IKEAのPLATSA(プラッツァ)レビュー 隠れた名品

IKEAのPLATSAシリーズは、IKEA製品の中でも相当上位に入る素晴らしい製品だ。組み立て簡単、価格は手頃、なおかつ見た目もいい。三拍子揃う。

ところが、どうもイケアのプラッツァシリーズの良さが日本では理解されていないっぽい。海外の記事を見ると、他の国では高い評価を得ていそうなのに・・・。(特に上の記事などは、ここ最近で一番重要な製品群の一つ、とある。)

7 reasons why PLATSA is one of Ikea’s most important product ranges in recent years

What is Platsa and what does it want to achieve?

どちらもべた褒めだ。私も同じ意見で、プラッツァは素晴らしい製品だと思っている。なぜこの良さが伝わっていないのか。どうしたら伝わるのか。

引っ越しの多い人にも向いていることが伝わってない

プラッツァは、引っ越しや模様替えの多い人にも素晴らしい選択肢となる製品だ。なぜなら組み立てやすくバラしやすいから。

通常イケアの製品は買ったはいいが組み立てるのがめんどくさいこと請け合いだ。ドライバーは必須。下手すると金槌が必要な場合もある。一人ではとても組み立てられず、軽い気持ちでトライすると泣きを見る。

しかしプラッツァはかなり組み立てが楽だ。メインフレームはドライバーなどの工具を一切必要としない。固定にネジが使われていないからだ。板の側面に穴が開いていて、その穴に別の板の出っ張りを差し込んでグッと押すとハマる仕組みになっている。もちろん多少の力は必要だし、イケアなのである程度の重量もあるから大きなサイズのフレームを組み立てるなら力の強くない人は一人では難しいかもしれない。力自慢の人は一人で全然いける。

組み立て同様、バラすのも簡単だ。ネジがないので、はめ込んだ出っ張りを外すためにずらすように板を動かせばバラせる。やはり多少力は必要だが、決して難しいものではない。

組み立てやすくバラしやすいので、イケアの家具が苦手とする引っ越しにも対応できる。事前にバラしておけば次の家にも持って行きやすい。模様替えを繰り返す人にも向いている。バラして他の部屋に持っていけばいいから無理がない。

ただし、メインフレームに扉をつけたり引き出しをつけたりしようとすると、やはり多少めんどくさくはなる。扉も引き出しも、取り付けにはドライバーが必要だし、説明書がわかりにくくて苦戦したりもする。だが、一番の大物のフレームの組み立てが簡単なので、トータルの時間はかなり節約できるし、素早く組み立ては完了する。イケアの他のシリーズにはない良さであることは間違いないし、お勧めできる。

かなり安い

プラッツァ本体の価格はかなり安い。例えば幅60センチ、高さ120センチ、奥行き40センチのフレームだと5,000円だ。棚は一つ900円なので、中に2枚棚を入れるとして6,800円。扉も開き戸なら1枚1,600円だ。二枚つけて、引き出しを二つつけても全部で15,900円。相当安い。

ただし、これに引き戸をつけたりしようとすると、ちょっと値段は上がる。ここだけはどうにもならなそうだ。プラッツァは狭い部屋でとても役立つサイズ感なので、引き戸をつけるとさらにパワフルになる。それだけに引き戸が高いのはちょっと痛い。IKEA頑張れ。

見た目もいい

見た目も結構いい。「結構いい」とやや控えめなのはなぜかというと、とってもおしゃれに見えるという類のものではなく、単に白い箱型の形状をしているため、使い勝手が良い。

日本の住宅の多くは白い壁紙。だから白い箱型ののもは合わせやすい。

シンガポールで食べて美味しかったもの自分用まとめ

2019年7月にシンガポールに旅行に行った。出発前はアラブ街でモスク見てインド街で買い物してとあれこれ計画していたが、いざ現地に着くととにかくひたすら暑い。気温は35度くらいでそこまででもない。といっても昔の日本を思えばそれでも十分暑いがなんとか耐えられるように日本人は慣らされてきたので気温そのものはなんとかなる。問題は日差しだ。赤道近くの国だけあって、日が差すと肌が文字通り焼けるように熱い。運がいいのか悪いのか、天気に恵まれたのでずっと晴れている。外を出歩く気にならず観光は予定通りできそうにないので、計画を変えていっぱい食べることにした。結果的にはそれが正解だったのかもしれないが、見たいものが見られなかったのは残念ではある。

さて、シンガポールにはまたいつか行くことがあるかもしれない。その時役立つように、食べたものや美味しかったものまとめておくことにした。公開するが基本は自分用なので読んで役立つ内容かはわからない。

加えてそれほど変わったものを食べたりもしておらず、あくまでベーシックなものがほとんどだと思う。シンガポールで何を食べるか調べたい人は、ほぼ日のカロリーメイツのページを見るのが一番いいと思う。コンテンツのボリューム設定が狂っているので全部読むのは大変だが、このページが結局間違いない。

ソンファバクテー

ソンファには都合二回行った。美味しかったには美味しかったが、スープがコショウの強い長浜ラーメンのスープみたいな味がした。ラーメンだってスープが大切なので、それを受け入れればかなり美味しいものだと思う。でもラーメンの汁だった。

油条というお麩を油で揚げたようなのをサイドメニューとして頼んだが、これは大正解。スープに浸して食べるとかなりいい。ご飯よりも合う。下手したら肉よりもうまい。頼みすぎというくらい多く頼んでも問題ない。

トンヘンのエッグタルト

チャイナタウンあたりにあるお菓子屋さんのエッグタルト。有名店。ホテルに帰ってから食べた。美味しいのは美味しいが、もっと甘いお菓子を想像していたので違和感はある。甘くないお菓子だともともと分かっていたらもっと美味しく感じたかもしれない。

カードで払うには10ドル以上必要というので、中華風のあげまんみたいなのも買って食べた。こっちのほうが美味しかったかもしれない。残念ながら名前は全然覚えてない。

スープレストランのジンジャーチキン

蒸した鶏肉に生姜を効かせたソースをつけてレタスに巻いて食べるやつ。これは美味しかった。シンガポールでしか食べられない料理ではないし、頑張ったら家でも作れそうではある。が、おいしい。

ソースが美味しくて、そしてスーパーなどでもこのソースは手に入る。一つ買って帰って食べてみたところ、かなり店の味と違う印象。生姜が強ぎる。店で食べたときはそこまでではなかったのに。このソースはもう買わなくていい。ただしスープレストランのジンジャーチキンはまた食べたい。

道端の屋台で買うパンに挟まれたアイス

クラークキーの屋台で買ったアイス。食パンに挟んで食べるやつ。一つ2ドルくらいだったかなあ。

おいしいが、アイスをパンに挟んで食べたらこういう味がするんだろうなあと想像した通りの味だったので、もう一度食べたいかといえばそうでもない。あ、でももしまた行くことがあったら、あのアイスを食パンに挟んで食べるやつって、ほんとにアイスを食パンに挟んで食べたらこんな味っていう味がするのか確かめたいってなって、また食べるんだと思う。しかも食べといて、もう食べなくてもいいなって思うんだろう。そのくらいの美味しさ。良くも悪くも。

天天のチキンライス

マックスウェルの天天のチキンライス。夕方に行ったら空いてたので食べた。

一口二口食べたところでは、まあこんなもんかなと思ったが、食べ終わる頃にはメチャクチャ美味いに感想が変わっていた。仕組みはよくわからない。

次の日にgrabの運転手に天天で食べたと伝えたら、喧嘩別れした方の店の方が安くて美味いぞと言われた。店の名前は思い出せないが、まあ有名なやつ。そっちはスープをたっぷりかけてくれるらしい。天天も昔はスープをかけてくれていたが人気が出た今ではやってくれなくなったんだ、的なことを言っていた。

実際似たようなもんだろうと思うので、どっちでも行ける方に行けば良い。次は両方頼んで食べ比べしたい。

ソルテッドエッグポテトチップス

アヒルの絵の店のポテトチップス。一袋10ドルくらいだったかな。高い。

湖池屋のポテトチップスとは味も食感も違うが、湖池屋より何倍も美味いかといえばそんなことはない。とりあえず湖池屋は優秀だと再確認できるのでおすすめ。

まあ実際次は買わない。

味香園のマンゴーサゴとマンゴースノーアイス

なんだろう。まあまあだったかな。マンゴーサゴはおいしいものの、予想は超えない。日本にはないが、だからといってどうしても食べなきゃならないとも思わない。

店員のおばちゃん達が豪快。といえば聞こえは良いが簡単に言うと感じが悪い。日本のバカ丁寧さを求めるわけではないが、それでもちょっとあんまりかなとは思った。

マンゴースノーアイスもおいしいけれど、ここじゃなきゃダメという感じでは全然ない。観光客向けの甘味屋さんな印象。

悪くはないので一回行っとくのは良いけれど別に何回も行かなくてもいいかな。

ジャンボのチリクラブ

おいしい。安心感がすごい。ちゃんとおいしい。食べたかった味のカニが食べられている、という感動。味に感動しているのとは違う。しかし、ああジャンボさんのカニさんは落ち着いていていい子だねえという涙。

注文するときサイズの指定をし忘れたが、大きすぎず小さすぎず、バッチリなサイズ感のカニを出してくれた店員さん。プロだった。

野菜もなかなか美味しかった。ニンニクで味付けしてもらうとどこでも似たような味にはなるけど、そしてジャンボも似たようなもんではあるけど、安心感から美味しく感じた。

もしかすると食に冒険が必要な人には物足りないかもしれない。我が家にはピッタリだった。また行きたい。

ホテルの朝食

ホテルジェンタングリンの朝食は悪くなかった。一応メニューも毎日多少変わるし。

ラクサを毎日食べた。美味しかった。ただシンガポールではここでしかラクサを食べなかったから、名店レベルとどれだけ違うのかわからない。感覚的には、多分そんなに違わないのではないかと思う。もちろん実際のところは不明。

混み合ってくるとわけのわからない奥のせまーい席に通されたりしたので、そこは注意が必要。ちょっとしつこめに変えてくれといろんな店員に言い続けたら、4人目でやっと対応してくれた。端の狭い席でオーケーな人ならまあいいのかな。

モールも直結だし、また泊まってもいいかなと思う。

松岡修造ネタはデスブログネタと同じタイプのイジメ

「松岡修造がいるところは、気温が上がる」という冗談(としておく)はもうやめにしよう。これはネット上でやっているイジメでしかない。ことが大きくなる前に、ストップすべきだ。

かつてデスノートが流行っていた頃に、「デスブログ」という名でタレントの東原亜希が同じようにいじめられていた。こちらは明確な悪意を持ってネタにされていたので、誰の目にもイジメであると容易にわかったし、だんだん続ける人が減っていった。

一方松岡修造の件は悪意が必ずしも目に見えているわけではなく、むしろその松岡修造の熱っぽさが日本列島にいい意味で熱を連れてくるのだ、というちょっといい話に見せかけながらイジメが行われている点がもしかするとむしろ厄介で問題があると言えるのかもしれないと思う。松岡修造は確かにその暑苦しさで売っている面がある。インタビュー等を見ると当然ながらただの暑苦しい人ではなくて、相当知的であり冷静な人であることは明確だが、おそらくメディアの世界で生き抜いていくには多少のキャラクター付けも必要なのだろう。彼の方でもその熱っぽさをギャグ的に利用しているところは当然ありそうだ。

だからと言って、彼がやってくるところは暑くなる、というネタにし始めるとちょっと様子が変わってくる。

なぜなら暑すぎる場所では、人は病気になるし、場合によっては死んでしまうからだ。ネタにしている人は、松岡修造が誰かを本当に傷つけたわけではないし、誰かを死なせたわけではないということなど当たり前で、間に受けるほうが悪い。そう言うだろう。では当の本人はどうだろうか。もちろん自分のせいではないことは明白だ。しかしそれでもなお、自分がどこかに行くとそれが厄災につながると冗談であったとしても言われることは決していい気持ちがすることではない。最初のうちは冗談と受け取れたとしてもそれがもし今後もずっと続けられるのであるならば、それはだんだん冗談ではなくなってきてやがて自分がどこかに行くことを嫌がる人が出てくるのではと疑い始める可能性だってあるだろう。

松岡修造は、この件でバカにされているわけではない。わかりやすいイジメの構図を見せてもいない。だがわかりにくいというだけで、やはりこれはイジメの一種である。どうしてもやめられない人も出てくるかもしれないが、止められる人から順にストップしていって、受けないネタに徐々に変わって行き最終的には誰も口にしなくなることを祈っている。

飲み会を断るデメリットは?などと悩んでいる弱く繊細なあなたへ

飲み会を断ると人間関係が悪くなるかもしれない。つきあいの悪いやつだと思われるかもしれない。結果として組織の中での居場所がなくなるかもしれない。デメリットがいっぱいありそうだ。

飲み会が苦手なあなたは、飲み会を断ったときのデメリットをきっとこんな風に色々と考えていることだろう。

同時にこんな風にも考えたりしていないだろうか。

本当に飲み会を断っただけで、上に挙げたようなデメリットがあるのだろうか?そこまで飲み会に重きをおく人がたくさんいるのだろうか?実は飲み会なんて行かなくても全然問題なんてないのではないか?

残念だ。現実はそう甘くない。

飲み会を断れば、人間関係が悪くなるか?答えはイエスだ。飲み会を断ることで良くなる人間関係なんてない。つきあいの悪いやつだと思われないだろうか?こちらももちろんイエス。誘いを断ってるんだから、つきあいが悪い奴だと思われるに決まっている。組織の中での居場所がなくなるなんてことがあるだろうか?これも当然イエスだ。飲み会を大別な場だと考え、飲み会で楽しくコミュニケーションが取れる人をたくさん周りに集めたい人が世の中に山ほどいることは、どんなに寂れた田舎でも居酒屋がたくさんある様子を見れば一目瞭然。

飲み会はなんだかんだ言ったって、多くの人にとって本当に大切な関係づくりの場なのだ。それは否定しようがない。苦手だからと飲み会を断っておいて、それでいてデメリットを受け入れたくないだなんてそんな甘い考えはありえない。

では、飲み会が嫌いなあなたはやはり飲み会に行くべきなのだろうか。飲み会に行って、組織の中での立場を守れるように努力すべきなのだろうか。それがあなたの幸せに本当につながるだろうか。

さあ、私には分からない。あなたにとってそこがとても大切な居場所であれば、もしかしたら飲み会には行った方が良いのかもしれない。そうすればあなたの立場はより強固になり、幸せな日々がやってくるのかもしれない。ありうることだ。

一方で、どうだろう。わざわざこんな記事を探してきてまで読むあなたは、飲み会に行って気持ちの良い思いを少しでも味わうことができるのだろうか。

他愛も無い話に加われなかったことで、たったそれだけのことなのに弱く脆い心が傷つき、飲めるわけでも無いお酒を飲んで味も分からない食事を胃に収めて、それに安くないお金を支払ってまた集まりたいなどと心にもないことを言って別れ、そして帰り道に一人になって飲み会での出来事や話をしたくもないのに反芻しては舌打ちし、家に帰って風呂に入るとそこでもまた彼や彼女の顔が目の前に浮かんでは繰り返される苛立ちや嫉妬や恐怖。これらを受け入れてなお、そんなにも繊細なあなたが、飲み会で得られる大きいがしかしちっぽけでもあるメリットによって自分の幸せを勝ち取れるのだろうか。

さあ、私にはわからない。私にはわからないので、私のことをお伝えしておこう。私はデメリットを全て受け入れて、ほぼ全ての飲み会を断るようにした。

飲み会を断るデメリットは大きい。お陰で人間関係は狭まった。つきあいも悪いと思われていよう。組織の中での立場もよくなってはいないように思える。

だが私は自由な時間を得て、一人でいたければ一人でいて、家族といたければ家族といて、嫌な気持ちになることもなく目の前にある素晴らしい時を過ごす。いつものテーブルで、ゆったり食べ物を味わえる気分を保ちながら、食事をとってから風呂に入ってぐっすり眠る。

あくまで私の選択だ。お前は間違っている。そういう人は当然いよう。当たり前だ。飲み会は大切な場なのだ。そこで作り上げられるものはたくさんある。しかし飲み会の辛さがわからない人には、あなたや私の気持ちは分からない。だから私は私自身で道を決めなければならなかったのだ。

私は私の時間を選ぶ。どれだけくだらないと思われたとしても、これが私にとっての幸せの道筋なのである。

車を売ってようやく自分が車にとらわれていたことに気がついた

私は車に乗るのが好きだと自分では信じていた。毎週末になると車に乗って何処かに出かけるのは、自分が車が好きだからなのだとそう思い込んでいた。しかし車を手放して1年以上が過ぎた今思う。私は車に乗らなければならないという考えに捉われていたのだと。

1年半ほど前、私は駅から3分ほどのマンションに引っ越した。以前は駅には歩いて10分以上かかるところだったので、ずいぶん近くなった。都心にもやや近づいたため、それに伴って駐車場の価格も少し上がることになってしまった。そこで泣く泣く大好きだった自家用車を得ることにしたのだった。

新しい住居は駅から近いし、同じくらいの距離にカーシェアもある。数も多いのでいつでも利用できそうだった。加えて車を買う前にもカーシェアは使っていたから、使い勝手が良いことは十分わかっている。おそらく問題ないだろうとは思いながらも、車の運転が大好きな自分が車を手放してしまって大丈夫なのだろうかとかなり不安を感じていたのは事実た。

果たして引っ越して車を売り、いつでも思い立った時に車に乗れる環境ではなくなると不便を感じるようになった。ああ今車を持っていたらすぐに何処かに出かけられるのに・・・。そう思うことが頻繁にあった。だから初めの数ヶ月は、毎週とは言わないまでも結構な頻度で車を借りて出かけていた。

だがせっかく駅が近いマンションに引っ越したのだ。電車ももっと利用してみたい。そこでカーシェアからしばらく遠ざかって、電車であちこち出かけることにした。しかしそれもまたいずれは飽きる。楽に行ける場所はある程度行ってしまったので、それからしばらくは家の周りにある店や図書館、あるいは公園などにかなり行くようになった。

それからやや時間が経過して、また車に乗りたいなという気持ちになった。久しぶりにカーシェアを予約して車に乗り込む。そして運転していると、変な気持ちになった。なんというか、あまり面白くないし、その上車に乗るのが少し強いのだ。

少し乗らないうちに、車に乗るのが怖くなってしまっていた。どれだけ自分が気をつけていても、事故が起こるときは起こる。反対車線から対向車がこちらに向かって突っ込んでこない保証はない。自分が突発性の病気になって、どこかの建物に突っ込まないとも限らない。事故は起こるときは起こるのだ。

そのようなことを考えて、私はふと気がついた。車に乗ることが、本当にそこまで好きだったのかと。もちろん嫌いではない。車を操作する感覚も楽しい。移動して何処かに気ままに向かうことも愉快だ。だが同時に、少し無理をして毎週乗っていたのではないかとも思ったのだ。

私は電車で通勤する。車に乗れるのは週末だけだ。それ以外はほぼ乗ることはない。週末に車に乗らなければ、なんのために駐車場代などの維持費を支払っているか意味がわからない。乗らなければただ大きな物体を持っているだけで、それに大した価値はない。だから乗れる時には必ず乗らなければならないし、乗れる機会をできるだけ作らねばならない。そう心のどこかで感じていたのだ。

私は車を売って、そのプレッシャーから解放されていることに気がついた。そしてほっとしたのだ。車に乗れないというデメリットももちろんある。その一方でしかし、必ずしも車に乗って出かけなくても良いというメリットもあることがわかったのである。

今の私は、車に乗りたければカーシェアで自由にあちこち行ける。同時に、車に乗らずに家の周りでのんびりしたり、電車に乗って出かけることもできる。車を持つことによって得られる自由を捨てて、車を持たないことによって得られる自由を楽しむことができるようになったのだ。

7才の息子と遊ぶボードゲーム 我が家ランキング発表

7才の息子と一緒にボードゲームでよく遊ぶ。テレビゲームも楽しいが、やはり目が疲れる。そんなときはアナログなボードゲームもなかなかよい。

カタンに始まっていくつか買って遊んでみた。素晴らしいものもあれば、ちょっとイマイチなものもあっあ。それをまとめて我が家的ランキングをつくっておくことにした。

なお、基準は子供を交えて遊んだ時の面白い度、手軽度、飽きない度、子供が勝てる度とするので、大人だけで遊ぶ場合は異なる並びになるかもしれない。また、子供が勝てる度について一点補足だが、我が家ではボードゲームでの手加減は一切禁止されている。大人も子供も真剣勝負。その上での子供が勝てる度であって、手加減すれば調整は可能だろうが、それはしないという前提で理解してほしい。

第10位 モノポリー(ポータブル版) 総合点11点

面白い度 5、手軽度 1、飽きない度 3、子供が勝てる度 2

子供が生まれる随分前に買って夫婦で遊んでいたポータブル版モノポリーがあったのを思い出して、この間引っ張り出してきて遊んでみた。

多分大人同士で遊ぶならいいゲームだと思う。しかし子供と遊ぶならイマイチだと感じた。

なにしろ子供が勝てない。物件をうまく買うのがかなり難しいらしく、うまく行かずに可哀想になるくらい負けてしまう。

加えて準備と片付けがアホほどめんどくさい。これは私たちがポータブル版で遊んでいるためにコマや紙幣がめちゃくちゃ小さいことも原因のひとつなのかもしれないが、しかしそれを差し引いてもやはり面倒だ。これが手軽度を大幅に下げてしまい、堂々の10位を獲得だ。

第9位 かいものすごろく 総合点19点

面白い度 2、手軽度 6、飽きない度 1、子供が勝てる度 10

これをボードゲームに入れるか悩んだが、すごろくは立派な日本の伝統的な遊びであるし、なによりこのランキングを1位から10位までのものにするために必要なので入れておいた。

その名の通りすごろく。ちょっと違っているのは、マス目ごとにもらえるお小遣いで焼きそばだとかお面を買うアクションがあること。買ったアイテムが最後にポイントとして加算され、ゴールの順番とポイントで順位を競う内容になっている。しかし、マスに止まったら必ず買い物はしなければならず、結局のところ全ては運だ。したがって子供が勝てる度は高くなるが、面白い度が下がり、飽きない度も大きくダウンする結果になった。

第8位 ザ・ゲーム 総合点20点

面白い度 5、手軽度 8、飽きない度 3、子供が勝てる度 4

子供とゲームをするときには絶対に手を抜かないことにしているが、そうすると子供が負け続けてしまう場合がある。大人は勝負のプロセスを楽しめるので、多少負けが続いても問題ない。だが子供はそうはいかない。子供は大人が思う以上に、純粋にそして貪欲にゲームでの勝利を求めるところがある。結果、負け続けた子供は泣く。

勝負になるからこういう揉め事が起こるのであって、協力しあって遊ぶゲームなら問題ないはずと思い立って買ったのが「ザ・ゲーム」だ。

このゲームは参加者全員が協力しあって、みんなで一緒にクリアを目指すゲーム。一人一人が順に手持ちのカードをルールに沿って場に出していき、全てのカードを出し切れたら全員勝ちというもの。シンプルで奥が深そうに思いますでしょう?そう、強力型ゲームも奥が深いのだ。

しかしこの協力するという要素がうちの子供にはイマイチ飲み込みにくいらしい。1人が勝つんじゃない、みんなで勝つんだ!と何度も言って聞かせて、その時は「わかった!協力しよう!」と言うのだが始めてみると一番に手札を減らそうと頑張ってしまい結果として全員負ける。そしてみんなで落ち込む悪循環。最近ではめっきりやらなくなってしまった。

第7位 ブロックス 総合点19点

面白い度 6、手軽度 5、飽きない度 3、子供が勝てる度 5

カードゲームが多いので、少し違うタイプのものをと買ってみたブロックス。先に順位を決めてから点をつけたのでなぜか総合点でブロックスのほうがザ・ゲームより低くなってしまったがまあいいのだ。

単純にそんなに面白くない。深いんだろうけど、あまり燃えない。大人も子供も燃えない。手軽だし、そこそこ子供も勝てるのだが、燃えない。飽きがち。全然やってない。

第6位 ウノ総合点26点

面白い度 7、手軽度 7、飽きない度 4、子供が勝てる度 8

お馴染みウノ。子供が学校で教わってきたらしく、家でもやりたいと言うので買ってみた。

ルールを真面目に読むと、実はかつて自分が遊んでいたルールはローカルルールだらけで、本家の遊び方を忠実に守ってプレイしてみるとかなり違う遊びになると言う印象。

たとえば、ドロー2はドロー2で返せるのが私の遊んでいたルールだった。しかし本家ルールではそんなのは認められずドロー2が出たら大人しく二枚引くしかない。あるいは、ドロー4は他に何も出せるカードがない時しか出してはいけないが、他に出せるカードがあってもこっそり出しても構わない。ただし出してはいけないタイミングでドロー4を出していると他のプレイヤーに見抜かれてそれを指摘されると(チャレンジと呼ばれる)、ドロー4を出した本人が数枚カードを取る罰を受けなければならない、とか。

この本家ルールがなかなか面白い。ちょっとした駆け引きがある。はじめこそ「はいはい、ウノね」と馬鹿にしていたが、これが遊んでみるといい感じでもう一回もう一回と続けられる。

第5位 バトルライン 総合点21点

面白い度 7、手軽度 5、飽きない度 6、子供が勝てる度 3

最近購入したバトルライン 。2人でできるゲームがあってもいいと思って買ってみた。

評判通り確かに面白い。が、他のゲームと比べるとやや広めのスペースを必要とするのと、2人用のゲームなので逆に遊ぶ機会が減ってしまうこと、さらに運の要素より実力の要素の方が強く現れるのでなかなか子供が勝てないあたりがこのゲームの登場回数を減らしてしまう。

多分面白いのだろうが、もう一つ我が家では実力を発揮し切れていないように思われる。

第4位 宝石の煌めき 総合点28点

面白い度 8、手軽度 7、飽きない度 6、子供が勝てる度 7

宝石の煌めき。うちでは「宝石」と呼ばれている。はじめこそ頑張ってオニキスとかダイヤモンドとか言っていたが、いつのまにか白とか黒とか言っている。

子供と一緒にやっても相当面白い。息子としては、相手が何を取ろうとしているかを読んで先にそのカードを取ることに必死になるようだ。それがうまくハマれば爽快、うまく行かなければ落ち込むが、それでも果敢に向かってくる。彼にとっても面白いようだし、大人ももちろんめちゃくちゃ楽しんでいる。

第3位 カタンの開拓者たち 総合点28点

面白い度 8、手軽度 6、飽きない度 7、子供が勝てる度 7

またも総合点で逆転現象が起きてしまった。

我が家でボードゲームを色々と買ったが、そのきっかけになったのがカタンだ。

そりゃ面白い。だってカタンだもん。と言いつつそれでも他のゲームにハマるとともにしばらく遠ざかっていた。はじめはカタンより面白いゲームがあるわけないくらいの勢いで遊んでいたものの、ボードゲームは奥が深いことを知り、そしてやがてカタンも悪くないね、などと生意気な口を利くようになっていった。私が。

それが先日久々に遊んでみたところ、やはりむちゃくちゃ面白い。調子に乗った自分を大いに反省している。

子供も勝てるし飽きないし面白いしで、人気のゲームはちゃんと魅力的にできているものだと実感した。

第2位 カルカソンヌ 総合点28点

面白い度 8、手軽度 7、飽きない度 7、子供が勝てる度 6

あれ、カルカソンヌが2位でよかったのかな。微妙かもしれない。カタンの方が上かも。難しいところだ。

面白いのだが、やや深みにかける印象がある。もしかすると自分がまだこのゲームの本質に迫れていないのかもしれない。わからない。

面白さの問題を置いておくと、遊んでいるうちにテーブルに収まらなくなりがちという問題がある。すると大人は特に「あそこ広げ過ぎるとテーブルに収まらなくなるからこっちにするかな」と変な妥協が生まれてきて良くない。

第1位 ドミニオン 総合点34点

面白い度 10、手軽度 7、飽きない度 10、子供が勝てる度 7

1位はドミニオン。私も好きだが息子がとにかくハマっている。負けると悔しがるがまたチャレンジしてくるので、かなり楽しいんだろう。大人だってとっても楽しい。拡張を買うか悩んでいるが、箱がでかそうなのでやだなあと思っている次第。

結局人気のゲームは子供と一緒に遊んでも面白いという結論になった。そういうもんだよなと思う。

Netflix タイニーハウス。狭い家に暮らす私ですら驚く。

Netflixのタイニーハウスという番組を気に入って見ている。直訳すれば小さな家だが、どうもアメリカでいうところのタイニーハウスはトレーラーのようにタイヤが付いていて移動できる機能を持った小さい家を言うらしい。ハリケーンだのサブプライムローンだのといろいろあった結果、でかい家を持つって価値観以外にもあっていいんじゃない?的なあたりからタイニーハウスの流行が始まったらしい。私調べなのでやや適当ですが、多分そんな感じ。

私自身も似たような考えで狭いマンションを買って住んでいるので、まあ分かる。分かるがしかし、これはアメリカの番組だ。小さいって言ってもトイレがうちのリビングぐらいあったりするんでしょと斜に構えて見たところ大違いで、むしろこんなとこ住めるか?と私が心配してしまうほどのものであった。

番組内容は単純で、タイヤ付きの小さな家、タイニーハウスを作ろうとしている人(中年夫婦だったり、若い夫婦だったり、一人暮らし女性だったりいろいろ)が、MCの男二人に手伝ってもらいながらその小さな家を完成させる様子を見せるというものだ。

何本か見ているが、2人のmcが何者なんだかよくわからない。少なくとも1人は建具を自分で作ったりしているので何か建築だか建設だかの背景を持つ人なんだろが、もう1人はプロジェクトマネージャー的というかスケジュールはどうだとか時々見にきて言ってくる人な感じ。よく分からないが、嫌な感じのするわけでもない二人組の男たちだ。

家の持ち主たちはというと、普通のアメリカ人たち。年齢や人種は様々だがまあ一般の人たちだ。いろんな理由があって小さい家を作ろうとしているんだけども、この番組のハイライトの1つが、分かっていたはずなのにいざ作ってみるとあまりに家が小さくてこれマジで住めるのかと家主自身が驚いて引いてるシーンだ。

当然である。大きめのキャンピングカーくらいのサイズの中に、リビング、キッチン、寝室、シャワーにトイレと全てを入れるわけだから広いわけがない。その上彼らの多くが今現在住んでいる家は、アメリカでいうところの標準サイズに収まる家だ。つまり日本の感覚でいうと大層広い。したがって、今の家と新しいタイニーハウスとの間の落差がものすごく大きいわけである。

番組中盤に思ってたより狭くて困惑する家主パートが挿入されるのだが、これがやたら面白い。腕組みして、「うーん、これ暮らせるかな、狭いな」なんて夫婦で顔を見合わせている。しかも家具などがまだ入っていない状態で彼らは大抵見るので、この狭いスペースに家具が入ったら一体どうなるんだろうと心から心配しているわけだ。

見ている私もここで腕組みして「いやー、これは無理でしょう!」とか言って盛り上がる。

ところが番組はうまくできていて、家具を入れたり細部を作り込んでいくとあら不思議、家主たちは「こんなに素敵になるとは思わなかった!サイコー!」と大喜びして終わる。

番組的にはここで終わるが、見ている方はそれで終われない。明らかに「いや、やっぱそれ狭いぞ!」と感じるからだ。夫婦が2人並んでで来たばかりのタイニーハウスのリビングで、ソファでくつろいでいたりするシーンを見せてくれるわけだが、たまにならいいけど毎日は結構きついんじゃない?と思わずにはいられない。いずれ多少は散らかるだろうし、そうした場合はどうするんだろう。こちらは想いを馳せることしかできない。

しかしタイニーハウスは続いていく。次々と小さな家を作りたい人が現れては、小さな家が作り出され、途中でその狭さに驚くも最終的にはサイコーと住人がその家に吸い込まれていく。これがタイニーハウスである。

「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」は失礼か?「労う」の意味が変わってきている。

「お疲れ様でした」を目上の人に向けていうのは失礼だという意見が最近ではあるらしい。「ご苦労様でした」が失礼という声は耳にしたことがあったが、お疲れ様でしたも良くないという人がいることは知らなかったので単純に驚いた。

この手のマナーは商売のタネにされているケースもあるため、批判の的になることが多いのだが、私自身は「お疲れ様でした」がダメであるという流れについてはなるほどと思える変化であるような気がした。

「お疲れ様でした」と「ご苦労様でした」は、どちらも労いの言葉だ。「労う」の意味を改めて調べてみると、goo国語辞書では「苦労や骨折りに感謝し、いたわる。現代では、同等または下の人に対して用いる。」とある。つまり、かつては「労う」は単に相手の苦労に感謝していたわる意味しかなかったのかもしれないが、現代ではそれは違っていて、労いの対象になるのは目下の人だけということになる。

「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」これら2つの言葉を奪われて、我々は目上に何を言えばいいんだ!という怒りの声が聞かれたが、上記を考えるとそもそもその前提が違ってきているのだと思う。そもそも今の世の中では、労って良いのは目下の人だけで、目上に対して労うことそのものがアウトだと考える人が増えてきているのである。

もちろん、「そんなことまで気にして生きるのはめんどくさい。日本人は細かく気にしすぎだ。私はお疲れ様もご苦労様も使い続ける!」という人がいてもいい。

私もどっちかというとそっちの人間なので、少なくとも「お疲れ様でした」は使い続ける。しかしそれも相手によるかもしれない。少々上の人くらいなら、全然お疲れ様でしたで問題ないなんなら「おつかれした」くらいの感じで行く。

それがとんでもなく上の人で、しかも私自身が強い経緯を抱く相手であれば、またかなり違うかもしれない。本当にありがとうございましたという感謝の気持ちを伝える言葉を使うだろう。

日本人はとかく目上だの目下だのにうるさい、と言われるが、他の国の人と話してもやはり彼らもそういったことはある程度は気にするものだし平和に人が暮らしていくために必要な心配りの1つなのかもしれない。この間タモリと鶴瓶のラジオを聞いたが、30歳を過ぎてタレントになったタモリは芸人仲間の中でどうやって「後輩」扱いされることなくうまく潜り込むかにかなり苦心したという内容のことを彼は言っていた。タモリなので話半分で聞くべきにしても、それでもタモリのような人でも上だの下だのというようなことを意識するものなのだなあとふと思った。

「おぎやはぎ式」駅名、どっちがボケでどっちがツッコミか

コンビ芸人っぽい名前の駅がある。おぎやはぎ式駅名と私は呼んでいる。しかしその多くが、どっちがボケでどっちがツッコミかが分かりにくいのが実情だ。

そこでいくつかのおぎやはぎ式駅を取り上げてボケとツッコミを明らかにしていこうと思う。

馬喰横山(都営地下鉄所属)

人を笑わそうとしているのに喰らうとは何事かと思わなくもないが、本人の名前が由来なのだから仕方ない。もちろん馬喰がツッコミで横山がボケだ。意外と優しいツッコミなのだがいかんせん変人なので時々本気で怖い。一方の横山はいい味のボケをかましてくるものの、味があるだけでキレがない。お気に入りの商売ネタがもう少しハネればと祈るばかりだ。

小竹向原(東京メトロ所属)

ツッコミは小竹でボケは向原だ。向原は言うこともやることもやや破天荒だが筋が通っているので人気がある。小竹はというとメガネをしゃくりあげながら一生懸命にツッコむ姿がまた可愛らしい。面白くないことこそ難点ではあるが、これからに期待できるコンビだ。

みなとみらい(横浜高速鉄道所属)

今も昔も調子に乗っているコンビだが、腕は確か。双子なので見分けがつきにくいが、少しこざっぱりした方がボケのみなとで、気持ち優しそうに見えるのがツッコミのみらいだ。

雪が谷大塚(東京急行電鉄所属)

スター性こそないものの、実力派なのがこのコンビ。大塚の奇抜なボケに、これまた雪が谷の奇抜なツッコミが冴え渡る。大手事務所に所属するが、東京ローカルな仕事に力を入れて頑張っている様子が好感を抱かせる。

原木中山(東京メトロ所属)

ベテランのツッコミには味が染み込みすぎてまるでボケのように聞こえるツッコミがあるが、まさにそれ。中山のツッコミはその落ち着き払った低い声でゆったりと響きわたる。小柄な原木がこれまたのんびり発するボケにツッコミと言う名のボケで重ねてくる。観客も声にならない笑いを腹のなかに感じるのみで、それでもなおこれこそが漫才なのだと感じ入る。笑いとは何かを考えさせてくれる名コンビがこの原木中山だ!

清澄白河(東京メトロおよび都営地下鉄所属)

かつては清澄がボケで白河がツッコミだったが、いつからかダブルボケのようなスタイルに変わってきた。新進気鋭かと思わせておいて従来のオーソドックスな漫才を入り口としながらも、やがて新しいタイプの笑いを見せてくれるコンビだ。問題は流行りに少し乗っかりすぎな印象を受けるところか。ベテランの域に入りつつあるのだから、もう少し自信を見せて欲しいところではある。

伊勢佐木長者町(横浜市営地下鉄所属)

言わずと知れた曲者コンビ。言うのも野暮だが、伊勢佐木がボケで長者町がツッコミだ。元はピン芸人だった長者町だがあえてボケの伊勢佐木を加えてコンビとした。これが大正解。伊勢佐木の華のあるオーラと長者町の確かな腕であっという間にスターダムを駆け上った。ややグレーな芸風も持ち味であり、やはり人気も根強い。

荏原中延

青山一丁目(東京メトロ所属)

松本の影響から逃げられない芸人がいる。その最後の砦が青山だ。ボソッと呟くおしゃれスタイルのボケをいまだに貫き、いよいよ売れないが売れてるというよくわからないところにまで達してきている。一丁目はボケと間違えられがちだが、実はツッコミだ。なぜボケと間違われるかといえば、青山のおしゃれなボケに反して一丁目は声を張りすぎなのである。しかし彼らはそれで良いのだ。それでこその青山一丁目なのだ。

牛込神楽坂

若松河田

中野坂上

武蔵小山

武蔵のボケはパワフルだ。力強く勢いがありキレもある。素晴らしい安定感である。小山のツッコミはどうか。悪くはない。オーソドックスなツッコミ。悪くはないのだが何か足りない。何か足りないようでいてこれでいい。形容しがたいバランスが見事なコンビだ。

武蔵小金井

武蔵のボケはパワフルだ。力強く勢いがありキレもある。ただし、人間性には疑問が残る。小山という決して悪くない相方を持ちながらも、小金井という別のツッコミと組んだ。小金井のツッコミは一流だ。だがしかしコンビを解消するでもなく、単に掛け持ちをするという武蔵の性格にはやや違和感を覚える。

武蔵小杉

武蔵のボケはパワフルだ。力強く勢いがありキレもある。ただし、繰り返すが人間性には疑問が残る。一体いくつのコンビを掛け持ちすれば気がすむのだろうか。しかしながら一方で武蔵の目利き力にはひれ伏すしかないのもまた事実。小杉という最高のパートナーを得て、いまでは誰よりも人を呼ぶ名コンビだ。才能は全ての批判を叩き潰すのである。

千歳烏山

千歳船橋

祖師ヶ谷大蔵

トリオ

名古屋ドーム矢田

名古屋のツッコミに矢田の中ボケ、ドームの大ボケという構成だ。

落合南長崎

グループ

大泉学園

堀切菖蒲園

大阪

今福鶴見

天下茶屋

野田阪神

岸里玉出 きしのさとたまで

衣摺上北 きずりかみきた トリオ

どの世界でも世代交代は起こる。

図書館の近くに住むことは生活の質向上に直結する

図書館の近くに住んでいる。歩いて3分くらいだ。かなり近い。

これまで住んでいた家ではここまで図書館が近かったことはない。加えて他人が触った本を手に取ったり、それを借りてきて自宅に持ち込むこともあまり好きではなかった。結果として大学を卒業してからはほとんど図書館を使わずに暮らしてきた。

今住んでいる家を選んだのは、駅からとにかく近いということを最重要視してのことだが、たまたま引っ越してみたら近くに図書館があったのだ。

しばらくは全然使っていなかった。しかしうちは狭いので、新しく紙の本を買うことは基本的にはほぼしないルールを設けているため、新しい本を読むためには電子書籍を選ぶしか無くなってしまった。そうすると一つ問題になってしまったのが、子供の読書だ。タブレットなどを与えるてもあるにはあるが、そうすると読書どころではなくなってしまう。さてどうしたものかと考えた時に、近くに図書館があったことを思い出してふと寄ってみたのだ。

これが大正解。図書館の素晴らしさに今更ながらに気づいた私は、毎週一度は子供を連れて図書館に行って本を読み大量に本を借りて帰ってくる。

図書館の何が素晴らしいかというと「大量に借りてきても全く読まずに返したってなんの問題もない」ということだ。何を言っているのだ、とお思いかもしれないが、結構大事なポイントだ。

本を買ってきたのではこうはいかない。例えば10冊本を買ったとする。買うときは面白そうだと思って買うのだが、いざ家に帰ってみるとあまり読む気がしない。だが焦ることはない、購入したのだからいつか読めればそれで良い。そう思うだろう。ところが実際はそんなに単純な話ではない。なぜならその読まれなかった10冊はきっと初めて買ってきた10冊の本ではないからだ。それまでにも、買ってきたは良いが読まれなかった本がかなりあるはずだ。

この読まれなかった本は、どんどん増えていく。止まらない。習慣はなかなか変えられないのだ。本は買いたい。そして読みたい気持ちもある。だが読まない。色々な理由があって、色々な理由をつけて読まない。そしてただ本棚がただ埋まっていき、気持ちの奥底にも「読んでない本がたくさんあるな」と少しずつプレッシャーが積み重なっていくのだ。

つまり買ってきた本はそのままスペース的にも精神的にも負担となる。すべて読めればそれでも良い。あるいは読めなかったとしても問題ないほどのスペースや金銭的余裕、精神的余裕があれば良い。または「買ってきてもたまにタイトルを眺めるために置いておくだけでそれは自分の刺激になるから良いのだ」と真剣に心から思えるのであれば、それもまた良い。

私には、残念ながらそれは難しかった。そのため、家が狭いから無駄なスペースを省くために、という良い都合もつけられたので、新しい紙の本を買うことを禁じたのだ。

さて、ここで図書館である。家から3分の距離にある図書館。これは私にとっては「ちょっと遠いが馬鹿でかい本棚」にあたる。うちの近くの図書館はただの公立図書館だ。特別大きな図書館でもない。その図書館にある本の数、お分かりになるだろうか。11万冊だ。

恐ろしい数字だ、と私は思う。だが、その11万冊の中に私の欲しい本が必ず含まれているかはわからない。であればやはり購入するしかないではないか、とお思いの方もいるかもしれない。

そう、確かにその通りだ。一見その通りに見える。だが違うのだ。公立図書館は、同じ市や同じくの中では図書館同士で本をやり取りしてくれるのだ。だから、私が住んでいるところでは、200万冊の本が同じ地域ないの図書館には収めれていて、これをネットで依頼すれば簡単に近くの図書館にまで届けてくれるわけである。

10万冊を超える書籍が歩いて3分の場所にあり、さらに全部で200万冊の書籍がその場所に自宅からネットで届けてもらえて、それを受け取ることができ、2週間借りることができる。無料で。

この図書館の恐ろしさに今更ながらに気づいてから、私は使い倒すことに決めた。おかげで私も子供も読むかわからない本を含めて大量に借りてきては、時に読まずにほったらかし、時に夢中になって読みふけり、時には面白いからと貸出延長を連続で繰り返し、と本に囲まれた生活を遅れているのである。