かわいいキャラクターの共通点を考える

かわいいキャラクターというのは、大抵共通する特徴を持っている。

その共通点を考えてみる。

丸い。

かわいいキャラクターは、大抵丸い。

ドラえもん、ピカチュウ、キティちゃん、ミッキーマウス、おさるのジョージ、ビー玉びー助。どれも丸いか、丸いところをたくさん持っている。

四角いキャラクターでかわいいとされるものは少ない。スポンジボブとか、かわいくない。一反木綿もかわいくない。ベジータとかトゲトゲで、やはりかわいくない。パッコロリンのパックンは少しかわいいが、あれは特別。リンちゃんもかわいいけどあれも例外。かわいいキャラはたいていまるい。

小さい。

あと、かわいいキャラクターは、小さい。大きくても子供サイズまで。

ドラえもんとか、実物見たら大きく見えるかもしれないけど、のび太と大体同じサイズ。だいたい子供と同じ。かわいい。

キティちゃんはリンゴ何個とか言ってなめているが、つまりそれだけ小さい。

ジェリーも小さい。だからかわいい。コロンは丸い上に小さいのだから、それはそれは当然かわいい。

大きいやつは残念ながらかわいくない。マシュマロマンも大きくなったら怖くなった。ぬりかべなんかは四角い上に大きいから、もちろんかわいくない。ダンボは一見大きいが、象としては小さい。だから例外。

かわいいキャラクターの特徴は、まず丸いこと。続いて小さいこと。これらは分かりやすい。

では最後の1つは何か。黄色いこと!とか言われることもあるが、違う。

弱い。

それは、弱いこと。

自分より強いやつには、心から気を許せない。丸っこくて小さいけど、見ているこっちを脅かす存在は、見ていてかわいくない。

なんだかんだで最終的にこっちが本気出せば勝てる、というくらいの力関係であることがかわいいキャラには必要。そうでないとかわいいとは思えない。

例えば名探偵コナン。

丸っこいところもあるし、小さい。ではコナンはかわいいだろうか。

コナンは見た目は子供とかいいながら、同時に中身は大人とか言う。とんでもない切れ者だ。普通の大人では勝てないくらい賢いし、しかも強い。特殊な道具とかも持ってるし。だから、かわいくない。

あるいはサウスパークの子どもたち。

丸っこくて小さいが、かわいくない。あれはとんでもない下ネタとか暴言とか言うし、しかも頑張っても言い負かすことはできそうにない。危険で乱暴でもある。最終的に頑張っても勝てそうにない。だからかわいくない。

でも強くても、なんとかこちらが勝てそうなところがあれば、そのキャラクターは可愛くなりうる。

アラレちゃんは、かわいい。丸くて小さくて、でもめちゃめちゃ強い。めちゃめちゃ強いが、彼女は賢くない。知恵を使えば最終的にはやっつけられる感じがする。もしくは仲間にできそうだ。完敗はしないし、むしろ隙も多い。だから、気を許せる。その結果、かわいく見える。

ピカチュウ。ピカチュウもかわいい。丸くて小さいが、強い。強いけど、あれはポケモンだ。捕まえられる。つまり、その気になれば、こちらがコントロール可能だ。だから、かわいいと思える。

コントロール可能か、というところが大切だ。見ている側の方が、そのキャラクターよりも結局は強者であり、上に立てることが保証されていることが、キャラクターのかわいさの秘訣なのだ。

「笑ってはいけない」黒塗り問題、日本の笑いが世界に飛び立つためにどうあるべきだったか

今さらとは思いながらも、2017年末の笑ってはいけない黒塗り問題について書く。


私は日本の笑いが好きだ。「日本のお笑いが国外で人気」というニュースを見ると嬉しくなる。ガキの使いコンテンツはその意味で期待の星の1つだ。例えば図書館シリーズなど、国外で人気のあるコンテンツがいろいろあるという。ファンには嬉しい話題だ。

だから「笑ってはいけない」シリーズも、もっと国外でも知られて欲しい。もっと高く評価される可能性を持ったコンテンツだと私は思っている。

しかしながら、2017年末の「笑ってはいけない」は、国外での評価を上げるのではなく、反対に黒塗り表現で批判されてしまった。心底残念だ。

最近ではあまり聞かなくなったが、日本のお笑いファンの夢のひとつは「日本の笑いが世界中を笑わせる様子をこの目で見ること」だった。「日本の笑いのレベルは実は高くない」とか、「ハイコンテクストすぎて他の国では通用しない」とか、そういう声もある。それでも私は、日本の笑いが世界で愛されるところが見たい。それだけのパワーがあると思っている。

さて、日本の笑いを世界に連れ出すにあたり、この重たい車を誰に引っ張ってもらえばいいのか。

結局のところ、それをリードできる可能性があるのは、松本人志、ダウンタウン、彼らと一緒に番組を作ったスタッフ(そしてテレビ局)なのだと思っている。

ごっつええ感じが終わってすでに20年経ったが、その今でもなおトップにあるのは松本だ。

松本人志にしてみれば、どうして日本の笑いが世界で評価されるために自分たちが頑張らなきゃならないの?と思うだろう。だが、彼は頻繁にお笑いはチーム競技の側面もある、みんなで盛り上げていくものだ。このように語っている。彼に日本の笑いの将来について関心がないならそれまでだが、もしなんとかしなければならないという考えなら、将来の笑いを背負う芸人とのチームワークとしてぜひ引っ張ってもらいたい。

また、少なくともテレビ局にとってみれば、彼らのコンテンツが世界で通用するようになることは将来的な業績へのメリットにつながる。海外市場の取り込みは、日本の状況を考えれば絶対に必要だ。

さて、その前提で考えてみる。

日本のお笑いに対する世界からの評価を高めるためには、笑ってはいけないはどうすべきだったのか。日本の笑いは日本に通用することを世界に示すためには、黒塗りネタをどのように取り扱うべきだったのか。

結論:黒塗りネタは、やるべきではなかった

結論からいえば、笑ってはいけないで黒塗りネタはやるべきではなかった。ネタ、タイミング、その他の環境を考えると、他のネタにするなり、あそこでネタを入れないなり、あるいは放送を取りやめるなりすべきだった。

人種に関連する見た目を取り上げるネタは現代ではNGだから

もし世界で戦っていくなら、人種にまつわる見た目を模した姿でコンテンツを作ることはやめなければならない。これはもう随分前からNGだ。

日本でANAがバカリズムを金髪付け鼻姿で登場させて2014年に国内外で炎上した。もう四年前も前の話だ。それがいまだに炎上広告事例として記憶されているし、炎上コンテンツとして話題にもなる。すぐに放送中止になったにもかかわらず、結果的に有名なコンテンツになってしまった。

ラッツ&スターがももクロと一緒に黒塗りにした写真をツイートして炎上したこともあるらしい。それが2015年。3年前。

こういう事例は、コミュニケーションの世界では当たり前のように共有されて、知見として蓄えられている。つまり、常識になってきている。日本においても、人種にまつわる見た目をコンテンツ内で取り扱うことは、もうダメだ。

海外でも同様だ。日本人が黒塗り、金髪にすることだけがNGなのではない。他の国でも、人種による見た目の違いを取り上げることは許されない。

黒塗り問題が起きてから、ブラックフェイスで人気を博したというミンストレルショーの情報も頻繁に耳にするようになった。これなどは1970年代にはアメリカでは廃れたものだ。日本とアメリカの黒人差別の根深さや大きさ、歴史が異なるとは言えど、本来は今更参考にするようなものではない。

別の例では、つり目ポーズをしてアジア人への差別だと批判するケースも頻発している。ヨーロッパ、アメリカ、あるいは他の地域でも同じだ。つり目ポーズで有名人がSNSに写真を上げると、バッシングを受ける。それが当たり前なのだ。

ただつり目ポーズ炎上が、浜田黒塗りケースと違うのは、テレビ等のコンテンツではないということだ。

テレビで問題になった例もブラジルで2017に起きていた。韓国出身のグループの前でつり目ポーズをし、日系の少年にむけてもっと目を開けた方がいいと言ったらしい。なかなかひどい。
http://www.bbc.com/news/blogs-trending-40672028
日本語の記事もあった。
http://k-newsdaily.com/archives/12554

その結果、韓国ネットユーザー対ブラジルネットユーザーの罵り合い合戦になったというのでたいへんだ。

テレビでつり目ポーズをして炎上した、というような事例は多くはない。つまり、表現としてつり目ポーズ使用するのはダメだという考えが、基本としてしっかり浸透しているのだろう。先のブラジルの例も、MCが突っ走っただけとも見ることができる。もしかしたら組織としてはつり目は避けるべきだという常識を持っていたのかもしれない。

人種の違いが由来である見た目を真似ることは、どの国でもどの人種が対象でも、今の世界ではダメなのだ。

多様な国や人種の人が見るから

笑ってはいけないは、多様な国籍や人種の人が見る番組だ。

そもそも日本だけを見ても多様な人種の人が暮らしている。日本に暮らしているのだから、日本のテレビを見る。その人たちの中に、黒塗りを見て、それを不愉快に感じる人がいるだろうことは簡単に想像できる。

また、テレビ番組は自ら世界に配信しなくても、勝手にネットで国外にも公開されてしまうのが現状だ。違法にアップロードする連中が悪いのは間違いないが、今はまだそれは止められない。テレビで放送されたコンテンツは、勝手に世界にコピーされて、公開されてしまう。そのことは今のところは受け入れるしかない。だから、日本以外の人もそのコンテンツを見るであろうことは、これもまた簡単に予測できる。

冒頭で書いたように、ガキの使いは日本以外でも人気のコンテンツだ。だからネットに流れれば、それを見る人はたくさんいる。日本のコンテンツを紹介したい人もいるから、新しいコンテンツはどんどん公開されていく。その上、炎上するコンテンツを探している人もいる。だから、笑ってはいけないは人気コンテンツで、それを海外で見たい人も海外に見せたい人もいる上に、そもそも炎上ネタを探している人もいるわけだ。そこに黒塗りを突っ込んでいけば、当然炎上するに決まっている。

もう一つ浜田の黒塗り問題が広がる理由になったのが、単なる黒塗りではなくエディーマーフィーの変装だったからだろう。これが仮に日本のタレントであるオスマンサンコンだったり、日本の芸人のアントニーの変装であれば、ここまで広くは取り上げられなかったのではないか。しかし今回は知らない人はいないようなハリウッドスターだった。
世界中の誰もが知っている人を取り上げると、その分だけ多くの人にキャッチーなネタになる。その点でも国内外で批判されることを予見することのヒントにはできたはずだ。

差別問題は国内外でいま話題にされやすいから

時期にも問題があった。差別的な表現は、世界中で話題になりやすいものになっている。2017年終わりというのは、その機運がかなり高まっていた時期だった。

このところの世界的な流れの一つに、虐げられていた人たちを守ろうとする動きがあった。たとえばLGBTであり、あるいは#MeTooも同じ潮流にあるブームだと言っていい。
そういった人たちが声を上げること、そしてそれを社会全体で後押ししていくこと。それが2017年を動かしている大きな風の一つだった。

弱い立場にある人や権利を十分に得られなかった人、あるいは虐げられた人にきちんと目を向けようという世の流れがどんどん大きくなりつつあったのが、2017年の末だったとすれば、黒塗りがその時期に適さないネタであることは明らかだ。

加えて、ソーシャルメディアの存在によって個人が声をあげやすくなっていることも重要だ。(こんなの2017年に始まったことでもないし、10年前からそんな雰囲気はあったので本当は取り上げるまでもないが)こういったメディア環境もあって、差別的要素を含むものは口の端に乗りやすいという流れが、日本だけでなく世界中で起きていたわけだ。

批判を受けやすい時期に、批判が起こりやすいメディア環境のなかで、ダウンタウンの浜田雅功は、エディーマーフィーの変装として黒塗りにして出てきた。これだけそろっていれば、どのような結果になるかは明らかだったはずだ。

繰り返し:黒塗りはやめるべきだった

もし日本の笑いを世界に進出させるのであれば、黒塗りはやめるべきだった。

人種の見た目の違いをコンテンツに取り込むのは時代にあっていないし、日本向けのコンテンツでも多様な人が目にするし、差別的な要素を含むものはとくに炎上しやすい時代の流れだった。

これだけの条件が揃っている中で差別的と受け取られてなんら不思議ではない黒塗りをコンテンツに突っ込めば、当然批判の対象になる。誰だってわかる話だ。

もし、黒塗りが構成上必要だったと言うのなら

私は黒塗りネタに必然性はなかったと思っている。作り手目線で考えても、リスクとリターンのバランスが悪い。だが、プロである製作陣はエディーマーフィーの黒塗りを取り入れた。

なぜ、黒塗りネタが採用されてしまったのか

アメリカンポリスというテーマにあうものを探していたから

アメリカンポリスというテーマを2017年の笑ってはいけないでは掲げていた。そもそもこのテーマ選びも世界を目指すなら間違っているように感じるけれども、それは置いておく。

アメリカンポリスというテーマで、大晦日にテレビを見ている人が誰でも思い出せるキャラクターであることが必要だったのだろう。
ビバリーヒルズコップのエディーマーフィーがそこで候補に上がることは一応理解できる。なぜか。

分かりやすく違いが出せるものだから

このネタでは、分かりやすく違いが出せることが大切だ。浜田の変装ネタは冒頭のつかみの一つ。多くの人にわかってもらえるネタでなければならない。

笑いを起こさせる基本的な方法には、分かりやすく見た目を変えるやり方がある。大きい、小さい、長い、短い、多い、少ない、そして色が違う。
テーマにあうもので、分かりやすく見た目を変えられるものとして、ここでは「色を変えるネタ」が選ばれたのだろう。

手間がかかるものだから

そしてこれだけすこしトリッキーなのが、浜田にとって手間がかかるものであることも大切な条件だ。それは、「なぜお前は手間のかかるそんな変装を受け入れてしまったのか」という他の出演者や視聴者からのツッコミを誘い出すためだ。ここにこの変装ネタの面白さの一つがある。したがって、簡単にできる変装よりも、たとえば色を塗るような手間のかかるものが望ましい。

さて、このように考えていけば、黒塗りのエディーマーフィーが選ばれたことにもそれなりの理由がありそうだと分かる。アメリカンポリスというテーマを設定した時に、たしかにエディーマーフィーは分かりやすいしそれなりに手間もかかる。そこで笑いが期待できる。

とはいえ先に述べた通り黒塗りは避けるべきだったのだから、そのまま実行すべきではないはずだ。では、あくまで仮に、今回どうしても黒塗りがコンテンツのクオリティー向上に必要だったとして、どうすれば国外からの批判を免れることができたのだろうか。

表現の自由をメッセージにすべきだった

もし黒塗りが番組クオリティを上げるのに最適で、どうしても黒塗りをする必要があったなら、表現の自由をメッセージにして、批判が来ることを見据えた上でコンテンツ化して放送すべきだったと私は思う。

話し合われる価値のある問題提起だから

日本における黒塗りの是非は、議論する価値はありそうなテーマだ。

世界に出て行くのであれば「世界のルルールに合わせるべきなので黒塗りは避けるべき」というのが、一つの結論だと思う。しかし、そこに差別意識が比較的薄い(と思っている人が多い日本のような)地域において、あくまで個人のマネをする変装の一部としての黒塗りが許されるかという側面を加えると、これは様々な意見がでてきそうなテーマになる。事実、少なくとも日本においては黒塗りを擁護する声が起きている。

今時黒塗りって日本バカなのか?と他の国から言われることを怖がらないなら、議論を生むためのコンテンツとして使えなくはない。

しかし事実傷ついたり不愉快になる人がいることは確実なので、よほどの覚悟と信念と明確なゴールを持ってトライするのでなければ、やるべきではないことは間違いない。

上手くやれば日本のコメディのレベルの高さを国外に示せるから

もし、今のような時代に、あえて黒塗りにして、笑いを生み出しながらも問題提起し、その根底には差別撤廃に対する強い信念を込めることができるならば、それは日本の笑いのレベルの高さをかなり高次元で表現できるコンテンツになる。

日本の笑いは風刺が少ない。風刺がない笑いを程度が低いとは私は全く思わない。しかしながら、風刺を含まない笑いを低次元だと判断する人は日本にもいるし、他の国ではもっとその傾向が強いと推測される。

だから、黒塗りという時代に反する表現を用いながらも笑いを成立させ、しかも社会に対するメッセージ性も十分にある高次元のコンテンツが作れるなら、(それは不可能に近いことなので)本当にできるならチャンスだ。

黒塗りにする理由が作れるから

表現の自由をメッセージにするなら、それは黒塗りを制作側が妥当なものとする理由になる。その主張が正しいかどうかは別として、少なくともそこに黒塗りすることの主張は存在させられる。黒塗りが無意識な非常識行動ではなくなる。

もちろん批判はされるだろう。非常識だと言われるだろう。それでも、ルールブックを作れとか甘ったれた文句を言うよりは、そこに明確な主張があるほうがよほどよい。

やっぱり、黒塗りはやめるべきだった

さて、このように考えた上で結論に戻る。やはり黒塗りはやるべきではなかった。これを世界に受け入れられるように仕立てて展開することなんて、無理だ。

なぜこんなことが起きてしまったのか

それにしても、なぜこんなことが起きたのだろうか。

20年後をイメージして制作していないから

それは製作陣が、20年後の日本の笑い産業をイメージしてコンテンツを作っていないことが理由だ。今のことしか見ていない。目の前の地域のことしか見ていない。

なぜ先を見据えてコンテンツを作らなければならないのか。

日本は成長市場ではないから

日本だけで食っていくのはたいへん。分かりきっているのに、舵を切りきれてない。

海外には成長市場があるから

海外には大きな成長市場がたくさんある。分かりきっているのに、舵を切りきれてない。

きちんと育てれば、日本の笑いはファンを得る可能性があることをしっかり認識していないから

きちんと日本の笑いコンテンツを育てて、ブランド化していこうという思いがない。きちんと育てれば人気を得られるかもしれない、反対にいえばきちんと育てなければ人気を得られないのに、それをやろうとしていない。

もし、日本の笑いに世界に出て行くつもりがあるのなら、という前提で書いてきた。でも、日本の笑いが日本の中にこもりきりで良いわけはない。笑いは文化でもあるが産業でもある。海外市場にでなければ、いずれは小さくしぼんでしまう。育てるためには、外に出なければならない。

松本は、笑いはチームワークだという。さんまを批判してまで、ラジオではそう語ったこともある。

いまや彼は王者ではあるがプレーヤーの一人でしかないとも言える。したがって彼は笑いと笑い産業を育てる義務は自分にはないと感じているかもしれない。しかしそれでも、もし笑いがチームワークだというなら、それは将来の笑いを作る他の芸人のためのチームワークも発揮してもらえると、ファンとしては嬉しい。少なくとも、邪魔はしてはならない。

できるなら、松本にリードしてもらいたいと思っていた。ハイコンテクストでも、その先にある彼の面白さは、日本の人以外にも楽しんでもらいたいものだった。

だから、本当ならどのチャネルを使っても良いので、黒塗りネタの背景と考えや面白さを論理的に説明してもらいたかった。しかし彼はルールブックが欲しい、というあまり建設的ではない言葉で外を批判しただけだった。残念でならない。

展示が面白い。クリナップ キッチンタウン 東京へ行った

なぜだかは知らないが新宿にはリフォーム関連のショールームが集まっている。

TOTOとYKK APに床材や建具のDAIKENが組んで展開している「TOTO DAIKEN YKK AP東京コラボレーションショールーム」や、リクシルショールーム東京をはじめ、ノーリツ、アイカ、トクラス、タカラスタンダードと、リフォームするために必要なものは新宿でたいてい全て見られる。しかもどれもが少なくとも東京における旗艦ショールームという位置付けのものだ。さすがは世界有数の乗降者数を誇る新宿駅。

難点があるとすれば、どのショールームも西新宿に固まっているのにそれぞれのショールームが少しずつ離れていて行き来がしにくいことくらいか。それでも新宿にいけばいろいろな設備が見られるのでとてもありがたい。

さて、クリナップ のショールームも同じく新宿にある。クリナップ ・キッチンタウン・東京と名付けられたこのショールーム、TOTOなどのショールームからだと歩いて10分か15分くらいの距離にある。こちらもクリナップ の旗艦ショールームのひとつに位置付けられているようだ。

先日ここへ行ってきた。一時間程度だろうか、今回は担当者の説明を受けずにとりあえず見学のみ。ぐるっとまわってそれぞれのラインナップを眺めた。

結論から言えば、クリナップ ・キッチンタウン・東京は見せ方は工夫があっておもしろいが、展示の量が物足りなく感じた。

ショールームの広さはそれほど小さくはないが大きくもない。小規模~中規模スーパーマーケットくらいの広さといえば伝わるか。まいばすけっと5つ分くらいとか。伝わる気がしない。とにかく大して広くない。汐留のパナソニックショールームなどは1階から3階まで全部パナのショールームみたいなことになっているが、クリナップ はそんなことはない。こじんまりしていると言えばこじんまりしている。

キッチンタウンというだけあって、クリナップ の強みであるシステムキッチンが主に展示されている。格安クラスから高級クラスまでそれぞれ3から5セットぐらいが並んでいたと思う。一番ボリュームが多かったのは確かクリンレディだったと思う。次がSSで最後にラクエラという感じだろうか。(そういえばSSという名前が来年から変わるんだそうだ。サ行で始まるなんらかの名前だったけど、忘れてしまった。)いまクリナップ といえばやはりクリンレディなのだろう。

面白かったのは、1980年代ごろに使われていたというステンレス製のキッチンの紹介。たぶんクリナップ の人も苦心して考えたのだろうが、メッセージが難しい。というのも「昔はこんな感じの使い勝手でしたが今はこんなに使いやすくなっていますよ」という先進性のアピールをしながらも、「クリナップ はステンレス使ってますから実は昔のキッチンが今でも使えるくらい丈夫なのですよ」という耐久性のアピールを同時にしなければならないから。だから、古いキッチンを見せられても、私は正直に言ってこれってまだまだ現役でいけるし、使い勝手は多少は難ありだけど全然オーケーなのでは・・・という感想を持ってしまった。

しかしその辺のことを除けば、単純に面白い展示だ。昔のキッチンもよく考えて作られているけれども、それこそクリナップ 一押しの流レールシンクとかはまだ当然当時はないわけだし、シンク下の収納も今のものの方が明らかに使いやすそうだ。そんなことを体感できるのがなかなかよかった。

もうひとつ面白かったのが、収納アドバイザーが紹介するクリナップ 製品での収納方法展示だ。これは、展示してあるクリンレディなどのシステムキッチンに、実際に調味料とか鍋とかをプロの人がオススメの入れ方で収納した状態で展示するというもの。ラベルをうまく貼ったりとかいろいろして参考になる。

中でも最も参考になったのが、オプションでつけられる収納ツールが「ついていなかった」ということ。これはクリナップ さん、勇気があっていい選択だったと思う。

クリンレディのオプションなのだと思うが、「うきうきポケット」という機能をクリナップ は押している。これはシンク下の収納を引き出すと、手前についた小さなポケット収納が上にぬっと伸びて出てくるというもの。よく使うものをここに入れておくと便利ですよ、ということらしいのだが、実はこのオプションの評判が微妙なのだ。つけたけど使いにくい、つけなければよかったという声が結構ある。私も実は悩んでいた。これをつけるべきかつけないべきか。

価格だけを考えれば大した差ではないが、一旦つけると外せないし、かといって後からもつけられない。どうしようと思っていたところへ、この収納展示だ。収納整理のプロが考えた収納方法は、うきうきポケット「なし」。メーカーが推しているオプションなしのプランが、旗艦ショールームで展示されているのだ。

繰り返すが、この展示はクリナップ の人の決断は称賛に当たると思う。普通であればうきうきポケットを付けて考えて欲しいと言いたくなるところだろうが、あえてそうしなかったのだろう。素晴らしいと思う。

こんな感じで見ていて楽しいショールームだが、残念ながら広さが足りない。もっといろいろな色やシリーズを見て、いろいろなバリエーションをこの目で確かめたいと思っても、全部で20には到底届かないくらいのセットしか置かれていないので、十分に見て回れない。

メーカーはカタログとかサイトを見てねというだろうが、もちろんそれは検討者であればしっかり確認する。それでも足りないからわざわざ旗艦ショールームにまで足を運ぶわけで、それが十分な広さではない場合は残念な感じがどうしてもしてしまう。

他のメーカーのショールームが新宿に集まっているので新宿にショールームを持つ考えは理解できるが、一方で広さをしっかりとったショールームも欲しくなる。郊外でもいいので、そういう場所が1つあるととてもいいのになあと思った。

広さやボリュームを除けばとても楽しいショールームなので、機会があればまたいって見たいとは思っている。

ゴヤールが不良品だったので交換してもらった

ゴヤールのカバンを使っている。一番ベーシックなやつ。しかも黒。めちゃめちゃ王道。

気に入って使っていて、軽いし使いやすいしであまりデリケートに扱うこともなく毎日のように持ち歩いた。雨の日も全然気にせず使っていたのだけれども、ある日ふと気付いた。模様がはがれてきている。それもしかも部分的にではなく、全面的にだ。

街中でもかぶりやすい品物だから他の人のも見てみた。そんな風になっている人はしかし一人もいない。どの人のゴヤールもほとんど新品同様で、模様がはがれたりしてるのは私のゴヤールだけだ。

後悔した。

はじめてのゴヤールだから知らなかった。この模様は案外落ちやすいプリントで、きっと雨の日に使ったりしてはいけなかったのだ。そう強く過去の自分を恨んだ。

だが、やってしまったものは仕方がない。

修正ペンでDIYで書き直すわけにもいかない。私のこのゴヤール以外には模様がはがれたバッグなんて誰も使ってないけど、これが現実。受け入れるしかない!

・・・と諦めてからしばらくしてのこと。

ふとデパートに行った時にゴヤールの店があることを思い出して、ふらっと立ち寄ってみた。できないとは思うけれども、模様をなんとか復活させてもらえないかと頼んでみるためだった。

「すみません、このバッグなのですが使い方が荒かったためか模様がはがれてしまいまして・・・」

私のゴヤールを見ただけで、顔色が変わる店員さん。

なんだ、そんなに使い方が荒かったのか、こんなことをする人はやっぱりいない!?と思ったが、店員は驚いたことに私に対して謝ってきた。

「申し訳ございません。本来このようなことにはならない製品です。本国に確認を取る必要がありますのでお預かりできませんか?おそらく新品との交換になるかと思われます。」

とのこと。

驚いた。びっくりした。そしてなにより安心した!

私が悪かったわけではなかった!実は品物に問題があったのだ。

だからといってゴヤールに恨みはない。むしろ素早く対応してもらい、感心したくらい。後日改めて店舗に行ってバッグを預かってもらって、その数日後には交換の正式な連絡、翌週には新品の受け取りまで進めてもらえた。

しかし不思議なもので、先代の柄落ちゴヤールにも結構愛着が湧いてしまっていて、実は手放すのが少し悔やまれた。しかし店舗の方も不良品をまた持ち主の元に戻すわけにもいかないだろうから、大人しく新品をありがたく受け取った。

売れているブランドの製品は、それなりの品質を保つべく作られているし、万が一そのレベルに達していない製品があった場合も、ブランドとしてきちんと対応してくれる構えがあることを学んだ。

Facebookで誕生日メッセージを受け取りたくない時の設定

Facebookの誕生日メッセージを受け取るのが面倒になって来ているなら、そのほとんどを受け取らないようにする方法があるのでご紹介。

Facebookは誰かの誕生日になるとユーザーにその通知が勝手に行く。だから普通に使っていると、つながっている人から年に一度誕生日おめでとうというメッセージを受け取ることになる。

Facebookを使い始めて間もない頃は、誕生日メッセージを受け取るのも楽しかった。それほど仲がいいわけでもない人から、祝いのメッセージが届くのはなかなか新鮮だったので、こういうのもなかなかいいなと思った。

ただしそれは最初の一年目だけ。次の年からは、またメッセージが来たけど、年賀状的な儀礼になって来ている感覚がして、めんどくさい・・・と感じるようになってしまった。

実生活でも友達がたくさんいて、その人たちがみんな誕生日を覚えていてくれて毎年誕生日会が開かれる人にとっては、毎年メッセージが送られてくるくらいなんともなのかもしれない。しかしながら、私のように友だちも少なく、誕生日を覚えていてくれるのは家族とごくごく一部の妙な記憶力の人たちだけという人間には、祝われた後でありがとうと返して行くことはもちろん、メッセージを受け取ることすらも結構な負担になる。コミュニケーション好きの人からしたら何に困っているのか意味がわからないだろうと思うが、事実なので仕方ない。

さて、実生活で祝われることが少ない人が

Facebookでおめでとうメッセージを受け取らないようにするにはどうすればよいのか。

問題は、Facebookが勝手にその人の誕生日がきたら、その友達に「あの人今日誕生日ですよ!」とふれて回る機能を持っていることだ。Facebookに誕生日を言いふらすのをやめてもらえれば、そもそも今日が誕生日だと知られずに済むので、結果として誕生日おめでとうメッセージを受け取ることなくその年の誕生日を迎えることができる。

やり方は簡単。「誕生日の公開範囲を変える」だけ。

プロフィール設定画面を見ると、誕生日の横に公開範囲を設定するボタンがあるのがわかる。

Facebook設定画面

Facebook設定画面で・・・

ここで誰に誕生日を見せるかを決めればよい。私の場合は、自分のみ、に変更した。

Facebook設定画面

自分のみを選ぶ

これで誕生日が来ても、Facebookが気を利かせて「この人今日誕生日ですよー!」と大声で言いふらさなくなる。

もし特定の人だけに誕生日を知られたくない、もしくは特定の人にだけ知らせたいなら、それも個別に設定できる。面倒なので私はずばっと全部を非公開にしておいた。

数年前にこの形に変更したところ、それからは全くメッセージがこなくなったので、全く無いとさみしいかもと思う人は、やめておいたほうがいいかもしれない。

あと、誕生日を覚えている人からは、メッセージが届いてしまうかもしれない。その場合は仕方ないので受け入れるしかない。

ジュネーブ留学記(3)酔いどれ隣人との別れ

(これまでの経緯はこちらから)

スイス・ジュネーヴ留学失敗記(1)酔いどれ隣人との出会い
スイス・ジュネーヴ留学失敗記(2)打開策がもろ刃の剣だった

ところでそうして2ヶ月ほどが経った頃、例のポーランド人とちょっとしたいざこざがありました。

それほど真面目に授業を取っていなかったと言っても、単位は欲しいのでテストを受けたりする必要はあります。ですから、テレビばかりを見ていたわけではなくて、自室では宿題に取り組んだり、レポートを書いてみたりといろいろ忙しくはしていました。

ところがそんなある日、突然隣の部屋から窓ガラスが揺れるほどの爆音が聞こえてきたのです。

それはポーランド人が酔っ払って、スピーカーからとんでもない音量で聴いている音楽でした。メタルです。それもデス系のメタルです。

一日や二日であればそういうこともあるかと我慢できます。しかしそれが何日か続きました。

相手は酔っ払いで紙巻きたばこを自分で作ったり、金魚をいじめたりする男です。揉め事になるとやっかいなことになる可能性が高いです。

私は衝突するのを避けて、直接文句を言うようなことはしないようにしていました。しかしその状態が数日続くので、耐えられなくなりました。

その時に私は初めて気がついたのですが、そのフロアには北側に5室、南側に5室の合計10室あったはずが、学生が暮らしているのは私とそのポーランド人と、あとは離れた方に一人か二人いるくらいで、空室がとてつもなく多かったのです。その酔っ払いが、人の迷惑になるようなことばかりするので、ほとんどの学生がフロアを移ってしまったようでした。

私はその時にはまだ十分に把握していませんでしたからのんきに暮らしていたのですが、あまりにも騒音が続くのでいよいよ我慢がしきれなくなり、その男の部屋に行って、うるさいからその音楽を止めてくれないかと頼みました。「ああそうか、君は勉強してるのか。それは悪かったね」と彼は素直に言ってくれました

私はありがとうと言って自室に帰りました。やった、揉めることなくやり過ごせた!ほっとしてレポートを書くために、パソコンに向かいます。しかし作業は思うように進みません。なぜなら音楽が先ほどまでの音量と全く同じ状態でなり続けているからです。

私は再度隣人の部屋を訪ねました。ノックすると、彼は出てきました。「音楽のことなんだけれども、小さくしてほしいんだけど」というと、「ああ、音楽ね、うんわかった」と彼は言います。

そして、変わらず鳴り響くのです。ラップが。

翌週、他の人たちと同じように、他のフロアに移ったのは言うまでもありません。

ジュネーブ留学記(4)スーパーの話〜ミグロとコープ

ジュネーブ大学の寮に暮らしていた。

キッチンは共同だった。私は若干潔癖症の嫌いがあるし、その上その頃はコミュニケーションがかなり苦手な方だったからあまりキッチンには入らなかった。

しかし何か食べなければならない。かと言って金に余裕はないし、ジュネーブは物価が高い。いつも外でご飯を食べるなんてことはできないので、スーパーマーケットによく行った。

手のかかる料理はできない。キッチンが使えないから。

それで、とりあえず湯を沸かせるようにティファールの湯沸かし器もどきみたいなのを1つ安く買って来た。これがあれば、それこそカップヌードルでしのぐこともできる。

ちなみに日清のカップヌードルがジュネーブでは売られていたのでずいぶん助けられたのをこれを書いていて思い出した。牛肉味と鶏肉味があったように思う。どちらも大して美味しくはなかった。日本の工場で作るものとはかなり味付けも違っていたらしく、美味しくなかったというよりどっちかといえばまずかった。

それでも、キッチンを使わずに何か温かいものを口にできるということで、私は重宝していた。

あとは小包装になったソーセージを時々買って来た。一本の大きさが12センチくらいの大きさだったと思う。それを、ティファールもどきのなかに突っ込んで、湯を沸かしてしばらく置いておくといい感じにボイルできる。それを、トルティーヤの皮みたいなものにはさんで、千切りキャベツをドバッと入れて、最後にチリソースをかけて食べる。これもよくメニューとして登場した。

あとは、電子レンジで米が炊けるというアイデアグッズのようなものを日本から持って行っていたので、ときどきそれで米を炊いた。

この電子レンジご飯がとにかくまずかったのを覚えている。まず、そもそも売られている米が美味しくない。ジャポニカ米みたいなのではなくて、ちょっとタイ米とかそういうタイプの米で、日本の炊き方には合ってない米だったし、その上電子レンジで炊けるその器具がそれほどうまく炊けるものではなかったので、いつもベチャベチャになるかカチカチになるか、あるいはその両方がいっぺんに炊き上がるかのどれかだった。

その大して美味しくもない米を、何かと一緒に食べていた。はずなのだが、何をおかずに食べていたか思い出せない。ふりかけをかけていたこともあったと思うが、それはどこで手に入れたのか。もしかしたら日本からそれも持って行ったか、スーパーに売られていたか。そういえば、近くにあるスーパーではなくて、市の中心部にあるデパートの地下にあるスーパーには日本食材コーナーがあったから、そこで買ったのかもしれない。

いずれにせよ、そのまずいご飯でも、とてもありがたかったので記憶に残っている。

スーパーといえば、寮の近くにミグロがあった。グーグルマップで見てみたら、まだそのミグロがあった。ここにはよく行った。

ミグロは私のイメージでは、比較的庶民派のスーパーで、買い物がしやすかったように思う。ティファールもどきでボイルしたソーセージも確かミグロで買ったものだったはずだ。緑とオレンジがミグロのカラーで、この色を見るだけでも当時のことが思い出されて泣けてくる。

ジュネーブに限らず、海外では大抵そうだが、スーパーのレジの態度は良くない。日本みたいに丁寧ではないし、優しさを感じない。

ミグロもそうだったが、それにしてもジュネーブのミグロは当時はレジが冷たかった印象が強い。行くたびに嫌な思いをしていたように思う。それでも一番近くて安いスーパーなので、ミグロの世話にならざるを得なかった。

もう1つのスーパーはコープだ。スイスではミグロとならぶスーパー二大巨頭のひとつ。ジュネーブではないスイスの都市でもこの2つが強かったはず。

コープは、当時の私の印象では、ミグロよりもちょっとだけおしゃれで高級な感じ。ポップさがミグロよりも上で、コープに行くと安心したものだ。が、問題は価格だ。ミグロより少し高かった。少し高いだけでも、当時金がなかった私には厳しかった。だからときどきしかコープには行かなかった。

そういえば、コープで買ったパンがめちゃくちゃおいしかった。ジュネーブのパンは、フランスのパンよりもレベルが低いと馬鹿にされることが多いと聞いたが、コープで買って食べた細長い焼きたてのフルートは、これまで食べたどんなパンよりも美味しかった。翌日食べるために買ったつもりが、帰り道に試しに一口だけ焼きたての間に食べようと思って口に入れたらあまりの香ばしさと旨味にびっくりして、家に帰り着く前に食べきってしまった。あれほど美味しいパンには今のところありついていない。

フランスに行く機会もそれから何度かあったが、あんなには美味しくなかった。もしかしたら美味しいパン屋だとあんなのが食べられるのだろうか。食べられるならまた食べたい。

年末年始の新幹線チケット予約で失敗しない方法(自戒を込めて)

毎年恒例、里帰り

夫婦揃って実家が中国地方なので、毎年新幹線か飛行機で年末になると里帰りをします。お盆は飛行機を使ったので、年末は新幹線にしようということで、先日予約を済ませました。なんとか取れましたが、これが結構たいへんだった。

JR東海「えきねっと」から、乗車1ヶ月前までなら事前予約できる

JR東海では、乗車1ヶ月前までなら「えきねっと」から事前予約が可能です。ところがこの事前予約というのがなかなか厄介です。厄介な理由の一つが席の並びパターンの選択。事前予約の際には、次の3つの席並びパターンから選び必要があります。

A 2人席
B どの席でもかまわない(ただし隣同士)
C どこでもいいし、席が離れてもかまわない

私たちは夫婦2人だけなので、できれば2人席がよいです。さらによき夫であろうとする私ので仮に3人席になった場合、窓側(または通路側)は嫁に明け渡して真ん中を私が陣取ることに自然となります。しかしそれは私にとって非常につらい。なぜならたいてい隣に来るのはおじさんで、そしておじさんは高い確率で太っている。私もまだ30前なのに、太っている。太っている二人が隣同士になると座席がとても狭く感じられ、おじさんも私も互いにいやな思いをします。隣に来るおじさんのためにも、是非2人席が好ましいのです。

しかし二人で乗る人たちは、たいてい同じことを考えていて、みんな2人席を希望するので、結果としてその倍率はとても高くなります。

昨年はというと

昨年新幹線で年末に里帰りしたときは、「新型車両の2人席」で予約しました。まさか落選するほど申し込みはこないだろうと甘く見ていたら、あっさり落選。あせって予約をしなおし、なんとか取れたのが喫煙席で3人席。タバコをすわない私はひどい目にあいました。そこで今年はどうしようかと考えたのですが、どうしても3つの並びパターンから選択させられることに不満を覚えます。

4時間の乗車で、席がばらばらでは退屈なので、まずCの「どこでもいいし、席が離れてもかまわない」は選択肢から外れます。残るのはA「2人席」かB「どの席でもかまわない(ただし隣同士)」ということになります。でも私が本当に求めているのはこの中からどちらか一つを選ぶのではなくて、「できれば2人席がいいですが、だめなら3人席も受け入れます」という選択肢なのです。しかしそれは提示されません。「2人席がいいとおっしゃったのはお客様です。取れなかったらあきらめてくださいね><」がJRの回答です。

それを受けて今年は

私たちは悩んだ挙句「新型ではない車両の2人席」を希望して事前予約を行いました。さすがに大丈夫だろうと。で、結果はまたもさっくり落選。昨年の経験がほとんど生かされず、2年連続で落選⇒あせって取り直しとなりました。今年はたまたま別の時間で2人席が空いていたのでうまく予約することができましたが、またも危ないところでした。

結局どうすればよいのか

まず言えることは、事前予約をしてもおいしい時間帯のおいしい車両のおいしい席は取れない可能性がたかい!ということ。だから、「どうしてもこの日に乗らなくちゃだめなんだ!でも2人席がいい!」という場合は、おいしい席だけど、いまいちな時間帯のいまいちな車両、を選ぶのがよいです。(それでもダメな可能性はありますが、それでもだいぶんマシなはず)

もうひとついえるのは、必ず事前予約を利用する、ということです。事前予約をしてもいい席が取れるとは限りませんが、事前予約なしではもっと難しくなります。特に今年みたいに1月3日が正月休み最終日という人が多い場合、予約がこの日に集中します。事前予約なしで良い席を取ることは難しいです。

事前予約にはもう一ついいことがあって、それは「予約のし忘れ」を防げるということ。毎年のことなのに毎年「予約をし忘れた!」というおっちょこちょいが必ずいます。(私も基本的にはその口です。)でも、事前予約が頭に入っていれば「やべっ予約してない!あっ、もう全部満席!」という悲惨な事態は防げますから。

それにしても中国地方は遠い

関係ありませんが、東京から中国地方は遠いです。そもそも中国地方という地名は「関西地方と九州地方の中間ら辺にある地域」という意味らしいので、便が悪いのは当然ですが、しかし不便だ。4時間はつらい。いやだ。

10年で5回引っ越しをしたらいろいろ勉強になった

今はマンションを購入して暮らしているが、賃貸に暮らしているときは結構頻繁に引越しを繰り返した。

長いと4年、短いと1年で引っ越したりもした。東京に来てから10年になるがその間に5回ほど引っ越ししている。

引っ越しの理由はいろいろで、家族構成が変わったりだとか、隣人とのトラブルで怖くなって逃げ出したりだとかいろいろだ。

引っ越しは手間もお金もかかるし、たいへんなことも多いのだが、住む場所が変わると刺激になっていいし、さらにそれに加えて自分の中に住処についての知見がたまっていくのがよかった。

特にマンションや家を買うときには以下のようなことを決めながら選んでいかなければならないが、私の場合は引越しを多くして来たおかげで自分の経験から何がどの程度重要かを考えながら家を選ぶことができた。

  • 方角
  • 駅からの距離
  • 都市部、郊外
  • マンション、一軒家
  • 低層階、高層階

方角

私の場合は狙ったわけでもないが、東西南北全ての方角の部屋に住んできた。たまたま引っ越した先がいろいろな方角だったのだが、結果的にはいい勉強になった。

結論から言えば、南向き(東南、西南含む)以外は私には辛かった。

北向き

とにかく寒い。そして暗い。タワーマンションなら北向きも悪くないというが、そうでなければコストが安いことを除きいいことはない。

洗濯物も乾かない。夜帰ってきたらこれでもかというくらいに部屋は冷え切っている。湿気もこもりやすく、結露がすごい。夏はそう言えば涼しかったかもしれないが、夏なのに暗かったことのほうが印象が強い。

北向きは安いが、安いものにはそれなりの理由があるという大きな学びは得られた。

西向き

北向きに比べればだいぶんましだが、それでも暗い。日が差し込んでくるには来るが、夕方の日差しは物悲しくて晴れやかな気分になることはない。好みにもよるかもしれないが、実際西日しか当たらないとさみしい気分がするものなのではないか?

あと、寒いし暑い。いいタイミングで日が当たらないから、冬場はしっかり寒いし、夏場は夏場でバッチリ暑い。洗濯物は西日だけでは乾きにくい。

東向き

北向きよりは圧倒的に良い。西向きと比べても、朝日が差し込むので気分が良い。

しかし洗濯物は相変わらず大して乾かない。午前中の日差しだけでは十分ではない。

夏の暑さは東向きの場合はかなり改善される。しかし問題は冬だ。東からの朝日だけでは暖かさは不十分。寒い。そして午後暗くなるのも早い。

南向き

結局南向きしかない。どんな季節でもある程度明るさが保たれているし、暖かさもあり、夏場はそれないに暑いが西日がガーッと差し込んで来るわけでもない。

東西南北全てを経験した結果、南向きが最高、少なくとも東南あたりでないもつらいことがわかった。北向きや西や東の価格の優秀さには惹かれるものはあるが、しかしその表面的な魅力に負けてはいけない。南に向いていることの大切さを身に染みて知った。ちなみに東に若干振った南向きのマンションを私は購入した。

駅からの距離

これもいろいろ試す結果になった。これまで住んだところだと、駅徒歩2分、3分、5分、7分、16分、となる。

もともと極端な駅近志向だったが、もしかしたら以外と遠くてもいいのではないかと少しずつ離れていって最終的には15分越えになってしまった。

最初の2分のマンションは最高だった。都心の地下鉄駅が最寄りで、立地だけが売りの激狭ワンルームだったが、それでも立派だけで全てをカバーできた。

次の3分のマンションは、少し都心から外れた東京23区の東側の地下鉄駅。それでもそれなりに便利なところだったが、地下を走る線路の真上に建っていることがいけなかった。電車が通るたびに微振動がしてごとごとと低い音が聞こえてきた。分譲賃貸だったので、それほど悪い建物ではなかったはずだが、それでも線路の真上はダメだった。駅からの距離は良かったものの、地下鉄の上に住むのは向いていないことを学んだ。

続いては駅から5分のところ。23区の西側の地下鉄駅。距離はそれほどないが、若干坂になっている。といっても全部で歩くのは5分だから全く問題ではない。静かなところだったので、なかなか暮らしやすかったし、距離も程よく線路から離れていてよいところだった。このあたりで、ちょっとくらい駅から離れても大丈夫かなあと思い始めた。

その次に住んだのが、駅から7分の距離のところ。こちらは多摩地区の私鉄沿線沿い。緑豊かなエリアで気持ちよかった。歩く距離7分も決して遠いというわけではなく、楽だった。が、それまでよりも都心から離れてしまったためにその分不便な印象が強くなってしまった。この辺りは人によって好みが分かれるところで、街中から離れたい人には問題にならないのだろうが、アウトドア好きでなかったり自然な囲まれていなければダメという人でなければ、都心に近いほうが暮らしやすいのだなあという気づきがあった。

そして最後が駅徒歩16分。23区の東側に戻ってきた。地下鉄駅で便利の良いエリアだったが何しろ駅が遠い。しかし案外いいところもあって、何かと言うとそれまでひどかった腰痛がすっかり治ってしまったことだ。歩くことが健康のために大切であることが、よーく分かった。そして同時に、とはいえ15分を超えると結構遠く感じることもしっかり分かってしまった。自宅に着く頃にはヘトヘトになってしまう。運動不足解消にはもってこいだ。その分、しんどいという覚悟を持って住む必要はある。

車があるなら、15分超えてもそれほど問題はないだろうと感じた。しかし車を持たないとなると、7分を超えるとちょっとしんどいように思う。自家用車でなければ、カーシェアやレンタカーをすぐに使えるような立地であるほうがよいと思う。

私の場合は、通勤時間を可能な限り短くしたいという思いが強くなったため、駅から3分のところにマンションを購入したわけだが、5分以内ならなんとかなるだろうなあという思いはある。

都市部か郊外か

はじめに東京で暮らしたのは、中央区だった。人形町から歩いて2分。水天宮までいけば半蔵門線で渋谷にも出られるし、勤め先も中央区内にあったので、めちゃくちゃ便利だった。しかもビジネス街にあたるため、土日は全然人がいない。しかし問題はスーパーがほぼないことだ。一人暮らしなら良いが、ファミリーだと少々厳しい。

次は23区の東側、西側と続く。都心に視界とは言わないが、まあそれほど遠くもなかった。どちらも副都心エリアには比較的すぐに出られるし、通勤も30分から40分程度で楽だった。買い物も便利だったので、それなりに都市部に近いメリットを享受できていたと思う。

次が多摩地区。ここが問題だった。この頃から車を持ち始めたのだが、車がなければかなり辛かっただろうなあと思う。駅まで7分で、それは別に良いのだが、都心に出ようと思うならかなり覚悟して出かける感じだった。結果として、ほとんど都心には近づかなかったように覚えている。かといって、車があっても幹線道路はとてつもなく渋滞するから、郊外にたくさん出られたというわけでもない。車で抜け出すにも少しでも朝出遅れると、あっという間に渋滞に飲み込まれる。どこかに行くために車に乗って、ただひたすら渋滞の中で車に乗ってノロノロ進むとも進まないとも言えないスピードで動いていた。

そのあとはまた23区の東側に戻ってきた。ほぼ千葉県という辺り。ここは日本橋や銀座などに出るならかなり便利なところだが、なにしろ駅から15分以上かかるところに家があったので、電車に乗ることはそれまで以上に減ってしまった。休日はほぼゼロだったように思う。で、車に乗って千葉の方とか茨城の方とか、休みになると出かけていった。それはそれで良かったが、問題は通勤だ。ドアツードアで一時間以上かかったし、なにより電車がとてつもなく混雑する。当たり前の時間にで車に乗ろうとするとはじき出されるので、まだ空いている時間に通勤するようになった。具体的には6時45分ごろの電車だ。しかしそれでも座れることはなかった。とにもかくにも通勤がつらい印象だ。

郊外が良いか、都市部が良いかと考えると、私はアウトドアも自然も好きではないので、郊外にメリットは感じなかった。一方で、都市部に多少近づいても通勤が辛ければ体にこたえる。結果として私は23区の西側、通勤時間30分程度のところに家を持ち、車を手放すことにしたわけだが、今のところ良い選択だったと思っている。

マンションか一軒家か

東京では一軒家に暮らしたことがないので、残念ながらこの点については経験できなかったが、しかし実家が一軒家なのでどんなものかは想像がつく。

一軒家とマンションを比較してみると、マンションの強みは寒くないとかセキュリティが高いとか、あとはゴミ捨てなどが便利とかそういうことになるだろうが、実はこれは物件による。

例えば最近まで住んでいたマンションは、二階でその下が駐車場になっていた上に角部屋だったので、とても我慢できないほど寒かった。しかも東向き。夜になると凄まじい冷えが襲ってくる。床暖房をつけ、エアコンを入れて、フリースだのダウンだろユニクロたちを総動員して寒さに耐えていた。同じマンションの二階でも、南向きで下に家があるところでは、むしろ反対に暑いくらいだったというから、日当たりと隣家、下階の有無はかなり大きく影響するようだ。

一軒家も魅力的だったが、東京では立地や価格の面から自然とマンションを選択することになってしまった。

低層階か、高層階か

こちらも残念ながらほとんど低層階の部屋だったので、高層階と比較することは難しかっ庵。唯一、学生時代に留学していた頃、寮の部屋が11階辺りで、部屋はおんぼろだし風呂もトイレもキッチンも全て共用で音漏れもひどくて最悪だったが、景色が最高だったことはよく記憶している。景色は毎日見るものなのでいずれは飽きるかもしれないが、それでも時々思い出したように遠くを眺めていると案外落ち着くものではあることは、その時の経験から学んだ。

ということで、今の家は4階で決して高層階ではないが、高台にあるため視界は抜けていて、ゴミゴミしているとはいえ空と街並みが見えるので、満足している。

賃貸であることを生かしていろいろ引っ越しすることをおすすめ

ということで、マンションを買うまでにいろいろと回り道をしたし、引っ越す度に後悔したり満足したりいろいろだったわけだが、経験はいずれは何らかの形で活かすことができるのだとも後になって見ると思う。あのとき北向きの部屋で凍えて自分に北向きは合わないことを知ったから、マンションを買うときにも価格を重視して北向きを選ばない選択ができた。また、15分以上も駅から離れたところに住み通勤時間が長いことが自分にとってどれだけ苦痛かを知れたから、比較的通勤に時間がかからないエリアを選択できた。今のマンションが最適解かどうかはわからないし、改善できるところはまだまだあるけれども、また引っ越したの?などと揶揄されながらもいろいろ試してきたことは、今となってはよかったなあと感じている。

USJみやげの百味ビーンズをもらって、手痛い目にあった

先日、とあるところから「百味ビーンズ」というお土産をもらった。ハリー・ポッターシリーズをご覧になったことがある方であればお分かりかもしれない。USJで売られているお土産の1つである。

どのようなものかと言うと、パッケージに入ったゼリービーンズだ。パッケージの大きさは5センチ四方×高さが10センチ程度の紙製の箱で、昔風のきれいな絵が描かれたなかなか可愛らしい見た目をしているパッケージである。こんな感じ。

さてこの百味ビーンズであるが映画の中でどのような扱いを受けたお菓子かと言うと、1口で言えば闇鍋のお菓子版といった感じのものである。

中にはスイカ味やマシュマロ味のような、いかにもおいしそうな味のビーンズも入っているが、反対にミミズ味や土の味、草の味、さらには鼻くそ、耳くそ、ゲロといったとても口にしたくは無いような事まで再現されたジェリービーンズなのである。

ちなみに商品のタグはこんな感じ。

この百味ビーンズ、かなり気合を作って入れて作られているもののやるらしく、その価格もなかなかのものだ。正直に言って見た目ほどかわいい値段ではない。中におよそ100粒位だろうか、ゼリービーンズが入っているが、決して大きくないこのパッケージのお菓子としてはかなり高い部類に入るであろう1,800円と言う強気の価格が設定されている。

1,800円に何が含まれるかと言うと、これはおそらく輸入に係る費用がかかっているのだろう。つまり製造も開発も、これはアメリカで行われたお菓子で、いわゆる輸入菓子に入るものである。輸入菓子と言うと、特にアメリカのものに関して言えば色が派手なだけとかあるいはあまりなら甘いといったとても極端なお菓子を思い浮かべるだろう。そういう観点で言えば、この百味ビーンズも同様で消して繊細なお菓子ではない。

それでも百味ビーンズはすごい。どうすごいかというと、ハリーポッターの映画シリーズで登場した百味ビーンズが本当に存在するとしたら、たしかにこんな味なのだろうと思わせるその再現度がすごいのだ。言い換えれば、おいしい味はともかくとして、まずい味の再現度が恐ろしく高いのである。

ちなみに私はどちらかと言えばゲテモノ的な食べ物が得意だ。今までで食べたものでは、ワニだったり、カエルだったり、サメやウサギ、アヒルの腸、牛の脳みそ入りのマーボードーフなど、それなりにチャレンジをしてきた人間である。(とは言え美味しく調理され味も整えられたものであるので、味はもともと悪いものでは無い)こういったゲテモノを割と食べてきた私ではあるが、実はこの百味ビーンズを食べて飲み込めず結局吐き出してしまったものが何種類もあった。

不味くても食べられたもので言えば、石鹸の味。これは全く問題なかった。口に入れた途端口の中が泡だらけになったような錯覚を覚えるほど、その味は石鹸そのものという感じではあったがそれでもまぁ冗談として受け入れられるレベルの味であった。それ以外には、ミミズ味も食べてみたがこれも飲み込めた。私はまだミミズにチャレンジをした事は無いから、もしかしたらそれが理由かもしれないがミミズの味を連想させると言うより、ただ単にあまり味のないゼリービーンズだった。確かにそれほど美味しくはなかったけれども飲み込めないようなものではない。

さらに土の味、草の味のようなものも食べてみたが、これらも吐き出すほどのものではなく、かといって美味しくはもちろんないけどでも食べられないと言うのものでもなかった。

問題は、鼻くそ、耳くそ、ゲロの3つだ。この3つは正直手に負えなかった。

鼻くそ耳クソは何が問題だったかと言うと、その匂い。何とも言えないくさーい臭い。なんとかすれば飲み込めるかとしばらく口の中でもぐもぐやってみたが最後にはその嫌なニオイに負けてしまい、どちらも口から吐き出してしまった。

これらも当然しんどかったが、特に問題なのはゲロ味だ。

ゲロ味の1番の問題は、その酸味にある。臭いはともかく、酸味があるものはやはりとても飲み込みづらい。しかもこれが「ゲロ」の味であると言う認識が最初からある中で口の中に放り込んでいるので、これを咀嚼して飲み込むと言う事はとても勇気が入り体が受け付けなくなってしまった。なので鼻くそや耳くそはしばらく口の中で咀嚼していたら、ゲロは1口というか1回噛んだだけですぐにティッシュにぶっと吐き出してしまったのである。

この商品を試してみて思ったのが、アメリカ人が本気を出すとそれはほんとに怖いということ。特にエンターテイメントの部門で彼らが本気を出すと、そして彼らがその再現度真剣に取り組んだにするようになると、ほんとに恐ろしいものが出来上がるのかなと言うことが改めて思い知らされた。繊細なお菓子を作るのはきっと彼らも得意では無いだろうが、実が効かないぐらいに実を効かせたお菓子の製品を作らせると、なかなか日本人には太刀打ちできないのかもしれない。この商品を日本で作ろうとすると、「美味しくはないけれども食べて食べられなくは無い」と言うレベルを目指してしまうことにはなるのではないか。しかしアメリカ人は違った。というかUSJのアメリカチームは違った。ハリーポッターで出てくる百味ビーンズは、ゲロ味を初めてダンブルドア校長が食べてそのせいで100ミリインズが嫌いになるほどなるのだから確実にまずいはずである。それを中途半端の美味しさで出してしまうのは、英語に対して正直にものを作ってないと言うことになってしまう私それはお客様求めていないはずだ。というマーケティング行ったのであろう。結果として真剣にまずいあれは新規ますか作ると言う特別な食べ物ができてしまったのである。

この製品が実際にどういうもうどんな評価をすべきかと考えは、中高生向けのパーティー靴として考えるととても完成度が高く話題性も高く神力の高い製品であると言わざるを得ないであろう。私がもし中学生で誰かの見上げてこの102ビーンズをもらってクラスの友達と一緒に食べたとすれば、それは盛り上がる日がいない。美味しいのが食べたいし一方で変な味も食べてみたい、結果として恐れて逃げていろんな人と話になってするのられますはもっと楽しい事嬉しい。そういったことを考えれば100味ビーズはとても成功しよるものであろうと言う事は想像に難くない。

反対に、これはただのお菓子としてそして誰かに渡すお土産として考えたときに良い製品かと言われると、坂が首をかしげる部分もある。日私は家に子供がいるが、夫婦と子供3人でこの製品を食べる時って5歳の子供はまずい味を全て嫌がった。結局口にしたのは私だけ私以外の家族は誰もまずい味が口にしなかった。その結果おいしいマシュマロのようなゼリーりんごに行なったがその他の土屋草ミミズゲロ鼻くそといったネタ系のゼリービーンズは全く売れ行きが悪く、結局全て残ってしまったのだ。

他の製品でもあるしおそらくこのお土産くれた人は私たち喜ばせようと思って送ってくれたのではあろうが、結果として私たちはおいしいものが食べられたけれども半分に悪いもの食べなきゃければ中雨なければならなかったと言う思いが残ってしまったのである。お土産は楽しい気持ちだけなってもらえればいいもののはずで、それがいのまずかったとかあまり美味しくはなかったといった情報が必要なのではない。したがって単なるおいしいお菓子としてお土産を購入するのであればこの石は全くお勧めできないけど私も正直な考えである。

しかし反対にみんなで盛り上がるためにこの石の間であれば私は強くお勧めする。特に若い人たちにとってはこれほど面白いおもちゃはないだろう。

1,800円と言う後から気楽ではあるが、ちょっと楽しみたいと言う若者たちは強くお勧めしたい。でまた