば素晴らしいプレゼンテーションに仕上がっていた。この人が持つ独特のトーンはあるものの、テーマにあった雰囲気とスピードで進んでいく。内容を既に知っている私でも、その内容に引き込まれていくほどの出来栄えだ。誰の目にも、その人がきちんと準備をして、練習を重ねて、成功させるための努力を怠らなかったことは明らかだった。

そのプレゼンテーションの後、Bさんは会う人たいていの人から、あのプレゼンはよかった、と言われたのだという。

私自身、この経験から多くを学んだ。まずは姿勢。プレゼンテーションでもなんでも、それを通じて達成しなければならないことをしっかり意識して、そのために向かっていくこと。たとえばAさんは、資料に対する私からの赤入れに特に反対するでもなく、素直に受け止めていた。それは私の修正依頼がよかったからというわけではなくて、その人が資料に対して、もっといえばプレゼンテーションに対してそれを通じて何を達成したいと思うかを十分に認識していなかったせいだ。もし真剣に成功させたいという思いがあったとすれば、資料の作り方に対してと何か考えがあるはずであり、それを否定されると反発したり説明を求めたりするはずである。Aさんにはそれがなかった。
その点ではBさんは違っていた。指摘1つ1つに本人の意見を語り、私の意見に対する説明を求めた。それを納得するまで続けていた。そもそもの姿勢の部分が大きく違っていたことになる。

加えて、努力の跡が見えるか見えないか、が聞き手やその人を見る人の印象に大きく影響を与えることも身をもって体験できた。

Aさんは、もともとの評価が高い人ではなかった。プレゼンテーションもそこまで巧かったかと言われればそうではない。それにもかかわらず多くの人から高い評価を受けたのは、そこに努力の跡をはっきりと見たからだろう。何かを成し遂げようと考え、そのために必要な努力をすると、そのことをことさら強調せずとも周囲ににはそれが伝わる。反対に、しかるべき努力を怠れば、それだけの結果しかついてこない。

当たり前のことと言わず、成果を得るための努力をきちんとできることは、何をする上でも重要であると改めて気づかされた。

フローリング張り替え、選択肢が多くて悩む人

フローリングの張り替えは、選択肢が多く、悩んで困ってしまう人がいる。私のことだ。

フローリングの張り替えを検討している。うちは築20年ちょっとのマンションで、寝室と子供部屋のフローリングは前のオーナーが張り替えを済ませていたが、リビングと廊下は新築当時のままだ。

20年も経っていると、見事に劣化が進む。

例えばリビングのど真ん中は、10センチ四方ぐらいの大きさで表面の部材が剥がれている。物件を購入した時からそこは剥がれていて、前オーナーが自分で買って来たと思われる補修テープを貼っていた。中途半端な大きさで貼られていたのと、いろいろあって工務店に補修テープは貼り直してもらったが、それでも元の部分と補修テープの色の差は隠しきれない。カッコいいとは決して言えない状態だ。

また、日当たりは悪くないので、結果として窓辺は日焼けを起こしている。色が浅くなったり、痛みが激しかったり。

物件を購入するときは、まあフローリングはそのままでもいいかなあと思っていたが、それ以外の部分のリフォームをやっと欲が出て、というか歯止めが効かなくなってフローリングもついでにやってしまおうか、となってくる。

えーい、やってしまえと進めてしまうのは簡単だが、問題は費用だ。幸いにもうちは狭い家なので、リビングも広くない。12畳を少し切るくらい。それに短い廊下があるだけだから、張り替えが必要な部分は13畳程度だろう。張り替えをやつてやれないことはなさそうではある。

しかし最近は床の張替えといっても選択肢がいろいろある。一口にフローリングといえど、張り替えるか重ね貼りをするかでも違う。無垢材にするのか集合材にするのかも大きい。フローリングではなくてフロアタイルという手もあるし、もっとコストを抑えてクッションフロアも選択肢としては存在する。選択肢が多いのはいいことでもあるが同時に面倒でもある。

さて、うちの場合は、まず張り替えが重ね貼りかで悩んでしまう。いずれ間取りを変更する可能性もあり、そうするとそれまでの間は重ね貼りでしのいでコストを下げるという考え方もある。しかし間取り変更をするにしても、それは子供が巣立ってからか。だとするとまだしばらく先であり、そうであれば張り替えてしまってもいいようにも思う。というふうに決めきれない。

素材はといえば、高くなるしそこまでのこだわりはないから無垢材は選ばないだろうし、とはいえそれなりの質感は求めたいのでクッションフロアも違うだろう。とすれば、選択肢は合成材のフローリングか、フロアタイルだ。

フローリングだと普通といえば普通なので、フロアタイルにしてみる手もあるかもしれない。しかしうちの床は直床だ。詳しくは知らないが、フロアタイルを選べばきっとコンクリートに直にフロアタイルを敷き詰めていくことになるのだろう。コンクリーの上にダイレクトにフロアタイルがあるというのは、想像しただけでも寒そうだ。夏はいい。冬はどうだろう。結構しんどいかもしれない。

フロアタイルは硬さの面での心配もある。コンクリーにダイレクトフロアタイルなら、転べばそれは痛いはず。寝っ転がることも流石にしんどいか。音の問題もありそうだ。何かを落としたりすれば、階下に見事に響き渡るようと予想。

フローリングであれば、まあ今と同じだけの暖かさは得られるだろうし、音の問題も遮音タイプを選んだりすれば解決可能だ。柔らかくこそないが、木なので寝っ転がってもそれほどまでには痛くない。

こう考えるとうちはフローリングにすべきなのだろうなあ。

そうすると次に出てくるのが色の問題だ。寝室と子供部屋はオークとかチェリーっぽい色。そこまで深い色ではないのだが、私は濃いめの床色が好きだ。だからリビングだけ深い色にするのも良いかもしれない。

来客時に見せる可能性があるのは子供部屋くらい。子供部屋とフローリングの色が違うのは、それほど大きな問題にならないように思う。

あとは最初の問題に戻って、張り替えが重ね貼りか、について考えなければならない。この辺は工務店の人に聞いてみて、メリットデメリットを踏まえて考えていくべきだろうか。

方針が決まったら、後日アップデートする予定。

知っていそうでよく知らない、いろいろなマークを紹介。全部わかりますか?

世の中にはいろいろなマークがあります。交通標識やいろいろな製品の裏についている表示とか、それはそれはたくさんのマークが存在しています。

しかし中にはそれが何を意味するのか、わかっているようでわからないものも少なくありません。

たとえばこれはどうでしょうか。

R100

見たことありますよね!確かに見たことはあるんですが、これが何を意味するマークか、はっきり言えなくありまえんか?

これは何かと言いますと、R100マークと呼ばれるものです。

こちらのDTP・印刷用語集というサイトの解説によりますと

R100のマークとは、古紙パルプ配合率100%の用紙(再生紙)を使用していることを表すマーク

なのだそうです。

Recycle 100%のR100を模しているということですね。数字に横線が入っているのは紙を意味しているのでしょうか?この辺りは若干不明ではありますが、色が緑色だとなるほど緑を守るってことなのねとギリギリわかるかもしれません。

つづいてこちらはどうでしょう。

SGマーク

(画像検索結果へのリンクです。)

これも見たことありますね!確かに見たことはあるんですが、これもまた何を意味するのか、はっきりわからなくないですか?このマークは、SGマークと呼ばれるものです。

製品安全協会という団体がありまして、そちらが作ったマークのようです。協会の説明によりますと

SGSafe Goods (安全な製品)の頭文字を合わせたものです。SGマークは当協会が定めたSG基準への適合を当協会が認証したことを示しています。「安全な製品」の目安です。

とのことです。

なるほど、Safe GoodsのSGなのですね。昔のおもちゃ屋なんかにもこんなマークが付いていたように記憶しています。

上の二つはまだ見たことがあるものだからいいです。

では、こちらはどうでしょう。

ん?これは・・・見たことありそうでなさそうな・・・。蝶々がひらひら飛んでいるようですがなんだかよくわかりません。

これ、実は「聴覚障害者標識」というマークです。内閣府のサイトによりますと・・・

聴覚障害であることを理由に免許に条件を付されている方が運転する車に表示するマークで、マークの表示については、義務となっています。危険防止のためやむを得ない場合を除き、このマークを付けた車に幅寄せや割り込みを行った運転者は、道路交通法の規定により罰せられます。

とのこと。なるほど聴覚障害を持った方が車に貼るマークなのですね。

私は結構車に乗る方ですが、しかし道路では見かけたことがありませんでした。聴覚障害者の運転手が少ないのか、それともただ私の注意力が低いだけなのかはわかりません。

耳の形で、聴覚と蝶々の「ちょう」がかかっているのでしょうが、もう少しデザインを改善できないのかなあと思わなくもないですね。

続いてはこちらです。

これはなんとなくわかりますね。少なくとも東京ではこの1年ぐらいでかなり見かける回数が多くなりました。

このマークは「ヘルプマーク」と呼ばれるものです。

東京都福祉局のサイトによりますと、

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

私が個人的にとても好きなマークです。まず背景にある理由にとても納得感がありますし、マークそのものもとても目立ちますので周囲の人が気付きやすいです。しかも意味合いもある程度わかりやすいものでありながら、デザインが洗練されています。

ヘルプマークに関しては、もっと普及して、多くの人がその意味合いを知るようになってくれるといいなと思います。


こうしてみると、マークにもいろいろありますし、見たことがあるものもあれば、あまり馴染みのないものもありますね。正直に言えば、そのマークが付いていてもいなくてもどっちでもいいようなものもありますが、例えばヘルプマークや聴覚障害者標識のようにもっともっと広がるといいなと思うものもたくさんありますので、また今度調べてみようと思います。

年賀状をやめるために私の先生がとった行動

私には恩師がいます。学生時代に私を導いてくれた先生です。

どちらかと言わなくてもドライな性格だと自分でも思う私ですが、この先生にはきちんとしておきたいと思っていて、私としては珍しく自ら望んで年賀状を出しておりました。

恩師はもっとドライでした

ところが、私の恩師はもっとドライでした。

ある年、その恩師から年賀状が届きました。先生は年賀状でいろいろメッセージを書いてくれるタイプではありません。干支と簡単な定型文が印刷されている年賀状がポンと届くのが例年のことでした。

ところがその年は珍しく一言メッセージが添えられています。そこにはこう書かれていました。

「フェイスブックで繋がっていますので、来年からはそちらでお願いします」

先生はそのとき70歳近かったと思いますが、昔からデジタルはしっかり活用されていて、ソーシャルメディアも早々にアカウントを取ってお使いでした。

こまめに投稿もするのでさすがだなあとは思っていたものの、まさか年賀状をフェイスブックに切り替えると宣言されるとは思っていなかったので驚きました。

まあ、たくさんいる教え子の一人でしかないわけで、全員にずっと丁寧し接しているわけにもいかないことは分かります。いちいち年賀状を返していると、手間もコストもかかりますから。

このメッセージは使える

さて、私の恩師が送ってくれたこのメッセージですが、これは使えるかもしれないなあと思ったのです。

年賀状を断りたいとき、本当に難しいのが、やめることを伝えてからやめるか、それともこっそりフェードアウトしていくか、です。

やめますね、と言ってからやめるのが潔くはありますが、このときさてどうやって言ったものか本当に悩みます。年賀状をやめる理由として、しっくりくるものがないのです。

かといってしれっとフェードアウトするにも、なかなかの胆力を必要とします。

そこで我が師のメソッドです。

年賀状をやめることは高らかに宣言しますが、かわりにフェイスブックでは来年からはメッセージを送りますね、と代案を示すのです。

そうすると、年賀状はなくなってもあなたとのコミュニケーションは続けるんですよー。ただ、ハガキでやるコミュニケーションって今っぽくないし、お互い負担ですからやめるっててもありますよねー、といううまい流れが作れるのです。

この「フェイスブック」の部分は、実際なんでも構いません。ツイッターでもインスタでもラインでもなんでもいいです。とにかく、連絡はしますよと明確に伝えることが大切なのです。

ちなみに翌年以降の恩師は

さて、こうやってうまい事言って私に年賀状を送るのをスッパリやめた私の恩師が次の年からどうしたかについて触れておきますと、あれから3年、今の所私のフェイスブックのメッセージボックスには一度も先生からのメッセージは届いておりません。

そんなドライな恩師が大好きです。

アメリカも似たような感じらしい

よく考えてみると、年賀状と似たようなことをアメリカでもやってますね。クリスマスカードです。ちょろっと調べてみただけでも、クリスマスカードを送るべきか、とか、私がクリスマスカードを送らない理由、とか、そういった内容のブログが山ほど出てきます。

やっぱりファミリーアンドフレンド至上主義のアメリカであってさえも、クリスマスカードはやめたくてもやめづらいもののようです。

その中でクリスマスカードを送らないという人の記事を一つ紹介します。

今年私がクリスマスカードを送らない3つの理由(3 reasons why I am not sending you a Christmas card this year.

(話がずれますが、日本でもアメリカでもブログのタイトルって「なんとかの3つの理由」みたいな似たようなものが結構あるものなんですね・・・)

この記事の著者は11月に引っ越したばかりなのでクリスマスカードを送らないということにも触れていますが、それよりも大きな理由として次の3つを挙げています。

1:コスト

この方は毎年100ドルほどクリスマスカードにかけていたようです。カードを買ってきて、それを加工して、送ったりするとそれぐらいかかるのでしょうね。日本でも似たような金額になっている人も多いと思います。

ちなみにこの方は浮いた100ドルを自分が気に入っているチャリティーに寄付するということらしいので、この辺は日本人の感覚とは違いますね。さすがは金持ちもそうでない人もたっぷり寄付するお国柄の人です。

2:時間がもったいない

つづいて、時間がもったいない(時間は大切)という点も理由としてあげています。

今本当に大事なことに時間を使うべきで、自分たちの場合は年々大きくなっていって子供たちと今できることをしっかりとやっておくこと、ということのようです。日本の年賀状はほとんどがプリンターで作りますし人によってはネットプリントとかで完全外注のこともあると思います。それと比べてアメリカのクリスマスカードは手作りな部分が多いからか、時間を無駄にしている感覚があるのかもしれません。

個人的にはかなり共感できるポイントです。

3:そもそも今年私がしたことは、みんなFacebook知っている

これは今っぽいといいますか、実態に即した理由です。仲がいい友達とかは、そもそもFacebookでつながっているわけで、Facebookに投稿をしていればそれで日常的な様子は伝わっているのだから、クリスマスカードでわざわざ伝えなくてもいいんじゃないの?ということですね。

私の恩師と同じような考えといえば考えです。

確かに言われてみればその通りなのですよね。仲がいい人ならLineなりFacebookなりでつながっていることが多いわけで、年に一回紙のカードで近況報告されたからといってそこに違いがあるかと言われればないわけです。

とはいえ、まだまだ手に触れられる紙のほうが温かみが感じられるから好き、という意見の人も少なくはありません。(タンジブルなんていう言葉がはやったこともありましたね。)だからあまり真っ向から「紙の年賀状を出す人なんて時代遅れだ!」とかいうと怒られそうですし、実際私もまだ100パーセントは辞めていないわけなのですが、それでもここで書かれている3つの理由は、私たち日本の状況を考えてみても同じような理由で年賀状を辞めてもいいのかもなあ、と思えるものなのではないかと感じます。

ツラい「しゃっくり」を1分で止める方法。「本当に100%止まります!(私談)」

しゃっくりって、地味な割に辛いものですよね。

この辛いしゃっくりを止める方法としていろいろ言われていますが、なかなか効く方法が見つからないという方も多いようです。

ただ、私は子供の頃からある方法でしゃっくりを止められておりまして、一度も困ったことがないのです。20年以上はその方法を使っていますが、止まらなかったことはありません。

ちなみに私はこの方法を母親に教わりました。彼女もこれで止まるといっていたので、少なくとも私を含めて2人は実績のある方法です笑

この方法は、特にリスクはありません。時間もそれほどかかりません。1分もあれば、じゅうぶんです。

母直伝!1分しゃっくり止め

では、私の母に教わった、1分で効果が出るしゃっくり止めを紹介します。

  1. 息を思いっきり吸う
  2. 息をできるだけ長く止める
  3. 息を吐く

これだけです。

下を向いたりとか、唾を飲み込んだりとか、いろいろと言われますが、私の場合はこれで確実にしゃっくりが止まります。

とっても簡単なこのしゃっくり止めですが、実はコツがあります。それは上記3ステップのなかの太字部分、「思いっきり」「できるだけ長く」です。

これを文字通り、「思いっきり」吸い込んで、「できるだけ」止めておくことが大切なのです。

ですから1分しゃっくり止めを正確に説明すると次のようになります。

  1. 息を吸う
  2. さらに吸い込む
  3. ギリギリまで吸い込む
  4. もうちょっと頑張って吸い込む
  5. 息を止める
  6. じっと息を止める
  7. ギリギリまで息を止める
  8. もう無理ーーーー!!!というところまで我慢して、吐き出す

念のためお伝えしておきますが、くれぐれも「もう無理ーーーー!!!」のところで、気絶するまでやってはいけません。危険を感じるずっと手前でやめてください。それで十分しゃっくりは止まります。

辛いしゃっくり、この方法で止めていただいて、すっきりしてくださいねー。

風呂だけのつもりがキッチンもリフォームしそうになっている話

中古マンションに住んでいます。築20年ちょっとの物件でして、水回りは過去にリフォームされた履歴がないので、そろそろあちこちにガタが来てきます。

たとえばキッチンは収納のドアの痛みが激しかったり、洗面台はシンクの中の塗装が剥がれてきていたり、風呂は全面的に古さが目立ってきていたりします。

新しいキッチンを見るのは危険、やばい、怖い

そもそもは古さが一番目立つ風呂だけを交換しようかと思っておりまして、なんとなくTOTOやリクシルのショールームへ行くようになりました。

風呂を見て、トイレを見て、洗面台を見て、というあたりまでは、なるほど新しくするとこんな感じになるんだなあと冷静で入られたのですが。

流れでキッチンを見てしまったのがいけなかったのです。キッチンを見た途端、もうダメ!古いのイヤ!新しいのに変えたい!という気持ちが爆発してしまいました。

新しいキッチンは一種の魔物です。ピカピカで、おしゃれで、魅力的なモンスターです。こんな生活がいいな、こんな暮らしに憧れるな、という気持ちをこれでもかと刺激されてしまうのです。

特に美しいステンレスのキッチンがヤバイ

私の場合、同じキッチンの中でも特に危険だったのは、ステンレスのワークトップでした。人工大理石のワークトップも、もちろんいいのです。真っ白で、美しくて、清潔感が溢れまくっているその姿も素晴らしいです。

しかし鈍く濡れたように光るステンレスのワークトップには敵いません。私の中ではまるで比較になりません。

ショールームの素敵な照明に照らされて、じっと佇むステンレスのキッチン。遠くから見ても魅力的です。静かにそこにあるだけで、さまになります。

近づいて見たときもまた素晴らしいです。もっと言えば、さっと手のひらで撫でて見たときのそのひんやりとした感触はいつまでも触れたままでいたい気持ちにされられて、そこから動けなくなってしまいます。

クリナップのSSが今の憧れ

世の中にはさらなる高級品もあるのでしょうが、今の私にとっての憧れはクリナップのSSシリーズです。

クリナップは安価なモデルからステンレスを採用していますが、その中でもステンレスをたくさん取り入れて、なおかつコーティング等も上等なものも使っているのがSSシリーズです。

まず「美・コートワークトップ」が美しいです。エンボス加工されたステンレスに、独自のコーティングをかけてあるというものです。エンボス加工によってそもそも傷が目立ちにくくなっていますが、さらにコーティングしてあるのでますます傷がつかないそうです。

それに加えて、収納部分でもふんだんにステンレスが使われており、このバランスが高級感と信頼感、さらにはプロっぽさを醸し出してくるのです。

写真を載せようかと思いましたが、あんまりうまく撮れてないので、掲載をやめました。ぜひ実物を見に行ってください。

クリナップはネーミングをなんとかしてください

ただ1つ、クリナップに問題があるとすると、そのネーミングセンスですね。

各社いろいろな製品を出して思い思いの名前をつけていますが、その中でも群を抜いてダサいのがクリナップです。

上であげた「美・コートワークトップ」も、それはそれはまあなかなかのセンスです。それ以外にも、「流レールシンク」とか、「洗エールフード」とかも結構きてますし、もっと言えばミドルクラスにあたる「クリンレディ」というラインナップの名前も今時一体どういうセンスで名付けてるんだと説教されても仕方がないようなものです。

レディ以外使うなと?使う人はレディでなければいけないのかと?あるいはキッチンはフランス語ばりに女性名詞だと?

それでも欲しい、クリナップSS

というわけで、なんだかんだいっても欲しいのがクリナップSSシリーズなのです。

この物欲にどのように相対するか、方針を決めなければならないのです!

 

ドトールには、部屋着な気分で行きたくなる

オシャレでも高級でもないのにずーっと私たちの身近にあって、日常の一風景になっているのがドトールです。

カフェや喫茶店に入るとき、たとえば目の前にスターバックスとドトールがあって、どちらかを選ばなければならないとして、その時の気分次第で選ぶ店は変わります。

スターバックスは今ではもうかなり身近でフレンドリーなブランドになっていますが、それでもまだ第3の場所的な位置付けなわけで、そんな高尚なことを言う店ですから、心もほんの少し着飾っていなければなりません。首回りが延び延びになってTシャツでは入れません。あくまで「心と気分」の話です。

その点ドトールはどうでしょう。心と気分をTシャツで例えるなら、穴が開いてなければギリギリOKぐらいの感じ。それがドトールです。

首回りが伸びていても、多少黄ばんでいても、そのくらいは許してもらえる。いや、そんな自分を許してやりたい時にでも入ってのんびりさせてくれる店こそがドトールなのではないかと思います。

普段着もしくは部屋着な感じの心でやってきても許してもらえるような、そんな感じです。

ドトールも最近では少しオシャレな雰囲気の店舗がたくさんできています。ロゴマークもライトアップされて可愛くなっていたり、内装も以前とは違っているように見えます。
それでも、ドトールはいい意味でドトールです。少しくらいオシャレな雰囲気をまとっていても、部屋着な心でやってきた私たちを温かく迎えてくれます。

200円ちょっとで美味しいコーヒーやホットドッグを提供してくれる。コーヒーを飲んで、ホットドッグにかじりついて、それでも500円以内。店舗はそれなりに落ち着いていて、店員たちもほどほどに丁寧でスピーディー。

それなのに、心は部屋着でいっても許される感じ。

スターバックスではそれは難しいですし、まあもしかしたら10代の若い人たちは少し違うかもしれませんが、いい大人になら過去の経験から部屋着の心では入れません。

一方で、エクセルシオールやベローチェだとどうかと言うと、これもまた部屋着になるほどではないのです。この場合はスターバックスで部屋着が難しいのとはまた少し違います。
スターバックスは、ちょっとだけ心の装いに気をつけないと入りづらいという意味ですが!エクセルシオールやベローチェは、反対にその雰囲気の目が粗い感じから、こちらが部屋着の心で入りたいと思えるほどの親近感を与えてくれないのです。

心は戦さ場にありながら、一瞬だけ身と心を癒すために入るのがエクセルシオールやベローチェです。

ドトールは違います。

体は野ざらしであっても心は自室にあり、部屋着に戻ることを許される。ほどほどのコーヒーの香りもともに、一人でいるような時間を味わえる。そんな場所なのです。

カーズ クロスロードは、過去作品がイマイチだった人にこそ見て欲しい名作

「カーズ」も「カーズ2」もそれほどは楽しめなかった私ですが、「カーズ クロスロード」はカーズの中では一番楽しめた映画でした。

カーズを三部作として見れば、クロスロードはまさにその完結編にあたる内容です。であると同時に、もしも続編があるとするなら、その序章でもあるという内容になっています。商業成績次第で次回作を作るかどうか決めたりするのでしょう。

さて、「クロスロード」は三部作完結編としての性質がありますので、1も2も見ずにこの作品から見ることはあまりおすすめしません。全く背景を知らずに見るよりも、キャラクターごとの背景などをしっかりとわかった上で見た方が確実に楽しめる作品です。その一方で、1も2も両方見なければならないかといえば、そんなこともありません。とりあえず1だけを見ておけば、十分楽しめると思います。2はスルーしてもそんなに問題ないように私個人は感じます。

さて、ここからはネタバレあります。ご注意ください。

続きを読む

飲み会が苦手な人タイプとその言い分をグループ分けしてみました

飲み会が苦手な人っていますよね。みんな楽しそうに参加しますが、実を言うと決して心から好きなわけではないと感じている人が少なくありません。

飲み会嫌いにも何パターンかある

一口に飲み会が嫌いと言っても、みんなが同じように飲み会のことが嫌いなわけではありません。

そこにはいくつかのパターンがあるようです。

会社の飲み会が苦手(友達とならOK

まずあげられるのが「会社の飲み会だけが苦手」と言うタイプです。

たとえば上司と一緒に飲みに行くと、延々説教をされてしまうとか、あるいは上司を除いた同僚と飲みに言ったとしても会社や他の社員の悪口大会になってしまうので楽しめないといったタイプです。

確かに会社の飲み会は、会社での役割をそのまま引きずらざるを得ませんので、特に若い人たちは面倒に感じられるのかもしれません。

私も以前勤めていた会社に、若手を飲みに連れていくと絶対に朝まで返さないし、とんでもない量を飲ませられてしまうことで有名な人がいました。何人かは病院送りにされているほどです。

私はと言うと、その人の部下ではありませんでしたので、誘われても「今日はちょっと」の一点張りで逃げ続けたわけですが、私の同期でその人の部下だった二人の社員は、そろって病院行きでした。

こんな様子を見ていると、会社の飲み会が嫌いになってしまうのも分かりますね。

飲み会全般が苦手(お酒なしならOK

会社の飲み会だけが嫌いな人の中には、友達やもう少し仲の良い人との飲み会であれば楽しめるという人もいるでしょう。

しかしそれすらも楽しめず、飲み会の名のつくものは全て苦手だという人もこれまた少なくないです。

このタイプの人たちは、多くの場合そもそもお酒を飲むことが好きではないという人が多いです。もしくは、お酒が入った人と一緒にいることが辛いという人ですね。もっと言えばその合わせ技ということもあり得るかと思います。

私はこのタイプに入ります。

私はほとんど下戸なのでアルコールが入っても楽しい気分になれませんし、いい具合に酔っ払った人たちの間に入った時に、盛り上げることもできなければ自分が楽しくもなっていないので、エンターテイメントとして成り立ちません。

それでも1時間くらいで終わるのであればまだいいのです。しかし飲みに行けば最低でも二時間かかりますし、二次会や三次会となれば当然のように日をまたぐことになります。

少なくとも私の場合はコミュニケーションとるならお昼ご飯を食べればいいじゃない、と思っています。ランチであれば、短ければ30分、長くても一時間半くらいで終わります。平日ならアルコールも入りませんから酔っ払った人も出てきません。

しかし少し酔わなければ人は本音を吐かないと信じている人がたくさんいることもまた真実。ここがランチコミュニケーション派にとって苦しいところです。

飲み会でもランチ会でもコミュニケーションが苦手

飲み会嫌いにはさらにハードボイルドな人もいます。飲み会でもランチ会でも、とにかく全てのコミュニケーションが苦手というタイプです。

私はランチならOKではあるものの、行かなくていいならそれもまたよしなので、このタイプの人の気持ちもわかります。

このタイプは、アルコールが入っているかどうかということはそれほどまでには重要ではありません。兎にも角にも大人数でわいわいやることが好きではないということになります。

その一方で面白いのは、この手の人の中には一対一のコミュニケーションならなんとかなるという人が案外多いということです。二人きりで話をするぶんには特に問題がなくて、むしろ饒舌なのに、三人以上になると途端にめちゃめちゃ聞き役に徹し始めるというか、一言も発さなくなるような人です。

この手の人は飲み会に誘っても来ないことが多いですね。あー、私はこのタイプのほうがしっくりくるかなあ。

 

 

飲み会嫌いにもいろいろいますね。コミュニケーションのためには飲み会が一番という方もいらっしゃいますが、私は飲み会は断って自分の時間を作りたい人間です。

いい距離感で必要な程度のコミュニケーションは取りながらも、自分らしい人生を生きていきたいと思います。

カタンを遊びに取り入れて、発達障害傾向の5歳の息子に現れた変化

カタンの開拓者たち

歳になる息子がいます。彼はすこしこだわりが強かったり、時に癇癪を起こしたり、あるいは運動能力が若干低いのですが、一方で記憶力や思考力はある、という具合に成長に偏りがある子どもで、いわゆる発達障害の傾向がすこし見られる男の子です。

そんな息子と私たち両親とで遊ぶ時に、単に親が遊びたいからという理由で「カタンの開拓者たち」を取り入れました。

本当にただ楽しいからカタンで遊んでいただけなのですが、しばらく遊び続けているうちに、息子に良い変化が見られるようになってきました。それまで苦手でうまくできなかったことが、カタンを遊ぶ中で自然と身についたようなのです。

そこで、私たちがどのようにカタンで遊んだか、そして息子にどのような変化が見られたかについて、書き残しておきたいと思います。

そもそも「カタンの開拓者たち」とは?

ドイツ生まれのボードゲームです。ボードゲームというのは、人生ゲームやすごろくのように、サイコロやカードを使って数人で遊ぶアナログゲームのことです。

なかでも「カタンの開拓者たち」はボードゲームの名作と言われていて、発売されてから長年にわたってベストセラーになっていて、世界中で楽しまれているゲームです。

ルールをかいつまんで説明すると、「サイコロを振ってカードを集めて、集めたカードを使って陣地を広げていく」というものです。一見複雑ですが、一度遊んで見れば大人なら簡単に飲み込めるルールです。

5歳には早いかなあと思いながらも購入

さて、このカタンですが、誰が一番遊びたかったかというと、私です笑。 しかしなかなかカタンで遊ぶ機会がなかったので、子供が大きくなったら家族で遊ぼうと随分前から心に決めていたのでした。

息子が5歳になり、簡単なルールのトランプなら遊べるようになったので、ちょっと早いかもしれないと感じながらも思い切ってカタンを購入したが今年の話です。

息子の特徴

さて、うちの息子ですが、発達障害の傾向があると一口に言ってもいろいろなタイプがあります。ADHDと呼ばれるようなものやアスペルガー症候群のようなケースもありますが、うちの息子の場合はというとこんな感じです。

彼にとって難しいこと

気持ちの切り替え

何かに自分が取り組んでいる時、例えば終わりの時間が迫っていても、気持ちを切り替えてストップすることができない。

待つこと

自分の順番を待つことが難しい。誰かの後に自分の順番がくるということが分かりにくく、我慢がなかなかできない。

特定のことに執着しないこと

例えば自動販売機やトイレなど、特定のものに関心が強くその気持ちを抑えることが難しい。

自分で何かを決めること

たとえばおやつを家族で食べるとき、味が2種類から選べるとしても、自分で決断して選べない。

彼にとって簡単なこと

文字を読むこと

ひらがな、カタカナ、身近な漢字(雨、駅、道路、組などなど)、アルファベットは読めるし意味も分かる。

機械の操作をすること

テレビのメニューから字幕のオンオフ設定や、予約録画設定などはすぐに覚える。

日付を覚えること

何ヶ月も前に遊びにいった場所の話をすると、すぐに日付を言い当てる。

このような具合で、できることはかなりよくできる一方で、苦手なことはなかなかうまくいかないというタイプの子どもです。

カタンを取り入れて最初の1週間

カードを取る作業にこだわる

さて、カタンが我が家に届いて最初の日、一番ワクワクしていたのは私でした笑。でも息子も「カタンっていう新しいゲームやりたい?」と聞くと「やりたいっ!」といって、彼も上機嫌でゲームに乗ってきました。

カタンを遊ぶにあたって、まず息子が食いついたのは、「サイコロを振って出た目に合わせてカードを取る」という作業です。

カタンの一つの特徴は、自分が置いた陣地の種類によって異なるカードをそれぞれが山から採っていくことと、

自分がサイコロを振った時でなくてもカードを取れることです。そのため、頻繁にカードを取る作業が発生する上に、その都度異なるカードを取る必要があるので、案外忙しいのです。

息子はこの「カードを取る」という行為に大いにハマりました。あまりにも楽しいので、全員のカードを取って配る役目をやりたいと言い、一生懸命取り組んでいました。サイコロを誰かが振るたびに「木と、石と、麦がお母さんね!」と言いながらカードを取っては配るので、画像を認識したり手先を動かしたりするいい練習にもなったようです。

ちなみにカタンでは、6種類のカードを使いますが、そのうちの5種類は資源カードと言って、陣地を広げるために使用するものになっています。

  • 木材:深緑のカードです。我が家では「木」と呼んでいます。
  • 穀物:黄色のカードです。我が家では「小麦」と呼んでいます。
  • 羊皮:浅い緑のカードです。我が家では「羊」と呼んでいます。
  • 粘土:茶色のカードです。我が家では「レンガ」と呼んでいます。
  • 鉱石:灰色のカードです。我が家では「石」と呼んでいます。
カタンの開拓者たちのカード

5種類のパネルとカードがあります

これに加えて発展カードという特殊なカードを用いて遊びます。

写真の六角形のパネルがマップを構成していて、このマップの色とカードの色が対応しています。例えば深緑のパネルの陣地を持っていれば、同じ色の「木」のカードをとることになるのです。このようなルールが、息子の認識力の向上にも役立ったようにも感じます。

その一方で、問題になったのは息子の「自分がカードを取りたい」という思いが強すぎたことです。

本当に彼にとってカードを取って配ることが楽しかったのだと思いますが、同時に自分の役目だと思ってそれを手放したくなくなってしまったとも言えます。

そのため、やがて私が自分でカードを取ろうとすると癇癪を起こすようにもなりました。やりたいことをやれないことが全く我慢できない状態になり、ここからしばらくは抜け出せない状態が続きました。

「自分の番」や「カードが貯まる」のを待てない

また、始めてしばらくは、自分がサイコロを振る順番を待つのがかなり難しいようでした。

自分が一度サイコロを振ったら、次は自分ではないことは彼も分かっています。しかし3人で遊んでいるのであれば、自分が終わったら次の人がサイコロを振って、その次もまた自分の番に戻ってくるものと勘違いしてしまうのです。しかし3人目がいるので、息子の番ではないことを伝えると、その都度大きくがっかりして、深く嘆くのです。

サイコロをふる順番が分かっていないこともさることながら、自分がどんどんやりたいという気持ちを抑えるのが難しい様子でした。

また、カードが貯まるまで待つのも難しい様子でした。

カタンでは自分のやるべきことの見通しを立てて、その目的に合わせてカードを使わず貯めておかなければならない場面が必ずやってきます。これは大人でも判断が難しいことではあるのですが、息子にとってもやはり相当難しいことのようでした。

つまり、陣地を広げるためにとっておくべきカードを、どうしても我慢できずに別のことに使ってしまうのです。例えば石と小麦と羊に3枚で発展カードという特殊なカードに交換できるのですが、勝つためには我慢してこの先で必要になるカードを手元に置いておく必要があるのに、待つことができずに発展カードに交換してしまうのです。

その結果、陣地を広げることができずに後半で苦労していることがよくありました。

とにかく当初の息子にとっての大きな課題は「待てないし我慢できない」ことで、克服するのは簡単ではありませんでした。

自分で行動を決められない

自分で何かを決めることも、初めのうちは難しいようでした。

カタンは最初のターンでサイコロの目によって順番に陣地を選ぶところからゲームが始まります。

基本的にはどこでも陣地を選べるのですが、どうしても自分で選ばずに私たちに選んでほしいというのです。

それでは面白くないので頑張って自分で選ぶように言い聞かせますが、なかなか選べず、最後には癇癪を起こします。

思い切って決めてやってみる、ということができずに、本人も苦労していました。

また、陣地だけでなく赤、青、白、オレンジの4色の中から自分の駒の色を決める必要があるのですが、これもなかなか決められませんでした。最初に「僕は赤がいい」といったものの、私が「じゃあ青にする」というと、「やっぱり僕も青がいい!」となって、延々決められません。このようにあらゆる点で自分で決定することが難しいようでした。

そのくせ勝つことに異常なまでに執着する

これはどの子どもでも同じかもしれませんが、まだまだ難しいことがたくさんあるのに、尋常ではないほどに勝つことに執着するのです。大人に対して「手を抜いてでもいいから勝たせて欲しい」とお願いしてくるほどです。

我が家では夜寝る前にカタンで遊ぶことが多いので、カタンで負けてしまって癇癪を起こして彼が寝られなくなってしまってはたいへんです。ですから、最初のうちはわざと負けてやったりだとか、とても追いつけないようなハンデを大人が持つことによって、なんとかしのいでいました。

 

3ヶ月経った今の状態

さて、それから3ヶ月が経ちました。週に2回から3回程度、毎週息子と私たち夫婦と3人でカタンで遊んでいます。すると、冒頭でも書いたように少しずつ息子の様子が変わってきたのです。

執着心が落ち着いてきた

はじめのうちは、例えば「全員のカードを自分でとること」にこだわっていた息子ですが、最近では自分のカード以外は取らなくても気にしないようになってきました。私がサイコロを振って自分のカードは自分で取ったとしても、全く気にしません。それよりも、自分がどのように戦うかを一生懸命に考えるようになってきました。

また、勝ち負けにもまだまだこだわりますが、「勝つこともあれば負けることもある」ということがわかってきたようです。以前であれば、自分が負けるとものすごく落ち込んだり文句を言ったりと、なかなか気持ちを切り替えることができませんでしたが、そのようなことが明らかに減ってきたのです。今では「あーあ、負けちゃったよー」と残念がりますが、それでもぐっとこらえていられることがかなり増えてきています。

ゲームを通じて、運の要素もあるし、自分のやり方がうまければ勝てるし、反対に立ち回りが下手なら負けるということが少しずつ飲み込めてきたからなのではないかと思います。

自分のターンを待てる

順番の認識も今までよりもかなりはっきりと持てるようになりました。

自分の次はお父さんで、その次がお母さん。自分の番はその次だ、ということを明確に認識して、私たちがサイコロを振るのをしっかりと見て、その結果に合わせて自分がとるべきカードをとる。そして次の動きを考える、というようなことができるようになってきたのです。

カタンが、自分がサイコロを振ったとき以外にもすることがあるというゲームなので、その面でも良かったのかもしれません。例えば普通のすごろくなら、サイコロを振った人以外は待っているだけになってしまいます。

しかしカタンは自分以外がサイコロを振ってもカードを取れるので、待つことに対するハードルが下がるのだと思います。

カードを蓄えて、次の行動に活かせる

さらに、自分がこの先にしたいことのために、自分が持っているカードを使わずに蓄えておくことができるようになりました。たとえば陣地を広げることを目標としたときに、「あとは羊があれば開拓地が作れるから、いまは発展はやめておこう!」と言って、それを使わずに我慢できるのです。

最初の頃は石と小麦と羊のカードが揃ったら「発展カードを引く!」といってカードを引き、最終的にはどんどん勝利しにくくなってしまうというケースばかりだったのが、だんだん「今はこのカードは使わずに取っておこうっと」といって、しばらく待って必要なカードがたまるのを待てるようになってきたことは本当に大きな変化です。

自分なりに先を見通す努力をしながら、それに必要な状況が出来るのを待つ、というなかなか難しいことができるようになってきたことを意味します。それを見て、かなり嬉しく思いました。

自分で考えて行動を決められる

最近では、自分で考えて行動を決定することもできるようになってきました。

例えば最初の色決めもスムーズです。「前回は赤だったから、今回は青にする」とか、自分なりの理由を考えて、その理由に合わせて色を決めるようになりました。彼自身が納得できる理由を作って、行動を決定することができるようになったのです。折り合いをつけたり、理屈を作って行動を考えられるようになったことは、大きな成長です。

また、陣地決めも、より多くカードがもらえるエリアに陣地を優先的に作ったり、さらには特定のカードが出やすい陣地を取ったのでその条件を活用できるような交易エリアに二つ目の陣地をとる、といった戦術を考えながらの遊びもできるようになりました。

これは、私たち親の行動を見て真似ることでできるようになったのかもしれません。例えば前回のプレイで息子が負けて私が勝利したとすると、そのときの私の遊び方を思い出して、次回から同じような戦い方をする、というような工夫が見られたのです。

自分なりに過去の経験から学んで、その学びを基本にして自分の行動を決定するという行動ができるようになったことも、本当に大きな変化であり、私たちにとっては喜びでした。

カタンを通じての今後の彼の変化に期待

まだカタンを遊びに取り入れて3ヶ月ですが、このように息子が苦手だったことがカタンの中での話ですが、少しずつできるようになっていくのを見るのは、本当に嬉しいものでした。

うちの息子の場合は、ルールを覚えたり、複雑な機械の操作をしたりすることは得意だったので、カタンのようなボードゲームで遊ぶのがたまたまぴったりだったのかもしれません。

しかし似たような傾向のあるお子さんがいらっしゃる家庭では、カタンやその他のようなボードゲームを家庭での遊びを取り入れてみると、意外な収穫があるかもしれません。

これからもしばらく継続的にカタンで我が家でも遊んでみて、変化が見られたら更新したいと思います。